第6話 出逢い(2)

リュークと離れ、言われた通りに小川にそって進むとすぐ森を抜け、話に聞いていた通りの草原へ出る。

大樹を探そうとぐるりと見渡すと、すぐに目的のものが目に入った。

ほうっ、と息が漏れる。

幹は大人数人が両手を広げても届かないほど太く、不自然にぐにゃりと曲がって伸びている。

高さはそれほど高くなく、枝葉は大きく広がり広い範囲が木陰となっている。

不思議な雰囲気の、神秘的な樹だ。

わたしは小川をまたいて、引寄せられるように大樹の根元まで行き、もう一度辺りを見回した。

そしておかしいことに気が付く。誰も居ないのだ。

リュークいわく、今日は彼がここへ来るはずなのだが。

わたしが内心焦っていると、頭上から鋭い声が降ってきた。

「誰だ。そこで何をしている」

わたしははっと息をのんで上を見上げた。

太い枝の上に腰掛け、少年がわたしを見下ろしていた。

呼吸すら忘れる。

冷たい光を宿した、透き通るような青の瞳と目が合う。

緩くひとつに結わえられ、肩から前へ流された長髪は、星屑を散りばめたように美しい、青みがかった銀だ。

整った綺麗な顔立ちは、無表情にわたしを睨んでいた。

「妖精だわ……」

彼がディウラートだろうと考えながら、わたしは思わずそう口にする。

なんて、美しい少年だろう。

瞬くことすら勿体なく感じ、わたしはその一挙手一投足までこの目に焼き付けるように彼を見つめた。

「誰だ、と聞いている」

薄い唇が音を紡ぐ。彼は、不思議と耳に心地よい、変声途中の少し低めの掠れたアルトで、再び問いかけた。

突然現実に引き戻され、わたしは慌てて返事をする。

「怪しい者ではないわ。禁忌の森の噂を聞いて、どんな場所なのか知りたくて来たの」

わたしは、普段より口調を崩してあらかじめ用意していた設定を話す。

王女であることが知られてはならないからだ。

「ならば早く去れ。ここは立ち入っていい場所ではない」

「なら、なぜ貴方はここに居るの?」

素っ気ない彼に食い下がれば、彼は先程よりさらに鋭くわたしを睨んだ。

「私はここの住人だ。居るのは当たり前だろう」

わたしは、でも、といい募ろうとした。

だが彼はすでにわたしを見ておらず、手もとの本に視線を落としていた。

諦めずに話しかけてみるものの、まともに返事がかえってこなくなってしまった。

明らかに警戒されている。

わたしはむっとして、杖を取り出し振るう。

「キャーシィル」

そう唱えると、彼の読んでいた本がわたしの手もとに引寄せられるように飛んでくる。

してやったり。わたしは本を手に取ると、彼に向かって言う。

「この本、返してほしい?」

彼は予想通りこちらに視線を向けてくる。

そして、じっと探るようにわたしを見やった。睨むでもなく、ただわたしを見つめてくるのだ。

意地悪をした意識があるだけに、怒らないのが逆に怖い。

「な、何なの?」

問いかけると、彼はぴくりと眉を動かした。さらに探る目付きでわたしを見る。

「お前は、魔力を使えるのか?」

「そうね。使えるわよ」

「なら、貴族か?」

「貴族以外に魔力が使えて?」

「いいや」

彼は続けて淡々と聞いた。彼の纏う空気が鋭さを増す。

「それなら、私を殺しにきたのか?」

その問に、射すような視線に、わたしは全身が粟立つのを感じる。

「そ、そんな訳ないでしょう?わたし、たまたま会った人を殺すような人間に見えるかしら?」

「……いいや」

つっかえながら、わたしは答える。

彼の言葉の真意が読み取れないそら恐ろしさに、震える手を握りしめ、彼を見返すのが精一杯だった。

彼は一度視線をさ迷わせた後、身軽な動きで枝から飛び降りてきた。

わたしの目の前に降り立った彼は、わたしより少し背が低い。体つきも細く、顔は不健康に青白かった。

とても十四歳には見えない。

「本当に、この森に来ただけなのか?」

やや上目遣いに問う彼に、わたしはこくこくと頷いた。

「当たり前じゃない」

「そうか」

彼はおもむろに一歩踏み出す。

と、その時、世界が逆転した。

わたしの頬を擽る銀糸越しに、空の青が見える。土と若草の匂いがすぐ近くから香り立ってくる。

「……えっ?」

彼に押し倒されていることに気が付くまで、たっぷり数秒を要した。突き付けられた杖が首に食い込み、痛みが走る。

強い殺気が彼から溢れていた。

ああ、殺される。わたしは無意識に思った。

ぎゅっと目を瞑り、身を固くする。この距離で殺傷能力の高い魔術を行使されれば、わたしは確実に死ぬ。

嫌だ、怖い。死にたくない。

声にならない叫びをあげると、呆れたような声が聞こえる。

「警戒心の欠片もないな……。お前、本当に殺す気がないのだな。無駄に警戒して損をしたではないか」

恐る恐る目を開けると、先程の鋭さが嘘のように、凪いだ瞳がわたしを見ていた。

わたしは状況が呑み込めずに口をはくはくとする。

そんなわたしを気に止めるふうもなく、彼は何事もなかったように、わたしに覆い被さったまま言う。

「本を返してくれ」

わたしが恐怖のあまりきつく抱き締めていたらしい本を、こんこんと叩いて示した。

わたしは首をふって本を抱きなおす。

「もう何もしないと、約束してくれる?約束をしてくれるまで、この本は返さないわ」

今しがた身の危険を感じたばかりのわたしは、安全を確保するために人質ならぬ本質を取る。

彼は事も無げに頷いた。あまりに呆気ないのがまた怖い。

「良いだろう。ただし、お前が私を殺そうとしたならば、私も容赦はしない」

「人を殺めようだなんて、思ったりしないわ」

本を返すと、彼はやっとわたしの上から退いた。

今さらまた恐怖が襲ってきて、ぶるりと身震いする。

わたしはすぐに立ち上がると、服のあちこちを払って、取り落としていた杖を拾う。

何かあったときにすぐ使えるよう、今度はきちんと握っておく。

木の根元に腰を下ろした彼から距離をとりつつ、尋ねる。

「何でわたしが貴方を殺そうとしてるなんて思ったの?」

「杖を向けられたからだ。杖を向けられる時は、いつも危険な攻撃を仕掛けられる」

わたしは彼の言い分に眉をひそめる。

なぜ、そうなるのだろうか?杖を振るうことは日常だし、場合によっては人に向かって魔術を使用することもある。

別に警戒すべきことではないはずだ。

そこで、わたしは思い当たる。彼は普通の環境で育ってはいないのだ。

考えたくはないが、もしかすると離宮の中で魔力を使った恐ろしい目にあっているのかもしれない。

「魔力は、人を傷付けるためにあるものではないわ。勿論、騎士たちは魔力を行使して敵を制圧するけれど。貴方もわたしも騎士ではないもの」

警戒心を解いてもらいたいと思いそう言うと、彼は眉間に皺を寄せた。

「……わかっている」

どこか気まずそう言う様子に、胸がズキリと痛む。彼の横顔がひどく痛々しく見えた。

わたしはあっと思い出して、あるおまじないを試してみる。

「傷付く者に癒しを。レーケ」

これは心を癒す術だ。

幼い頃、泣き虫だったわたしにお母様がよくかけて下さった。おまじないのようなものなので、効き目は保証できないけれど。

淡い黄色の光の玉が、尾を引いて彼の周りを取り巻くように浮遊して、消えた。

彼は一瞬警戒するように杖を構えて身構え、目を見開いた。

けれど、すぐさま呆れた顔になる。

「今しがた自分を襲った男に癒しをかけるとは、馬鹿なのか?」

「未遂だったでしょう?それに、もう何もしないと約束したわ。それよりどう?人を傷付けない魔術は」

「別に、人を傷付けない魔術くらい知っている。魔術書を読めばいくらでも載っているだろう」

彼は明後日の方向に顔を背けて言うと、本のページをぱらりとめくった。

その手つきは、大切な物を扱うそれだ。

相変わらず杖を手にしてはいるが、おまじないの効果だろうか、心なしか彼の口調から棘が抜けている気がする。

「それ、魔術書よね?」

「ああ」

わたしは杖を握ったまま、そろそろと彼に近づく。

魔術書とは、名前のとおり魔術に関する本だ。

魔力の多さやそれを扱う技術が立場に大きく関わってくる貴族にとって、魔術書はいくらあっても足りない大切な指南書だ。

それはわたしにとっても例外ではなく、もともと読書家のわたしは人一倍魔術書を読んでいる。

魔術書を読み漁っては、新しく覚えた術を乱用してエマを怒らせているが、仕方がない。

読書と魔術の研究は、わたしの趣味なのだから。

そんなわたしでも、彼の持つ本には見覚えがない。とても興味を引かれる。

読みたい!という気持ちそのままに、勢いで聞いてしまう。

「ねえ。その本、読ませてくれないかしら?」

「何を言っている?どこの誰とも知らぬ者に読ませられるか。そもそも、お前はいつまでここに居すわっているつもりだ」

彼はわたしを睨んだ。

確かに、互いにいつでも魔術を使えるように杖を持って臨戦態勢をとっているこの状況で言うことではなかったと思う。

それでも、魔術書は気になる。諦めきれずにわたしは提案した。

「今度、わたしも本を持ってくるわ。交換しあうのであれば、平気でしょう?読んだことのない魔術書、読みたくない?」

彼はじっと考え込むように一点を睨む。

それから、長い長い思案がはじまった。基本的に無表情なのでほとんど感情は読み取れないが、「いや、しかし。でも」と呟いている。勝算はありそうだ。

「とても良い魔術書があるの。古い文献で、珍しい魔術が沢山載っているわ。だからその魔術書を読ませて」

わたしが言い募ると、彼はすぐに顔をあげた。

「良いだろう。その話に乗ろう」

「交渉成立ね」

わたしはにこりと笑った。

彼も魔術書には興味があるようで、割りと話が合うかもしれない。

簡単に釣られた彼に少々驚いたけれど、わたしは彼と交流を持てた嬉しさと新たな魔術書を読める嬉しさに舞い上がっていた。

わたしたちは、互いに攻撃をしないこと、相手の本に触れるのは相手の前だけにすること、十日後にもう一度この場所で会うことを約束した。

次に会う約束まで取り付けてしまった。これは上出来ではないか。

帰ったらエマとリュークに褒めてもらおう。

「そういえば、お互い名乗っていなかったわね。わたしはマリーよ。貴方は?」

わたしは身分を隠しているので本名を名乗れない。

そこで、あらかじめ用意していた設定通り、下流貴族の令嬢だと名乗った。マリーという名は、マリエラの愛称だ。

「私はディウラートだ」

彼は、短くそう答えた。

ディウラート。

彼の名は、ディウラート・ヴィデーン。

わたしはあらためて目の前の無表情な美少年を見やる。

五人目の婚約者候補が、静かにわたしを見ていた。

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