第23話 密かな文通

マリーがトゥーラハーツェ魔術学院へ出立して、もう季節半分が過ぎた。

秋風は冷たさを増し、雪がちらつき始めている。十日に一度の貴重な外出日でさえ億劫になるほどだ。

もっとも、マリーの居ない外界を、待ち遠しく思わなくなってしまったのだが。

王弟一家の屋敷での晩餐から帰ってきた私は、体を引きずるようにして自室へ戻った。

「ディウラート様、なんてこと……。怪我だらけではありませんか!寝台でお休み下さい。今、お薬を……」

アリーサが悲鳴をあげてこちらへ駆け寄ってくる。

無理もないだろう。今の私は、全身血にまみれているのだから。

薬を用意しようとするアリーサに、私は首を振る。

今、そんな余裕はないのだ。

「アリーサ、今はいい。薬より、ペンとインクの用意を」

「ですが、ディウラート様。無理をなさっては……」

「大丈夫だ……それよりも、マリーに伝えなければならないことがある」

私を止めようとするアリーサを制し、私は机へ向かい、燭台を引き寄せた。

マリーから貰った簡易の転移魔法陣を目の前へ広げる。

「……っ!」

腕を動かすと同時に走った痛みに、思わず顔が歪む。

その様子に、アリーサは不安げな視線をこちらに向けながら、隠し棚から様々なものを取り出して来た。

私が頼んだ、マリーからもらったペンとインクの他に、こちらもマリーからこれでもかと持たされている薬を用意したようだ。

「アリーサ、ペンとインクだけをこちらに」

「……はい」

薬はどうするのだ、と訴えてくる瞳を無視して、私は机へ向き直った。

晩餐へ出かける前にマリーから届いた手紙の返事を書くために便箋を取り出す。

ペンを取った私は、どうしようもなく震える手で、マリーへの手紙を綴りはじめた。


晩餐が始まる少し前。

私は、机に広げた転移魔方陣の前で、今かいまかとマリーからの手紙の到着を待っていた。

「そろそろだろうか……」

「うふふ。そのように見張っておられなくても、お手紙は逃げたりいたしませんよ?」

アリーサが楽しそうに、笑いながらこちらを見やった。

私とて、別に手紙が逃げるなどと思ってはいないのだ。

ただ、ただ早く読みたいだけで。

マリーが学院へ行って以来、私たちはいつもこの簡易の転移魔法陣を使い、手紙のやり取りをしている。

時間はいつも晩餐の前。

手紙を受け取り、翌日返事を送る。その翌日には、返事が届く。

このように、互いに近況を報告しあうのだ。

私はいつも手紙を読む時間を、返事を書く時間を、楽しみにしている。この時間は、なぜか心が凪ぐのだ。

「……うるさい。アリーサ、もう下がれ」

「あらあら、ふふ。それでは、失礼いたしますね。晩餐へお出掛けの際にはお呼び下さい。お見送りいたしますからね」

「ああ、わかっている」

部屋をあとにするアリーサを見送り、私は机に向き直った。

そっと息ついて、無意識に手の甲を撫でる。

これは、マリーと会えなくなってから癖付いたものだ。

私には、光の印と手紙が、マリーと私との繋がりを示す唯一の証に思えるのだ。

しばし待っていると魔法陣がほのかに光り、マリーからの手紙と、返事を書くための便箋と封筒が届いた。

私はそっと、丁寧な動作でそれらを魔法陣の上からとりあげる。

マリーからの返事のみを残すと、他を全て机の端に追いやってしまう。

目の前に残ったマリーからの手紙を、一度服で手を拭ってからゆっくりと開封した。



親愛なるディウラートへ


体は大丈夫?怪我をしていない?

わたしがどれだけ心配しているのか、本当にわかっている?

貴方の手紙は単決すぎて、様子が伝わってこないのよ

薬がきれたら絶対に教えてね。手紙と一緒にそちらに送るから

それから、貴方が続きを気にしていた魔術書の続刊を見付けたわ

学院から持ち出せないのだけれど、写しを取っているの

数日後には渡せると思うから、楽しみに待っていてね


それから昨日、天文学の講義があったのよ

前から話しているセルバー兄様の講義だって、もう覚えたかしら?

セルバー兄様は、難しい星読みをわかりやすく教えて下さるの

講義後にはお茶会に招待をされたのだけれど

講義の続きを教えてもらって、会話も弾んで楽しかったわ

途中で乱入騒ぎがあって、台無しになってしまったけれどね

ディウラートも、天文学や占い学には興味があったでしょう?

きっとセルバー兄様と話が合うわよ


追記

いつか必ず、二人で星を見ましょうね

マリー



手紙を読み終えると、私はそっと目を伏せた。

前半は、会っていた頃とかわらず、私の体を心配する内容だった。

よくも毎度同じことが書けると、思わず呆れる。

心配されていることがどこか面がゆく、けれど嫌な気はしなかった。

後半はというと、いつも魔術学院での話がほとんどだ。

今回は、魔術学院へ行って以来頻繁に話題に出てくるようになった、セルバーという男の話だった。

「また、この名前……」

わたしは、思わず顔をしかめる。

どこかで聞き覚えがあるような名前だが、今そんなことはどうでもいい。

心を支配するわだかまりが、顔も知らぬ男への嫌悪感を示していた。

胸のあたりがじくじくと痛むのは、どういう訳だろう。

マリーからの手紙にセルバーという名が書かれているだけで、鉛でも飲み込んだような気分になる。

逆に書いていない日には、すっきりとした気分で手紙を読めた。

親しげな様子も、昔からの兄妹のような関係性も、ひどくその男を慕っているということも、文章からありありと伝わってくる。

マリーが楽しげにこの男の話をする度、私は名も知らぬ感情に振り回されるのだ。

手紙の返事が素っ気なくなっていくことは、仕方がないだろう。

「返事……か」

私は一度握りかけたペンを戻す。

なぜ、わざわざこの男の話題に返事をしなければならないのだろうか?

マリーより歳上で優しく、貴族然として、頼りになる存在。

私とはまるで真逆なこの人物を、きっとマリーは好いているのだろう。

その事実が、何故か私の心を深くえぐった。

吐き出す息が重い。胸が詰まる。心臓は普段と違う早さで拍動し、腹の奥がもやもやと気持ちが悪い。

返事を書こうとして、手を止める。

今書いても、恨みがましい内容しか書けない気がする。

「止めだ。返事は、また明日書けばいい」

私は、自分にそう言い聞かせた。

席を立つと不意に、空へ昇りかけた月の淡い光がうっすらと部屋に差し込んでいることに気が付き、窓の方へ足を向ける。

鉄格子の向こうに輝く月を、静かに仰ぎ見た。

「マリー……」

月にかざした手に魔力を込め、光の印を浮かびあがらせる。

柔らかな光が、いつか重ねたマリーの手の温もりを思い出させた。

マリーに会えない日々が退屈で、セルバーという名を見るだけで気分が沈む。

気が付けば、いつも彼女のことを考えている。

この感情の正体を、いつか知ることができるだろうか。

彼女の居ない寂しさをわぎらわすように、私は馴染んだ旋律をそっと口ずさんだ。


結局私は、そのまま晩餐の時間になるまで月の昇っていく様子を眺めていた。

時間になると、転移魔法陣で王弟一家の屋敷へ向かい、晩餐の席につく。

マリーが学院へ発ったその日に、私の異母兄であるゼウンもまた学院へと向かっている。

そのため、最近はイルハルドとウォルリーカの二人と晩餐を共にしていた。

一人減ったところで、何も変わらない。私にとっては地獄のような時間だ。

「……」

よく話すゼウンが居ないぶん静かだが、ウォルリーカからの刺すような視線は耐え難いものがある。

「あら、何かしら?」

ウォルリーカの言葉に、小さくすくめていた私の肩が跳ねる。

けれど、すぐに私へ向けられた言葉でないことがわかり、詰めた息を吐く。

窓から翼を模した魔術道具が飛んできて、ウォルリーカの手に止まったのだ。

マリーがよく使っていた伝達用の魔術道具だ。

ウォルリーカは、魔術道具が運んできた手紙のようなものを開く。

「珍しいですね。ゼウンから連絡があるなんて」

私はじっとその様子をうかがうことにする。

イルハルドは気に止める様子もない。

文字を追っていくウォルリーカの目が細められ、徐々に表情が厳しくなっていくのがわかる。

読み終わる頃には、苦虫を噛み潰したような顔で、声を荒らげた。

「あり得ないわ……!!なぜ、こんなことに!」

突如声をあげたウォルリーカに、その場に居た側仕えたちが縮み上がるように身を震わせた。

「もう耐えられない。王女であるマリエラの夫となるのは、わたくしの息子、ゼウンですのにっ!マリエラとセルバーが仲を深めているですって……!?やはり、婚約の噂は本当だったのねっ!」

ダンッ!と机を叩き、ウォルリーカが手紙を投げ捨てる。

席を立ち、動揺したように部屋をさ迷いはじめた。

爪を噛む音が、嫌に響く。

こちらに飛び火してこないよう、私は息を潜めて事の成り行きを見守る。

けれど同時に、はっとあることに気が付き、言葉を失った。

以前、ウォルリーカとゼウンが消すと言っていた男。マリーの慕っている男。今ウォルリーカが動揺を露にしている手紙に書かれている男。

三人ともが、セルバーという名であることに気がついたのだ。

同一人物である可能性が高いだろうと思う。

「もっと早くに消しておくべきだったわ……!今からでも遅くはない。早く、セルバーを消さなくては!」

赤い髪を乱しながら、凄まじい剣幕でウォルリーカが怒鳴った。

杖を向けられた黒服の男は、一瞬身を固くしてすぐに部屋から出ていく。

セルバーという男が殺されようが、何をされようが、私には関係のないことだ。何も聞かなかったことにすればいい。

私はいつもそうして、この晩餐の席で見聞きしたことを記憶から消し、耳をふさいできたのだから。

私はいつものように、そっと記憶に蓋をするように瞼を閉じた。

けれど、その瞼の裏にマリーの笑顔が浮かび、後ろめたさが襲う。

もし、本当にウォルリーカの言うセルバーが、マリーの慕うセルバーだったら?

彼が消されれば、マリーはどれほど悲しむだろう。どれほど、傷付くだろう。

きっと、何も知らないふりをしていた方がずっと楽だ。

この話を知っていたところで、そのセルバーという男を助けに行ける訳でもないのだ。

マリーだって、同じだ。

離宮に帰って一番にこのことを手紙に記せば、きっとセルバーが殺されるよりも前にマリーに情報を伝えられるだろう。

けれど、下流貴族の子爵家令嬢と言っていたマリーに、どれ程のことができるだろうか?

セルバーとは昔馴染みのようだが、彼は既に王女マリエラの婚約者。マリーの手の届かない存在になっているに違いなかった。

それに万が一、間違った情報でマリーを傷付けてしまっては本末転倒だ。

仮にあっていたとしても、マリーを危険に巻き込むのではと不安が募る。

「……」

私は、焦りを感じた。

一体どうすればよいのだ。こういう時、マリーならばどう動くだろう。

思案の余地は無かった。

私は、マリーに伝えようと決意をする。

焦燥感にかられて早鐘を打ちはじめた心臓の鼓動を感じながら、私はそっと息を潜めた。

一方、部屋の中は大きくざわつきはじめたが、ウォルリーカが一喝すると側仕えたちは口をつぐんだ。

「連日、お茶会を開いて親睦を深めている?移動時にはエスコートを?まるで、婚約者同士の様ではないの!許せない……許せない!」

席にどんと腰をおろしたウォルリーカは、顔を歪めながらしきりにマリエラ王女とセルバーという男への恨み言をつぶやいている。

その顔が悪魔のようで、背筋に冷たいものが走った。

「……何を見ているの!?」

ひゅっ、と食器が顔のすぐ横を通りすぎた。

驚きに目を見張る暇もなく、ウォルリーカの魔力によって様々な物が飛んで来る。

怒りのあまり、魔力が暴走しているようだった。

全てを避けきれるはずもなく、いくつかは体に当たり、その度に激しい痛みが襲う。

ナイフが腕の皮膚を切り裂いて行き、フォークやスプーンでがいたるところに細かな傷を付ける。皿で額は裂け、生暖かい鮮血が頬を伝った。

「うっ……!」

痛みにうずくまる私を見下ろし、ウォルリーカは吐き捨てるように言う。

「もういいわ。誰か、これを早く離宮へ。目障りで仕方がないわ」

その言葉に、先程とは別の黒服が私を担ぎ、部屋を出ようとした。

「待て」

ずん、と場の空気が重くなるような低音が呼び止めた。イルハルドだ。

「魔力徴収を行え」

イルハルドの言葉に、黒服はどちらに従うべきかとイルハルドとウォルリーカを見比べた。

「何をおっしゃっているのです!?今はそれどころではないでしょう?セルバーのことを何とかしなくては!」

「どうでもよい!それよりも、あれの魔力だ」

私を一瞥したイルハルドが、不意に、聞いたことのないような大声で怒鳴った。

ウォルリーカは怯えた表情でびくりと肩を震わせたが、すぐに舌打ちでもしそうな様子になり、私の魔力徴収を黒服に命じた。

私はこの時初めて、自らの魔力を奪っていた人物がウォルリーカではなくイルハルドだと悟った。

魔術道具が体に押し当てられ、魔力が吸い出されていくのを感じる。

頭の奥が痺れて、ぐらぐらと視界が歪んだ。

魔力も血も、多く失いすぎている。

早く、早く。すぐにでもマリーに知らせなければ。

遠のきかける意識を必死に引き留め、私はセルバーの殺害計画を知らせるため、離宮へ急いだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る