第32話 妖精の証

王弟一家の晩餐に呼ばれなくなって、数日がたった。

少し不気味ではあったが、起き上がることすらままならない人間を晩餐に呼ぼうとする物好きも居まい。

そのため身体も順調に回復し、やっと寝台から降りてマリーへの手紙を書いたのは昨日のこと。

「ディウラート様。まだ寝台でお休みになっていなければ。せっかく女神様がこんなにもお薬を用意して下さったのですから」

「あぁ」

私は頷いて、手の甲を見る。

セルバーという男がどうなったのかも気になるが、マリーからの返事がなかなか来ないことも気になる。

けれど、何よりも気になるのは光の印のことだった。

「今まで、あのようなことは無かった……」

数日前に二度も起こった不思議な現象を、今一度思い出す。

魔力が枯渇した状態で離宮に戻ったあの日。さらに転移魔法陣を動かしたことで魔力を失った私は、死を覚悟し倒れた。

遠のきかけた意識の中、ふとマリーの気配を感じ、目を開けた。そこで私は、信じられないものを目にした。

光の印がひとりでに光を放っていたのだ。印から眩い光と魔力が溢れ出し、身体に雪崩れ込んでくるのが分かり、私は驚きのあまり硬直して何も出来ずにただ呆然としていた。

程なくして魔力も光も消えると、枯渇していた魔力は回復し、私は命を取り留めていた。

そして、その翌日。

私はその真逆の出来事を体験した。

再び光を放った印は、私から魔力を吸いとったのだ。

現実にはあり得ないような体験だったと思う。

何がどうなっているのか分からず、数日経った今でも困惑している。

「アリーサ」

「何でしょう、ディウラート様?」

「この印を……知っているか?」

妙に気になって、私はアリーサに問うた。印をはじめて見たときの彼女の表情に、ずっと違和感を抱いていたのだ。

「それは……」

アリーサは、そっと目を伏せた。

目尻の皺がふるりと震わえて、さらに深く皺を刻む。

両手の指をぎゅっと絡ませて静かに息を吐くと、アリーサは私を見た。

「存じております」

その言葉に、驚きよりも納得が先に立つ。

やはり、知っていたのか。

「これが何なのか、教えてはくれないか?」

「はい、勿論です。……いつかお話しする時が来ると、わかっておりましたから」

アリーサは、子供の枕元で物語を語るような、穏やかで静かな声音で話し始めた。

「ディウラート様。これからお話しすることを、よくお聞き下さいね」

「わかった」

私は頷いて、居ずまいを正した。

「わたくしも、詳しいことまでは存じ上げません。けれど……ディウラート様の母君であるフローリア様の一族が、人外の血の混ざった混血の一族であることは、紛れもない事実です」

私は眉をひそめた。

混血とは、どういうことだろう?

古の神話には、それこそ神や妖精などと人との間に子が産まれる話は多くある。それを混血と呼ぶこともしかり。

だかそれは、古の時代の話だ。今の時代には、到底あり得ない話である。

「そんな訳がないだろう」

私が言うと、アリーサは首を振った。

「これは事実です。そして、それを証明しているのは、ディウラート様ご自身です」

私は訳が分からず、首を傾いだ。

アリーサは何を言っているのだろうか?悪い冗談にしか思えない。

「銀のお髪は『アールヴの証』、フローリア様からお譲りになった歌は、一族に伝わる『アールヴの唄』、そしてディウラート様の手の甲にある印は、人と妖精の契約印である『アールヴの印』です」

アリーサは、そう静かに語った。

アールヴという名に、私は聞き覚えがあった。

私の母上は、旧姓をフローリア・エイセルという。

けれど本当の名は別だと、母上から聞いたことがある。

「フローリア・ルドゥ・アールヴ……?」

私が呟くと、アリーサはゆっくりと頷いた。

「ルドゥ・アールヴ。隠された妖精の一族は、人々に妖精だと見咎められぬようひっそりと生活しておりました。けれどやがて人の血が多く混じり、妖精としての力を持つ者は徐々に数を減らして行きました。そしてはディウラート様が、アールヴの正統な血を唯一引く最後の方です。鉄により火傷をすることに、疑問を抱いたことはありませんか?それもまた、貴方様がアールヴである証拠なのですよ。そしてディウラート様は、あの女神様と契約を結んだ。彼女の手を取り、『アールヴの唄』を歌ったのではありませんか?」

私は、はっとして手の甲を見た。確かに私は、あの歌を歌った。

妖精の血を引くなど、あるはずがない。

妖精など実在しないはずだし、ましてや自分がその末裔であるなど、信じてなるものか。

けれど、そう考えると辻褄のあうことが多すぎた。

信じざるを得ないほどに。

「歌に。印に。何の意味がある?私は何をしてしまったんだ……?」

血の気が引いていくのがわかる。

私が人ではなかったのだとしたら、納得のいくことがある。

ウォルリーカが私や母上を悪魔と呼んだのは、このためだったのだろう。

人ならざる者を閉じ込め、人に危害を与えないために私をここに幽閉しているのだとしたら、それは正しいことなのかもしれない。

全身に震えが走った。では、マリーはどうなるのか、と。

私が妖精の血を引くとして、そんな私と契約を結んだマリーには、どんなに恐ろしい影響が及ぶのだろうか?

考えるだけで、恐ろしかった。

アリーサは、少しでも私を落ち着けようと背中を撫でてくる。

「落ち着いて……大丈夫ですよ」

「何がだ!私は人ではないのだぞ!?ウォルリーカの言う通りだったんだ……!私は、化け物だ……」

私とマリーとでは何もかもが違うと、どこがではわかっていた。

それでもまさか、自分が人ですらないとは、思いもしないではないか。

マリーと沢山の時を共にした。彼女に心を寄せ、彼女もまた優しく微笑んでくれた。

もしも、マリーの身を汚してしまっていたら?何か、悪い影響を与えてしまっていたら?

私は、恐ろしくなって耳を塞ぐ。

「……嫌だ、そんなことは……!何か、契約を解く方法は何か無いのか!?」

叫ぶ声が、虚しく木霊する。

アリーサは私を抱き締め、泣き出しそうな声で囁く。

「わかりません……。アールヴの一族に伝えられる話の多くは、時が経ち人の血が多く混ざると同時に、失われていったと聞いております。フローリア様でさえ、多くをご存じではありませんでした。けれど契約について、わかっていることがあります」

「……それは、何だ?」

「契約を結んだ人と妖精は、命の危機にあったとき、印を通して互いを救うのです。魔力をやりとりすることで、互いの身を守るのだとか」

私は、印の光出した時のことを思い出した。

印から光と魔力が流れ込み、魔力の枯渇で死の縁に居た私を救った。

ならば、魔力が吸い取られていったあの時は?

まさか、と、心臓が激しく鳴りはじめる。

慌てて便箋とペンとインクビンを掴んで、はたと止まる。

私がこれ以上、彼女に関わって良いのだろうか?

それでなくとも、何の力も持たず、離宮に閉じ込められている身。

そんな私が人ですら無かったと知ったら、マリーはどう思うだろう?

いくら心優しいマリーでも、恐怖のあまり逃げ出すに決まっている。

「アリーサ……」

「……何ですか?」

「私はもう、マリーとは関わらない方がいいのだろうな……。一生、一歩もここらか出ずに生きていく方がいいのだ。私にはここが相応しかったんだ……人ですらない私にはな。マリーだって、真実を知れば私から離れていくだろう。だからもういい。……何もかも」

涙が頬を伝った。

言ったそばから、心が嫌だと叫んでいる。

マリーの側に居たいと。もっと、共に居たいと。

マリーが大切で、何よりも愛しいのだと、そう叫んでいる。

けれど、だからこそ共に居られない。これ以上、私などと居てはいけないのだ。

契約がどんな影響を及ぼすかはわからないが、マリーの身を守るものなら、それでいい。この離宮から、マリーの危機を静かに守っていられれば、それでいいのだ。

「ディウラート様……」

アリーサが何かを言いかけた時だった。

広げていた転移魔法陣が、ほのかに光はじめる。

マリーからの、手紙だった。

遠ざけて、私から、化け物から守ろうと決意したばかりだと言うのに。

決心が揺らぐように、私はその手紙へと吸い寄せられて行った。



親愛なるディウラートへ


二日後

あの樹の下で待っていて

マリー



私はそっと、手紙を抱き締めた。

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