第2話 ヒサメの話

 ヒサメの故郷ツクモの島は、迷宮街ファランドールから遥か東、海を超えた先にあった。ファランドールとは生活様式も言葉もなにもかもが違うその国では、サムライと呼ばれる者たちが四六時中、島の覇権を巡って血生臭い戦いを続けていた。

 時に他所の国からは蛮族、戦闘民族などと揶揄されることもあったが、サムライにとってはそれこそが褒め言葉だった。強きサムライこそ偉大であり、サムライは皆、強くなるために他の全てを犠牲にする。

 彼女の家もそういったサムライの血筋だった。サムライの中でも一、二を争う名家に生まれ、三歳で木刀、五歳ですでに真剣を振り回すようになった。ヒサメは自分もいずれ父のような強いサムライになり、戦場で父の隣に立つのだと信じて疑わなかった。

 しかし、父親の方は、娘を刀を振り回して戦線を走り抜けるような武士にする気はまったくなかった。女は家を守るもの、そして世継ぎを生むもの。戦場に出て行くなどまかりならぬ。

 彼女には、三つ下の弟がいた。どちらかというと、戦いより学問の方が向いている、静かな性格の少年だった。父の周りの者も、「弟殿は争い事よりも、学問や政の方が向いておるようですな」と評し、弟本人も、「父上の剣は、私より姉上が継いだ方がよいかと」と常々言っていた。

 父親の耳にもそれらの言葉は入っていたはずだが、父親の考えは変わらず、剣の稽古はもっぱら弟のみにつけられた。ヒサメが稽古をせがんでも、時にのらりくらりと、時に邪険に扱われてしまいがち。

 そして十六になったヒサメはついに決意する。こうなれば直接父に示すしかない。自分が父の剣を継ぐにふさわしい強さの持ち主であると。異国の地で名を挙げ、その強さを見せつけるしかないと。

 最近聞こえてきた噂では、遥か西の国に魑魅魍魎が跋扈する迷宮があると聞く。ならばその迷宮、このヒサメめが剣一本で踏破してみせよう。

 



 ♢



 迷宮に入るには、「複数でパーティを組んで入ること」という常識がある。

 パーティの人数に制限はないが、だいたい六人が好ましい。これより多ければ統率がとりにくくなり、逆に少なければ、あっという間に魔物の餌だ。

 そして、戦士ばかり六人集めるのではなく、回復術の使える僧侶、罠の探知や宝箱の解錠のための斥候を含めた、バランスのよいパーティを組むことも、冒険者の間では基本中の基本である。冒険者を目指す者は、これら基本的なことをこの街の訓練校できっちり学ぶ。座学で迷宮での生き抜き方を学び、実技でそれぞれの職業別に最低限の技術を教えられ、最後の試験に合格して初めて、冒険者としてギルドに登録ができ、迷宮に入ることができる。



 東の国のサムライ、ヒサメはただ一人で迷宮に向かっていた。故郷から船でファランドールに着いたはいいが、長い船旅ははじめてのこと、ひどい船酔いで裏路地に倒れ込み、そこで一夜を明かした。幸い今朝はもう吐き気もなく、昨日船中で配られたが口に入れる気にもならなかった食事を腹に詰めてようやく人心地ついたところだ。そして動けるようになったなら、まずは迷宮を見に行こうと、僅かな荷物を持って路地を飛び出したのである。

 ヒサメは冒険者ギルドに登録などしていない。訓練校にも入っていない。そもそも訓練校やギルドの存在を知らない。そもそもこの国の言葉もまだ満足にわからなかった。そも覚える気もなかった。どうせ一人でいるつもりなのだから。

 ヒサメは迷宮に入る仲間を募るつもりはない。己の力量を世に示す以上、そこに自分以外の者の助けは不要。自分一人で迷宮を踏破してこそ、あの偏屈な父親を納得させることができる。そう強く信じていた。

 


 迷宮の場所は人に訊かずともすぐわかった。まだ早朝だというのに、武具を身につけた数人ずつの集まりが、いくつも同じ道を通って街の外に向かっている。この先に迷宮があるのは明らかだ。ヒサメも人の列に混ざって歩いて行く。

 街のそばの崖に迷宮の入り口が口を開けていた。頑丈な鉄扉が後からつけられていて、その前には小さい広場のようなスペースがあった。広場の周囲はぐるりと石壁で囲まれ、壁のそこかしこに剣や槍や弓が立て掛けられている。鉄扉の両脇にも兵士が配置されており、万が一迷宮から魔物が溢れ出してきた時に食い止める場所だとヒサメにもすぐにわかった。

 広場の前で、二人の兵士が冒険者の団体を受け付けていた。全員分の名前を口頭とギルドの登録証で確認して、帳面に記録していっている。今のヒサメは登録証もなければ言葉も通じるか怪しい。このまま順番が回ってくるとまずいな、と、一旦列から外れて石壁のほうに歩いて行き、壁にもたれながら他の冒険者の受付の様子を眺め始めた。

 彼女の国には迷宮などなく、あるとしたら天然の洞窟か、打ち捨てられた廃墟くらいのものだった。だから、ここの迷宮も勝手に入って勝手に探索して勝手に出てくればよいとばかり思っていたのだが、実際には人の出入りを細かく管理されている。

 日が昇りはじめ、街からやってくる冒険者の数はますます増えてくる。人間以外にエルフやドワーフ等見かけるが、ツクモの出身らしき冒険者は見受けられない。この街に来たツクモの民はどうやら自分が最初らしいと思うと、自然とニヤついてしまうヒサメであった。

 そしてヒサメにとっての好機が訪れる。ほぼ同時に広場までやってきた二つのパーティが、順番待ちで揉めはじめたのだ。最初はそれぞれのパーティのリーダー同士で口汚く罵りあっているだけだったが、片方の一言が、相手の地雷を的確に踏み抜いたらしい。すぐさま取っ組み合いが始まり、そこに仲間達も加勢をはじめて一気に大乱闘になった。二パーティ合計十二人の殴り合いを受付の兵士二人だけでは止めきれず、迷宮の入り口にいた他の兵士も鎮圧に駆けつけてきた。この瞬間、広場の中は無人。そして、この騒ぎでさらに待ち時間が増えることにウンザリした一人の冒険者が、乱闘の後ろをすり抜けて広場に飛び込んだ。一人が成功すると、二人、三人と広場に抜けはじめ、さらにその場の冒険者の半数ほどが、受付を無視して広場を抜け、迷宮に駆け込んでいく。兵士が気づいた時には、その場にいた半分ほどの冒険者が受付をすり抜けて迷宮に入り込んでおり、もちろんその中にはヒサメの姿もあった。



 外の兵士が追いかけてくるかもしれないと、ヒサメは入り口側の角に身を潜めていたが、結局上からは兵士は誰も降りてこなかった。


「よし、ではいよいよ……だな!」


 あらためて自分の装備を見直す。胴丸に手甲だけの身軽な足軽スタイル。長い黒髪は後ろで縛って背中に流す。刀は故郷から持ってきた愛用の一本。ヒサメは草鞋で迷宮の床をしっかりと踏みしめた。


「いよいよでございますな、ヒサメ殿!」


 いきなり後ろから声をかけられて、ヒサメは危うくひっくり返りそうになった。振り向くと、いつのまにかすぐそばに、真っ黒な装束と覆面の人影が立っている。


「イルマ! お前も来ていたのか!」


 サムライと並んで恐れられる東の国の戦士に、シノビがいる。気配を隠し身を潜める技は、ファランドゥールの斥候やレンジャーたちよりも遥かに優れていた。シノビを敵に回すと、いつのまにか背後に立たれ、一撃で首を斬り落とされる。正面から斬りかかってくるサムライの方がまだ優しいとまで言われていた。

 イルマも、そのシノビの一人である。ヒサメが幼い頃からずっと、彼女を陰に日向に、見守り続けてきた。覆面の下の顔はヒサメすら知らず、声から男だということくらいしかわからなかった。


「まったく気付かなかったぞ。家からついてきたのか!」

「船上でもずっと、お側におりました」

「……私が船酔いで死にかけてた時もか」

「はい」


 なら介抱くらいしてくれてもよいではないか、とヒサメは恨み言をいいかけたが、口に出す直前で飲み込んだ。これは物見遊山ではなく、サムライとしての力を示す旅。目的地に着く前から人に助けを求めているようではいけないのだ。


「イルマよ、これは私の剣の腕を試す旅。ついて来てくれたのは嬉しいが、余計な手出しは無用だぞ!」

「心得ております」


 それだけ言うと、シノビはつと後退り、そのまま後ろの闇に消えた。それを見てヒサメは一つ頷くと、自分も迷宮の闇へと踏み出した。






 それから数刻あと、ヒサメは刀を鞘におさめると、今し方首を落としたばかりの冒険者の骸に向かって、目を閉じて合掌した。死体は宝箱の罠に掛かって苦しんでいた、斥候のディグである。

 斬首は彼女なりの慈悲であった。毒で弱り、苦しみ、こんな迷宮の中で一人魔物に襲われるのを待つくらいならば、せめて刀の一撃のもとに終わらせようという、彼女のサムライとしての計らいだった。

 冒険者としての心得を何一つ知らないヒサメには、死んだ冒険者でも寺院に運べば、神の慈悲により息を吹き返す可能性があることなどわかるはずもなかった。もちろん寺院への布施としてけっこうな金がかかるし、蘇生の確率も低いので、必ず助かるわけではないが。女神サリヤナを信仰するものがいないツクモでは、ファランドールのように死人を生き返らせる奇蹟はない。死ねばそこまで、人生平等に一度きりである。そして彼女は純粋なツクモのサムライであるが故に、意地汚く生にしがみつくよりも、進退極まったら潔く死ぬことが当然と考えていた。ヒサメは盗賊ディグに、潔い最期を与えたつもりでいたのだ。

 ヒサメは周囲の地面を見渡し、石畳の剥がれた、土が剥き出しの一帯を見つけると、松明を地面に置き、刀の鞘を使って地面を掘りはじめた。途中で道に転がった板切れを見つけてくると、さらに作業は捗った。なんとか目標の大きさの穴を掘り終えると、ディグの死体を引きずってきて、手足を多少無理やりに曲げて穴に入れた。そのあと首も拾ってきて、見開いた目を閉じてやると、体のそばに置いた。そして土を上から被せると、少し盛り上がった地面に、もう一度合掌して祈りを捧げた。迷宮探索の半ばで力尽きた冒険者を介錯し、手厚く葬ったのだ。

 ようやく一仕事終えたヒサメは、松明を拾い上げると、刀を腰にさしなおし、満足げに元来た道を歩いて行った。



 この日ファランドール迷宮は、異物を少しばかり呑み込んだ。腹の中でその少しばかりが、どれだけ騒ぎを起こすかも知らずに。

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