31.「高校最後の学園祭」
俺の目に映る光景。
暗がりの中、何百人もの人間たちがうぞうぞと。
ステージライトに照らされた俺の姿に、全員の視線が集まっている。
ついに、ついにこの時がやってきた。長かった、約二年半……。
……俺はこの瞬間を、待ち望んでいたんだ――
俺……、
うちの学校は、学園祭最終日の夜……、『後夜祭』のラストをバンド演奏で締めくくるのが通例になっているのは周知の事実。オーディションライブなどと銘打ってはいるが、その年に卒業となる軽音楽部三年のバンドがその任を受けるのが伝統みたいなモノで、俺が一年の時も、二年の時も、当時の最高学年の先輩連中が華々しい舞台で黄色い声援を浴びていた。
――そう、後夜祭ライブでステージに立った生徒は、その後の学園生活で圧倒的に『モテる』。幾多の後輩女子たちから羨望の眼差しを浴び、学年一の美少女と付き合う権利をゲットできるオマケ付き。……同じ高校に通っていた卒業生の兄貴からその情報を入手していた俺は、ただただ『モテたい』という理由で軽音楽部に入部し、今日というチャンスを虎視眈々と狙っていたのだ。
……雷太が「メタルやりたい」とか言い出した時は、正直焦った。このご時世、還暦間近のジジイ共しか聴かないようなジャンルの音楽を演ったところで、女子高生のハートを射止められるワケがない。――而して俺は諦めが悪い。自分がモテるためだったら手段を択ばないのが伊刈宗太という男。小染と立てた計画通り、キレやすい雷太を逆上させて軽音楽部から追い出し、あまつさえ停学に追い込み、奴の有志バンドを潰すコトにも成功した。……いやはや、この世界で生き抜くために必要なのは速弾きの技術ではない、自らの地位を確立するための頭脳なのだよ、雷太くん。
ちなみに俺が狙っているのは3組の学級委員である松谷由美。絵に描いたような優等生は、案外、不良とロック音楽に弱いのがラブコメの相場というモノだろう。……ああ、俺にもついに彼女ができるんだ。女のおっぱいを触れるんだ。松谷さん、何カップなのかな。
「――ぱい、イカリ先輩」
――我ながら、下世話な妄想によだれが垂れそうになっていた俺の耳に、聞き覚えのある声が流れる。ハッとなった俺が振り返ると、クロブチメガネの長髪アシンメトリー、裏切者の大木新の穴を埋めるべく無理やり加入させた後輩、ベースの亀谷の顔面がお目見えされた。
「……なんだよ、カメタニ。もう始まるって時に、何の用――」
俺の声がピタリと止まる。俺の両眉が八の字に曲がる。
演奏開始直前だというのに、亀谷はベースを持っていない。その事実よりも奇妙なのは、奴は両手いっぱいに大きな布を広げている。
訝し気な目を亀谷にぶつけているのは俺、ニヤッと、不敵に口角を釣り上げたのは亀谷で――
「イカリ先輩、ずっと言いたかったんだけど、俺、アンタの歌声、嫌いなんですわ」
……はっ? 急に、何を言い――
思考が、暗闇に包まれる。
俺の手から、ハンドマイクがゴトリと落ちる。
ワケもわからないまま、手足が拘束されていく感覚、俺の全身に恐怖が走る。
……えっ、えっ、ちょ、何コレ、聞いてないんですけど――
想像だにしていなかった急展開。抵抗するコトすら許されなかった俺の脳内、検知できる情報は、亀谷に被せられた布で全身をぐるぐる巻きにされて、身動きの取れなくなった俺の身体がエッホエッホと複数人の手によって運ばれているのであろうという、奇天烈奇怪な事実だけであって――
※
ザワザワと、どこか興奮が隠しきれていない、若人たちの喧騒。
後夜祭の終焉、だだっ広い体育館に幾多の生徒たちがひしめきあっていて――
その一番奥、入り口付近から全体を眺めているとよくわかる。
誰しもが、キラキラと輝いた笑顔を見せているワケではない。高校の学園祭という、そのままパッケージングできそうな青春に、どっぷりと浸かっているワケではない。
仲間内ではしゃいで、このあとの打ち上げをワクワクと待ち望んでいる生徒もいれば、隅っこで、体育座りしながら時が過ぎ去るのを待っている生徒もいる。
祭り騒ぎという名の幻想。
一見煌びやかな空気に包まれているその空間は、見る人のフィルターによって色合いが変わってしまう。画角に収まらない景色は、大多数の記憶からは都合よく抹消されてしまう。
私……、
クラスの出し物……、自主制作映画は無事に完成を迎え、私ですら全貌を掴めていない複雑怪奇なシナリオに、大概の人が「よくわからなかった」というコメントを残して去っていったが、一部のSFマニアから熱狂的な賛辞を受けたケースもあったので……、まぁそれは、良しとしている。
私の頭を支配していたのは、一人の黒髪おかっぱ少女、五奏杏さんの笑顔。
同じクラスになってから、一言も言葉を発しなかった彼女。
たまに勇気を出して声をかけても、ビクリと肩を震わせ、目を合わせてくれなかった彼女。
――そんな五奏さんが、私に対して「ありがとう」と言ってくれた。彼女は、「バンドをがんばる」と言っていた。
一週間前の事件……、雷太くんが他クラスの軽音楽部の生徒に暴行を働いたというニュースについては、私の耳にも届いていた。そして、それが原因で五奏さんたちが後夜祭ライブに出場できなくなってしまったコトも……。
ルールは、平和を守るためにある。ルールがない世界は、無秩序と混沌に支配され、やがてすべてを破壊してしまう。誰もが知っている、当たり前の事実。
ルールを破ってしまった雷太くんを秩序の外側に追いやり鉄の柵で囲ってしまうのは、集団の規律を守るためには仕方のないことだ。雷太くんを失った五奏さんから、表舞台に立つ権利が奪われるのも仕方のないコトだ。……仕方のない、コト、なんだけど――
私は、彼女が歌う姿を観てみたかった。
彼女が全力で声を取り戻そうとしている姿を、応援していた。
……いや、私は自分の姿を、彼女に重ね合わせていたのかもしれない。
目に見える範囲、それ以外の景色に目を向けようともせず、未知の世界に飛び込む勇気が持てない私。親や友達……、周りから与えられた役割だけをこなし、自分がそれをやりたいのかもわからず、人から頼られるコトで、自尊心をギリギリ保っている私。
――そんな私を笑い飛ばすように、五奏さんは自らの殻を破ろうとしていた。周りの目も気にせず、外の世界に飛び出したがっていた。
彼女が、本当の意味で自分の声を取り戻した、その瞬間――
その瞬間を見るコトができれば、私も……、私自身も、一歩踏み出す勇気。
持てるんじゃないかって、そんな期待を、ひそかに抱いていて――
「なんだ、松谷、こんなところで一人でいるのか?」
ふいに、声。
快活な、でもどこかひょうひょうとした。
――自らの欲望をひた隠ししている、狡猾なトーン。
「……下田、先生……」
私の声は、震えている。私の全身が、震えはじめる。
恐怖で足がすくみ動かすコトができない。下田先生の白い歯がニカリと光り、暗がりの中、先生は舐めるようにゆったりとした所作で、私の腰に手を回してきた。
「……やめて、下さい。こんなところで。ひ、人に、見られたら――」
「――ん? そうだな。人に見られるのは、先生もマズイなぁ。ハハッ――、だったら、人のいないところ、行くか? いつもの、屋上とか。松谷、このあとのクラスの打ち上げ、出ないんだろう? お前の親、厳しいもんなぁ」
私は先生の顔を見るコトができない。……だけど、その声は無遠慮に私の耳にねじこまれる。獣のような先生の体臭が、私の鼻をツンと刺激する。
……思い出すのもイヤで、普段は封印している記憶のイメージが脳内にフラッシュバックし、私の全身から汗が噴き出し始めた。胃液が逆流してきて、私は思わず戻しそうになる。
……イヤ……、さわら、ないで……ッ!
心の中で大声を叫び、だけど外の世界には飛び出していってくれない。
今すぐにでも逃げ出したい。でも、制服が鉛のように重く、身体を動かすコトができない。
人が用意した道筋だけを辿ってきた私は、自分の気持ちを吐き出す勇気なんて持っていない。
情けなくて、涙が出そうになって。
「……ん? アイツら、何やってるんだ?」
――訝し気な声をあげた下田先生の言葉に、ハッとなる。
思わず、ステージ上に目を向けた。……およそ、状況を理解するコトができない。
見たままのコトをそのまま説明すると……、檀上にいるクロブチメガネで長髪の男の子が、中央に立っていたボーカルの男の子に大きな布を被せて、それを合図とばかりに、ステージ脇から何人かの生徒が飛びだしてきて、同じように、今度はドラムの椅子に座っていた男の子に大きな布が被せられて、あれよあれよという間に、布で覆われた二人が担ぎ上げられて――
「――えっ……?」
私の喉からマヌケな声が漏れ出て……、視界が闇に支配される。
さっきとは別の種類の喧騒がザワザワと空間に響き渡り……、私はステージライトの照明が落とされ、体育館が真っ暗闇に包まれたのだと理解した。
……何が、起こっているんだろう――
シンプルな疑問が私の頭によぎり、数分後、再びパッとステージライトの光が灯る。
ギョッ――、と目を丸くした私の目に映る光景――
「……五奏……、さん?」
思わず、その名前がこぼれた。
ステージ上にお目見えされたのは――
よく見知っている黒髪おかっぱ頭と、
よく見知っている赤毛のトサカ頭と、
よく見知っている……、フツーの髪型。
……雷太くんと、大木くんも。それに、奥でドラムの前に座ってるの、城井さん……、だよね?
ザワザワと、興奮に混乱の混じった喧騒が空間に響く。
誰しもが状況を理解していないさ中、
一切を押し潰すように、一切を吹き飛ばす様に、
聴き覚えのあるしゃがれ声と、全身が震えるような轟音が、
私たちの耳を、貫いて――
『ワハハハハハハハハッ! 地獄の底から蘇ってまいりましたぁ~っ! 最凶最悪最速のメタルバンド~ッ――、「KAMURO」ッ! てめぇら全員ッ……、首もげ落ちる準備はできてますかぁ~ッ!?』
ポカンと、私は大口を開いていた。
信じられないコトが、目の前で起こっていた。
「……あ、アイツ……、クソッ、何やってんだ――」
苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる下田先生が、私の腰から手を離し、慌ててステージ上に向かおうとしていて――
なんで、自分でそうしたかもわからない。身体が、勝手に動いてた。
さっきまで、制服が鉛のように重かったのに、今はまるで、羽根が生えたように、軽い。
「彼らを、止めないで」、そう思った。
頭によぎったのは、それだけ。
私は、近くに立てかけてあったパイプ椅子を持ち上げた。
頭上に掲げあげて、下田先生の背後に忍び寄る。
「……いい加減にしなさいよ、この……、セクハラ教師ッ!」
気づいたら、
私は全力でパイプ椅子を振り下ろしており、
ものの見事に、下田先生の頭にクリーンヒットしてしまったらしく。
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