16. 不毛な口論

 パーティを組むことになったヘイジとナノは、とりあえずギルドの一階に戻っていた。

 そして、今なお喧騒が飛び交う中、壁際の席で誰にも負けないくらいの大声をあげる者が一人。


「ふざけんじゃねえ! 騙されたんだ! あのクソ女に!!」


 二十歳になって酒が解禁されたヘイジは、初めて飲む美酒を楽しむ間もなく愚痴を叩きつける。

 その矛先は、まだ酒を一滴も飲んでいないナノへと向けられていた。


「ねえヘージ。何の話をしてるの?」


「俺が冒険者だってことも知ってたはずだ! だったらこの町から出られないことも知ってるだろ?! それを承知で魔王退治に行かせるなんて無茶だと思わないか?!」


「あんた、怒ると相当口が悪くなるわね……」


 一体何の話をしているのかナノには見当がつかないだろう。


 俺だって言いたくて言ってるわけじゃない。ただ、はけ口が無いから仕方なくナノに言っているだけだ。

 その内容まで理解してもらおうとは思ってない。


「別に今から上級職になる必要はないのよ? あくまでも冒険者から転職すればいいだけの話じゃない」


「やだ。無理。もう折れた」


 神と対峙したときの威勢のよさはどこかに消えた。

 ニート心をもつ彼は、折れるときは速攻で折れるようだ。


「ああもう! 魔王退治したいって言ったのあんたじゃない!」


「すぐに町を出るつもりだったんだ! なのに転職しないと町を出られないなんてどういう了見だ! 出鼻をくじかれた気分だ!」


「領地の外は危険な魔物が多いのよ。最低でも転職できないとすぐに死ぬわよ」


「俺には特殊職業エクストラジョブがあるんだ! ちょっとやそっとじゃ死なねえよ!」


 酔いつぶれながらも、机の上に特殊職業エクストラジョブのカードを出す。

 彼女にも見えるように水色の画面を出すが、日本語で書かれているため、当然彼女に読むことはできない。


「――なんて書いてあるの?」


「『ニート』だよ。名実ともに俺にピッタリな職業だ」


「『努力とは無縁の生活を送ってきた』って言ってたけど。本当にニートだったのね……そりゃ家族と縁を切られるわけだわ」


 その苦笑いは彼女なりの優しさだろうか。


 話を聞きながらも、カードの画面を見て俺の特殊職業エクストラジョブの内容を読んでいたが、しばらくして画面を閉じると、ため息をついてカードを返してきた。


「全部見たけど、読めなかったわ。何を書いてあるのかさっぱり」


「そりゃそうだろうな」


 カードの内容は全て日本語で書かれているため、彼女が読めないのは当然のこと。


 むしろここで読めてしまっては、彼女が以前同じ文字を見たことがある。もしくは、俺と同じ転生者の可能性が高くなるのだ。


「あんたは読めるんでしょ? 気になるから教えてよ」


 俺はコップを手に取ると、机の横にあるピッチャーで水を注ぎ、それを元の位置に戻してから水を半分くらい一気に飲んだ。


 酔いを醒ますにはこれが良いと聞いていたが、確かに少し目が覚めたような気分だ。


「――要約すると、俺を中心として、ドーム状に範囲を指定できる。その範囲より外側からの全ての存在の侵入を不可能にする能力だ。この『全て』ってのに例外はない。防御に超特化した特殊職業エクストラジョブってことだ」


「何それ最強じゃないの」


 確かにこの説明では、この職業がかなり強いように見えるだろう。


「いや、最強じゃない。未だにその範囲を知覚できてないし、発動も今はオートだけ。攻撃手段も無いし。何よりこの職業、内側からの攻撃にめっぽう弱い」


 この能力、範囲に入られた場合への対抗手段が何もないのだ。


 もちろん、神の言っていた拡張パックなるものを、ポイントを消費して獲得すれば、どうにかなるのかもしれない。

 それにそもそも、


「そもそも範囲の中に入れなきゃいいんじゃないの?」


 その通りである。


「まあ、範囲の広げ方は次のスキルで獲得できるっぽいし、取れるスキルが決まっている以上、取ったときに決めるとするか」


 普通の職業はスキルを獲得できるとき、複数個の選択肢がある。しかし、特殊職業エクストラジョブに関しては、決められたルートでしかスキルを獲得できないらしい。


 次に取れるのは『部屋改造リノベーション』というスキル。

 これまたニートの俺にピッタリな名前のスキルだ。


「それと、『ニート』に関してもう一つ気になることがあるんだ」


「それってあんたのこと? それとも特殊職業エクストラジョブのこと?」


「両方俺だよ! 悲しくなるからやめてくれ!」


 どちらにしたって否定のできない悲しい事実は無視するとして、彼女の前にさっき俺が飲んだ半分だけ水の入ったコップを差し出した。


「これを俺にぶっかけてくれ」


「あんたそういう趣味なの? ちょっと引くんだけど」


「早く濡らしてくれ。じゃないと水で涙を誤魔化せなくなる……」


 ここまで踏んだり蹴ったりの人生だが、俺は決してドMなどではない。

 あくまでもこれは検証の一環なのだ。


「本当にいいの?」


「ああ、思いっきり頼む」


「そ、それじゃあ」


 彼女はコップを手に取ると、言葉通り容赦なく俺の顔めがけてぶっかけた。


 コップ一杯の水を浴びれば、普通は服がびしょ濡れになり、乾くのをしばらく待つことになるだろう。


 しかし、俺の顔を濡らすはずだった水は、あろうことか空中ではじかれてしまった。


 俺の顔面から約四十センチくらいの場所に、まるでガラス窓に水滴が張り付いているように雫だけが浮いている。それもしばらくすると窓をつたるように落ちていったが。


「――なにこれ、水が空中で……」


「どうだ? すごいだろ」


「あれ? でもあんたの顔にも水滴が」


「ああ、これは汗だ。それよりも、もう一つ面白いものを見せてやるよ。コップを貸してくれ」


 予測のできない事象に、目を丸くするナノ。


 了承したとは言え、まさかここまで遠慮なく水をかけて来るとは。流石にちょっと悲しくなる……。


 だが、俺が不思議に思うのはここからだった。

 ナノからコップを受け取り、壁側にあるピッチャーでコップに水を入れなおす。


「な? 不思議だろ?」


「――え? なにが?」


 今の一連の動作のどこに不思議がるポイントがあったのか全く理解できていない様子だ。


 どや顔で水を注いだのに、こっちが恥ずかしくなる。


「このピッチャーはさっき水がかかった範囲より外側にあっただろ? でも、手に取って範囲内に入れてもはじかれることはなかった」


「あ、確かに……」


「あくまでの俺の予想だが、この能力は、無意識に有害か無害かを区別してるんだ。どういう理屈でそれを判別してるのかはわからないけど」


 同じ水でも、相手にかけられるのと自分で手に取るのとで能力の反応に違いが出ている。


 無作為にはじくものを選んでいるわけではなさそうだ。


「まあ、この事実もおいおい考えるとして……どうするんだ? この先」


「そうね……どうしましょ。この先」


 能力を解説することで目の前の事実から目を背けていたが、二人は現在一文無し。


 どっかの誰かさんのおかげで、本当に明日の食事すらままならなくなっている。


 ついさっき飲んでいた酒だって、金を落とした彼女がどうしても謝罪の気持ちを示したいからと、金がない中俺におごってくれたのだ。決して強要したわけじゃない。


「魔王退治に行くにはこの町を出る必要がある。この町から出るには冒険者から転職する必要がある。転職するにはクエストや魔物討伐でポイントを稼ぐ必要がある。でも今の俺らじゃ、クエストを一つもまともに受けられない……詰んでね?」


 不運のウィザードと、駆け出し冒険者にうってつけのクエストなど数えるほどしかない。


 そもそも、最初のゴブリン討伐をクリアできたのは奇跡に近く、あんな苦労をしてまで転職しようと思えないのだ。


「大丈夫よ! 私だってウィザードになれたのよ? ヘージもきっと転職できるわよ!」


「ちなみにお前が、冒険者からウィザードの下位職である魔法使いに転職するのに、どれくらいかかった?」


「……一年と半年」


「遅すぎるわ!!」


 五年という歳月をかけてウィザードになったナノと違い、こっちはそんな悠長にしていられないのだ。


 ――神が俺を含め転生させた十一人の転生者。


 勇者は魔王に負けて引きこもっているらしいが、他の九人の誰が魔王を倒したっておかしくはない。


 もし仮に、神が他の奴らに俺と同じ条件を提示していたら、それこそ魔王討伐レースが開催されるだろう。


 何なら、転生者以外の人間が魔王を倒す可能性だってあるのだ。


「――早いとこ魔王を倒さないと、間に合わないかも……」


「ねえ、なんでヘージは魔王を倒したいの?」


「ある人との約束なんだよ。魔王を討伐出来たら、何でも願いを叶えてくれるっていう条件で、魔王退治をすることになったんだ」


 流石に自分が転生者で、この条件が神から提示されたものとは言えない。


 言ったとして、彼女が同じ転生者でもない限り信用してもらえないのだから。


「そういうお前こそ、なんであっさりと魔王退治を承諾した? 普通はやりたがらないだろ」


「――わ、私の事情はいいでしょ?! 人のこと詮索するとかキモイんですけど!」


「泣くぞ! わんわん泣くぞ!!」


 俺について聞いてきたくせに、自分のことは話したくないとか、どういう了見なんですかね? 理不尽を極めまくってるな。


「……やめましょ。不毛だわ」


「ああ、なんか悲しくなってくる」


 少し大声を張り上げてしまったが、周りのどんちゃん騒ぎにかき消され、すぐに落ち着くことができた。


 ギルド内は常に騒がしいのだろうか? 昨日見た顔ぶれとは少し違うが、この騒がしさに関しては全く同じと言える。


 二人で虚しくため息をついた時だった。

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