不自由な僕らは 五

「そろそろ出るよ」

 まるでトイの言葉が合図かのように、たった今までただの闇でしかなかった場所に一筋の光が差した。


 そこはよく晴れた荒野だ。

 あるのは崩れかけのコンクリートの建物と、彗星石と同化したらしい黒色の巨木だけ。

 巨木からはボタボタとタールのような液体が滴っている。


「この本の題名って確か、戦う孤児院だったよね?」

「そうだよ。彼らはいつも黒い獣と戦っているんだ」

 カカの問いに、当然だろうとでも言いたげにさっぱりとトイは答えた。


「彗星石を信仰する人たちが後を絶たなくてね、こんな同化した巨木なんか神様扱いさ。だから祈りを捧げる人が後を絶たないんだ」


 助けて下さい、お救い下さいという祈りは黒い獣を生んでしまう。

 だからと言って孤児院を移転させるようなお金はないし、傭兵や護衛を雇う金なんてさらさらない。

 細腕の女たちと未熟な子供たちは、仕方なく武器を取るのだ。


 そこを、ジャケットを羽織った大ウサギが森の方へ跳ねていく。

「僕と友人はしばらくここに滞在していたんだ。けれどね、僕は孤児院の為に戦おうとそればっかりで、肝心な友人の様子を気にかけていなかったんだよ」


「追ってみよう」

 シタは言うなり、友人の後を追って森に入る。

 友人は木の実のよく生っている辺りを素通りし、綺麗な小川には見向きもせず、ゴツゴツとした岩場を一抱えもある彗星石の柱を足掛かりに上へとのぼっていく。


 そうしてから随分と長いこと崖っぷちに立ち尽くしていたけれど、トイの呼ぶ声を聞くと、谷に背中を向けて倒れ落ちていった。

 大きな音を聞いてやって来たトイは、もう動かない友人を見つけるのだ。


 トイは獣のような声を出して不安定に泣きだし、やがて友人の手の中に彗星石の欠片を見つけた。

 それを手に取ると、友人の声が流れ始めた。


「ごめんな。お前といるのは楽しかったけど、いつも死んでしまいたかった。自分は死んだはずなのにと、そればかり考えてしまうんだ。俺が弱いから悪いんだ。ごめんな、トイ」


 トイはもう、別の器を用意したりはしなかった。

 ただ大切に抱え、泣いただけだった。


「僕があいつを縛っていたんだ。僕が不安なばっかりに、あいつを縛り付けてしまっていたんだよ。気付けたはずなんだ。それなのに、僕は僕の事ばかり大切にしてしまった」


 本の案内人としてのいつものトイが、シタたちの隣でそう漏らした。

 そして三十八歳の、友人を亡くしたばかりのトイは谷の底で叫んだ。


「これまで僕が書いた記録も、これから僕が書く記録も全てをやる。だから次の世まで残してくれ。もう二度と、誰も僕のような間違いを犯さないように。もう二度とこんな世界のこないように。この残虐な世界の終わりを書き続けるから、その全てを残してくれ! 僕はこの世界の最期の人間になって、その命が終わる時まで書き続ける。代償は書いた書物でいいだろう。足りなければ僕をやる。死んだ後ならこの魂を好きにしろ!」


 すると辺りの彗星石が一斉にガンガンと明滅し始めた。

 その光が空中の一箇所に集まり出すと、光は目が痛いほど真っ白な紙になる。

 見るとトイの手にはいつの間にかペンが握られており、真っ白い紙はスルスルと彼の目の前に降りてきた。


「契約書か? お前たちはやっぱり生命なのか?」

 そう言いながらトイが紙に名前を書くと、パッと砕け散るように契約書は消えた。

「これが、書塔の始まりなのか」

 シタが呟くと「そうだよ」と隣でトイが答える。


「そうして僕は八十一歳で死に、その死体の上に書塔ができた。代償として、僕は死後もずっとこの本の中にいるんだ。本の中の僕は魂だよ」


 なんという事だ、とシタは息を詰まらせる。

 前の文明からずっと?

 今の文明が始まったのは何千年前だったか?

 何度も塔の主が変わり、歴史が動き、それでもどこにも行けないトイの魂。


「塔はね、ここ数百年ほどで世間から認識され難くなったんだ。異端扱いされて壊されないための、彗星石たちの処世術なんだろうね」

「そんな事があるの? それじゃあまるで、彗星石が思考しているみたいじゃないか」

 カカがうろたえると「思考しているんだよ」とトイが答える。


「ワッカは百六十年も主をやってくれたんだ。君たちも、どうか語り継いで。こんなに悲しいばかりの世界の終焉があった事を忘れないで」

 そこで、またしてもトイがザザッと揺れた。

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