第18話 二人の時間(1)
「ディウラート様、今日は外出日ですねぇ」
嬉しそうに目尻に皺をよせ、アリーサは言った。
「そうだな」
私はそっけなく返して、窓の外を見やる。
夏の暑さは徐々に影を潜め、季節はそろそろ秋へと移り変わろうとしていた。
木々を揺らす風は十日前より冷たくなっているだろうかと、外に思いを馳せる。
「今日もあの方はいらっしゃるのですか?」
そう問いかける声は、弾んでいる。
「そうだ」
「うふふ。そうですか、そうですか。それは良うございました」
鼻歌でも歌い出しそうなアリーサに、私は呆れた視線を向けた。
最近、外出日になるとアリーサはいつもこの調子である。
原因はわかっているのだが、どうにも対処しかねる。
アリーサがこのようになったのは、私が声を失って以降だ。
あの日、マリーは小瓶や薬包紙に小分けにした大量の薬を私に持たせて帰っていった。
その種類は多岐にわたり、痛み止や塗り薬、化膿止めから解熱剤、万が一にと数種の解毒薬まで揃っていた。
ひとつひとつが少量だったため、離宮内に持ち込むことは可能だった。だが、多くの時間を共にするアリーサに気付かれないはずがない。
私はアリーサに、マリーについて話すことになった。
アリーサがどのように思うだろうと気を揉みながら話したが、杞憂だったようで、アリーサはすっかりとマリーのことを気に入った様だった。
さらに、会えばかならず私の体調を気遣い、甲斐甲斐しく傷の手当てや薬の追加をしていくマリーの様子を報告していると、いつしかマリーを女神と呼び、私とマリーが会う日を心待にするようになったのだった。
「アリーサが会う訳ではないだろう。何故それほど嬉しそうなんだ?」
「それはそうですけれど。ディウラート様が待ち遠しく思っておられるこの日が来ると、アリーサまで嬉しくなってしまうのですよ」
「別に、待ち遠しくなど思ってはいない」
「あらあら、うふふ。あの方は、ディウラート様の女神様でしょう?」
「っ!あれのどこが女神だ!」
言い返しても、アリーサは楽しそうに笑うばかり。
何とも居たたまれない気分になり、私は少し早いがいつもの場所へと出向くことにする。
「お気をつけて行ってらっしゃいませ」
アリーサの声を聞きながら、私は足早に離宮を出た。
私は、いつものように幹に背を預け、マリーが来るのを待つ。
空へ掲げた手に魔力を込めれば、あの光の印が浮かびあがり、同時にマリーの笑顔が鮮やかに思い浮かんだ。
アリーサにはああ言ったが、確かに近頃の私は、マリーに会うのを心待にしているきらいがある。
――さすがに、女神というのは言いすぎだと思うが。
けれど、それを言及されると、どうにも居心地の悪い思いでつい否定してしまうのだから、仕方がない。
もやもやと、そわそわと。
最近落ち着かないこの心のままならなさに、ため息をつく。
大切なものをつくりたくないと思った側から、マリーの存在が大切になっていく。
彼女への警戒心を解き、彼女との時間を素直に楽しいと思っている自分を、認めざるを得ないのだ。
私とマリーは、確かにあの日を境に距離を縮めていた。
「ディウラート」
軽やかな足取りで、マリーがこちらへ向かってくるのが見えた。
私は立ち上がり、私が行けるぎりぎりのところまでマリーを出迎えると、彼女の荷物を半分さらう。
「今日はやけに多いな?」
「そうなの。だから、持ってくれて良かったわ。ありがとう。……ふふ。最近、こうして出迎えてくれるわね?前は返事もなかったし、あの樹の下から動こうともしなかったのに」
笑いまじりにわざとらしく頬を膨らませるマリーに、私は視線をそらす。
あの頃はまだマリーを警戒していたのだ。仕方がない。
そもそも、心を許してしまっている今の方がおかしいのだ。
私は、少し気まずくなって声を小さくした。
「それは……悪かった」
「ううん。責めてるんじゃないのよ。仲良くなれて嬉しいなって、そう思っただけ」
マリーは明るく言って、さらに、何故か私に同意を求めてくる。
私は顔にかかって鬱陶しい髪をいじりながら顔をしかめた。
「あら、照れているの?ふふふ」
何故、そうなるのだろうか。
面白そうにからかう口調で言う彼女を睨んで、私はさっさと樹の下まで歩いた。
慌てて付いて来るマリーの気配を感じながら、荷物をおろす。その横に腰をおろすと、マリーもすぐ隣に座った。
その距離が余りにも近いことにそろそろ驚かなくはなってきたが、慣れるべきか否かは考えどころだ。
この距離の近さも、やはりあの日以降だった。
「マリー、近い」
「あら、そうかしら?」
マリーはきょとんとしてこちらを見つめた。
無自覚なのは知っているが、自覚してほしい。赤くなった頬を隠すように、私はそっとマリーから顔をそらして距離を取った。
「今日の体調は大丈夫?この十日間、何もなかった?」
マリーは私の頬に手を添えて顔色を確認しながら聞いてきた。
距離が近い原因のひとつでもある、最近恒例の診察だ。
「大丈夫だ。特に問題はない」
「本当ね?ディウラートの大丈夫は信用できないのよ。この前だって、大丈夫と言って傷が増えていたじゃない」
不機嫌さを隠そうともせずに小言を並べるマリーに、私は呆れる。
さすがに、何度も衣服を剥ぎ取られて傷を確認されれば、嘘などつこうという気もなくなるというものだ。
いつも、彼女に触れられたところがじわじわと熱を持ち、それに呼応するように心臓の鼓動は早くなる。
それを悟られまいと必死で、結局されるがままになってしまう私の身にもなってほしい。
「本当だ、嘘ではない。頼むから、無理矢理脱がそうとするな」
「はぁ……わかったわ。本当ならいいの。わたしだって、好きで服を脱がしている訳ではないのよ?貴方が嘘をつくのが悪いのだから。わかっている?」
怒ったような、それでいて恥ずかしさをこらえたような微妙な顔つきで、マリーは凄んだ。
「ああ」
私が肯定すると、マリーはため息をついて身を引いた。
私は安堵して、服を押さえていた手を放す。
「それならいいのだけれど。……ねぇ、怪我をしなくても、何か怖い目にあったりはしなかった?」
私の脈や体温を確認しおわったマリーは、そう尋ねてきた。
毒を盛られ、しかも頻繁に傷をつくる私を不振に思ったらしいマリーは、しつこくその原因を問いただすようになっていた。
そしてつい先日、とうとう私は義母と異母兄から虐待を受けていることを告白したのだ。
それが王弟の家族であることなどの詳しいことは話していないが、マリーの心配性を加速させるのには十分だったと、今ではよくわかっている。
私は、首を横に振って応えた。
「大丈夫だ」
「そんなの、信用できないわ。本当なの?」
「……」
マリーが、怪し気にこちらを見ている。
私は、しばらく思案して言った。
「少し、だけだ。平気だから心配ない。……これ以上は、言えない。言いたくないんだ」
長い間質問攻めにあうよりはと、私は観念して言った。
恐ろしいめには、確かにあったのだ。
けれど、それをわざわざ聞かせ、優しい彼女を傷付けたくはない。
マリーが表情を厳しくしたのがわかった。
「……わかったわ。これ以上は、聞かないでおくわね」
どこか悲しそうに微笑む彼女に、私は視線を落とす。
虐待の内容や、手枷によって行動を制限されていることを聞かせたあの時、マリーが我ことのように傷付いた顔で静かに涙を流す様子を見て、私は少しだけ後悔した。
マリーには、何も知らないままで笑っていて欲しかったと、そう思ったのだ。
「もう、この話はいいだろう」
私は話を打ち切り、他の話題を振る。
「それはそうと。光の印について、何か収穫はあったか?」
私が尋ねると、マリーは首を横に振った。
「いいえ。そちらは?」
「駄目だ。何もわからない」
私たちはしばらく顔を見合わせて、どちらからともなく肩をおとした。
もう何度、このやり取りをしただろうか。
「ねぇ。やっぱり、お母様から受け継いだという、あの歌に秘密があると思うの」
「それはわかっている。けれど、私は母上から口頭のみで歌を受け継いでいるんだ。ここしばらく、何か文献は残っていないかと探しているが、見付からない。わかっているのは、受け継いだ沢山の歌のなかでも、あの歌が最も大切な歌だということだけだ」
「そう。他に何か、思い出せない?」
私の顔を覗き込むマリーに、首を振って見せる。
マリーは考え込むように俯き、しばらくして顔をあげた。
「わたし、もうすぐ魔術学院へ行くの。あそこには沢山の本があるし、何かわかるのではと思っているわ」
私は首を傾げて、いつか読んだ本を思い出す。
「ああ、トゥーラハーツェ魔術学院か。創立者で初代学院長のトゥーラ・ハーツェ女史の書物を読んだことがある。貴族が魔術を学ぶ学舎だったな。マリーの歳だと、今年で二年生か?」
「そうよ。秋のはじめから冬のおわり頃までの半年間、学院の寮で過ごすことになるわ。あのね……出立は五日後なのよ。学院から出てこられればいいのだけれど、難しそうで。だから、しばらく会えなくなるわ。次に会えるのは半年後になるかしら……」
「え……?」
申し訳なさそうに、言いにくそうにマリーは言う。
私は頭が真っ白になり、間抜けな声を出してしまった。
これから半年、マリーに会えない?あまりの衝撃に、困ったように眉を下げるマリーを、私はただ見つめた。
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