25.「ライフポイントはとっくにゼロよ」
十月にしては日差しが暖かく、時よりそよぐ風が火照った身体をさらっていく。オーディションライブ中は体育館のドアは閉め切られており、本当はすぐ近くで鳴っているはずの音が、遠くで響いているようだった。
体育館入り口の石階段に腰を掛けている僕たち四人は、まるで魂が抜けてしまったかのように、誰が口を開くでもなく、ただボーッと、各々が各々の景色を眺めやっている。
何の気なしに、ボソリ。静寂に水を差したのは、僕……、大木新で――
「……わかってはいたけど、音響はやっぱりよくないね、PAもいないし。ぶっちゃけ僕、他の人の音が全然聴こえなくて、何やってるのか自分でもよくわかんなかったよ」
少しの間が空いて、やや疲れ気味の声を返したのは、ナヲ。
「……しょうがないんじゃない、体育館なんてライブやるために作られた施設じゃないし、まぁでも途中で演奏止まるとか、そういうのはなくて良かったね」
「――あぁ~っ! ギターソロ、一音だけミスった……、クソ、練習じゃあずっとカンペキだったのによ……ッ!」
「……そんな細かいトコロまで気づく人、絶対にいないと思うよ」
突如、ガバリと立ち上がった雷太がぐしゃぐしゃと頭を掻きむしったかと思えば、
僕の台詞に同調するかのように、ナヲが渇いた笑い声を漏らす。
少し離れた場所、ちょこんと両膝を抱えている五奏さんも、子供みたいに無垢な表情で僕たちのやり取りを眺めていて――
いつの間にか、見慣れてしまった光景。
等身大の自分で、『何の気なしに』、言葉を吐き出している自分に気づく。
周りからみたらおよそちぐはぐな四人組、本来なら混ざり合うはずのない色が一枚のパレットに。
僕は自分でも気づかない間に、この四人の関係性を、この四人で過ごす時間を、
……結構、気に入っているのかもしれない。
「まぁ音はアレだったけど、広いトコロで演れるのはやっぱ気持ちいいね。スタジオだと、ライタが動き回って邪魔だし」
「アハハッ、シン、結構テンション上がってたでしょ。後半とか、首振り過ぎてまともに弾いてなかったじゃない」
「……テンションどうこうを、ナヲに言われたくないね。テンポが速すぎて、こっちはついていくのに必死だったんだから」
「あら、知らないの? メタルにおいてスピードは正義よ」
「……あっそう」
僕が辟易した声を漏らしたトコロで、
ふいに立ち上がったナヲの、薄茶色のポニーテールがなびいて。
「杏ちゃんは、どうだった?」
「えっ?」
呼応するかのように、黒髪のおかっぱが、フワリと揺らぐ。
ナヲは五奏さんの目をまっすぐ見つめていて、口元に手をあてがった五奏さんは、眉間にシワをいっぱいに寄せながら、必死に脳内で言葉をかき集めているようだった。
こういう時、僕たちは彼女の言葉をただ待っている。
示し合わせたワケでもないのに、たゆたうような時間を、決して上塗りなんかせずに。
「……よく、わからなかった、気づいたら、終わってて……」
ポツポツと、突然降り出した雨のように、五奏さんが言葉を紡いで、
「……でも、なんか、スッキリ、した。人前で、歌うの……、い――」
目を伏せていた彼女が、おもむろに顔を上げて、
「イヤじゃ、なかった。……うん、楽し……、かった、かも――」
遠慮がちにゆっくりと、彼女の口元が綻んでいく。
五奏さんの笑顔が、やけに愛おしく感じた。
彼女が、楽しんでくれて良かったって、シンプルにそう思った。
そう思って、一人、ハッとなる。
……こんな風に、他人の喜びを嬉しく感じられたの、いつ以来だっけ。
僕は、気づかない内に、自分の気持ちにフタをしていたのかもしれない。
他人は、所詮、他人。
本当の意味でわかりあえるワケなんかない。そう、考えていたのかもしれない。
それこそ五奏さんが、固く口を閉ざして、自分の声を封印していたように――
「――杏ちゃんが楽しかったのなら良かった……、ねぇ! これを機に杏ちゃんもメタル聴こうよ! 私が最近、またよく聴いているのはスレイヤーの――」
「う、うん、前向きに、検討、します……」
喜々とした表情でメタル布教に勤しむナヲとは対照的、五奏さんが珍しくひきつり顔を浮かべている。人知れずセンチに浸っていた僕はというと、自分の気持ちをごまかす様にポリポリと頬など掻いており――
「イヤ、お前らさ」
先ほどまで、ブツクサと己のプレイを猛省していた雷太が、
穏やかに流れる空気に、冷水を浴びせる。
「なんか、『全ては終わった』――、みたいな顔してるけど、コレ、オーディションライブだからな? 本番は、この後の学園祭ライブだからな?」
――果たして、『温度差』。
彼の発言は別段間違った指摘でもないし、まごうことない事実でもあるのだけれど。
雷太と僕らを隔てる、数ミリメートルの厚さを持つ透明な板。
――目には見えない壁の裏側には、圧倒的な『認識の相違』があったワケで。
「……ライタ。たぶん、僕たちオーディション落ちたよ」
あえて言語化するコトによって、空気が固まってしまうコトもある。そんなコト僕だって知っている。……知ってはいるけど、同時に、誰かがやらなきゃいけないってコトも、重々承知しているつもりだ。
「いい演奏ができたとは、僕も思うよ。でも……、審査員の教師連中も、観客席に座ってた生徒たちも、みんな、ポカンとした顔しててさ、コイツら、何やってんだろうって、そういう空気だったじゃん」
「……それは、俺らが凄すぎて、ドギモ抜かれてったって、そういうコトだろ……」
雷太はバカだけど、そういう意味では『本当にバカ』ってワケではない。僕の指摘に、雷太も同調する部分があったのだろう。それを証拠に、言い返す彼の言葉にはいつもの勢いがない。
「……まぁ、やっぱりメタルなんて、好きじゃない人にとっては、ただのうるさい音にしか聴こえないんじゃないかな。悔しい、けどさ」
そうこぼしたナヲが、ギュッと口を結ぶ。
静寂が空間を支配して、穏やかだった空気はもうどこにも流れていない。
「――へっ! 俺は、諦めねぇからな……」
やさぐれたように吐き捨てた雷太の言葉は、どこか行き処を失っており、
先ほどまで涼しかった秋風が、やけに肌寒く感じられた。
「ライタ先輩ッ! シン先輩ッ! ……こんなトコロにいたんスね、探しましたよ」
――第三者の登場は、時として場の救世主となりえる。会話の糸口を完全に見失っていた僕たちは、でもこのまま解散するのもどこか違うと感じており、一切の邪気をはらまない『ソイツ』の声は、静寂のヴェールを打ち破るにはいい塩梅に節操がなかった。
「……あ、カメタニくんも、出番終わったの? お疲れ――」
「――俺らの出番なんて、どーでも、いいッスよッ!」
いい塩梅に周りが見えていない亀谷は、声をかけた僕の脇を華麗に抜け、
ただ一直線、キラキラと子供のように輝かせるその目に映っているのは、
一人の、黒髪おかっぱ少女の姿で――
「あの、俺……、俺……ッ!」
「えっ、えっ……?」
ギョッとした表情を見せたのは、五奏さん。
……だけでなく、僕と、ナヲと、雷太ですら目を点にして驚いている。それもそのハズ、一直線に五奏さんの元に向かった亀谷が行ったのは驚愕の奇行。
――五奏さんの両掌を、自身の両掌で無遠慮に握り始めたのだ。
鼻先十センチメートルの距離で見つめ合う二人。
恐怖に満ちた表情をいっぱいに浮かべる幼子と、
恍惚の表情をいっぱいに浮かべるロキノンもどき野郎の視線が、
まっすぐと、交錯して――
「――メッッチャ感動しました! 俺、あなたの歌う姿に……、惚れました!」
凍った顔をそのままに、五奏さんの頬がみるみる内に朱色に染まる。
「……俺、正直舐めてたんです。ライタ先輩たちの有志バンド、メンバーに女子がいるって聞いて……、女なんかがメタルのボーカルなんて、デス声なんて出せるワケないって、そう、思ってたんです。でも……、あなたのデス声は本物でした。声だけじゃない、なんか、鬼気迫るっていうか、魂を叫んでるっていうか……、とにかく、あなたが歌う姿は、一切の着飾りがなくて、本気でやってるんだなってコトが、全身から伝わってきたんです。他の連中が、ファッションでバンドをやっている感覚とは、まるで違う……、本気の自分を全力でさらけ出しているって、そういう感じがしたんです。……だから、俺、とにかく凄いなって、感動しすぎて、興奮しちゃって、そのコト、伝えなきゃって、いてもたっても、いられなくって――」
まくし立てるような誉め言葉の弾丸を、防御力1の五奏さんが受け止め切れるワケもなく。
真っ赤に染まった彼女の顔はゆでだこのソレをはるかに凌駕しており、ぐるぐると目を回しながらあまつさえ頭から蒸気さえ発し始めていた。
……まぁ、亀谷の『惚れました』という言葉の意味が、文脈から察するに恋慕の類でないコトは五奏さんもわかっているとは思うけど、それでも、彼女の初々しい姿は見る人の心をほだすには十二分に効果を発揮しており、思わず顔を見合わせた僕とナヲから笑みがこぼれるのも必然で――
「……カメタニくん、ゴソーさんがそろそろ限界だから、そのへんにしてあげて」
「……へっ? あ、あれ、俺なんか、ヘンなこと――」
「――あ、あのッ!」
ゆでだこ少女が渾身の一声、
目にいっぱいの涙を浮かべた五奏さんが、亀谷の目をまっすぐと見据える。
「……こ、こちらこそ、ほ、誉めてくれて、あ、あり、あり……」
およそ彼女らしく、およそ彼女のペースで、
つっかつっかえに、でも、少しずつ歩みを進めるように。
「ありがとう……、ご、ございますでしたッ!?」
文法のぶっ壊れた言葉が、晴天の青空によく響く。
「……幼稚園生かよ」
幸せな空間に、およそ似つかわしくないしゃがれ声が茶々を入れれば、
「……か、かわいい……」
相変わらず恍惚とした表情の亀谷が、さらなる爆弾を投下し始めた。……えっ、マジ惚れなの?
「――か、かわ……ッ!?」
「……亀谷くん、杏ちゃんのライフポイントはとっくにゼロよ」
見ていられない惨状、リングにタオルを投げ入れたセコンドはナヲで――
でも五奏さんの顔面から立ち昇る蒸気は留まるコトを知らず、僕はというと、干からびる前にスポーツドリンクでも買ってこようかと、要らぬ節介が脳裏をよぎっていたりする。
ちなみに、僕たちのバンドがオーディションライブを通過し、
学園祭ライブのトリを務める達しを受けたのは、次の日の話であった。
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