第5話 罠

その日はここ数日のうちでも特に暖かく穏やかな気候で、春の柔らかな陽射しは教会の客室にも差し込んでいた。

 その陽射しを受けて、ルーシアはやつれてはいるが、穏やかな寝顔のまま眠っている。迷宮で変わり果てたディグの姿を見たショックで倒れてから、ルーシアは一度も目を覚ましていない。食事も取れないまま、今も緩やかに衰弱していっている。おそらく今年の夏までもつまいというのが医師の診断だ。

 だが、それならそれでいいんじゃないか、とダウは思う。目を覚ましたところで、良い知らせは何一つ待ってはいない。ダウは窓のそばに立てかけられた盾と手斧を見た。二つともタロスが使っていたものだ。だがもう持ち主はこの世にいない。五日前に顔を無惨に切り裂かれ、首と胴を分たれたまま、窓から見える教会の墓地に眠っている。

 墓地の方にしばらく目をやってから、ダウは修道女の一人にルーシアのことを頼み、酒場へと向かった。


 

 当初は酒場で酒の席の間に上がる噂話だったサムライは、いまや大真面目に対策が語られる存在になった。何せ迷宮のごく浅い階に、躊躇いなく人を斬ったり埋めたり首を飛ばしたりするヤバいヤツが現れたのである。功名心や復讐から、幾つかのパーティがサムライの首を目指して迷宮に潜ったが、まだ誰一人帰って来ない。

 この機に引退や休養に入る冒険者も少なくなかった。酒場にくる冒険者の数は減り、ギルド併設の酒場としては少なからぬ打撃である。

 客もまばらになった酒場の一角を使って、白サーコート姿の何人かが他の冒険者から話を聞いたり地図に印をつけたりしていた。教会から派遣された者達によるサムライ対策本部である。まだ迷宮に潜る気のある数少ない冒険者から、サムライに関するあらゆる目撃情報を聞き出しているのだ。騎士隊もこれ以上無駄に人員を減らすわけにはいかない。確実にサムライを仕留めるために、慎重すぎるほどに慎重に作戦が立てられていた。

 


「一昨日昨日とずっと地下一階から動いていないのね」

「同じところをぐるぐる回っている気もするな」


 酒場の壁に貼られた地図を眺めているのはサラとダウ。地図には冒険者がサムライを見かけた場所と日にちが赤いインクで書きつけられていた。  

 パーティの半数がサムライの被害に遭っている彼らは、しょっちゅうここに顔を出していた。特に何か手伝えるわけでもないが、このままじっとサムライが倒されるのを待ってはいられなかった。対策本部の面々も、二人の事情を知っているので何も言わない。


「ねえ、一階の北東だけ印がないわよね。ほら、この扉の先」


 サラが指さした地図の一角だけ、赤い印がついていない。


「偶然そこでサムライを見た人がいないだけなんじゃないか?」

「かもしれないけど……この扉、確か特殊な鍵が掛かってて、ディグも開けられなかった扉よね?」


 迷宮の扉の中には、鍵が掛かっているものがある。そのほとんどは、斥候や手先の器用な者なら開けてしまえるような鍵であるが、中には専用の鍵を必要とするものもある。どれだけ熟達した斥候の開錠技術も受け付けず、ならいっそ扉ごとぶち壊そうとしても、どんな攻撃も弾き返してしまうのだ。


「そこか、ギルドの鍵が要る扉だな」


 テーブルで書き物をしていた騎士隊の一人が二人の会話に混ざってきた。


「地下三階のとある部屋に、ちょっと強めの魔物がいるんだ。その魔物を倒して爪なり牙なりをギルドに持っていくと、実力を認められてギルドから鍵がもらえる。そこからしか地下四階には行けないのさ」

「つまりサムライは、ここの扉を開けたくてウロウロしてる可能性があるってこと?」

「地下一階をうろついてるということは、鍵を探してるのかも知れないな。でも鍵自体はギルドに行かないと貰えない。サムライはしばらくここで無駄足踏むかもな」





「どうなっておるのだ、この扉は!」


 騎士隊の予想通り、ヒサメは一階北東の扉の前でイライラを募らせていた。


「面妖な扉ですな。こじ開けようにも鍵穴に道具が入りませぬ。見えない蓋でもされているような……」

「鍵穴だけでなく、扉全体に何かされておるようだぞ。斬り飛ばそうにも何かにぶつかって刀が弾かれる」


 見た目は迷宮の他のところにもある普通の木の扉である。一応鉄板で一部補強はされているものの、ヒサメの剛刀で傷一つつけられないとなると、何か仕掛けがされていると考えざるを得ない。


「こうまでして中に入れたくないとは……もしかして白装束どもの根城か? あの日随分と斬ってから、まるっきり見かけなくなったと思っていたのだ」

「代わりに白装束以外が何組か突っかかって来ましたな。どれも大したことはありませんでしたが」

「白装束ども、恐れをなして地上に上がったと思ったが、こっちに隠れておるのかも……」


 白の騎士隊は、現在一パーティだけが迷宮を巡回し、あとは地上の教会で待機している。迷宮に入る冒険者が激減しているからだが、サムライに襲われる確率をできるだけ減らすためでもある。

 しかし、巡回にあたる騎士隊はいつものように白のサーコートを誇らしげに着込んで迷宮へ降りていく。白を着ていればサムライに襲われるのはわかりきっていても、彼らがそれを脱ぐことは決してなかった。


「イルマよ、何がなんでも鍵を探すぞ」


 そう告げると、今一度扉を憎々しげに睨みつけてから、ヒサメは踵を返してまた迷宮の闇の中に戻っていくのだった。




 翌日、ダウが酒場を訪れたとき、サラは騎士隊の隣のテーブルを使って何か調べ物をしている最中だった。テーブルの上には新しく描き起こされたらしい地図や、訓練校の図書室から借りてきたらしい本が数冊積んである。


「何してるんだ?」

「ちょっとねー、考え事。ねえダウ、この地図見てくれる?」


 サラがテーブルの上の本を退かしながら手元の地図を広げなおした。騎士隊が使っている地図をもとに、地下一階の北東部分、扉に遮られた区画の構造を描き起こしてある。


「入ってすぐに少し広めのスペースがあって、そこから細い道が伸びてるでしょ?」

「うん」

「この道をまっすぐ進むと、転移罠を踏んで……この広間の真ん中に戻されるみたいなの」


 転移罠は、迷宮に仕掛けられた罠の一種で、踏んだ瞬間に別の場所へと強制的に飛ばされる罠である。来た道に戻されるものもあれば、まだ行ったことのないエリアに飛ばされるものもあり、迂闊に踏めば命取りになり得る。二人が見ている地図には、転移罠の場所と、そこから広間の中央への矢印が引かれていた。


「罠にかかる重さで反応するらしいから、浮遊呪文をかけてから通れば問題ないみたい」

「……それで?」

「地下一階から三階までの間には、ここ以外に転移罠はないの。私たちももちろんのこと、サムライも転移罠を踏むのは初めてのはず。一本道を歩いていたのにいきなり広間に立っていたとしたら、さぞ驚くでしょうね。きっと大きな隙ができる」

「そこに仕掛けるつもりか!」


 一本道を歩いていたはずが、一瞬で周りが違う景色に切り替わる。なるほど驚きもするし、周りを見回したりしたらそれこそ大きな隙だ。そこに襲い掛かれば……


「イケる……のかな?」


 たしかに罠にかけるまでは、サムライが歩くに任せるだけだから問題はないだろう。サムライが一本道に入ったのを確認して広間で待つだけだ。だが……


「問題は二つあるぞサラ。まず扉の鍵の入手。僕ら二人で地下三階とか無理があるぞ。それにもし鍵が手に入ったとして、あのサムライを二人でどうするつもりだ?」

「それは一応アテはあるわ。鍵は……まあそっちもどうにかするわよ」


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