第30話



 王都パリエスで眺めの良い場所と言えば、どこか?

 そう訊かれたら多くのパリっ子がこう答えるでしょう。

 それはF国の象徴ともいうべき、エッフィールの塔だと。


 無骨な外見の塔は好き嫌いがハッキリわかれ、主に芸術家たちからは『あまりにも美的センスが欠如している』と忌み嫌われたそうですが。詩人のライライと鏡妖精ラミットにとって、様式美よりもその高さこそが今もっとも必要とされるものでした。

 なんせ馬を駆ってパリエスにはどうにかたどり着いたものの、ハービィ達とは逸れてしまい戦況を把握しきれなかったのですから。都のあちこちから火の手が上がり、どこに向かうべきかも判りません。


 まずは高所から敵と味方を探すべきだ。

 そんな二人の行く手を遮ったのは、深夜だからと塔への入場を断る守衛たち。彼らを国王陛下より授かった勅令の短剣で黙らせ、人力の昇降機を無理やり動かした挙句、ライライは今パリエスが一望できる高所に居るのでした。(あぁ、権力を行使することは何て気持ちが良い行為なのでしょう!)


 そこでライライが目にしたのは、あちこちで破壊活動を行う巨人の軍団でした。

 敵は毒液が人型を形成して暴れまわる巨人像。外見に個性を感じさせるものはなく、無作為に王都を蹂躙じゅうりんしているようにしか見えませんでした。

 ライライは手でひさしを作りながら、四方を見渡しました。


「うーん、ハービィや、ヒルダはどこ? ちょっと ここからじゃ判らないかな」

「少し待ってね。えーと、ハービィは中央広場の南側をウロウロしているワケ。彼もまだヒルダの位置を捕捉できていないみたい」

「わかるの!?」

「鏡通信用のコンパクトミラーを持っているから、彼。腐れ毒の君に邪魔されて転移の術はもう使えないけど、まっ、これくらいなら……」

「凄い! さすが伝説の妖精ね。味方として頼もしいわ」



 ライライとしてはお世辞抜きに褒めたつもりでした。

 けれど、ラミットは視線をそらして下唇を噛むのでした。着ぐるみウサギの両耳が吹き抜ける風に揺れていました。



「アタシはサ、まるで有能なんかじゃないワケ。友達が邪神に堕とされるのを止める事さえ出来ないんだから。起きた出来事を何もせずに眺めていた。半ば諦めて、ただ反抗の機会を待っていた。ヒルダの心が悲鳴を上げているのは聞こえていたのに。そんな奴が……有能なわけない」

「あの、ラミット……ちゃん?」

「腐れ毒の君はあまりにも強大すぎるもの。逆らったら何をされるのか判らない。だからね、滑稽なくらいにビビッて、アタシは不干渉を決め込んでいた。友達を見捨てたも同然。ヒルダの母にもよくしてくれと頼まれたのに」

「でも、それはもう過去の話……ビビッてたのは昨日まで、そうでしょ?」

「うん、そうであるべき。アタシはね、今日という日にヒルダ達を裏切ったワケじゃないんだ。むしろ、その反対なの! ずっと裏切り者でしかなかったアタシが、今日ようやく進むべき道を見つけた。ついに見つけたんだ! やっと!」

「ええ! その熱さ、最高ね。その情熱をどうか私の魂にも分けて頂戴。ヒルダの心に届く良き歌がうたえるように」

「熱って……ウェーイ、キミさ、もしてかして、ちょっとヤバい人だね?」

「その通り! 私はずーーっと芸術クレイジー。そうでなければ私ごときの歌で奇跡など起こせるものか。奇跡を呼ぶのは、いつだって芸術家の秘めた熱量なんだ」

「OK! やる気は伝わったよ。貴方の奏でる芸術をアタシがしっかり中継するワケ、だから、あの歌を……どうか お願い。ヒルダの為に」



 親指を立てるラミットにうなずいてみせると、ライライは背中に担いだ竪琴を手に取り構えるのでした。ボロボロになった宮廷楽師の衣装は脱ぎ捨て、彼女は今、吟遊詩人の旅装束に身を包んでいました。それこそが本来の姿、頭に被るはいつもの角つき帽子。

 枝分かれした角飾りは、ドゥルド族の風習「角被り」でした。


 ライライは毅然きぜんとした態度で、まだ見ぬ、町のどこかに居る「たった一人のお客様」へと話しかけました。それがたとえ虚空へ向けた独り言だとしても宣誓するという行為は、強く心を奮い立たせるものでした。



「ヒルダ、私たちの生きてきた環境はまるで違うけれど。それでも同じ一族の者がこうして出会った事には何か意味があると、私はそう思う。ただの偶然じゃない。どうか、神様のお膳立てを無駄にしないで。私たちの友情が貴方に届くことを願って。―― ひくよ。ライチ・ライ・バクスター、一世一代の名演奏。だからさぁ、席を立たずにちゃんと聴いてよね!」








 場面変わって。

 同時刻、パリエスの中央広場に面したセイヌ川通りでは。

 狼の毛皮を被った孤独な老人が夜空に猛り声をあげていました。


 魔女ヒルダ、最後の仲間。『樽の賢人』ディオゲネス、その人でした。

 いいえ、彼が本当の意味で仲間と呼べるかは微妙なところ。この老人はいつ、いかなる時でも所属集団の中で浮いていたのですから。社会の逸れ者、川岸で大きな樽を家代わりにして暮らす世捨て人。ゆえにドゥルド族のサーカス団と出会った時、彼は運命を感じて団への加入を申し入れたのです。森の民ならばあるいは、街の民が軽んじる己の生き様すらも受け入れてくれるのではないかと……そう期待して。


 しかし、やはりというべきでしょうか。

 この老人は結局、いかなる集団の中でも浮いていました。それも全て、彼の辞書に「同調」や「馴れ合い」はたまた「遠慮」という概念が存在しない為でした。



「ええい、どこへ行ったリス野郎。お前なんかと遊んでいる暇はないんだ。さっさと出てきて始末されんかい! ワシはヒルダと共に世界地図の全てを塗り替えねばならんのだ。猛毒の紫色でな」



 ヒルダの命令で、逃亡者ラタ・トスクを追いかけてきたディオゲネス。

 彼は獲物を見失い、通りで荒々しく吠えていました。商店街の壁にはかがり火に照らされ歪な影が孤独に揺れ動いていました。


 孤独、思い返せば彼はいつもそうでした。

 周囲は強すぎる我を奇行としかとらえず、あらゆるソンタクと無縁だった哲学者はどこであろうと行く先々のコミュニティで敵を増やすばかり。

 かように飢えた野良犬のような男を唯一認めてくれた存在、それが異教の神『腐れ毒の君』だったのです。

 かの邪神をディオゲネスは君主と認め、授かった使命をまっとうすることに残された人生全てを捧げると決心したのです。


 今宵、そんなディオゲネスの前に立つのは、同じく革命を志す無頼の徒。

 苛立って店の看板を蹴飛ばしたディオゲネスの前に、丸みを帯びた小さな影が降り立つのでした。



「そんなにイライラしなさんなって、ジーサン。残り少ない寿命が、ますます減っちまうからね。騒がずとも、お探しの相手ならここに居る。天眼さまの神命だ、老人だからと特に加減はしないが悪く思うなよ」

「ほざけ! 貴様らが崇める神などチリアクタに等しい存在だ。真の神とは普遍にして絶対の存在! 神命とはあらゆる魂を救済する―― 不可侵にして神聖無二なものなのだ。貴様ごときがソレを語るな!」

「まっ、実際の所おっしゃる通りではある……けれどこっちにも友人との先約があってね。今夜は黙っちゃいられないのさ!」



 ラタが如意棒を振りかぶるのと、ディオゲネスが人差し指をそちらへ突き出すのはまったく同時でした。ラタの右腕に強烈な痺れが走ったかと思えば、本人の意思とは無関係に五指が開き、その手から如意棒が転がり落ちました。体を操る、まったく一筋縄ではいかない相手の術に思わずラタは舌打ちを零しました。


 ―― またか。まるで見えない稲妻に全身を打たれたみたいだ。

 ―― 電流め、これが肝だな。生き物の脳からは常に電気信号が発せられており、神経を介して手足を動かしているそうだけど。もしも、脳の信号より強い指令を四肢へ直に打ち込むことが出来たのなら……相手の肉体をマリオネットのように支配できるたりするのかな? 多分、それ、ありそう。


 しかし、ラタには一つ気がかりな点がありました。もしも、ディオゲネスの術が完全無欠の反則行為だとしたら、ヒルダを自在に操って彼がリーダーに成り代わることも出来たはず。そうなっていないのは、この術に何かしら重篤な欠陥があるから ――そうに決まっていました。


 更には、ただのマリオネットを操るのでさえ相当神経を使うのに、敵意ある人間の体を動かそうというのなら、果たしていったいどれだけの集中力を求められるというのでしょう。


 ラタは敵の精神的動揺を誘う為、思いついた世間話を口にしてみました。



「へっへっへっ、爺さん、面白い術を使うね。前に遭った時はそんな物まるで使えなかったのに誰から教えてもらったんだい?」

「前に遭った? なんの話だ?」

「忘れちゃったのかい? あまりにも古すぎる話か? 大樽の中に住んでいた奇人変人のことなんかコッチは忘れようがないよ。それとも、アレか。あの時はフード付きの法衣で尻尾と顔を隠していたから、僕と判らないかな?」

「まさか、そんな」

「そう、アンタがコップを捨てた時の話。覚えてないかい?」



 あれは五十年、いやもっと昔の話かもしれません。

 かつてディオゲネスは「人々は欲望から解放され、自然に学び、動じぬ心を持つべき」という自然思想の哲学を固く信じていました。知識や財産の価値を否定し、人はあるがままの自然体で生きるべきだと周りに訴えていました。自らそんな生き方を実践すべく、人からもらい受けた大樽に必要最低限な品物だけを置き、野性味あふれる毎日を過ごしていました。

 世間からは変人扱いされ笑われたが、彼は気にかけようともしませんでした。

 評判を聞きつけてラタが訪ねてくるその日までは。



「うわ~! 噂に負け劣らぬ、野蛮人だね」

「なんだ小僧? ここにはお菓子も玩具もないぞ、帰んな」

「おいおい、オッサン、そんなナリをしているけど哲学者なんだろ? 僕と少しは問答してくれよ。住む家もないなんて大変だろう? ここに来る前は何をしていた? アンタ元はいったい、どこの国の人?」

「どこの国でもない。私は生まれた時から世界市民だ」

「うひゃ~格好つけすぎ。無理して世間に反発しているの見え見え~」

「無理などしていない。いずれ私の生き方が世界市民のスタンダードとなる。まずは私がその見本とならねば」

「そんなの誰もついてこないよ。ただ独りで我を貫いているだけ。少しは周りに合わせないと話すら聞いてもらえないだろうに。もっと周りを意識して。文化や共同体はとても大切だよ、本気で世の中を変えたければ使える物は何でも使わないと」

「小僧め、説教をしたいのか。ならば少しは大自然に目を向けろ。野生の動物たちは本を読まずとも生き方を心得ている。不要な物をガツガツと溜め込んだ所で、ただ人生を濁らせるだけ。そんな生き方は不純だ」

「へぇ~オジサンったら、自分が自然体のつもりなんだ。笑っちゃうぜ」



 嘲笑を隠そうともせずに、ラタは大樽の奥を指さしました。



「じゃあ、そこに置いてあるコップは何なのさ?」

「コップ? 川の水を汲んで飲む為のものだが」

「それが自然体かよ! 両手ですくって飲めば良いだろ」

「む……」

「アンタのこだわりは上辺だけ。本当は不純な文明を捨てきれていない」

「殴られないうちに消えろ、小僧」

「我を貫くだけの能無しに世の中なんて変えられるものか。僕はアンタなんかとは違うぜ。社会の仕組みを根底から変え、世界を救う為に目下計画を実行中なんだ」

「大ぼら吹きめ! 世界を救うときたか」

「コップも捨てられない偽物のアンタには生涯かけても出来んことさ。諦めて普通の生き方に戻りなよ。最近は弱者に力を貸してくれる便利な宗教団体ができたらしいぜ。聞いたことない? 天ノ瞳教団っていうんだけど。僕はそこのスカウトマンさ」

「ふん、どちらが正しいかは時の流れが証明してくれよう。だが、お前の言うことにも一理あるかもしれん。犬儒派けんじゅはの学者なら、こんな物は不要だった」



 投げ捨てられた陶器製のコップは粉々に砕け散りました。

 それ以降、二人が出会うことも特になく、交わした言葉の内容も両者は忘れかけていました。

 されど、運命の女神は残酷で皮肉屋。


 最も「すべきではないタイミング」で、彼等は再会を果たすのでした。



「お前か、小僧! あれから五十年は過ぎたというのに」

「おやおや爺さんになっちまったねぇ? 頑張ったけど、どうにもならなかった。そうなんだろう、どーせ? 犬は犬でも、アンタは負け犬。周りに身の丈を合わせることも出来ず、とうとう真の同志も増やせず仕舞い。他人の野望にちゃっかり便乗して、最後に残ったのは自己満足だけか。みっともない。だがな、僕は違うぜ!」

「言わせておけば! 年すらとらぬ化け物が! 世界が毒に沈むなら、人も適応を目指すのが自然体よ。ワシは考えを曲げてはおらぬ、何ひとつ」

「それが自己満足だっての。曲げずに貫いて何が出来たってんだ。ただ邪神の手駒がひとつ増えただけだろ。マジ、ウケるんですけど」



 会話に夢中だったのか、はたまた怒りで我を忘れたのか。

 ラタを拘束していた術の効果は明らかに弱まっていました。

 先ほどまでは全身が痺れて動かなかったのに、今は左腕をどうにか動かせるまでに快復しているのでした。すかさずラタは自由になった左手で尻尾の毛をむしると、掌を広げて一吹き、栗色の体毛を辺りにばら撒きました。



「ではでは、信念を曲げなかった孤高の一匹狼サマに見せてやんぜ! 数の暴力って奴をよぉ」



 気が付くと落ちた体毛の一本一本がラタとそっくりな分身へと成り変わり、ディオゲネスを取り囲んでいるのでした。分身たちはそれぞれが意思を持っているのか、思い思いに相手を挑発し、小馬鹿にする仕草を繰り返すのでした。

 しかし、一番うぬぼれているのはやはり本体。ラタは勝ち誇って言いました。



「お前さんの術、操れるのはせいぜい一人が限界とみたぜ。集団で攻められた場合はまったくの無力。どうだ? 違うか?」

「……むうう」

「その反応、イエスと取るぜ。戦場のガチョウども、やーーーっちまいな!」



 分身どもはケン玉やサスマタなどそれぞれが違った武器を手にしており、そいつ等が別々の手段で一斉に襲ってくるのだからたまりません。たちどころにディオゲネスは地面へ抑え込まれてしまうのでした。


 しかし、流石は狂犬。多勢に無勢でありながら観念した様子はまったくなく、手を差し出せば噛みつかれかねない剣幕でした。



「おお、怖! 老人虐待は絵面が悪いからよ。そこいらの柱にでも縛り付けといてくれよ。それが済んだら毛に戻って良いから」

『はーいよ! ご主人さん』



 分身たちに指示を出し、ラタが立ち去ろうとしたその時。

 なおも屈せぬディオゲネスは言葉による口撃を試みるのでした。



「ふん、上手く逃れたな。お前は、これまでもそうやってきたのだろう? いつも上手く立ち回って他人を出し抜いてきた『つもり』なのだろう?」

「なんだい、それ? 負け惜しみかい?」

「本当のことを指摘してやるのさ! お前は我を通さず、本音を隠して、至極上手に立ち回ってきた。だが! ワシに言わせればそんな物は妥協だ! 妥協に妥協を重ね、本来目指す場所からも遠ざかって、お前さんは今、いったいどこに居るのだね?」

「チェッ! うっさいなー」

「図星だな! 誰の目にも世界は救われているとは言い難いのだから、そうだろうよ! 負け犬はお前の方だ。逃げて、逃げて、行き先を見失った迷子だよ! 所詮、貴様は!」

「へーんだ、救うのは『これから』なんですよーだ」

「妥協者なんぞにワシは負けんぞ。勝負はこれからだ!」



 刹那、ディオゲネスは自分の脳目掛けて強い電流を飛ばしました。

 人間の脳の使われていない部分。眠っている未知の機能を刺激することで肉体の覚醒をうながしたのでした。


 たちまち老人の肉体はゴリラのように膨れ上がり、血管の浮き出た剛腕で分身どもをまとめて薙ぎ払うのでした。

 それを目にしたラタは、苦笑いを浮かべながら落ちた如意棒を拾い上げました。



「じいさん、殉教希望かい? 情けは不要という意味合いなんだね、それは?」

「ワシは媚びぬ。曲げぬ! どこまでも我を貫き通す!」

「あっそう。いいさ、いいさ、終わり方ぐらいは選ばせてやるよ」



 二つの影は舗道を蹴ると、通りのはるか高みにまで飛び上がり目にもとまらぬ速さで打撃戦を繰り返すのでした。小雨は先刻あがり、黒雲の切れ間から淡い月が街を照らしていました。ただ、静かに、無情に。






 そして、決着の刻はこちらでも。

 広場の南側、壊滅した住宅街にてハービィは魔女を追い詰めていました。


 ハービィは既に三体もの巨人から魔力を抜き取った後でした。

 形を保てなくなり、次々と液化する巨人たち。もはや道路はあふれる毒液で冠水状態の有様でした。けれども魔女がその中に潜んでいたかと言えば、答えはノー。大賞首が当たるクジ引きは、残念ながらどれもスカばかりなのでした。

 たとえ外れでも抜き取った邪神の魔力はハービィの体をしっかりと蝕んでいき、頭痛は酷さを増す一方。生まれたての小鹿みたいに足がガクガクと震える中、ハービィは尚も歯を食いしばり、地に膝を付かせはしませんでした。



「あの~、もう逃げませんか、兄貴」



 騎乗中のホムンクルス1号が上目遣いに提案しても、ハービィは聞く耳をまったく持ち合わせていませんでした。


 そんな彼に向かってくるのは地面を揺らす足音。

 ハービィが意を決して振り向けば、そこには町中から集結しつつある巨人ども。



『……見上げた奴だ、本当に』



 先頭の巨人に唇が浮かび、流暢りゅうちょうな舌がヒルダの声で語りだしました。声が聞こえるからといってヒルダが中に潜んでいるとは限りません。この声色に惑わされ、ハービィはこれまで中身が空っぽの巨人、つまりはクジの外ればかりを引かされていたのです。

 限界は近いが、せめて気持ちで負けてなるものか、ハービィは気を強く持ち敵に向き直りました。



『まさかここまで戦えるとは思っていなかった。何がお前をそこまで突き動かす? 野心、出世欲、正義感……そんな物が理由なら、とっくに潰えているはず。いったい何がお前の背骨を支えているのだ?』

「……託されているんだ」

『なに?』

「比喩でもなんでもなく、みんなの祈りが、願いが、俺に力を与えてくれた。ここまで俺なんかを押し上げてくれた」

『皆? 大衆か? そんなもの、他人任せの無責任な輩だろうに!』

「違う! 必死なのはみんな同じなんだ! だから、祈る!」

『よく考えてみろ。アイツ等が私たちに何をしてくれた? 私や父が調査団として北方におもむき、そこで死ぬより辛い目にあわされた時、アイツ等はいったい何処で何をしていた? ただ安全な所で祈っていただけか?』

「救えなかった。悲劇を防げなかった。その事にみんな責任は感じているさ。だからこそ、皆の代弁者として俺は此処に居るんだ! 今度こそ、アンタを救う為に」

『はぁ?? 救うぅ?』

「忘れるな、さっきも言ったろ? 俺を押し上げてくれた願いの中には、アンタを思う黒騎士オルランドの想いも含まれているんだ」

『騙るな! 貴様なんぞが! 救うだと! 今更、何を救えるというんだ!』

「何って……アンタ達の未来だろ」

『この……!』



 怒りのあまり、ヒルダの感情はもう言葉になりませんでした。

 巨人どもへ咄嗟に出された指示は、一斉集結。水で形作られた巨人と巨人が身を寄せ合い、より大きな個体へと変容していきました。


 最後には、街を襲撃したすべての巨人が合体して一つとなり、塔よりも高い超巨体へと成長を遂げました。上半身こそ人型をたもっていますが、その下半身は重みで潰れ、ナメクジのように這いずるまわることしか出来なくなっていました。



『さぁ、どうだ!? これでも巨人から魔力を吸い取れるか? 私の全魔力と貴様の器。どちらが上等か試してみるのも悪くない』



 天を衝かんばかりの超巨体。

 その影は、もはや街の一画をも覆いつくさんばかりでした。

 そんな状況にありながらも、ハービィは深呼吸をして言うのでした。



「よーしよし、これで運否天賦は終わり。当たり外れはなくなったな」

「ちょ、まさかアレとやりあうつもりで!?」



 とうとう見かねたホムンクルス1号が悲鳴を上げました。



「無茶苦茶だ。アレから魔力を吸い上げようとしたら、いくら何でも兄貴の体が破裂してしまう。格好いいとか、そんなのもういいから! アンタは良くやりました。もう後は誰かに任せて! ここで撤退しましょう!」

「そうはいかん。これは俺一人の戦いじゃない、無様に逃げられるかい。それにな、アルカディオの代わりなんて どこにも居ないから」



 ハービィが意気込んで無謀な試みに挑もうとした、その直後でした。

 パリエスの都にライライの歌声が流れ出したのは。

 友の美声を耳にしたハービィは、思わず安堵の笑みを漏らすのでした。



「アルカディオの代わりなんて誰も居ない。しかしながら、俺が孤立無援かと言えば、別にそういうワケでもなさそうだ。なぁ?」

「はぁ、言っちゃなんですが、次はホムンクルスも勘定に入れて欲しい所ですね」

「あっ、うん、その……悪い。言葉の綾で」



 森へ散歩へ行こう

 おおかみさんがいないうちに

 おおかみさんがいたら

 ぼくたち食べられちゃう

 でも、おおかみさんはいないから

 僕ら食べられずにすむよ


<子どもらしい無邪気な調子で>

 おおかみさん、どこにいるの?

 聞こえる? いま家で何してるの?


<声色を変えて裏声で>

 待ってね、今はシャツを着てるんだ。出かける準備をしてる。



 その童謡が聞き手に届くと、巨人は動きを止め辺りを見回し始めました。

 ハービィの鋭い眼力は鷹の目にも負けません。体内より浮上したヒルダが巨人の額部位に姿をあらわし、外の様子をうかがっている所を見逃しませんでした。



「あそこだ! おい! とうとうゴールが見えたぞ」

「こりゃ凄い。ここまで来たら、全力で駆け込むしかねぇッス」



 ハービィを乗せた1号も大歓喜。

 崖のような傾斜すら物ともせず、陸泳ぎのエイは巨体を駆け上っていくのでした。


 風に乗った歌は、魔女の心を揺るがす安らぎの調べ。

 森を散歩する子ども達が、狼さんを怖がりながらも彼が何をしているのか尋ね、返事として狼がいまどんな準備をしているのか(どれくらいで家を出られるのか)を応じる―― これは そんな問答形式の童謡でした。

 魔女にとって忘れられない……されどその理由が判らない……なぜかいつまでも心に居座り続ける懐かしい歌なのでした。


 ―― これは? あのドゥルドの詩人が歌っているのか?

 ―― 雨で出来た水溜りから、商店街の窓ガラスから、周囲のありとあらゆる鏡面から演奏が聞こえてくる。こんな真似が出来るのは、ラミット。奴の力だ。

 ―― つまり、これは……私に聞かせる為の物、ただそれだけの演奏か!?


 ヒルダが耳を傾けていると、歌は二番、三番と進んでいきました。

 家を出た狼さんが遂には森をさまよう子ども達と遭遇する所まで。


 ―― そこまでは知ってる。だが、その先はどうなる? 残虐な捕食シーンか? 逃走劇か? でも……確か そうではなかったような? 森の民にとって、動物は近所のお友達。狼すらも敵とみなしてはいないから……きっと。

 ―― うん? ちょっと待って、ヒルダ? これは森の民の歌なの? ならば、これを……私に歌い聞かせてくれた相手は……誰? 誰なの? ああ! そんなの一人しか居ないじゃない!


 閃光さながらに蘇った記憶は、ヒルダが幼い頃に亡くした母親のビジョン。

 言語学者の父と結婚してサーカス団の基礎を作り上げたドゥルドの女性です。


 幼き頃、ヒルダを寝かしつけようと母親がよく歌ってくれたものでした。

 そう、これはドゥルドの子守唄だったのです。




〈 子どもらしい無邪気な調子で 〉

 おおかみさん、今どこに居るの?

 いま何をしようとしているの?


〈声色を変えて裏声で、しかし優しく〉

 ここだよ。道に迷った子ども達を家に送り届けるところ!

 お父さん、お母さんもきっと心配しているから!


 ……あら、もう おねんね?

 ゆっくりお休み私の可愛い子。

 おやすみなさい。


 全ての家々に安らぎと平穏があるように。

 それが無理ならば、せめて……。

 痛みを忘れる素敵な芸が人々の下へと届けられますように。


 今は おやすみなさい、かわいい子。

 私たちサーカス団の旅はまだまだ続くのだから。

 たとえ民族が異なれど、あらゆる家庭へ笑顔を届ける為に。



 ―― あぁ!! そんな! あああああああ!


 心の奥底に封印されていた記憶があふれると、ヒルダは両手で顔を覆って泣き崩れました。母と父がどんな想いを込めてサーカス団を立ち上げたのか、それを今の自分がどれだけ踏みにじっているのか、すっかり思い知らされたせいでした。


「魔女ヒルダとミッドナイトパレード? ははっ、そんな、冗談でしょ?」


 ヒルダが巨人の視野角から下界を眺めれば、そこには夜の王都がどこまでも広がっていました。今なお原型を留める沢山の家と、幾つか残った灯火の数々。沢山の光が魔女の瞳に映り、そこで星々のように瞬くのでした。



「見えるか、ヒルダ? 街の明かりが」

「……」

「あの明かり一つ一つ、家の一つ一つにみんなの人生がある。どんなに苦しい時代でも精一杯努力して幸せを目指す家庭があるんだよ! この歌がお前に届いたのなら、それを思い出してくれ! 街を壊すなんて、止めてくれよ!」

「……」

「俺たちも頑張る! たとえこの世界が毒に沈んで滅びる運命だとしても。最後まで戦い続けるから! だから、だから、お前も決して投げ出すなよ! なっ!」



 懇願するハービィの姿が、ヒルダには母や父と重なって見えました。

 ヒルダはもう、ただただ泣きながらコクコクと頷く事しか出来ませんでした。



 感情のうねりが全てを押し流すかのように、毒水の超巨体は崩れだし三者を乗せた足場は大きく傾きつつありました。

 迫る危機、誰よりも先に正気へ戻ったのはホムンクルス1号でした。



「コイツはいけねぇ。家に帰るまでが冒険ですよ。兄貴、動かなきゃ」

「まったくだ! ヒルダ、ちょいと運ばせてな」



 最早その手つきは慣れたもの。

 あっという間にヒルダを抱きかかえると、ハービィは1号に騎乗するのでした。


 地上を泳ぐエイは紫色の急斜面を凄まじい速度で滑り落ちていきました。

 誰も落ちることのない平らな大地を目指して。けれど巨人の崩壊はあまりにも早く、ほんの数秒ばかり猶予が足りず、三者はキリモミ舞いをしながら垂直落下へと移行するのでした。



「落ちるぅ! 兄貴ぃ、ミヅチは? 水の蛇だして!」

「駄目だ。手近につけられる所が……えっ?」



 崩れゆく大型巨人は「操作」に従い最後の命令を実行しました。

 ボロボロの手のひらを差し出し、落ちる1号を受け止めたのです。


 落下速度が速すぎた為、受け止めてもバウンドして屋根の上に投げ出されるのが関の山。ですが直接地面に叩きつけられるよりは遥かに軽傷で済みました。

 ハービィは首の痛みにめげる事なく跳ね起きました。



「イテテテ……ヒルダ、1号、無事か?」

「何とか生きてるっス。でもこれって……」

「ああ、ヒルダが助けてくれたんだ、土壇場で」



 本人は力を使い果たしたのか、近場で気を失い倒れ伏していました。

 彼女の頭部にくっついていた二本の角。

 粘着性の毒液で張り付けていた「ドゥルドの角被り」がハービィ達の見ている前でポロリと剥がれ落ちるのでした。



「ヒルダ、ありがとな。……ドゥルドの魔女はもう居ない。君がいつまでも憎しみに囚われる必要はないんだ」



 ハービィが肩の力を抜き、ようやく座り込もうとしたその時、一つの影がヒルダの頭上に姿を見せたではありませんか。

 それが如意棒を振り上げたラタだと判った瞬間、ハービィの体は反射的に動いていました。ヒルダの後頭部を狙って振り下ろされる凶器。それをしかと受け止めたのは、ハービィが握る木刀でした。



「ラタ! 何してんだ、テメェ!」

「そりゃコッチの台詞だよ、マイフレンド。早くトドメをさしなよ。コイツのせいでどれだけ多くの人が死んだと思ってる?」

「そうは……いくか! いかないんだよ! 彼女を救うと約束したんだ」

「綺麗ごともいい加減にしろよ」

「止めろ、ラタ! 彼女にはもう戦意がない。それにヒルダから詳しい事情を聴かないと、この先どう動くべきかを ――」

「オメデタイ奴だな、アルカディオ! この先、まだ戦えるつもりなのかよ?」

「? 兎に角、やめろって! 仲間を裏切るのか? 男の約束はどうした? お前、この戦場を最後にするつもりか!?」



 戦場に立つ男は決して仲間を裏切ってはならない。

 もしも裏切るのなら、その戦場が最後だと思え。


 それは傭兵たちの間では大変有名な格言でした。


 ハービィと切り結んだ格好のまま、ラタは動きを止め、小首を傾げるのでした。



「……いや、この戦場は最後じゃない。まだ次があるなぁ」

「それならば!」

「判ったよ、でもちゃんと責任とれよな? 君が選んだ結末なんだからな」



 ラタは意外にも行儀よく武器を収めると、身を引くのでした。



「OK、OK、あきれたお人よしさん! ここは君の顔を立て、言う通りにしよう。僕はここで起きた事を上司に報告しなきゃいけないから、もう行くよ。君もちょいと広場に顔を出せよな」

「あっ、ああ! すまない、ラタ」

「友達だろぉ? それよりも、モチロン言わなくても判っているだろうな? 友達ならば、いつだって以心伝心なんだからな! 僕の本心、もうわかるよな?」

「え?」

「やっぱ駄目か。まぁ、その時が来たらな。今は余韻に浸ってくれ」



 意味ありげな台詞だけを残し、ラタは去っていきました。

 次いで鏡魔法のコンパクトミラーで連絡をとってきたのはライライでした。



『塔からも崩れる巨人が見えたよ、大丈夫だった?』

「ああ、俺も、1号も、ヒルダも無事だ」

『貴方って人は……ケタ外れの英雄ね。もう歌に誇張や嘘は必要ないかな』

「はは、君の嘘にようやく追いつけたかな……」

『ラミットの話によると広場に教団の関係者が集まっているみたいよ? なんでもそこには天眼さま本人もいらしているとか?』

「ま、マジで? だからラタの奴、早く来いって言ったのか。俺にはヒルダを降伏させた責任がある。拷問やリンチから彼女を守らないと」

『難しい話し合いになりそうね。判った、私たちもすぐそっちへ向かうから』

「ああ、心強いよ。頼りにしてる。対人交渉はからっきしだから……」

『前言撤回、そこは嘘で塗り固めるからね』

「たはは、お好きにどうぞ」

『じゃ、また後で……大好きだよ、私のスーパーヒーロー』

「サンキューな、その一言で報われる。交信終了」



 気絶したヒルダをホムンクルス1号の背に寝かせ、ハービィは徒歩で広場へ向かう事にしました。歩き出すと、やはり戦いの傷跡が目に付きました。町中が紫の毒液で汚染され、はっきり言って手酷い有様でした。とても勝利の栄光を誇れる被害状況ではありませんでした。

 これから起こる出来事を思えば足取りも重い……。

 それでも、これまでに知り合った沢山の人々をこうして救うことは出来ました。

 やり遂げたのです。


 監獄、宮殿、王都。今日だけで、いったいどれだけ多くの戦場をめぐり、戦闘を重ねてきたのでしょう?

 間違いなく、それは人生で一番長い夜でした。

 実力以上の力を引き出し、幾度も勝利を重ねてこれたのはきっと皆のお陰。

 ハービィが心から天に感謝を捧げていた、その時でした。



『見事な戦いぶりであったぞ。どうか私からも称賛させてくれないか』



 不意に頭上から声をかけられ仰ぎ見れば、そこにあったのは毒液をかぶり汚染された教会……その残骸でした。

 目を凝らせば、そんな廃屋の軒先に一匹のオウムが止まっています。



「あれは? ヒルダのペットか? お前のご主人様なら無事だぞ」

『その認識はまったく正しくない。むしろ、私こそが「そ奴」の主人なのだから』



 低い哄笑が無人の通りに響き渡りました。

 ハービィは全身が粟立つのを感じ、思わず相手を二度見してしまいました。



「だ、誰だ? お前は!?」

『やっと直に言葉をかわす事が出来たな。既に聞き覚えもあろう。「腐れ毒の君」とは私のことだよ』

「なんだって!?」

『そして、真の名を知る権利も今の君ならば有ろう。旧き神から授かった我が名はニズヘッグ。世界樹の根をかじるだけの……単なる卑しい毒蛇だよ。宜しくな、仮面剣士アルカディオ君。私こそが、あらゆる災厄の元凶だ』



 遂に現れた真の敵、その姿は何とも儚い一匹のオウムだったのです。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

嘘つき詩人の英雄応援歌(ヒーローズ・アンセム) 一矢射的 @taitan2345

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ