三か月後 前編

 冬の深まる一月。ほんの少し開いた窓から入り込んだボタン雪が、ヤカンの湯気に溶ける。

 塔の山に張り込んでいたテント組が首を傾げながら旗やら立て札を撤去してから三ヶ月が経った。


 事務所に届いていたあの大量の依頼書は何だったのかと思うほど、シタはまた元通りの、依頼のあまり来ない不遇な探偵をしている。

 山での事件の全てを人々の記憶から隠すという事は、つまりシタも英雄ではなくなるという事だったのだ。


 事件が起こっていない事になったのだから当然か、と思いながらシタは、カラスからもらった木の実をつまみにインスタントコーヒーをすする。


 あれから変わった事はあまりない。シタとカカとウナ、それからポ助とボス以外の全ての人があの騒動を忘れたというだけだ。

 シタが書塔の主になったとはいえ元もとあそこにはしょっちゅう顔を出していたし、塔や土地の所有者がカカであるという事は変わらない。


 少し違う事と言えば、新たな塔の核が成長するために川の光水を吸い上げ、元の川より随分と濃度が薄まった事か。

 仕事はこないが、今の方がずっといいとシタは思う。


 すると玄関のベルが乱暴に鳴らされた。

『ピンポン、ピン、ピンポン!』

「はい! すぐ出ます!」

 玄関を開けるとそこに立っていたのは、ピンクの派手な衣装を着た中年の女性だ。


「ご依頼ですか?」

「そうに決まってるでしょ! さっさと入れて下さらない?」

 その言葉にあれ? とシタは思い出す。

「前回、息子さんの捜索を依頼された方ですよね?」


 あの桃色ウサギのアバターでやって来た奥さんだ。奥さんは「そうよ」と答えながら慌てた様子で言う。

「また息子を探して欲しいんですの。これ、今度の怪しい女の写真ですから。では大急ぎでお願いしますわね。報酬は弾みますので」

 それだけ言うと、あとはまた彼女の愚痴が始まる。


 シタは困った顔を見せないように気を使いながら、その愚痴を聞いていた。

 これでは本当に今回、息子はこの母親から逃げ出したのかもしれないなという言葉は飲み込んで。

 けれど困ったのは、今回はアバターではないので愚痴が止まらない事だ。


 やっと二時間後に愚痴が止まり「そう言えば」とシタは思い出す。

 今日は話があるから書塔へ来てほしいとカカに呼ばれていたのだった。


 新たな日常は平和そのものだ。

 死ねない体の不便も、今の所は感じていない。

 光信社が倒産して厳しくはなったが結局、光水電池が完全に無くなる事はなかったし、減りはしたがアバターも無い訳じゃない。


 シタは車に乗り込み、塔に向かう。

 色々な会社が安全、安心を売りに光水電池を作り、売店で心霊カメラを売り始めた心霊スポットは観光地並みの賑わいを見せている。

 反面、町ではほとんどアバターを見かけなくなった。

 魂を体から剥がすなんて信用できない。それが今の世間の流れらしい。

 塔の駐車場に着くと、階段の下でポ助が待っていた。


「よぉ! 遅いじゃねぇか」

「すまない。依頼人が来てしまってな」

「お! ふた月振りの仕事か」

「ひと月半だ」


 軽口を叩きながら階段を上がると、やはり山は雪が積もりやすいのか書塔の庭は真っ白だった。

 シタは塔には入らず、下の川を見下ろす崖の端に向かった。


 そこにはトイの墓がある。

 墓にはカカとウナがいつもきれいな花を挿し、美味しそうなお供え物を置いている。


「彼の何千年が癒されるのなら」と、二人はそう言っていた。

「ほら、早く行くぞ」

 いつもなら雪ではしゃいで中に入ろうとしないポ助がそう言った。


「お前、今日の事なにか知ってるな?」

「え? 別に、たいした事は知らねぇよ。ほら、祝いのケーキが待ってんだから早く行くぞ!」

「ほぅ。なにかの祝い事がある訳だ」

 シタが意地悪そうな顔を作って言うと、ポ助は「しまった」と小さく呟いた。

 そしてそそくさと中に入っていくのだ。

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