水の都の作曲家

なわ

水の都、クウォーリオ王国


“夜は揺蕩たゆたう”この国では夜はそう呼ばれている。その理由は夜が漂流するよう忽然とやってきて、当てもなくゆらゆらとこの国を滞在すると、またいつの間にか去って朝を迎えるからだ。この国には時間という概念があまりない。暗くなって夜が来たら寝て、夜が去り朝を迎えたら活動する。そんな穏やかな日々。そして今日も揺蕩う夜はやってくるのだ。

八歳の少年、シヲはいきなりやってきた夜にまだ眠気を誘われず、上着を着こんで家を抜け出そうとしていた。誰も起こさないように、また家族が寝ているのを確認するためにゆっくりと扉を開ける。少なくとも同室で寝ている弟のナオはもう夢の中の様子だ。


シヲの祖父 「シヲ。」


シヲ 「うわっ⁉」


シヲの祖父 「なんじゃ、眠れないのか?」



シヲの祖父、シヲが外に出ようと重ね着をしていることに気がつく。



シヲ 「あー、ちょっとトイレ行こうと思って・・・。」


シヲの祖父 「ほう・・・。」


シヲ 「ほら、廊下でも夜は冷えるから・・・。」


シヲの祖父 「そうじゃの。体を冷やすと余計に寝れなくなってしまう。そうじゃ、シヲが怖くならないようにわしがついててやろう。」


シヲ 「えっ。」


シヲの祖父 「ほら、よく夜の水生生物が怖いと夜のトイレが行けなくなってしまっていたじゃろう?」


シヲ 「それいつの話・・・?僕はもう大丈夫だよ。」


シヲの祖父 「遠慮するでない!この老いぼれがしかとシヲを怖い水生生物から守り切って部屋で安らかに寝かしつけてやろう!」


シヲ 「・・・。」



シヲは特に用事もないのにトイレに行くことになってしまった。



シヲの祖父 「しかし、心配じゃな。シヲがあんまりにも夜更かしをしすぎて、寝不足で沼に落ち、裏の世界に行ってしまうんじゃないか・・・。」


シヲ 「裏の世界?」



シヲ、トイレに入り、用事を済ませたふりをして出ていく。



シヲの祖父 「あぁ、わしらの世界は表の世界で、沼の向こう側には全く同じような裏の世界が広がっているんじゃよ。」


シヲ 「裏の世界ってどんな世界なの?」


シヲの祖父 「うん?んん・・・。わしらと同じように・・・穏やかに、暮らしているんじゃよ・・・。」


シヲ 「それ本当?」


シヲの祖父 「あぁ、向こう側にもわしやシヲがいて、幸せに暮らしているんじゃよ。」


シヲ 「裏の世界なのに同じなの?」


シヲの祖父 「うん?・・・もしかしたら、裏の世界のシヲの方がいい子かもしれんなぁ。そうしたら、寝不足で沼に落ちたシヲは偽物だと大変な目に遭ってしまうかもしれん。」


シヲ 「大変なことって・・・?」


シヲの祖父 「大きな牢屋に閉じ込められてしまったり・・・!」


シヲ 「!それはヤダ!」


シヲの祖父 「そうじゃ。だから夜が来たらちゃんと寝るんじゃぞ。」



気がつけばシヲの部屋の前に到着していた。シヲの祖父はシヲの部屋の扉を開けて彼を通す。



シヲ 「でも、おじいちゃん、僕まだ眠くないんだ。」


シヲの祖父 「ふむ・・・。今晩は早く来てしまったからの・・・。どれ、このじいちゃんが何か話を聞かしてやろう。暗くて危ない外に出るよりもずっと楽しい話をな。」




シヲの祖父もシヲの部屋に入るとシヲの上着を脱がせ、ベッドに入らせる。シヲの祖父はベッド脇に座る。



シヲ 「何の話してくれるの?」


シヲの祖父 「そうじゃな・・・。ポセイデントの話なんてどうじゃ?」


シヲ 「ポセイデントってこの国の守り神の?」


シヲの祖父 「そうじゃ。シヲはあまりポセイデントのことを知らんじゃろ?」


シヲ 「うん。ポセイデントってどんな神様?」



シヲの祖父、目についた水のような宝石をシヲに見せる。



シヲ 「それ、お守り・・・。」



その水のような宝石にはシーラカンスともクジラとも言えない不思議な生き物が刻印されている。



シヲの祖父 「これがポセイデントじゃよ。ポセイデントはとっても優しくて楽しいことが大好きな神様じゃ。いつもわしらを見守ってくれている。」


シヲ 「僕も一緒だ。楽しいこと好き。」


シヲの祖父 「そう。ポセイデントも生き物じゃ。決してわれらが組み敷いたり、鎮めたり、飼いならしたりしていないし、してはいけない。」


シヲ 「・・・?」


シヲの祖父 「ふぉっふぉ!シヲにはまだ難しいかのう。じゃあ、シヲ。楽しくないことばかり続いてしまったらどう思う。」


シヲ 「つまんない。元気なくなる。」


シヲの祖父 「そういうことじゃ。そうなると人間と同じようにポセイデントも弱ってしまう。シヲはずっとつらい状況が続いたらどうする?」


シヲ     「違うところに行く!」


シヲの祖父 「そう。ポセイデントもあまりにずっとつらい状態が続くと力が弱り切って去ってしまうんじゃ。」


シヲ     「ポセイデントがいなくなっちゃたらどうなるの?」


シヲの祖父 「さぁな・・・。今までずっわしらを守って、恵みを与えてくれていたから・・・。もしかしたら、全部めちゃくちゃになってしまうかもしれん。」


シヲ 「そんなのやだ・・・!」


シヲの祖父 「そうじゃ、そうならないためにもシヲは夜にしっかり寝て、規則正しい生活を送らねばならん。」


シヲ     「うん・・・?」


シヲの祖父 「わしももう眠い。年寄りはあんまり夜更かしできないんじゃ。早起きは得意だがのう。シヲも夜更かしせず、早めに寝るんじゃぞ。」



それだけ言うと、シヲの祖父は早々にシヲの部屋から去っていく。



シヲ 「じいちゃんの話っていつも終わり方が雑だからどこまでが本当だかわかんない・・・。」



そんなことを言いつつもシヲはゆっくりと眠りに誘われていくのだった。



シヲが暮らすこの国はクウォーリオ王国。別名、水の都と呼ばれ、水源が豊富であり、国中に水路が巡っている。そこの国民はその土地に根付く水生生物と共存し平和に暮らしている。



夜が明け、やわらかい朝日が人々の体を起こす。町では洗濯物を干したり、朝食の買い出しに出たり、家族と穏やかな朝食の時間を堪能していたり、その人それぞれの緩やかでそれでいて賑やかな朝の時間を過ごしている。

そんな王国に向かって朝から一隻の飛空艇が帆を進めている。そこの船の甲板から一人の少女が船から彼女の目的地クウォーリオ王国を見つめる。その少女の腕の中には彼女の本が大切に抱えられている。

彼女の船を横切った現生水生物は雲を切り、風を切り、王国を横切ってもう一度空高く泳ぎだす。

そんな穏やかな日の昼下がり。クウォーリオ王国の辺境にある教会。のさらに奥にある、古びた木造の建物。そこには倉庫のような、作業部屋のような乱雑さがある。そこで、シヲは自然光を頼りに熱心に何かを書いている。時には何かを口ずさみ、またペンを持って、少し書いて行き詰る。シヲのペンの後には五線譜に音符がまるでシヲの足跡のように並んでいる。



シヲ 「ん?んー…あー、だめだぁ…!」



一方少女の乗っていた船はクジラのような水生生物との並走をやめ、徐々にクウォーリオ王国へ到着の準備をはじめる。他にこの船に乗っていた乗客や乗組員も流れるように空を旅していた時とは違い少しずつ騒がしく、慌ただしくなっていくのを少女は甲板から船内を覗いてぼんやりと思う。そんな騒がしさもピークに達し、飛空艇が船着き場に着くと、身軽な少女はバタバタしている他の乗客を差し置いて、慣れた手つきで到着の手続きを済ませ、とっとと船から降りてしまう。久しぶりに踏みしめた揺れない地面。クウォーリオ国の風はどこか丸く、そしてほんのり潮の香りがした。少女は王国を見上げる。王国は現在、建国記念日の半月前の前祭で行われており、たくさんののぼりが上がって賑わいを見せているようだ。賑わっているのは王国だけではなく、そこに住まう人々も浮足立ちながら行き交っている。少女は手に抱えていた本を開くと本に文字が自動的に記入され、触れることなく次のページにめくられた。



同じ時刻。シヲが譜面の次のページをめくっていた。

シヲの祖父は小屋の中へ顔を出し、シヲを見つける。



シヲの祖父 「おお、シヲ、ここにおったのか。さ、今日も水の楽器の手入れをよろしく頼むよ。」


シヲ 「あぁ、じいちゃん!ちょっと待ってね…。」


シヲの祖父 「それと、シヲが前欲しがっていたもの…あーなんじゃったかぁ…。」


シヲ 「あれ届いたの‼」


シヲの祖父 「あぁ、教会に運んでおいてもらったぞい。」


シヲ 「わかった今行く!」



シヲは今まで書き連ねていたものをすべて乱雑に抱えると、祖父の元へ駆け寄り二人で教会へ向かう。そこは、自然豊かな王国の辺境。町よりも多くの水生生物が自由に泳ぎ回っているが、すぐ近くの湖は汚染でヘドロのように汚れている。木々に阻まれ、視界は不明瞭だ。


一方、お祭りでにぎわっている王国の中を散策中。あまりの活気の良さに驚き、そしてもみくしゃにされている。少女が当てもなく歩いていると、なんとはなく気になるお店を見つけ中に入る。


その頃シヲは祖父と協会の中に入る。教会に入ると、パイプオルガンのような大きく、それでいて繊細な形をした鍵盤楽器、水の楽器が教会の最奥にあり、その手前に大きな荷物が布で覆われている。そして彼は水の楽器のガラス部を磨き、その内部の水垢をブラシでこすり、取り除いている。


少女は立ち寄った露店で色とりどりの伝統柄を取り入れた布に目を奪われる。さらに歩くと、今度は美しいガラスの器が目に入る。しかし少女は、異国の祭りの人だかりに疲れ果て、国の奥へ奥へと押し流されてしまった。


同時刻、シヲは水の楽器の掃除を終え、届いたものから壊れていた部分の修理を終えていた。



シヲ 「ふぅ…。じいちゃーん‼やっと修理終わったよ‼」


シヲの祖父 「くぅ・・・。」


シヲ 「じいちゃーん?」


シヲの祖父 「ふがっ⁉・・・おぉ、そうか!ありがとうシヲ。これで街のみんなも喜ぶぞい。」


シヲ 「ねぇ、少しだけ弾いてみてもいい?」


シヲの祖父 「うむ…。本来なら、弾いていい時と曲は決まっているんじゃが…。修理の点検もあるからのう。少しだけじゃぞ。わしはそこらを散歩してるからな。」


シヲ     「っ‼うん、わかった!ありがとう、じいちゃん!」



シヲの祖父が教会の扉を押して出ていく。その扉から漏れ出た強烈な日の光がシヲのわくわくと高揚した表情を光り輝かせる。シヲは水の楽器に触れ、一つだけ音を鳴らす。誰もいない教会で唯一出た音はいつまでも場に残るように響き渡っていた。



シヲ     「・・・‼」



走りだしはゆっくりと自分が先ほどの基地で書いていた試作段階の曲を弾きだす。奥へ奥へ押し上げられたアイラはすこし人通りが少なくなったところで、シヲの水の楽器の音色が耳に入る。


町の女性 「あら、水の楽器の音だわ。」


町の男性 「おぉ、教会のやつが直ったんだな!」


町の女性 「でも、国歌じゃないわ。初めて聞く曲。・・・いいのかしら?」



町の人々は、口々に「音がキレイ。好き。この曲は何?」と言っている。しかし、曲はシヲの未完成なもので、何回もつまずき、同じ場所が繰り返し弾かれたり、ぎこちない。



少女 「水の楽器…?」



少女はさらに人をかき分け国の奥へ、シヲのいる教会の元へ音を頼りに彷徨い歩く。シヲは自分の楽譜を譜面台に乗せ、楽しそうに弾くもつまずきがちだ。



シヲ 「ううーん、ここはやっぱりもうちょっと…いや…えっと・・・。」



などと言いながら、止まっては譜面を確認し書き加え、を繰り返している。少女、教会につき外装を見渡す。周りに木々が多く、木陰のせいか少し薄暗い。シンプルなデザインの教会は木々の隙間から漏れる木洩れ日で陰りではなくどこか神秘的に見える。少女はそっと重い扉を押した。しかし少女の意思とは反対に教会の扉は重さから勢い良く閉まる。



シヲ 「誰…?」


少女 「…。あっ!」



少女が口ごもっていると、彼女の本が抱えられた腕から抜け出し、勝手にパラパラと開き、綴り始める。



シヲ 「本が勝手に…‼」


少女 「ごめんなさい。」



少女、浮いて勝手に動き出す本を慌てて無理やり閉じる。



シヲ 「どうして謝るの…?」



少女 「…。」



少女、本を強く握りしめる。



シヲ 「僕、浮いて自動で動く本なんて初めて見た!」



少女、シヲを見つめる。



シヲ 「ねぇ、もっと見せて!」



少女はそっと本を抱えている腕をほどいた。今度は少女の手の上で本は動き出し、ページに言葉を綴る。



シヲ 「うわぁ‼」



シヲが歓声を上げると、本は綴るのを終え、ゆっくりと閉じる。



シヲ 「すごいね!」


少女 「…。」



シヲ、少女のカバンに入国の印としてステッカーが付いていることに気が付く。



シヲ 「ねぇ、もしかして君、外国から来たの?」



少女はうなずく。



シヲ 「へぇ‼カッコいい‼僕、外国の人初めて見た!どこから来たの?」



突如、少女のおなかが大きく鳴り、慌てて本で顔を隠す。



シヲ 「もしかしてお腹空いてる?」



少女はゆっくり頷いた。



シヲ 「もう、こんな時⁉僕もお昼食べ忘れた!どうしようかな・・・そうだ!この国初めて来るんだよね?今日は大市っていうお祭りの日なんだ!僕が案内してあげる‼えっと・・・。」


少女 「アイラ。」


シヲ 「そっか、僕はシヲ。ちょっと待っててね。」



シヲは慌てて作曲道具をガッと持って奥にある倉庫に適当に置くと、水の楽器の掃除道具は棚に押し込み、片付ける。



シヲ 「よし、行こうっ‼」



シヲはアイラの手を握り駆けて出口へ向かうと、ちょうどそこからシヲの祖父が入ってくる。



シヲの祖父 「おぉ、シヲ。どこか行くのか?」


シヲ 「うん!アイラとお祭り行ってくる!」


シヲの祖父 「水の楽器はもうよいのか?」


シヲ 「うん!ばっちり直ったよ‼」


シヲの祖父 「そうか。ならば、夜が来たら帰ってくるのじゃぞ。」


シヲ 「わかったー‼」



シヲはアイラを連れ楽しそうにお祭りを巡った。アイラも目新しいものばかりで、その表情からはどこか元気そうな様子が見て取れる。

クウォーリオ王国のお祭りはカラフルでファンシーとも言える。露店が多く並び、そのどれもに色鮮やかな装飾がつけられていて、一つの店舗だけなら目を引くものの、皆こぞって個性を出そうとしてちぐはぐとしている。二人は、そんな非日常的な光景を共有することで少しずつ心の距離が縮まり、打ち解けていった。




夕方




二人はお祭りを楽しみ終え、国の端の木製の波止場に並んで腰を掛け、楽しさの余韻に浸っている。



シヲ 「あー楽しかった!」



アイラも嬉しそうに頷いた。



シヲ 「僕もこんなに楽しんだの久しぶりだなー。」


アイラ 「今日は何のお祝いなの…?」


シヲ 「今日はね、この国の建国記念日の前祝いなんだ!本当の建国記念日は二週間後なんだけど、この国で一番大きなお祝い事だからね、たくさんおっきなのをやるんだ‼…アイラはいつまでこの国にいるの?」


アイラ 「…二週間くらい。」


シヲ 「そっか!なら、本番の建国記念日も見れるね!すごいんだよ、今日よりもずっと!お店ももっと出るし、おっきなステージがあって、サーカスとか見世物もいっぱいやるし!それに…。」



シヲ、少しもったいぶり、アイラを引き付ける。少し小声にして



シヲ 「水の楽器が演奏されるんだ。」


アイラ 「水の楽器…」


シヲ 「うん。会ったときに僕が弾いていたやつだよ。教会のやつは今日治ったばかりだから、今年は使われるかわからないけど…。水の楽器はね、二つしかないんだ。一つは王宮に、もう一つは教会。建国記念日の日に同時に弾いて国の人みんなで水の楽器の国歌を聞く、それでお祭りは終わるんだ。僕も町の人もみんな水の楽器の音色が好きなんだよ。とってもきれいな音だからきっとアイラも好きになると思う。」



空が少しずつ赤みを帯びだし、彼らを染める。



シヲ 「あっ!夜が来るよ‼」



シヲの言葉で二人は海の地平線の先の空を見やる。日は沈み空は赤から夜空に変わり、“夜は揺蕩う”が始まった。

アイラは驚いてあたりを見渡す。



シヲ 「これがこの国の夜“夜は揺蕩う”だよ。」



アイラは夜を見続ける。クウォーリオ王国にやってきた夜はまるで水面に凪が吹き付けて緩やかに揺れる、そんな時間をも忘れるような不思議な感覚だった。



アイラ 「シヲはこの国が好き?」


シヲ 「えっ…。」



シヲ、すぐに肯定しようとし口を開くが詰まってしまう。



シヲ 「・・・うーん。わからない。町のみんなは優しいし、景色もきれいだし、楽しいけど…。」



アイラが視線をシヲに向けた。先を促しているようだ。



シヲ 「…ねぇ、アイラは今晩どこに行くの?」



突拍子のない質問にアイラは考え込んでしまう。



シヲ 「夜は暗いし、いつ終わるかわからないから危ないってママとじいちゃんが言ってたよ。」



        アイラは黙って立ち上がるとずんずん進んでいってしまう。



シヲ 「ねぇ、待って‼どこに行くの!?」



        アイラはシヲの停止を振り切って進んでいく。何かを探しているように周りを見渡している。



シヲ 「ねぇ、アイラ!僕のおうちに来ない?」



        アイラの足が止まった。



シヲ 「僕のおうち賑やかだからママもきっといいって言ってくれるよ。ねぇ、僕のおうちに帰ろ。」



        シヲはアイラに手を差し伸べる。アイラはその手を黙ったまま手を取った。アイラは暗闇が怖かったのか

、一人になるのが寂しかったのかその手は少し震えている。二人は手をつなぎ家へと帰った。




シヲ 「ただいま。」


シヲのお母さん 「お帰りなさい。あら、その子は?」



アイラ、シヲの後ろからひょっこり顔を出しシヲのお母さんに挨拶する。



シヲ 「アイラだよ。旅人なんだ。」


シヲのお母さん 「まぁ、こんなに小さい子が!こんばんは。」



アイラ、ペコリとお辞儀をする。



シヲ 「ねぇ、ママ、アイラがこの国にいる間うちにいてもいい?僕、アイラにこの国のこといっぱい教えたいんだ。」


シヲのお母さん 「そうねぇ、こんなに幼い子を一人にしておくわけにもいかないし…。アイラちゃんはそれで大丈夫?」



アイラ小さくうなずく。



シヲのお母さん 「うん。困ったことやわからないことがあったら、おばさんやシヲに遠慮なく聞いてね。じゃあアイラちゃんにはシヲのお部屋使ってもらおうかしら。シヲ、お部屋片づけてくれる?」


シヲ 「わかった!」


シヲのお母さん 「外冷えてきたでしょう?さ、中に入って。」


シヲ 「アイラ!ゆっくりしていってね!」



シヲは二階へ駆け上がる。アイラはシヲのお母さんに誘導されてリビングへ向かうと、そこにはシヲの祖父、シヲの五歳の弟ナオ、そしてベビーベッドで眠っている末っ子のリオがいた。



ナオ 「兄ちゃんのお客さん?わっ⁉女の子だ‼」


シヲのお母さん 「こら、ナオ。失礼でしょ。」


アイラ 「アイラです。お世話になります。」


シヲのおじいちゃん 「おぁ、今朝の。」


シヲのお母さん 「あら、おじいちゃん知ってらしたの?」


シヲのおじいさん 「うむ、シヲが大市に出かけた時一緒におっての。」


シヲのお母さん 「まぁ、じゃあ、アイラちゃんはもう大市を楽しんだのね。」


ナオ 「ねぇ、おねえさんどこから来たの?耳も顔も服も変なの~。」



その言葉にアイラは服の裾を強くつかむ。



シヲのお母さん 「こら!ナオ‼」


シヲのおじいちゃん 「ナオ、今のはいけないぞ。世界にはまだナオの知らない、見たことのないことがたくさんあるのじゃ。それを『変なの』と言ってはならん。」


ナオ 「はぁい…。ごめんなさい、おねえさん。」


アイラ 「出身地については知りません。物心ついた時から旅をしていました。前いた国であれば、エラキウムにいました。」


シヲのお母さん 「まぁ!そんなに遠いところから⁉」


シヲのおじいちゃん 「うむ、それはご苦労じゃったな。」


ナオ 「ママ、えらきうむって?」


シヲのお母さん 「とっても遠いところにある砂漠の国よ。」



その時リオが声に驚き泣き出した。



シヲのお母さん 「あらあら、驚かせちゃったわねぇ。」



シヲのお母さんは泣き出したリオをベビーベッドから抱え上げあやす。



ナオ 「砂漠って俺知ってる‼めっちゃ、砂だらけなところでしょ‼」


シヲのおじいちゃん 「うむ…旅人…。」



シヲ、片づけを終え、ダッシュで駆け下りてくる。



シヲ 「ママ!片づけ終わったよ!」


シヲのお母さん 「ありがとう、シヲ。アイラちゃんのお部屋はシヲと一緒ね、ナオのものを使って。ナオは今日からしばらくママとよ。」


ナオ 「やった、ママと一緒だ…!」


シヲ 「アイラ、遅くなっちゃったけど紹介するね。僕のママ。料理とお裁縫がすっごく得意なんだよ。」


シヲのお母さん 「よろしくね、アイラちゃん。」


シヲ 「で、僕のおじいちゃん。とっても物知りなんだ。」


シヲのおじいちゃん 「最近の機械はてんでだめだがのう!」


シヲ 「弟のナオ。口が悪いけど、まだ、ママ離れができてないんだ。」


ナオ 「兄ちゃん‼」


シヲ 「二人目の弟のリオ。ナオよりも賢いんだ。」


ナオ 「ばーかばーか‼」


シヲのお母さん 「こら、そんな汚い言葉使っちゃダメって言ってるでしょ。」



シヲのお母さんはかがんで抱いているリオをアイラに見せる。リオは泣き止んでおとなしくしている。その時、リオがアイラに手を伸ばす。アイラは何気なく指を伸ばし、その指をリオがつかみ嬉しそうにしている。



シヲ 「リオはアイラが好きみたい。」



リオ、笑う。アイラ、その体験に感動を覚える。閉まっていた本が飛び出す。



ナオ 「本が…‼」



アイラは慌ててしまおうとするが、



シヲ 「しまわないで。」



という一言に手が止まる。しばらくすると記載が終わり本はおとなしくアイラのもとに帰ってきた。



ナオ 「すげぇ…。」


リオ 「きゃっきゃ!」


シヲのお母さん 「おじいちゃん、今の…。」


シヲのおじいちゃん 「うむ…わしも初めて見たぞ。」



アイラはどこか落ち着かない様子でもじもじしている。



シヲ 「やっぱりすごいや!すごくきれい!」


ナオ 「本が急にぽんってぶわーって。」


シヲのおじいちゃん 「見事なものじゃったんぞ!長生きはしてみるもんじゃな!」



水生生物が料理の完成を伝える。



シヲのお母さん 「そろそろご飯にしましょうか。」



賑やかな家族は食卓もにぎやかだった。用意された温かな家庭料理は食べる人を笑顔にし、食卓に花を咲かせた。嫌いなものをシヲに流すナオ、その代わり好物をナオから取り上げるシヲ、それがシヲのお母さんにばれ二人で怒られるのをシヲの祖父は笑ってみている。その賑やかさに人知れずアイラから笑みがこぼれる。



シヲのお母さん 「そうだ、明日パパが帰ってくるのよ。」


シヲ 「えっ…お父さんが…?」


シヲのお母さん 「えぇ、お仕事の荷物を取りに帰ってくるみたい、でも、少しだけ家にいてくれるって。」


シヲ     「…。」







シヲが起きる。その物音でアイラも目が覚めた。



シヲ 「ごめん。起こしちゃった?」



アイラ、目をこすりじっとシヲを見つめる。シヲは外に出る用に着込んでいる。



シヲ 「これから僕の秘密基地へ行くんだ。」


アイラ 「秘密基地…。」


シヲ 「うん。」



シヲ、部屋から出ていく、その後ろをアイラがピタッとくっついている。



シヲ 「アイラも来るの?」



アイラは眠そうに頷いた。



シヲ 「じゃあ、これ着て。僕のだけど、夜はすごく冷えるから、風邪ひいちゃう。」



アイラはシヲから渡されたものを着たが、だぼだぼになっている。



シヲ 「ふふ、だぼだぼだ。それじゃあ、みんなを起こさないように行こう。」



二人は、みんなが寝ていることを確認し一階へ降りてドアを開ける。そこは深海のようだ。泳いでいる水生生物も昼の時とは違い深海魚のようなものになっている。そして秘密部屋へ到着すると、シヲは発光している水生生物を捕まえ水槽に入れてランプ代わりにした。道中、祝福されるように光る水生生物が道と二人を照らしてくれていた。



シヲ 「ふぅ、危なかった!たまにママやじいちゃんが夜遅くまで起きていたりするんだよね。そういう日は諦めるしかないんだけど。」



シヲはアイラが周りに見とれていることと、本が書き込みをしていることに気づいて黙る。



アイラ 「シヲはお父さんが嫌いなの?」


シヲ 「えっ⁉…うん、少し。」


アイラ 「どうして?」


シヲ 「…父さんは王宮で水の楽器の管理と演奏をやっているんだ。それができるのはこの国で僕の家だけ。だから、できる人はおじいちゃんと僕とお父さん。ナオはまだ小さいからできないんだ。王宮の水の楽器はとても大切にされていて、王宮の人の命令でお父さんが付きっきりで水の楽器を見てる。弾くことも滅多にないのに、家族のところにも帰らないで。僕、小さいころお父さんに頼んだんだ。『お父さんとの時間が欲しいって』そうしたら、お父さん『これは王宮からの命令だ。この仕事は伝統と規律のあるもので、お前はそれに誇りを持て。』って家を出ちゃった。たまに帰ってくるけど、全然遊んでも、話してもくれないし。そのくせ、僕のやりたいことが嫌いみたいで…。」


アイラ 「やりたいこと…?」


シヲ 「うん。ついたよ。ここが僕の秘密基地。」



そこは教会から少し離れた最初の木造の小屋。シヲが道を照らしてくれた水生生物に感謝を示し、水生生物は散り散りになる。シヲが扉を開けると木の扉がきしむ音がする。すると水生生物が再び集まり、また部屋の中を明るくする。そこには水の楽器のスケッチ、設計図、楽譜に関する書、そして、大量の楽譜があった。



アイラ 「…!」


シヲ 「寒いでしょ?今温かいの淹れるね。」



アイラ、秘密基地をキョロキョロと見て回る。また、本が飛び出て記入開始。



シヲ 「そんなに珍しいものあった?はい。」



シヲはアイラにホットドリンクを手渡す。マシュマロみたいなのが乗っているおいしそうで温かい飲み物だ。



シヲ 「僕のお気に入り。おいしいんだよ。」



アイラはそっと一口飲んだ。



アイラ 「おいしい…。」


シヲ 「でしょ!でも、こればっかり飲んでいるとママに怒られるんだ。『甘いものばっかり飲まない!』って…。」



アイラ、少し微笑む。その表情にシヲ、ハッとして目をそらす。



シヲ 「ここではね、作曲をしているの。僕のやりたいこと。僕、水の楽器で僕の作った曲を演奏したいんだ。」


アイラ 「それはお父さんが嫌なこと…?」


シヲ 「うん。水の楽器はね、お祝い事の時国歌しか弾いちゃいけない決まりなんだ。」


アイラ 「…。」


シヲ 「そんなのおかしいよ。この国の人はみんな水の楽器が大好きだ。だったら、いっぱい弾いていっぱい聞けばいい。…だからね、僕が書いているの。いつ弾いても、いつ聞いてもいい曲。それでね、聞いている人が楽しく幸せになれるそんな曲。」


アイラ     「…。」


シヲ 「…なんだか恥ずかしいな。この話を知っているのはじいちゃんだけなんだ。だから、友達じゃアイラが初めて。もちろんここのこともね。ナオだって知らないよ。」



アイラは友達という響きにぎゅっと本を抱きしめる。

それに気づかないまま、シヲは作曲を始める。



シヲ 「あれ・・・?」



シヲ、何かを探している様子。



アイラ 「失くしもの・・・?」


シヲ 「いつも使っている道具がなくて・・・。」


アイラ 「教会に。」


シヲ 「あぁ!そっか、置いてきちゃったのか。明日取りに行かないとな。」



シヲは代わりのものを見繕って再開する。アイラは特にすることもないのでシヲの隣に座ってその様子を観察している。シヲの飲み物はもう冷めてしまったようで、加えて作曲は捗っていない。ふいにシヲが書く手を止める。



シヲ 「やっぱり、僕が変なのかな…?」


アイラ 「えっ…?」


シヲ 「町の人は僕のやることは変だって言うんだ。どうしてそんなことするんだって。みんな新しいものはいらないみたい。お父さんは僕のやることを嫌うけど、他のみんなも応援はしてくれない。アイラ、夕方にこの国は好きかって聞いたよね。僕は…この国のそういうところが嫌いなんだ。伝統とか規律とか難しい言葉使ってみんな何も変わろうとしない。でもそんなんじゃだめだよ!ダメなはずなんだけど…みんなは僕が変だって言う。それを思うと…どんな曲が描きたいのか分からなくなっちゃうんだ。・・・本当は僕が全部間違っていて、世界からのけ者にされてるんじゃないかって、こうして夜が来るとたまに不安になる。」



シヲの手が震えている。その手をアイラが上から包み込む。



アイラ 「のけ者は、私も。」



アイラの記憶がフラッシュバックする。一人で旅をし続けていること、不思議な本を持っていること、そのせいでたくさんのけ者にされた。どんな理不尽を受けても、誰も手を差し伸べる者はいなかった。



シヲ 「えっ…?あっ、夜明けだ…!」




夜明け



秘密基地の窓から朝日が差し込む。水生生物も深海魚っぽい大型や神秘的なものから川魚系に代わっている。二人は作業を止め、窓を開き外を見た。アイラの本はまた動き出し記入を始めた。



シヲ 「今日の夜は短かったね。あ、もうすぐママたちが起きちゃう!おうちに帰らないと。ふぁ…。おうちに帰ったらもう一回寝ようね」



シヲは冷めきった飲み物をグイっと飲み干し、基地を出る支度をする。アイラは自分の本に目を向けた。『綺麗』という文字を書き終え閉じる本。二人は持ってきた荷物を持ち直しシヲの家へと帰る。

近くの教会の湖は汚染がまた少し進む。草木、そしてその近くにいた水生生物が死んでいった。





午前





シヲのお母さん 「まぁ!アイラちゃん可愛いわ~。」



シヲのお母さんが作った服をアイラに着飾っている。周りにはシヲのお母さんが作った大量の服が積まれていた。



シヲのお母さん 「やっぱり女の子はかわいいわね♪アイラちゃんならきっと似合うと思ったわぁ。」



シヲ、眠気眼をこすって二階から降りてくる。



シヲ 「おはよう。ママ、アイラ。」


シヲのお母さん 「おはよう。どう?アイラちゃん可愛いでしょ?」



シヲのお母さんはシヲの前にアイラの背を押し出した。



シヲ 「うん。って、この服どうしたの⁉」


シヲのお母さん 「ママの手作り。あなたたちのお洋服作っていた時についでにコツコツ作っていたの

よ。いつか、妹ができた時のためにね♪そうでなくても、シヲたちのお嫁さんに着てもらうための練習用として。」


シヲ 「お嫁さん…⁉」



シヲ、お嫁さんのことを考えて頬を赤らめる。



シヲのお母さん 「アイラちゃん、おばさんの手作りでごめんね。どうかな?」



シヲのお母さんはアイラの様子をうかがう。アイラはかわいい洋服でご満悦な様子だ。少し動いて楽しんでいると同時に本が記入されていく。ご機嫌そうな目でシヲのお母さんを見る。



シヲのお母さん 「気に入ってくれたの?うれしいわぁ…!やっぱり女の子は可愛いわねぇ!まだまだあるのよ、どうかしら?これと、これも似合うわねぇ…。あ、シヲ、ナオ起こして来て頂戴。あの子ったらいつまで寝ているのかしら。」


シヲ 「うん。ママ!アイラを困らせないでね!」



シヲはアイラを気にしながらも二階へ上がった。



シヲのお母さん 「えっ?あ、ごめんなさい。うちに女の子がいるなんて初めてだから、つい…。でも、アイラちゃんお洋服一着しか持ってないでしょ?せっかく女の子に生まれたんですもの、たくさんおしゃれしてもらいたいわ!」


アイラ 「旅に服がたくさんあると大変なので。」


シヲのお母さん 「そう…。」


アイラ 「ごめんなさい。」


シヲのお母さん 「いいのよ。こちらこそごめんなさいね。アイラちゃんのこと考えられていなかったわ。…でも、もしアイラちゃんが気に入ってくれたのなら、うちにいる間だけでもこのお洋服たち着てくれるとおばさんうれしいな。」



その言葉にアイラは頷いた。



シヲのお母さん 「ありがとう。アイラちゃん。」



二階からシヲとナオが寝起きバトルをしている足音がする。



シヲのお母さん 「そろそろナオが起きるわね…。朝ごはんの準備しなくちゃ。アイラちゃん、朝ごはんが終わったらせっかくだし髪の毛もやろうか。」



シヲのお母さん、キッチンへ。その後ろをアイラが追う。



シヲのお母さん 「うん?手伝ってくれるの?」



アイラが頷く。



シヲのお母さん 「ありがとう。それじゃあ、エプロンつけましょうか。」




一方、シヲのお母さんの部屋。そこで眠っているナオとシヲが寝起きバトルを繰り広げているところだった。



シヲ 「もう、ナオいい加減起きろよ‼」


ナオ 「あとちょっと‼」


シヲ 「そう言ってずっと寝てるだろ!」


ナオ 「寝てない‼」


シヲ 「どこがだよ!じゃあ、起きろよ‼」


ナオ 「布団とんなよ‼」


シヲ 「痛っ!蹴るなって、イタタタタ…。」


ナオ 「…っ‼いいにおい!朝飯―‼‼」


シヲ 「うわっ!?」



ナオは勢いままに一階へ駆け降りる。



シヲ 「…怪獣め…。」



おいしそうなご飯が食卓に並ぶ。朝食にしては少し多く豪華だ。本はその一品一品を細かく記載しようとしている。



ナオ 「うわぁ‼すっげぇ‼‼」



シヲが二階から降りてきて驚嘆の声を上げる。



シヲ 「うわっ!すごいね、どうしたの?」


シヲのお母さん 「アイラちゃんが手伝ってくれて、張り切りすぎちゃった♪」


シヲのおじいちゃん 「おぉ、朝から豪華じゃのう!」


シヲのお母さん 「アイラちゃん頑張ってくれたのよ。」



アイラはシヲにアイラが作ったものと思われるものを手渡す。少し不格好だ。



シヲ 「すごいね。」


シヲのお母さん 「初めてにしてはとっても上出来。調子に乗っていろんなこと教えすぎちゃった。」


シヲ 「これでその量…。」


シヲのお母さん 「さ、冷めないうちにいただきましょう。」



全員着席し、「いただきます」で食べ始める。シヲのお母さんは、リオに冷まして食べさせてあげている。その間も本は記録し続けている。



ナオ 「おねーさん、なんでそんなにおしゃれしているの?」


シヲのお母さん 「理由なんていいじゃない。そうだ、せっかくならパパに見てもらいましょ。『とてもかわいい娘ができました』って。」


シヲ 「ママ!」


シヲのおじいちゃん 「ふぉっふぉっふぉ!そりゃあ傑作じゃ!きっと喜ぶじゃろうよ。」


ナオ 「えっ!?おねーさんが姉ちゃんになるの!?」


リオ 「ねーね‼」


シヲ 「もうっ!ごめんね、アイラ。」


アイラ 「家族…。」



それから少し時間が経ち、シヲは秘密基地にいた。一方でアイラはシヲのお母さんに髪の毛を結ってもらっている。母の手元に注目して本が記載をしている。アイラは全身鏡の前に立ち、自分の出来上がりを見ている。



シヲのお母さん 「よしっ、でーきた!どう?」



シヲのお母さんは合わせ鏡をしてあげて、アイラに後ろの髪も見せてあげる。アイラも少し回ってみている。



シヲのお母さん 「うん。アイラちゃん可愛いわぁ!…そろそろパパが帰ってくる頃ね。アイラちゃん、シヲに見せてくるついでに呼び戻して来てくれないかしら?」



アイラはおめかしした状態でシヲを探す。シヲの部屋を覗くがいない。外へ出て森の中を歩く。

次に訪れた教会にもいない。さらに奥の秘密基地へ向かった。

扉がきしむ音を聞きながらアイラは顔を出す。



シヲ 「うわぁ‼すごい、お姫様みたいだ!」



シヲは作曲を止め、アイラに駆け寄る。純粋な賛辞に頬を染めるアイラ。シヲがいた足元に視線を向けると、そこにはゴミとなった楽譜が増えているようだった。



アイラ 「お父さん帰ってくるって。」



一瞬にしてシヲの顔が沈む。無理に笑うその顔は歪んでいた。



シヲ 「うん、わかった。今行くよ。」



二人で家へ向かう。湖で鳥が跳ねる。その波紋が汚染が少し進んでいることを示しているようだ。

同時刻、湖の波紋と同じようにシヲのお父さんが飲む飲み物が円を描いている。



シヲのお母さん 「久しぶりですね、お家に戻られるの。」


シヲのお父さん 「あぁ。」


シヲのお母さん 「今日は何を取りに帰られたんですか?」


シヲのお父さん 「水の楽器の補強器具だ。」


シヲのお母さん 「そうですか。そう、ちょうど今ね」



ドアが開く音がシヲとアイラの帰宅を知らせる。



シヲ 「ただいま。」


シヲのお母さん 「おかえりなさい。どこ行っていたの?」


シヲ 「えへへ、ちょっとね。」


シヲのお父さん 「シヲ。」


シヲ     「…。」



黙ったままのシヲの後ろからアイラは顔を出す。



シヲのお父さん 「シヲ、後ろの子は誰だ。」


シヲのお母さん 「ちょうど話そうと思っていたんです。紹介しますね、アイラちゃん。可愛いでしょ?シヲのお友達で、この国にいる間はうちに泊まっているんです。」


アイラ 「アイラです。旅人をしています。」


シヲのお父さん 「旅人?」


アイラ 「それが私の使命なので。」


シヲのお父さん 「…。」あ


アイラ 「…。」


シヲのお母さん 「二人とも、何か飲み物飲む?」


シヲ 「僕はいいよ。」



リオ、ナオに近づきナオが遊んでいたものを奪う。



ナオ 「ちょっと、リオやめろよ‼」



リオはナオの声に驚き泣き出してしまう。



シヲのお父さん 「ナオ!」


ナオ 「だってリオが」


シヲのお父さん 「分別をつけなさい!お前が兄だろう!」


ナオ 「…ごめんなさい。はい、リオ。」



ナオはリオから取り上げたものを返す。リオが泣き止むのを見て、ナオは二階へ上がってしまった。



シヲのお父さん 「シヲ、教会の修理が終わったらしいな。」


シヲ 「うん。」


シヲのお父さん 「手入れはやったのか。」


シヲ 「今日はまだ。」


シヲのお父さん 「見てやろう。行くぞ。」


シヲ 「わかった。」



シヲとシヲのお父さんは部屋を出ようとする。その後ろにアイラが続いた。



シヲ 「アイラ。」



アイラとシヲのお父さんの視線が交錯する。



シヲのお父さん 「…。」


アイラ 「…。」


シヲのお父さん 「女の子が見ても何も楽しいことはないぞ。」


シヲ 「アイラ、うちで待ってて。ママ、アイラに何か飲み物頂戴。」



シヲは口をパクパクさせながら『大丈夫』と伝え、シヲのお父さんと共に出ていく。



シヲのお母さん 「アイラちゃん何飲む?そうだ、せっかくだから、お裁縫に興味ない?編み物とかも。」



        ゆっくりと扉は閉まるまで、アイラは行ってしまった二人の背中をじっと見つめていた。

シヲとシヲのお父さんは教会へ向かう。


シヲのお父さん 「先に見たいものがある。」



二人は裏の湖へ。そこは汚染で浸食されている。汚染の周りは草木が枯れ、生けるものはすべて死んでいる。



シヲ 「ひどい…。」


シヲのお父さん 「やはり、ここが最も深刻な被害だな。」



シヲは深刻な面持ちのまま、汚染に近づく。



シヲのお父さん 「待ちなさい。」


シヲ 「だって、湖が!あんなにきれいだったのに…。」


シヲのお父さん 「これは汚染だ。」


シヲ 「汚染…?」


シヲのお父さん 「触れるもの全てを腐敗する有害の水。現在クウォーリオ王国はこの汚染に苛まれつつある。原因は不明だ。だが、日を増すごとに被害は拡大していっている。」


シヲ 「そんな…!じゃあこの国の水は!」


シヲのお父さん 「放っておいたら全て汚染と化してこの国は亡びるだろうな。」


シヲ 「っ⁉何とかしなくちゃっ!」


シヲのお父さん 「私たちにできることはただ国の指針を待つことだけだ。この件を解決するのは私たちの役割じゃない。このことは私が王子に報告する。教会へ戻るぞ。」


シヲ 「待つだけって…本当にそれでいいの…?」



シヲは遅れてシヲのお父さんの後をつき、教会へ入る。



シヲのお父さん 「いつも通りやってみなさい。」


シヲ 「わかった。」



水の楽器の日課の手入れをする。水が通る管をブラシで磨き、外見のホコリをふき取り、鍵盤に詰まったホコリも取り除いていく。



シヲ 「ふぅ…。」


シヲのお父さん 「ふむ。」



シヲのお父さんは日ごろの手入れの確認も兼ねて修理の箇所含め、鍵盤のすべての音を出していく。



シヲのお父さん 「怠けてはいないようだな。修理もできている。」


シヲ 「…っ!」


シヲのお父さん 「待っていなさい。」



シヲのお父さんは教会の奥の倉庫へ足を踏み入れる。そこにはアイラと出会ったときに適当に片づけたシヲの作曲道具と作りかけの譜面があった。



シヲ 「まずい…!」



シヲのお父さんの目にシヲの楽譜が止まった。


その時分、アイラはシヲのお母さんに教わって作った刺繍のハンカチをもって教会に向かっていた。その刺繍は歪で何を刺繍したのかわからないが、その歪さからは彼女が一所懸命に想いを込めて作ったことが見て取れるようだった。



シヲのお父さん 「なんだこれはっ‼」



シヲのお父さんの激しい怒声にアイラは息を潜める。

シヲのお父さんは鬼の形相でシヲの楽譜を握りしめ、怒りの矛先を息子に向ける。



シヲのお父さん 「曲なんか作りやがって・・・!これは伝統と規律に反する行動だ‼何度言ったらわかる‼」



アイラはそっと教会の扉を開け、中を覗き見た。



シヲ 「どうして…?どうして、新しい曲を作っちゃダメなの?」


シヲのお父さん 「伝統と規律に違反するからだ。」


シヲ         「なんでそんな伝統や規律があるのさ!おかしいよ!へんてこりんな伝統や規律が大切なの?どこが大切なの⁉」


シヲのお父さん 「うるさい!これは先祖代々受け継いできたものなのだ!」


シヲ     「受け継いだものだからって…!みんなが大好きな楽器だ、いつ何を弾いてもいいでしょ⁉こんな風に縛られている意味は何⁉」


シヲのお父さん 「意味なんてない!そういうものだ!」


シヲ     「そういうものって…。そんなの考えることを放棄しているよ!」


シヲのお父さん 「あぁ。それでいい。規則、法律は守るもの。伝統は受け継ぐもの。なんであれ、それ以上でもそれ以下でもない。」


シヲ 「何それそんなの変だよ…。」


シヲのお父さん 「私たちは与えられたものをただ受け取り生きていく。そういうものだ。」


シヲ 「そんなの…生きているなんて言えない…。」


シヲのお父さん 「それが分からないのはお前が子供だからだ。こんなことをしているから…。」


シヲ 「やめて‼」



シヲのお父さんはシヲの制止を無視して彼の楽譜をビリビリに破いてしまう。



シヲのお父さん 「二度とこんな真似はするなよ。次見つけたら、今度はお前を家から追い出す。」



シヲは脱力しへたり込み、その拍子に楽譜は虚しく散る。シヲのお父さんは踵を返し教会から出ていった。戸口に立っていたアイラとすれ違った一瞬、アイラと目が合った。



シヲ 「大きいものに従うのが大人なら、僕は大人なんかにならなくていい…。」



アイラは教会へ入りシヲの元へ。傍に寄り添うように近寄ったアイラに力なく笑って見せる。その表情はとても辛そうにアイラの瞳に映った。









シヲは誰もいない海にいた。大市の後の波止場だ。

彼の周りには昨日とは違い、光る水生生物はおらず、暗いままだ。



アイラ 「シヲ。」



シヲとは反対にたくさんの光る水生生物に囲まれているアイラは、そっと彼に声を掛けた。

アイラは無言でシヲの隣に座り、アイラが作った歪な刺繍のハンカチを渡す。



シヲ 「これ、アイラが作ったの?すごいね。可愛いお花だ。」


アイラ 「ライオン。」


シヲ 「そっか、あはは!それは下手っぴだ…!あはは…。本当に。どうしてうまくいかないんだろうね…。」



静かに泣くシヲの涙はアイラのハンカチに零れ吸い込まれていく。

アイラは自分の本を取り出し、読み始めた。



アイラ 「私は家族が分からない。去年まで一緒に旅をしていた人は何人かいたけど、誰が母親と父親なのかはわからない。私にあるのは世界中を旅をするという使命だけ。世界中を見て回った。でも、どこへ行っても、この奇妙な本をみんな気味悪がって、のけ者にされた。…だから、シヲが綺麗って言ってくれて、シヲの家族が受け入れてくれて…。」



アイラの視線の先に映るのは、本に記された『嬉しかった』という言葉。



アイラ 「嬉しかった。」



アイラの一言にシヲが顔を上げる。



アイラ 「旅人の私を温かく迎え入れてくれて、本物の家族のように接してくれて。…」



『ありがとう。』



アイラ 「ありがとう。…私には何もない。この本のことだって、私のことだって、何一つわからない。どうしてこんな使命を背負っているのかも。でも、それでいいと思っていた。考えることを放棄していた…。」



シヲは海を見た。月明かりが水面を照らし、キラキラと跳ね返りがあるとても美しい夜だった。



アイラ 「でも…、今日、それはよくないとわかった。…私は私のことを知らなくちゃいけない。この本のことも私の使命のことも。」



アイラは本を閉じ、革製の使い込まれた図鑑サイズの本の表紙を視界に映す。



アイラ 「この本には私が見聞き、体験したことが記録される。それがなぜなのか、いつからなのかはわからない。物心ついた時からこれと一緒だったから。」



シヲはアイラの声を耳に入れながらも複雑な表情は変わらない。



アイラ 「いろんなものを見てきた。空に魚ではなく羽の生えた生き物が飛ぶ国。」


シヲ 「えっ?」


アイラ 「ロボットという私達とそっくりの人工物が暮らしている国。一面砂漠に覆われた国。魔法が存在する国。お菓子でできた国。」



シヲは途端に興味を惹かれ、アイラに輝きに満ちた目を向けた。



アイラ 「どの国の話から聞きたい?」



アイラは少し微笑んでいるように見える。シヲはアイラの旅の話に興味津々で、先ほどまでのいじけた様子は消え去っていた。一気に機嫌を直したシヲに寄り添うようにアイラは語り始めた。そんな二人を包み込むように、夜は揺蕩い続ける。








シヲ 「行ってきまーす‼」


シヲが元気にドアを開ける。その後ろにはお母さん御手製の服を着飾ったアイラもいる。



シヲのお母さん 「シヲ、今日の楽器のお手入れは?」


シヲ 「もう終わったよ。早起きして終わらせたんだ!」


シヲのお母さん 「そう、今日はどこに行くの?」


シヲ 「町の探検!昨日アイラが外の国のこと一杯教えてくれたから、今日は僕がこの国を教えてあげるの!」


シヲのお母さん 「あら、素敵。でも、アイラちゃん女の子なんだから、あんまり歩かせすぎたらだめよ。」


シヲ 「わかってるって。行こう!」



シヲはアイラの手を引き、勢いよく飛び出していった。



シヲ 「今日はもう大市が終わっているから、普通の町なんだ。アイラにいつもの僕の町、見てほしい!」



シヲの言葉に呼応するようにアイラの本が飛び出した。だが、ここは町中。浮く本が怪しまれないように、すぐさま本を捕まえて腕で抱え直した。

シヲがアイラの手を引き町へ向かうと「ここが○○!」と言って、彼は嬉々として次々と町を紹介した。町を歩いている途中途中、アイラは周りが気になるようで、しきりにキョロキョロしている。



シヲ 「ね、大市とだいぶ違うでしょ?大市の時の元気な感じも僕は好きだけど、やっぱりいつもの町が落ち着くなー。」



視線をうろつかせていたアイラは、ふとお店屋さんに気になるものを見つけて立ち止まる。



シヲ 「…ん?どうしたの?」


アイラ 「シヲ…これ。」



そこには美しい伝統工芸品のアクセサリーが置いてあった。そのどれもには水滴のような大小さまざまの宝石が組み込まれていて、どれもになにやら大きな水生生物のようなものが刻印されている。



シヲ 「あぁ、これはこの国の伝統工芸品だよ。おじさん一つ頂戴。」


お店のおじさん 「はいよ。」


シヲ 「この国のお守りなんだ。大切な人にあげるもの。なんでも、この国の守り神のポセイデントに由来しているらしいんだけど…。」


お店のおじさん 「兄ちゃんよく知ってるな!これはうちの国の守り神、ポセイデントを基にした、うちの国の国生がこの国でしか取れない水石に刻まれてて、それを編みこんだ奴なんだ。アクセサリーが基本だがストラップやバッグチャームしている奴なんかもあるんだぜ。」


シヲ 「そうなんだ!」


アイラ 「ぽせいでんと・・・?」


シヲ 「この国の守り神。僕もポセイデントの詳しいことはあまりよくわからないんだ。じいちゃんなら詳しいと思うよ。時間があるときに聞いてみると楽しいと思う!じいちゃんの話はどこまでが本当かわからないけど面白いから!」



そう言いながら、シヲは買ったアクセサリーをアイラにつけてあげた。



シヲ 「…よし、できた!うん、かわいい。とっても似合っているよ、アイラ!」


アイラ 「・・・。」



アイラはアクセサリーの水石部分が気になるようで、それをいじりながらじっと見つめている。



シヲ 「ママがこれ作るのとっても上手なんだよ!お店のやつもきれいだけど、ママのもとってもきれいだから今度見せてもらうといいよ。作り方もきっと教えてくれると思う。」


町の女性① 「ねぇ、聞きました?“汚染”がまたひどくなったんですって。」


町の女性② 「いやねぇ、最近その話ばかり。生活用水に汚染が染み出ないといいけど…。」


町の男性 「そんなことを言っても、俺たちは御国がどうにかするのを待つしかねぇな。」


町の女性① 「早く何とかしてくれないかしら。」


町の男性 「なるようにしかならねぇよ。俺たちはただ従うのみさ。」


町の女性② 「それもそうね。」


シヲ 「…。」


アイラ 「シヲ…。」


シヲ 「次の場所へ行こう。」



”汚染”という言葉がいやに鮮明にシヲに響いた。それを振り払うように、アイラの手を引きながら急いで歩き出すと少年とぶつかる。



シヲ 「わっ!?すみません!」


少年 「うむ。こちらこそ失礼した。」



少年はなぜかまじまじとシヲを見つめてくる。



シヲ 「あの…何か御用ですか…?」


少年 「いや、知り合いと似ていてね。君、汚染が進行している場所を知らないか?」


シヲ 「え…。」


少年 「やはり、汚染の情報は漏洩しているが、具体的な場所は特定されていないのか…。困ったな…。」


シヲ 「知っています。僕知っています!」


少年 「なんだって!君、案内してくれないか!」



シヲは既に心は決まりつつもアイラを見る。彼女はシヲの瞳を見つめ頷き、本をカバンにしまう。



シヲ 「…わかりました。」



シヲを先頭に向かうは、件の教会だ。



シヲ 「あの、どうして汚染の場所が気になるのですか?」


少年 「私の周りの者が信用ならないからだ。何を聞いても私をいいように使って騙そうとしているように思えてしまってな。」


シヲ 「友達、いないんですか?」


少年 「は?」


シヲ 「あ、いえ違うんです‼その、僕は信用できない人はその、友達とは言わないかなって思って…。」


少年 「友か…。確かに私にはいないのかもしれないな…。」


シヲ 「あの、その…。すみません。着きました。」



話に夢中になってしまっていたのか、気が付いたら教会の前だった。



少年 「む、ここは確か…。」


シヲ 「ここの裏の湖です。」



三人は裏手の湖へ進む。目の前に広がる湖の悲惨な状態は、心なしか先日よりも酷くなっているように思えた。


少年 「これは…!なんというありさまだ。」



少年は湖に駆け寄る。それを横目にアイラの本がカバンから飛び出たが、慌てて本を抱えた。



シヲ 「触っちゃだめです‼危ないらしいので。」


少年 「ふむ、すべてがすべてデマというわけでもないんだな。」



少年は顎に手を当て考え込んでいるようだ。



シヲ 「なんでこうなっちゃったかはよくわからないけど、どんどん大きくなっちゃっているらしいです。このままだと国の水がみんな…。」


少年 「君のほうが私より汚染について詳しいのだな。」



シヲの現状を伝える文言に少年は目を丸くする。



シヲ 「あ、いや、父さんが王宮にいるだけで。」


少年 「お父上が王宮にいるのか、きみ…。」


シヲのお母さん 「その声、やっぱりシヲ達だったのね。こんなところで何をしているの?あら…?」


シヲ 「ママ!」



シヲのお母さんが教会の方からひょっこり顔を出しシヲ達に声を掛けた。しかし少年を見つけて言葉が止まる。一瞬反応が遅れた少年は、慌ててフードを目深までかぶりなおした。



シヲのお母さん 「新しいお友達?」


少年 「え、いや…。」


シヲ 「そうだよ!街で会ったんだ。」



少年は友達という言葉に感動を覚えたような、驚いた顔をしてシヲを見た。



シヲのお母さん 「それはよかったわね。ところで、みんなこれからピクニックはどう?」


少年 「ピクニック?」


シヲのお母さん 「えぇ、向こうの丘がこの時期とってもきれいなの。だから、これからみんなでお昼ご飯にしようと思って。」


シヲ 「やったー!ピクニックだ‼行こうアイラ。」



アイラも柔らかい表情で頷く。



シヲ 「よかったら一緒にどうですか?」


少年 「いいのか?」


シヲ 「はい。とてもきれいなので是非。それに僕、あなたのことが知りたいので。」


少年 「私のこと…?」


シヲ 「はい、あ!名前もお互い、まだ知らないのにこんなこと言うなんて失礼ですね。僕はシヲです。」


少年 「こちらこそ、申し遅れてすまない。私はラッシュだ。」



シヲは隣に並び立つアイラに目配せをする。



シヲ 「それと、こっちはアイラ。」



少しぎこちなくもしっかりと会釈するアイラに場の空気が柔らかくなる。



ラッシュ 「あぁ、シヲにアイラ、よろしく頼む。」


シヲのお母さん 「シヲ達―!行かないのー?」


シヲ 「行く!待って‼アイラ、ラッシュさん、行きましょう。」



三人はシヲのお母さんと合流して丘へ辿り着いた。その三人を後目に、湖の淀みがまた少し広がっていった。


しばらく森を上ると急にあたりが開けた。丘の上まで来ると、そこには全体的にピンクのさまざまな種類の花が咲いており、そこには小さい水生生物たちが自由に泳ぎ回っている。その風景をアイラが見た途端、移動中にしまわれていた本がまたもや勝手に飛び出した。すると、ラッシュがタイミングよくアイラの方向を向いた。アイラは慌てて本を抱える。間一髪、ラッシュの視界には入らなかったようだ。



アイラ 「…!」


シヲ 「どう?きれいでしょ?」


ラッシュ 「あぁ、確かに、こんな場所があるなんて知らなかった。」


シヲのお母さん 「外に出て、いろんな事してみないと、こういう素敵なものとはなかなか出会えないものよ。さ、みんなお昼ご飯にするから、準備を手伝って。シヲのお友達もお昼ご飯食べるでしょ?」


ラッシュ 「いえ、私は・・・。」


シヲ 「えー!一緒に食べないんですか?」


シヲのお母さん 「遠慮しないで、今日はお天気もいいから、おばさん頑張っていっぱい作りすぎちゃったのよ。むしろ、お昼がまだなら一緒に食べてくれると嬉しいわ。」


ラッシュ 「それでは、お言葉に甘えて。」


シヲのお母さん 「うんうん、しっかりしているのね。まだまだ成長期なんだからたくさん食べて頂戴。」


ナオ 「ママ、お腹空いた‼」


シヲのお母さん 「はいはい、シヲ、アイラちゃん準備ありがとう。それではいただきましょうか。」



シヲのお母さんは持ってきたお昼を広げた。見ると水の国伝統料理がおしゃれにかわいく飾られている。品数も多く、彩もいい。シヲの言った通り、料理上手の母であることが見て取れた。料理の華やかさに子供たちから歓声が上がる。アイラは背中に本を隠しながらも記載は続いていた。



シヲのお母さん 「アイラちゃん、うちの伝統料理とか知らないと思って張り切って作っちゃったの。」


シヲ 「あ、これ!僕が大好きなの‼」


ナオ 「俺これ‼」


シヲのお母さん 「うふふ。友達さんもいつも食べているものとは違うだろうから、お口に合うかわからないけれども・・・。」


ラッシュ 「いえ、こんなに賑やかな食卓は初めてで・・・楽しいです。ご相伴にあずかれて光栄です。」


シヲのお母さん 「あら、うふふ。もったいないお言葉だわ。」


シヲ 「アイラ、僕がよそってあげるね、えっとね、これがお勧めで、これはちょっとすっぱくて・・・。」


ナオ 「兄ちゃんの分は俺がよそうよ。」


ラッシュ 「あぁ、ありがとう。」


シヲ 「ナオ、バランスよく取れよな。」


ナオ 「わかってるよ!あ!兄ちゃんそれいっぱい取るなよ‼俺の分も‼」


シヲのお母さん 「ほおら、お野菜が足りないわよ!」


シヲ&ナオ 「「それヤダ‼」」



終始笑い声あふれる賑やかなまま食事を終え、三人は遊びに出るシヲを先頭に草笛を吹いたり、草の船を編んで川に流したり、石を拾ったり、珍しい水生生物を観察して思い切り遊んだ。遊び疲れた三人は、丘の上からちょっと外れた丸太に乗り、丘を眺めていた。



ラッシュ 「昼食もごちそうになった上に、いろいろ案内してくれてありがとう。とても楽しかったよ。こんなに自然に触れられたのは初めてだ。」


シヲ 「喜んでもらえてよかったです。アイラも楽しかった?他にもまだまだこの森は遊べるんですよ!また遊びにいらしてください。ラッシュさん」


ラッシュ 「その・・・、友達というのは年が離れていたら敬語を使うのが正しいのだろうか?」


シヲ 「え?あ、すみません。」


ラッシュ 「いや、その、差し支えなければ私にも敬語とかそういうのは外してほしい。ダメ、だろうか?」


シヲ 「全然!今日一日でラッシュのことたくさん知れてよかった。ね、アイラ。ラッシュはとても手が器用なんだね、今度は大人なんかじゃ絶対できないことをしよう!」


ラッシュ 「…。あぁ、あぁ是非!大人のいない・・・。この森に私たちだけの国を作ろう!」


シヲ 「国⁉すごいね…。うん、約束しよう!」



西の空から赤みを帯びた光が三人の結ばれた手を照らす。それを解くのを合図に別れを告げた。



シヲ 「ばいばーい!またね!約束だよ‼」


ラッシュ 「あぁ、約束だ!また、遊ぼう。」


シヲのお母さん 「あらあら、もうそんなに仲良くなったの。」


シヲ 「うん、今日だけですっごく仲良くなったんだよ。見て!」



アイラ、シヲの母さんに髪についた丘の花でできた花飾りを見せる。



シヲ 「すっごく器用でね、アイラに作ってくれたんだよ。」


シヲのお母さん 「まぁ、素敵。二人とも本当に素敵なお友達ができたのね。」


ナオ 「俺もあの兄ちゃんともっと話したかったー。」


シヲ 「また遊ぼうって言ったから、今度たくさん話せばいいよ。」



夕焼けに見送られながら四人は家路に着いた。






シヲがアイラの手を引き、波止場に停留している船に乗りこんだ。



シヲ 「今日は楽しかったね。新しい友達ができてよかった。」



立ち尽くすアイラは、水面と美しい満月に見とれているようだった。



シヲ 「きれいでしょ。」



シヲはそのまま甲板に寝転がる。頭上には美しい星空が広がっている。しばらく二人でそれを見つめていた。『夜は揺蕩う』その言葉にふさわしく、彼らが乗るボートは風にさらされ水面とともに揺蕩っていた。


静かな中、そっとアイラが歌い始めた。彼女の声のみで紡がれるその歌と共に、穏やかな国の幸せな景色が思い起こされるようだった。



シヲ 「アイラ・・・その歌って…。」


アイラ 「私が知っている唯一の歌。」


シヲ 「…。」


アイラ 「多分お母さんが歌ってくれてたんだと思う。優しい女の人の声で覚えているから。」


シヲ 「素敵な歌だね。聞いていると心が温かくなる…。優しい曲・・・。ねぇ、アイラ、その歌を歌っているとき何か考えたり想像したり思い出したりしない?」


アイラ 「…。」



しばらく考えていたアイラだったが、ぽつぽつと言葉を落としていく。



アイラ 「…大きな木と温かい木洩れ日。今日行った丘みたいな。それと大きな手。」


シヲ 「手?」


アイラ 「手をつないでくれた。シヲのお母さんみたいな大きくて暖かい手。」


シヲ 「それきっとアイラのお父さんかお母さんだよ!アイラの大切な思い出‼」


アイラ 「私の・・・思い出…?」


シヲ 「うん。やっぱり、音楽はアルバムなんだ。大切な思い出を甦らせてくれる。僕も…僕もそんな曲が書きたい。そんな曲が・・・‼ありがとうアイラ!」



シヲは感激してアイラの手を強く握る。



シヲ 「僕の本当に描きたい曲が分かった。みんなが楽しく幸せになる曲を書くんじゃない、僕の楽しくて幸せな思い出をみんなと分け合うんだ。ねぇ、アイラ、この思い出を曲にしてもいい?」


アイラ 「うん。」


シヲ 「待ってて。アイラが次の国に行っちゃうまでには絶対に描き上げるから。」


アイラ 「…楽しみ。」


シヲ 「…っ!約束するよ。絶対、絶対聞かせてあげる。」



シヲの信念を感じる約束に、どこか温かくなるような心地でアイラは頷く。



シヲ 「はぁ~!…僕が思い出を曲にし続けたら僕の曲はアイラのその本とおんなじだね。あっ!その本ってアイラとずっと一緒にいるんだよね…?もしかして、アイラのお父さんとお母さんのことやアイラのことが書いてあったり…⁉」



アイラ、本を手に取り最初のページを読む。



アイラ 「…私が仲間と別れた日からしか書いてない。」


シヲ 「…そっか。でも、そんなに焦ることはないよね。ごめんね、アイラ。」



アイラは静かに首を横に振る。その様子からは彼女の内情は汲み取れない。



シヲ 「もう、今日は戻ろうか。夜にずっと遊んでいると寝不足で沼に落ちて裏の世界に吸い込まれるぞってじいちゃん言ってた。」


アイラ 「裏の世界?」


シヲ 「うん。なんかこことは別に裏の世界があるんだってー。でも、本当にそんなとこあるのかなー?そんなこと言ってじいちゃんはただ僕たちを寝かしたいだけかもね。」



 二人はそんな話をしてボートから立ち上がる。

『私のやりたいことは?わからない。私は何者?私は生きているの?何のために?』そんな自問自答が強い筆圧でぐちゃぐちゃに書かれ続けている本が、二人に気づかれることはついぞなかった。





翌朝




シヲの足は作曲部屋へ向かっていた。



シヲのお母さん 「シヲー!どこに行くの?」



シヲのお母さんが声を掛ける。その後ろにはお母さん御手製の服を着ているアイラもこちらを覗き込んでいる。



シヲ 「ええと、ちょとね。」


シヲのお母さん 「用事がないなら王宮に行ってきてもらえない?」


シヲ 「王宮に?どうして?」


シヲのお母さん 「パパが忘れ物していっちゃったのよ。これを取りに帰ってきたのに置いていっちゃうなんて、うっかりさんね。」



テーブルの上には水の楽器の補強器具が入ったカバンがぽつんと取り残されていた。



シヲのお母さん 「ないとパパお仕事で困っちゃうわ。シヲ、お願い。王宮まで行ってパパに届けてもらえないかしら?」


シヲ 「えぇ…僕は・・・。」


ナオ 「ママ!俺パパに届けに行くよ!」


シヲのお母さん 「ナオじゃまだ無理でしょう?」


ナオ 「無理じゃないし。」


シヲのお母さん 「ママもお家のことがあるし、おじいちゃんももうお歳だから、行けるのはシヲしかいないの。わかるわよね?」


シヲ 「わかったよ。ママ。」


シヲのお母さん 「ん、いい子。」



シヲのお母さんはシヲの額にキスを贈る。存外年相応に甘えたな所があるナオはうらやましそうに兄を見る。



アイラ 「私も行く。」


シヲ 「アイラも来るの?」



シヲのお母さん 「あら、アイラちゃんもお手伝いしてくれるの?」



アイラは頷く動作で二人に是の意を示す。



シヲのお母さん 「ありがとう。」



シヲのお母さんはアイラの額にもシヲと同様にキスを贈った。



シヲのお母さん 「シヲ、アイラちゃんのことよろしくね。」


シヲ 「うん。」


ナオ 「ママ!俺も俺も。」



シヲとアイラは各々出かける準備をして玄関に向かった。



シヲのお母さん 「ナオも何かお手伝いをしてくれたらね。」


シヲ 「じゃあ、行ってきます。」



二人は手をつないでずんずん進んでいく。だが、その足取りに反してシヲの顔は少し重い。


王宮に近づくにつれて人で混みあってきた。二人の繋がれた手は、人混みにもまれて離れ離れになりそうになるが、解かれてしまいそうになる度、どちらともなくしっかりと手を繋ぎなおした。



アイラ 「シ、シヲ…!」



しかし、アイラの小さい声は人混みにかき消されて聞こえない。アイラはシヲと繋いでいる手を道標に着いていく。

その時、アイラと同じような服装で本を持ちフードを目深までかぶった青年らしき人物をアイラは捉えた。その瞬間シヲから手を放してしまい、アイラはその場に呆然と立ち尽くした。


二人の距離が少し離れてしまった頃、シヲはアイラの手を掴んでいないことに気が付いた。シヲが後方を窺うと、アイラはただ一点を見つめているようだった。



シヲ 「アイラ!駄目だよ、手を離しちゃ。王宮の近くは人がいっぱいいて迷子になりやすいんだから。行こう。」



シヲは人をかき分け、もう一度アイラの手を取り進もうとするがアイラは返事はおろか、びくともしない。



シヲ 「アイラ・・・?」



シヲは疑問符を浮かべたまま、アイラが見つめて離さない方向を見やった。



シヲ 「あれは・・・アイラと同じ人・・・?」



青年らしき人物は人通りの少ない路地裏へ入っていったところだった。



シヲ 「あっ!待って、アイラ!」



どこか不思議な雰囲気の青年に気を取られてしまい、気づくとアイラが青年の後を追い路地裏に向かっていた。シヲも人込みをかき分けてアイラを見失わないようについていく。

路地の途中で、シヲ、アイラに追いつき腕を掴む。



シヲ 「アイラ・・・?」


アイラ 「一人で旅をして、初めて同じ人にあった。私のこと、私の仲間のこと何か知っているかもしれない。」


シヲ 「そっか…。わかった、追いかけよう。」



二人は先ほどよりも強く手を繋ぎなおし、再び謎の青年を追いかけた。

入り組んだ路地を駆ける。曲がり角で見失ったり、思いもしない所から道が現れたりと、まるで迷路のようであった。

やっとのことで路地を抜けると、薄暗く、人気が無い、ひっそりとした門前に辿り着いた。どこか見たことのあるような雰囲気に、シヲはハッとする。



シヲ 「ここは・・・王宮の裏・・・?」



謎の青年はあたりを見渡すとさらに進んでゆき、ツタの生えたうっそうとした木製の小さな扉から王宮へ入っていってしまった。



シヲ 「こんなところがあったなんて…。ここから入るのはさすがにまずくない?」



そんなシヲのつぶやきを聞いてか聞かずかアイラは入り進んでしまった。

王宮の敷地に入ると、待ってましたと言わんばかりに本が飛び出した。



シヲ 「アイラ~!・・・帰り道に困らないように覚えておこう・・・。」



シヲは諦めてアイラについていくことにした。アイラの本は持ち主にお行儀よく着いて行っている。まるでペットみたいだなとシヲは思いながら置いて行かれないように後を追う。

謎の青年を追いかけて城内を歩き回っていると、落ち着いて青年のことを観察することが出来た。青年もアイラと同じように本を持っていたのだ。それが開いて淡い光を放っている。

青年の持ち物であろう本から放たれる光も目印に、彼を見失わないようにひっそりと追いかけていた二人だったが、やはり王宮内とだけあって見回りの兵士たちが巡回している。姿を見られないようにと、そちらに気を配っていると気が付けば謎の青年を見失ってしまっていた。



シヲ 「あーあ、見失っちゃったね。」


アイラ 「シヲ、しっ。」



アイラの合図で二人は身を隠した。大人たちの話声が聞こえる。どうやら向かいの部屋のようだ。



大臣① 「まったく。正義感の強い王子には困ったものだ」


大信② 「また何か新しいことを始めようとする。」


大臣③ 「それが失敗したらどうなると思っているんだが。」


大臣① 「今まで通りにやればいいものを。」


大臣② 「ふん。まだガキのくせに。何もわかっちゃいない。」


大臣③ 「塩梅が一番だ。挑戦なんてするものじゃない。」



大人たちの悪い下品な笑い声がこだまするように響く。

下卑た笑いにもやっとしているとシヲに視界の端に勝手にその部屋に入っていこうとする本が映った。ギョッと肩を跳ねさせたシヲは、ハッと持ち主を見ると、彼女はさらに奥の暗い廊下に歩みを進めていた。



シヲ 「ちょっと…!ダメダメダメ…!」



ひとまず本をどうにかしようとシヲは慌てて回収しようとする。つい小声で制止の声を掛けてしまうくらいには焦っていた。その焦りゆえか、本はシヲの手をすり抜けて逃げる。何とか大人たちにばれないように本と格闘するシヲだったが、



大臣① 「むっ!?何だこの本は‼」


大臣② 「本が宙に浮いているぞ‼」


シヲ 「あぁ!すみません!ちょっと道に迷ちゃって。」



やっとのことで本を手中に収めたシヲ。何とか誤魔化さなければと慌てて弁解する。



大臣③ 「聞いていたな…?」


シヲ 「えっ!?いや、何のことだか…。」


大臣① 「兵隊っ‼不法侵入者だ!すぐに捕らえろ‼」


シヲ 「えー?ち、違います僕は・・・」


アイラ 「シヲ‼」



アイラはシヲの手をぐっと引き、走り出した。後ろから兵隊らしき人物がこちらを追ってきているのがわかった。



大臣② 「捕まえろ‼」


兵隊① 「待てー‼」


シヲ 「あわわわわ!どうしてこんな・・・!」



アイラがリードする形で二人は逃げ回っていた。シヲは逃げるのに必死で、ただただアイラの見事な妨害の術を見ていた。アイラの逃げ方はとても巧みで、よもや初めてには見えない華麗な逃げ裁きだった。その場にある物を使ったり、曲がり角を使って撒いたりと、どんどん兵隊たちと距離を開けていく。

そんなことを繰り返し、大分追手と離れた時分、二人は目の前に現れた部屋に逃げ込み勢いよくドアを閉め、物陰に隠れた。



?? 「誰だ!?」


シヲ 「ごめんなさい!今兵隊さんたちに追われていて…!少し匿ってもらえませんか?」


?? 「なんだと?」


兵隊② 「ここに隠れたぞ!」



ドアが勢いよく開く。



兵隊③ 「王子御無事ですか!?」


王子 「あぁ。」


シヲ 「えっ!?王子様!?」



シヲは思わず飛び上がり、大声を上げてしまう。一瞬の沈黙がこの場を覆った。アイラは冷めた目でシヲを見つめている。そんな状況に、シヲはやってしまったと黙ってしゃがみなおした。



王子 「君は・・・。」


兵隊① 「いたぞ!捕らえろ。」



シヲとアイラ兵隊に見つかり物陰から引っ張り出されてしまった。



シヲ 「いたたたた…。」


アイラ 「離して。」


王子 「待ってくれ。」


兵隊② 「王子・・・?」


王子 「その者たちをこちらに。」


シヲ 「王子様・・・?」


王子 「…やっぱり、シヲとアイラじゃないか!」


シヲ 「…ってラッシュ!?」


兵隊① 「…は?」


兵隊③ 「貴様!王子に何たる無礼な態度・・・!?」


ラッシュ王子 「いいのだ。このものたちは私の友達、だからな。」


兵隊① 「…へ?」


兵隊② 「…王子に・・・友、達・・・。」


シヲ 「驚いたよ。まさかラッシュが王子様なんて。冗談だったりしない・・・?」


ラッシュ王子 「あぁ、正真正銘、クウォーリオ王国の18代目王子、ラッシュ・クウォーリオだ。」


シヲ 「すごい…!僕、王子様と友達だったんだ。」


ラッシュ王子 「先ほどは、兵隊たちが無礼を働いてすまなかったな。」


兵隊①②③ 「「申し訳ございませんでした‼」」


シヲ 「大丈夫です。ちょっと痛かったけど、兵隊さんに捕まるの、初めてだったからドキドキしました。アイラも大丈夫だよね?」



そう言いながらシヲはアイラに本を手渡したが、彼女は少し不貞腐れている様子だ。



ラッシュ王子 「ところで、アイとシヲは何故、王宮にいるんだ?」


シヲ 「あ、えっと・・・。父さんの忘れ物を届けに来たんだ。そうしたら道に迷っちゃって…。」


ラッシュ王子 「そうか!シヲのお父上はここに勤めているのだったな。是非ともご挨拶をしたいところだが。」



ラッシュ王子は書物が山積みになった机を一瞥した。



ラッシュ王子 「生憎、私は今日の業務が終わっていない。お前たち、シヲ達をシヲのお父上の元まで案内してやってくれないか?」


兵士③ 「はっ!かしこまりました。」


シヲ 「ありがとう、ラッシュ。」


ラッシュ王子 「あぁ、今度は迷わないようにな。そうだ、シヲとアイラは私の友達であり、正当な客人だ。皆にも伝えておいてくれ。」


兵士①②③ 「はっ!」


ラッシュ王子 「これで、王宮内を自由に歩いても大丈夫だろう。私も業務が終わり次第合流したいところだが、汚染の件があってな…。」


シヲ 「ううん、無理しなくていいよ。本当に何から何までありがとう。また、遊べる日に遊ぼうね。」



シヲとアイラは王子に手を振り退出した。先導する兵士たちに着いていく。


案内された先は王宮の水の楽器の間。

教会よりも美しく管理されていて、一等上等な部屋が割り当てられていた。音が美しく響くように縦に長い構造いなっており、大きな水の楽器を磨いている人が対比のせいか小さく見える。その人物こそシヲのお父さんであった。日頃の手入れ中でシヲたちの気配に気が付いていないようだ。シヲは、ごつごつとした手が丁寧に水の楽器を磨き上げている様を目に映しながら、兵士がシヲたちに一礼して下がるところを見届けてから声を掛けた。



シヲ 「父さん。」


シヲのお父さん 「なぜ、お前がここにいる。ここは子供が遊びに来ていいところじゃない。」


シヲ 「父さんの忘れ物を届けに来たんだ。」



シヲ、ショルダーバックから、シヲのお父さんの忘れ物を出し、届けると。踵を返して帰ろうとする。



シヲ 「じゃあ、僕はもう帰るよ。」


シヲのお父さん 「…待ちなさい。」


シヲ 「何?」


シヲのお父さん 「まで、手入れが終わっていない。見ていきなさい。」


シヲ 「え、でも…。」


シヲのお父さん 「見るのもまた勉強だ。お前はまだ未熟だからな。」


シヲ 「…。」



シヲはため息を一つついて、諦めたようにシヲのお父さんの元へ向かう。それに倣うようにアイラもついて行った。


シヲのお父さんの手入れはシヲよりも慣れていて頼もしく、手際がいい。力強いが粗雑ではなく丁寧である。

水の楽器の手入れが終わるとシヲのお父さんは水の楽器を端から端まで音のずれがないか鳴らして点検を始めた。



シヲのお父さん 「どうだ。」


シヲ 「僕がやるよりも音がキレイ。」


シヲのお父さん 「…まだ、作曲なんて続けているのか。」


シヲ 「…。」


シヲのお父さん 「…この楽器は国家を弾くためだけに存在している。この国の守り神、ポセイデントに年に一度、捧げるためにな。」



水の楽器の間にはポセイデントの壁画がある。その壁画には退廃して荒んだ町と水の楽器、その空を舞うシーラカンスともクジラとも言えない巨体、この国の守り神ポセイデントが光り輝いている様子が描写されている。



シヲのお父さん 「この楽器の音色だけはポセイデントの耳に届く。いつ誰が何を弾いてもいいなんてふざけるな。それで、ポセイデントの機嫌を損ねたらどうする?お前のせいでこの国が終わるんだぞ、わかっているのか。」


シヲ 「違う。」


シヲのお父さん 「この国を平穏に、豊かにするために、私たち一族が楽器を守り、国歌を受け継いで、ポセイデントを鎮めている。それを崩してみろ、ポセイデントが怒り狂いこの国を壊す。この壁画のようにな!」


シヲ 「そんなことない!ポセイデントはそんな乱暴な神様じゃない!楽しいことが大好きな優しい神様だってじいちゃんが言ってた。」


シヲのお父さん 「優しい神だってへたくそな曲を聞かされたら不機嫌になる。ポセイデントだけじゃない、お前はお前の曲を国民全員に聞かせるのか?」


シヲ 「そうだよ。僕は僕の曲でみんなを楽しませるんだ。」


シヲのお父さん 「口だけは大概にしろ。お前に何ができる?そんな才能がお前にはあるのか。」


シヲ 「それは、やってみなくちゃ…。」


シヲのお父さん 「お前じゃ無理だ。お前じゃポセイデントはおろか誰一人としてお前の望むような結果にはできない。」


シヲ 「そんなのわからないじゃないか!」


シヲのお父さん 「いいか、人生は一本道だ。堅実に生きるのみ。規則に従い伝統を受け継ぎ、そして死んでゆく。そこから反れてみろ、取り返しのつかない失敗をし、人生の敗者として生きていく。成功する人間は最初からその道が決まっているんだ。お前はうちに生まれてきた。作曲家の子じゃない。だからお前に作曲なんかできない。」


シヲ 「…父さんの言うことは嘘ばっかりだ‼水の楽器は年に一回なんてルールはない!弾く曲は決められてなんかない!僕が作曲できない未来なんて決まってない‼」


シヲのお父さん 「それでどうだ?ポセイデントが音楽を煩わしく思い始めたらどうする?曲が気に入らなかったらどうする?あぁ、そうだ、お前の言う通り、未来は決まってなんかいない。だがな、そう簡単に思い通り行く未来なんかないんだよ!ポセイデントを怒らせてみろ、神の力には誰も敵わない。この壁画のようにな!」


アイラ 「そんなの。やってみなくちゃ誰もわからない。」


シヲ 「アイラ・・・?」


アイラ 「あなたはとても怖がり。居もしない幽霊にガタガタ震えている子供と同じ。そして未来を捨てた。自分で選択することの責任に恐れ、守りたいものの重さにつぶれ、ボロボロになった。」


シヲのお父さん 「何を勝手な・・・。」


アイラ 「規則を守る。伝統を受け継ぐ。使命を全うする。それだけって、それしか無い人間って生きているっていうの?使命のためだけに生きているって、とっても空っぽ・・・。」



アイラはぎゅっと自身の胸を押さえる。



アイラ 「貴方が怖がりで自分の道を自分で歩くのを恐れるのは構わない。でも、それをシヲに押し付けるのは間違っていると思う。」



シヲのお父さんはその言葉に呆然と立ち尽くいた。アイラとシヲのお父さんの視線が一寸交錯するが、それを打ち切ったのはアイラだった。彼女はシヲの手を取って水の楽器の間から出て行った。



シヲ 「アイラ、さっきはありがとう。父さんにズバッと言えていてカッコよかったよ。…アイラ?こっちは出口じゃないんじゃない?」



シヲ、アイラに連れられ大臣たちが陰口を言っていた部屋を通過する。



シヲ 「ここってさっきの・・・。ねぇ、アイラ。僕たちどこに向かっているの?」



そのさらに奥、重々しい厳かな扉がある。埃をかぶった天井まである大きな扉が構えている。だが、一か所だけ人の手形に埃が無くなっている。アイラはそこに自分も手を当てた。



シヲ 「ねぇ、アイラ。そこ入っても大丈夫なの…?」


アイラ 「ラッシュがいいって言った。」


シヲ 「それはそうだけど、さすがにここは話が違うんじゃないかな…?」



アイラはそのまま扉を押し開ける。そこには暗くとても静かな空間が広がっていた。扉から覗くだけでは何かが光って動いているようにしか見えない。アイラが天井まである大きな扉を自身の体ほどまで開け、体を滑り込ませた。シヲも恐る恐るついて行く。シヲが入った直後、扉は重みで音を軋ませながらゆっくりと締まった。

その瞬間、景色がはっきりする。目の前には水族館のような美しい風景。シヲ達が見たことのない水生生物が水槽のような360度ガラス壁の向こう側で泳ぎ回っている。まるで自分たちが水底に沈んでいるような、そんな空間だった。



シヲ 「王宮にこんなところがあったなんて…。」



アイラの本がまた記載を始める。二人はあたりをキョロキョロと見まわしていたが、次の瞬間、床が消え二人は宙に浮いた。



アイラ 「浮いた。」


シヲ 「いや、落ちてない⁉」



自分が落ちているのか上がっているのかわからない。そんな感覚のままに二人の視界には多種多様な水生生物が縦に過ぎてゆく。



シヲ 「わぁ…‼」



シヲは突飛な状況を忘れこの美しい光景を見渡しているとアイラに視線が止まる。



シヲ 「アイラ、どうして泣いているの?」



アイラの涙は無重力状態のようにぷかぷかと浮いていた。シヲに指摘されてアイラは初めて自分が泣いていたことに気が付いたようだ。



アイラ 「わからない。…あまりにもきれいだから。」


シヲ 「あはは、なにそれ。」



すると水生生物の群れが一層強くなって潮が引く。視界が晴れ、その向こうにシヲの王国と同じ形の王国が見えるものの、全体的に雰囲気が陰鬱としている。



シヲ 「あれは・・・町・・・?」



いつの間にか二人はシャボン玉のようなものに入っている状態でぷかぷかと降下していった。

やがて地面につき割れる。着地した場所は石造り、市場のような所だった。だが、二人が見渡しても人はおらず、錆びれていて寂しく暗い印象だけが残った。全体的に色も明かりもすべてが暗いにもかかわらず、なぜかシヲとアイラの体はほんの少し発光しているように明るさを纏っていた。



シヲ 「ここ、どこだろう…。アイラ、離れないようにしよう。」



二人は、シヲがアイラに町を案内した時と同じように強く手を繋ぎ合う。そのまま探索をしようと歩き出したが、あの時と違うのは絶望的に寂しい感覚が拭えないということ。長時間この場にいると心が蝕まれていってしまうのではないかとまで思えてしまうほどだ。



シヲ 「僕たちの知っている町、じゃないよね…。あ、あの人!」



シヲが指差したその先には先ほどまで自分たちが追っていた謎の青年だ。



シヲ 「あの人にアイラのこと聞けば何かわかるかもよ。あの、すみませーん!」



シヲの声に謎の青年が振り返る。やはり見間違いなどではない。アイラと同じような特徴をした青年である。彼の本はアイラの本と同じように勝手に浮いて記載をしていた。



シヲ 「すみません、僕たちここに迷ってきちゃったみたいで、あの、ここがどこだか教えてもらえませんか?」


謎の青年 「被ったか。」


シヲ 「え、」


アイラ 「私のこと、教えてもらえませんか、私たちの種族のこと、使命のこと。」



見つめあう謎の青年とアイラ。しかしその瞬間地響きがあたりを包む。



シヲ 「な、何!?」



何事かと周りを見ると、低い位置からヘドロのような波が押し寄せてきていた。



シヲ 「津波だ‼」


謎の青年 「高台へ!」



青年の声に後押しされるように三人で波が押し寄せる反対の方へ駆けてゆく。



シヲ 「もう波が近くまで‼」


謎の青年 「早く高いところへ上るんだ。」



高台に到着すると、シヲが先に上りアイラに手を伸ばす。しかしアイラ手が震え足がすくみうまく登れない。すると青年が抱き上げアイラを乗せる。瞬間、波が青年の足をすくい一瞬で青年は波に攫われていった。



シヲ 「お兄さんっ…⁉」



しばらくしてヘドロの津波は去っていった。二人が残された高台はぎりぎりの高さで、渕まで津波が押し寄せていた跡が残っている。二人は慌てて謎の青年のもとに駆け寄る。見ると青年は波の勢いで階段に倒れていた。半身はヘドロで汚れ、意識が残っているようには到底思えなかった。



シヲ 「お兄さん!お兄さん!どうしよう…!」



先までは淡く光っていた青年の発光がどんどん弱くなる。ヘドロの汚れから体がどんどん腐敗していくのが嫌でも見て取れた。



シヲ 「えっ!?何・・・?お兄さん‼」



青年は完全に汚れと闇に染まる。すると、青年の体は端からインクとなり彼の何故か全く汚れていない本が開き記入が始まった。

『***年*月*日ノア、体が腐敗して死亡。』それだけを書いて本は閉じ、どこかへ飛んで行ってしまう。



シヲ 「…嘘、でしょ…?死んじゃったの…?」


アイラ 「私も、こう、なるの…?」



シヲはその言葉にハッとしてアイラを見る。アイラはひどく怯えている様子で、目からだんだんと光が無くなっていく。



シヲ 「アイラ、アイラ大丈夫だから。」



シヲは必死にアイラを揺さぶる。しかし、アイラの焦点は定まらない。

その時、街角から真っ黒な人影のようなものがシヲ達を覗いているのが見えた。



人影? 「ヒカリ・・・ヒカリィ…。」


シヲ 「何・・・なんなの…?」



シヲはそれに気味悪がりながらも、アイラを庇うように抱き寄せる。




シヲ 「アイラ、ここなんか変だよ。移ろう、ねぇ!アイラぁ…。」



シヲはアイラの腕を引っ張るがアイラは何の反応も示さない。



人影? 「ヒカリ、ヒカリィィィイ‼」



その言葉を契機に街角という街角から人影があふれ出て、シヲ達に向かってくる。



シヲ 「ひっ!アイラ、アイラぁ‼」



大声で声を掛けるがアイラは脱力したまま動かない。そのままシヲ達は人影のようなものにもみくしゃにされてしまった。それでもシヲは必死にアイラを庇う。



シヲ 「や、やめろ!アイラ?アイラ⁉」



しかし、シヲの奮闘空しくもみくしゃにされてついにアイラから手を放してしまう。シヲが必死に伸ばした手を誰かが掴み引っ張るが、反射的にそれに対してバタバタと暴れる。



シヲ 「やめろ!やめろ‼」



シヲはその”誰か”に引っ張り出されて視界が開けた。そこで人影におもちゃのように乱雑に扱われているアイラが目に映った。彼女は人形のように生気を失い、されるがままになっている。そのまま人影にアイラは乱雑に連れ去られてしまった。



シヲ 「アイラ、アイラー‼」



シヲは決死の思いでアイラの元へ行こうとするが先ほどから見知らぬ青年に掴まれていて動けない。



青年 「おい、死にたいのか!」



青年はそんなシヲを強引に抱き上げる。



シヲ 「やめて!アイラがアイラが‼」


青年 「だまれ!」



青年はシヲに突っかかる人影を蹴り、振りほどくとそのままシヲを抱えて逃げた。しばらく人影に追い回されたが、人影は青年の速さに追いつけないようで、撒ききったところで青年はシヲを放り投げた。



シヲ 「痛っ!」


青年 「ここまで撒けば大丈夫か。」


シヲ 「アイラ・・・!」



シヲは立ち上がり慌てて元の場所に戻ろうとする。



青年 「バカ!せっかく奴らから逃げてきたのに自分から戻ってどうする。」



青年はシヲの首根っこを掴むと、シヲは宙に浮いて足をバタつかせ抵抗する。



シヲ 「だって、アイラが連れていかれちゃった!」


青年 「だからって闇雲に突っ込むなよ。死にたいのか?」


シヲ 「…。」



シヲの頭には先ほどの光景がフラッシュバックする。アイラと同じ特徴を持った青年、ノアの最期だ。

        そんなシヲの様子を見て青年はため息を吐く。



青年 「誰かが死ぬのを見たのか?」



シヲ、黙ってうなずく。



シヲ 「体が黒くなっていって、ボロボロになって、それで…インクになっちゃった。」


青年 「それが汚染・・・は?インクになった?」


シヲ 「うん、あの、えっと・・・誰だっけ…?あの…!一緒にいたはず…!」



シヲは思い出そうとするが、急に眩暈と頭痛を起こし頭を抱える。




青年 「おい、大丈夫かよ。」



その時、何かの咆哮が響き渡った。



シヲ 「また津波!?」


青年 「いや、これは・・・」



目の前に現れたのは凶暴な深海魚だった。それは大きな口を開け威嚇をしてくる。



シヲ 「うわー‼」



青年は手をかざし水の波動を深海魚に打ち込み、凶暴そうな深海魚を追い払った。



シヲ 「…何今の・・・?」


青年 「ポインズっつって弱いくせに…。」


シヲ 「違う。今のお兄さんの。」


青年 「は?こんなの誰でもできるだろ。」



青年は人差し指を構え、近くの空き箱を指先から出た水鉄砲で破壊して見せた。



青年 「できるだろ?」



シヲは青年と同じように人差し指を構える。しかし出てくるのはちょろちょろとした水やり程度の水だ。



青年 「…誰かがやってるとこを見たことは?」




シヲは首を横に振る。そんな呆けたシヲの様子に青年はまたもやため息を吐いた。



青年 「どこで生きてきたらそんなめでたい頭になるんだよ…。」



青年はシヲの前にしゃがみ、目線を合わせる。



青年 「いいか、お前がどこで育ったかは知らねぇが、ここでは自分を守れないやつは死ぬしかない。ましてや誰かを守るなんてもってのほかだ。強いやつが生き残る。それだけだ。」


シヲ 「そんな!アイラを今すぐ助けないといけないのに。」


青年 「助けるって言ったってお前に何ができるんだよ。そもそも、自分の命を危険にさらしてまですることかね。」


シヲ 「うん、だってアイラは大切な友達だもん。」



青年は何度目かのため息を吐く。



青年 「友達、ねぇ・・・。」



シヲはしばらく考え込むと青年をまじまじと見やる。



青年 「なんだよ…。」


シヲ 「僕に力を貸してくださいっ!」


青年 「俺が?なんでさ。」


シヲ 「だってお兄さん強いでしょ?僕じゃアイラを助けることはできないかもしれないけど、強いお兄さんと一緒ならできると思うんだ。」


青年 「お前な。そういう大切なことをこれからも人に任せていく気か?」


シヲ 「ううん。僕は僕にできることをやる。だから、お兄さんも僕にできることがあったら何でも言って!」



青年はシヲに対し煩わしそうに視線をやる。だがその反面、どこか眩しそうに目を細めて見る。



青年 「ふん、ガキのお前に何ができんだよ。」



青年はそんな思いを誤魔化すようにシヲの頭をわしゃわしゃとなでる。



青年 「しゃーねぇな。俺も暇だし。お前のその向こう見ずな勇気に免じて、今回だけは手を貸してやる。ただし、ただでっていうのもフェアじゃない。」



青年は撫でていた手をそのまま頬へ移し、シヲのほっぺたをつねる。



青年 「お前の**を俺に分けてくれ。」



青年は自分の体に輝きがないことを空虚な目で見つめ、シヲの輝きと見比べた。



シヲ 「えっ?」


青年 「今にわかるさ。」



青年はシヲの頬を強く引っ張った。



シヲ 「いたたたた…」


青年 「ついて来い。ここじゃ危険だ。」



青年が歩き出す。慌ててシヲは後ろをついて行く。



シヲ 「んぇ、アイラすぐ死んじゃったりしない?」


青年 「さぁな。でも、あいつらに連れていかれたのならすぐに死にはしないだろ。あいつらはねちっこいが弱い。生き物を殺す力なんてないさ。」


シヲ 「あの、人影みたいなのは何なんの?」


青年 「…元、人だった何か。ただの臆病者だ。自分とは違うものがうらやましくて、そして怖い。醜いやつだ。…自分じゃ何も変われない。最終的には自分を捨てたやつの末路。」


シヲ 「…アイラどこに連れていかれちゃったんだろう…。」


青年 「多分あそこだ。」



青年はシヲの町で言う、王宮の位置にある巨大監獄を指差した。



青年 「やつらのアジトみたいなもんだ。奴らに攫われた人たちはみんなあそこにぶち込まれる。」


シヲ 「…。」


青年 「なんだ、ビビったのか?」


シヲ 「ううん。アイラを助けるって決めたから。」


青年 「ふーん。」



しばらくの間二人は黙って歩いた。その途中高架下で人影がのろのろと汚染から逃げているのが見えた。だが、やがて汚染に飲み込まれズブズブに腐敗していく。



シヲ 「汚染ってなんなの?」


青年 「見りゃわかんだろ。ヘドロみたいな触ると体が腐っていって死ぬやつ。」


シヲ 「それだけ?どうにかできたりしないの?」


青年 「あのなぁ、お前がどんなおめでたい所から来たのか知らないが、ここは神に見放された国だ。守り神がいなくなってから、水は汚れ、人は死に、国は崩壊した。汚染ややつらはそれの産物だ。ここには絶望しかない。それでいいだろ、わかったか。」


シヲ 「…。」



シヲは何か言いたげに口を開くが何も言えず閉ざしてしまう。



青年 「…。」



二人、またしばらく黙って歩く。



シヲ 「お兄さん以外に生きている人を見ないけど。」


青年 「いないだろうな。少し前は見かけはしたがそいつも汚染でやられた。」


シヲ 「家族は・・・?」


青年 「両親と弟が二人いた。けど、汚染で腐ったか、魚に喰われたか、あいつらの仲間入りしたか、だな。」


シヲ 「ひとりぼっち、寂しくない・・・?」


青年 「ははっ、バカにしてんのか。」


シヲ 「ごめんなさい。」


青年 「寂しいなんて気持ちはとっくの昔に忘れたよ。俺が家族を捨てたんだからな。…ガキが一丁前に色々考えんなよ。着いたぞ。」



そこは青年の隠れ家だった。木造の家は腐りつつあり、廃墟に近い。

ふと、シヲはその建物にどこか見覚えがあると感じた。だがその感覚を確かめる前に、古い扉が軋む音とともに中へ誘導された。



シヲ 「おじゃまします。」



家は腐敗が進み、屋根の一部が無くなっている。そして中も様々なものが乱雑に重なり合っており、あまり足の踏み場がない。中にある物からは治安の悪さと年期と大人っぽさを感じられる。



青年 「適当にかけてくれ。おこちゃまが飲めるもんなんてホットミルクぐらいしかねぇな…。」



水生生物はもちろんいない。照らしてくれるものは何もない。次第にじめじめとした暗さに目が慣れることのみを感じながら、青年は能力でミルクをぷかぷかと浮かせ、近くにかけていたカップに入れる。



青年 「ほらよ。」


シヲ 「ありがとうございます。」



シヲはふーふーと冷ましながらミルクを少しずつ飲む。

その間青年は探し物なのか、物の山を探っている。シヲはふと書類に目が留まった。書きかけの古びた楽譜だ。



シヲ 「お兄さん、もしかして曲書いてるの!僕も・・・」


青年 「音楽はもうやめた。」


シヲ 「え、どうして…?」


青年 「俺には才能がなかったんだよ。それだけだ。」


シヲ 「才能とかそういう問題なの…?やりたいかどうか、じゃないの…?」


青年 「人生そんな甘くねーんだよ。音楽はやめた、もうやらない。それでいいんだ。」



シヲ 「でも…。」


青年 「人にお前には才能なんかないって言われた!だから」


シヲ 「っ!お兄さんのことでしょう⁉どうしてお兄さんが決めないの?お兄さんさっき僕に言ったよね?そんな大切なこと人に任せる気かって、お兄さんもお兄さんの大切なこと人に任せてるじゃん!お兄さんのやりたいこと、人に任せてどうするの⁉」


青年 「うるせぇーな‼っんなこと言ったってもう遅ぇんだよ!世界はもう終わった。聞かせたかった人はもうどこにもいない。自分が何やりてぇーのかも、もうわかんなくなっちまったんだよ‼」



青年の勢いにカップが揺れ、一瞬にして荒い青年の息遣いが聞こえるだけの静寂さが空間を占める。カップの中身が少し零れるのと同じように、シヲの瞳からも涙が零れ落ちそうだ。



青年 「…俺の話はもういいだろ。」


シヲ 「…。」


青年 「これだ。」



青年は物の山からボロボロの地図を取り出した。



青年 「昔、看取ったやつが持ってた。監獄周辺と中の地図だ。流石にオトモダチがどこにいるかまでは知らないけどな。」



シヲは地図の端にシヲの国のお守りと同じ模様が描かれているのを見つけた。



シヲ 「この模様って…!お兄さん!ここの国の守神の名前は?」


青年 「あ?…ポセイデントだけど。」


シヲ 「ポセイデントがこの国を出て行っちゃったの?」


青年 「あぁ、そうだ。例年通りの何も変わり映えしない日に、急にな。」


シヲ 「そんな…!ポセイデントは優しい神様だよ?国のみんなを見放したりなんかしない!」


青年 「じゃあ何だよ。ポセイデントが居なくなってこの国は滅んだ。それを見放したとは言わないのか。」


シヲ 「きっと何か理由があるんだよ。そうだ!楽器は…?水の楽器!」


青年 「あるけど、もう何年も誰も触っちゃいない。音が狂って聞けたもんじゃないだろうな。」


シヲ 「僕が治せる。水の楽器に問題があったからポセイデントがおかしくなっちゃったんだ!それを戻せば…!」


青年 「わーったわーった!・・・ったく、ガキは好奇心旺盛だな。それよりも先にオトモダチのことだろ?どうなってもいいのか?」


シヲ 「だめ‼︎」



二人は地図を囲んで話し合う。



その頃アイラは人影に担がれて冷たい場所に下される。アイラは反応も抵抗しない。やがて牢屋の扉を閉め、鍵をかけて人影たちは去って行った。

アイラの手に遺骨が触れる。アイラは遺骨に無のみが映る目をやった。どこに潜んでいたのか、本がアイラに寄り添い、彼女の気持ちを代弁するようにでたらめな筆跡で記載される。


『あの人は骨も残らなかった。あの人のすべてを本が吸収し、そしてその本も消えた。私たちは本のために生き、本に生かされている。使命を全うするためだけの生き物。あの人も…あぁ、あの人って誰だっけ?』


アイラの背もたれには大きななにかがある。ボロボロに破壊されていてもう元が何だったかはわからない。ただ一つわかるのはアイラの体の輝きが段々と微弱になりつつあるという事実だけだった。




一方、シヲと青年は監獄の目の前にいた。入口はシヲの知る王宮のとそれと酷似している。



シヲ 「よし・・・!アイラ待ってて…!」


青年 「ちょ、バカバカバカ!敵陣に真っ向から突っ込むバカがどこにいる。」


シヲ 「だって、入り口ここだし…。」



そのタイミングで人影がやってくる。青年は慌ててシヲを引きずり、物陰へ隠れた。



青年 「入口に連れてきた俺がバカだった。いいか、あそこは敵のアジトだ。俺たちは奴らに捕まったら終わりだ。だから、こう、裏口から入るとか、どっかの窓割るとか、ばれないように侵入しなくちゃいけないわけ。」


シヲ 「裏口・・・。」



シヲは監獄をじっと見、思考を巡らせた。そして間取りの地図と外見が王宮と記憶の中でリンクする。



シヲ 「僕、ここの裏口知っているかも。」





『思い出せない・・・。私もいつかみんなに、シヲに忘れられちゃうのかな…?嫌だ、怖い、寂しい。何かを失って傷つくくらいなら、いっそ初めから何もなかったほうがいい。忘れ去られるのが嫌なのは、誰かに覚えていてほしいと思うことは私のエゴなの…?』


アイラの輝きが暗くなっていく。その進行は止まらない。






シヲは記憶を頼りにずんずんと歩を進める。その迷いがない足取りに戸惑いながらも青年が後をついて行く。青年ノアを追って王宮に入った時と同じ道だがしかし、雰囲気はあの時よりと異なり鬱屈さを感じる。


青年 「おい、待てよ…!」


シヲ 「多分ここの入り口なら…。ほら、入れる!」


青年 「よくこんな所知ってるな…。」


シヲ 「僕もよく覚えているなって思った。」


青年 「なんだそれ。まぁ、いい。これで侵入はできるな。」






『私は一体何なのだろう。何者で何をすればいいのだろう。やりたいことなんてない。なら、使命に従っていればいいの?何も考えずに?それは生きているっていうのだろうか。私は今まで生きていたのだろうか。』


アイラの瞳に輝きが無くなる。それは青年ノアの死に際を思い起こさせた。







アイラ、青年並みに輝きが無くなる。シヲ、青年、監獄内へ。



青年 「ったく、果てしなく広いな…。」


シヲ 「アイラはどこだろう…。」


青年 「うおっと。いきなり止まるんじゃねぇ。」


シヲ 「あそこ。」



シヲが指を差す。そこには三人の人影が檻を開けている。中から新しい人影が加わり四人になった。



青年 「奴らが仲間を作った・・・?檻に閉じ込めて作ってんのか。」


シヲ 「アイラっ!?アイラ‼」


青年 「待て、落ち着けって、ありゃどう見ても体格が違うだろ。」


シヲ 「でも、もしアイラだったらどうしよう。」


青年 「わーった。俺が確認してきてやる。そこで隠れてな。」


シヲ 「うん。」



シヲは曲がり角に身を隠した。青年は人影の方へそろりと向かい、ある程度の距離まで歩くと少し身構えるように人影を睨みつけた。その様子を窺うシヲの近くからはボコボコという水の音が聞こえる。



シヲ 「…?」



シヲがその方向を向くと、ピラニアのようなシヲの体ほどの大きさの魚が五匹ほど牙をむきじりじりとシヲとの距離を詰めてきていた。



シヲ 「あ…あっ…」



まるで青年がこの場にいないかのように見向きもせず通過する人影達。



青年 「やっぱり俺には見向きもしない、か。ん?」



青年が振り返ると人影達はすれ違ったところで何かを見つめ立ち止まっていた。

青年が視線の先に目を配るとそこにはシヲが魚に追い詰められ角から飛び出していたところだった。シヲは後ろを振り返って、恐怖で声がでないのだろうか、青年に助けてと言わんばかりの目をする。しかし、すぐに人影達に見つかってしまったことに気づき顔を青ざめる。



青年 「くそっ!」



青年は一瞬の判断で牢屋の向こうのガラス窓を水で割った。人影は音に反応してそちらを振り返る。青年はその一瞬の隙を突き、人影をすり抜けることに成功した。

それと同時、魚がシヲをめがけて大口を開けて突進してくるのが青年の目に入る。



青年 「屈め‼」



間一髪、青年が間に合い、シヲの頭をグイっと押し屈ませた。突進した魚は二人の頭上を通過する。そのまま人影を捕らえ貪り始めた。



青年 「ここには生命の危機しかねぇのか…。いや、汚染がねぇだけまだましか。」



        シヲは青年の方を振り返って状況を確認しようとしたが、青年がグイっとシヲの首を元の位置に戻した。



青年 「振り向くな。ガキには十年早い。」






『前まで、人のことなんて考えたことなかった。私のことを誰が何と思おうとどうでもよかった。使命のことも。自分がなんでそんなことを背負って生きているのか、疑問を抱いたことはなかった。私はいつから変わったのだろう?心が苦しい。こんな定めだったら、最初から知りたくなんてなかった。忘れられるのが怖いなら、誰にも出会いたくなかった。変わった先に少しでも傷つくことがあるのなら、変わらなくていい、このままでいい。何が起こるかわからない自由な未来より、確実にわかるありきたりなものが欲しい。だって怖いから。自分が傷つくのが怖く怖くて仕方がないから。あぁ、誰か』


アイラの足先からだんだんと黒が滲み始める。その形はあの人影と酷似していた。





アイラ 「助けて・・・。」


シヲ 「アイラ‼」



シヲが飛びつくようにやってきて牢屋を掴む。青年は入り口で見張っているようだ。



シヲ 「アイラ、僕だよ!助けに来たんだ。ねぇ、アイラ答えてよ‼」



それでもアイラは答えない。シヲはアイラが黒に浸食されてきていることに気が付く。まるであの”人影”のように。



シヲ 「アイラっ…!負けちゃだめだよ‼開かない!開け、開けぇ‼」



シヲは一心不乱に扉をこじ開けようとするが鍵がかかっていて開かない。



シヲ 「アイラ、ダメだ!諦めちゃだめだ!自分を見失っちゃだめだ‼くぅっ…!」


青年 「貸せ。」



青年が見かねてやってくる。シヲが扉を譲ると思いっきり蹴り飛ばして枠ごと外した。シヲは中に入りアイラの手を握りしめた。



シヲ 「アイラ・・・!アイラ、僕の声が聞こえる?アイラぁっ!・・・嫌だよ、アイラ、僕、アイラとまだ一緒にいたい。こんなところでお別れなんて嫌だ!・・・言ったよね、アイラが次の国に行っちゃうまでに曲を完成させるって、そしたらアイラ、楽しみって言ってくれたじゃん。約束したじゃん!ねぇ、アイラ‼・・・。」



アイラの浸食は腰まで陥っていた。シヲは助けを求めるように青年を見るが彼は諦めたように苦しい顔をするだけ。

シヲは何かないかと懸命に探した。するとアイラの傍に記載され続けている本が浮いているのが目に入る。そして、その奥に壊れた楽器の鍵盤のようなものを見つけた。

シヲはゆっくりと立ち上がり鍵盤に触れる。音は鳴るが壊れているようで、音が悪かったり音律が狂っていたりする。シヲは深呼吸をすると、立ったまま曲を弾き始める。それは、アイラが前に歌ってくれた曲。たった一回聞いただけだ。加えて楽器が完全でないこともあり、アイラが歌ってくれた曲とまったく同じにはならない。どちらかというとかなり不格好だ。しかしそれでも、シヲの一生懸命さが伝わる、そんな音色だった。



シヲ 「アイラ、アイラが歌ってくれた曲だよ。アイラのお母さんの曲。覚えているでしょ?音楽は思い出と一緒にあるんだよ。この曲がある限り、僕も絶対、アイラのこと忘れない。アイラが僕に歌ってくれたこと、絶対に忘れない。…ねぇ、アイラのやりたいことは何?好きなことは何?自分探しも大切だけど、今のアイラには変わりはないんだから、好きなことしなよ。やらなくちゃいけないことよりもやりたいことやってキラキラしてるアイラが見たいな。アイラがどんなものを好きになって変わっていくのか、僕は楽しみなんだ。だから大丈夫、変わることを恐れないで。変わることはまた一歩素敵な自分になるだけだから。…ねぇ、アイラ、歌って‼」



シヲの心からの熱い言葉に比例するように体の輝きがだんだんと強くなる。それはやがて楽器も包み込み、次第に大きな光へと変貌を遂げる。青年は眩しそうに目を細めその光景を見ていた。


やがて、光の粒子がアイラに触れ、ところどころ黒の浸食が治まり始めた。すると微かな歌声が聞こえた。アイラだ。

徐々に浸食は引いてゆき、アイラの目に光が戻った頃にはシヲと二人で楽しそうに歌っていた。


光は部屋全体を包み込み、その光に触れた部分は明るさと色を取り戻していった。



アイラ 「シヲ、ありがとう。」


シヲ 「アイラ・・・本当に良かった。」



二人のやり取りに青年は頬が緩む。しかし、何かの気配に気が付く。



青年 「悠長にしている時間はないようだ。奴らがヒカリにつられてやってくる。逃げるぞ‼」



シヲとアイラは手を繋ぎ、三人で監獄から逃げ出す。三人を追いかけるように大量が迫っていた。



青年 「この数、撒けるか…⁉」


魚 「ぐわぁぁあああああ‼」



上空で見たこともないほどの巨大な胴長魚が咆哮する。



青年 「ナイスタイミング。」



青年、にやりと笑うと、シヲとアイラを両脇に抱え、崖から飛び降りる。



シヲ 「うわー‼」



その瞬間巨大魚が地面の底から喰らいつくす。当然そこにいた人影たちは飲み込まれ消えた。



青年 「ははっ!ざまぁみろ‼」


シヲ 「そんなことより前!前!」



ここから見るに着地点は沼。しかしその沼は唯一、一部分が汚染されていないことがわかる。

沼の水面が盛り上がり、三人の受け皿になる。青年はそこに着地した。すると、沼はゆっくりと下がりシヲ達を安全な地面に下してくれる。



青年 「ざっとこんなもんだ。」



抱えていたシヲ達を下す。



シヲ 「すごい…。」


青年 「で、水の楽器だっけ?そこだよ。」



青年は顎で指す。その方向にあったのは教会と思われるボロボロの建物だった。

中に入ると、全体的に脆く、ボロボロだったが、水の楽器だけは周りと不釣り合いに原形を保っている。むしろ、周りと比べると唯一管理されたようにその姿を保っているように見えた。

建物には屋根がない。外のかすかな明かりだけが唯一の光源だった。アイラはせわしなく何かを探していたようだったが、目的のものを見つけたのか声を上げる。



アイラ 「ねぇ、あれ。」



アイラは教会の無事だった壁面にあるタペストリーを指差した。そのタペストリーには豊かな町と演奏されている水の楽器とその上空を楽しそうに泳ぐポセイデントの姿が描写されている。



シヲ 「これは、僕たちが王宮で見たのと違うね。なんだろう。水の楽器を弾いて・・・ポセイデントが元気になってる…?」


青年 「そんなの嘘っぱちだ。毎年水の楽器は弾かれていた。それでもポセイデントは出ていったんだよ。」


シヲ 「それって同じ曲・・・?」


青年 「あぁ。」


シヲ 「それだよ!ポセイデントは楽しいことが大好きな神様だ。見て、違う音符がいっぱい書いてある。同じ曲を弾き続けるのはダメなんだよ。ポセイデントは出ていったんじゃない、力が弱まっちゃったんだ。新しい曲を弾こう!それで、もう一度ポセイデントの力を呼び覚ますんだ‼」



シヲは水の楽器の異変個所を見て回る。



シヲ 「うん、これなら、ねじを回すだけだからすぐできるよ。」



シヲはすぐさま修理に取り掛かった。と同時にアイラの本も飛び出し記録が始まる。



青年 「なんだ、それ?」


アイラ 「よくわからない。」


青年 「はぁ。何はともあれ、あんたがあのガキのオトモダチだろ?無事でよかったよ。あそこから無事で帰ってきたやつを初めてみた。」


アイラ 「あのガキじゃない。シヲ。」


青年 「…あぁ、そうか。シヲ、ね。・・・。」



シヲが一息吐く。修理が終わったようだ。



シヲ 「直ったよ。」


青年 「なぁ、本当にやるのか?」


シヲ 「うん。」


青年 「何も変わんないと思うけどな。」


シヲ、アイラ 「「やってみなくちゃわからない(よ)。」


シヲ 「弾いていい・・・?」


青年 「やってみなくちゃわからない、か。」



途端、わずかに青年の体が光を取り戻し始めた。



青年 「いいや。俺に弾かせてくれ。」


シヲ 「お兄さんが弾いてくれるの?」


青年 「あぁ。弾きたい曲があるんだ。」


シヲ 「…っ!うん!」



青年は椅子に座り深呼吸をして曲を弾き始めた。少しテンポが速く、打数の多い曲で、何かを熱く訴えるような、峻烈さを感じる、そんな曲だった。


青年が弾き始めると瞬く間にそこから光が広がった。光は国中を包み彩を取り戻していく。汚染は浄化され、人影も治り、枯れた草木が息を吹き返した。そして空が虹色に輝き、彼の神ポセイデントが現れた。



シヲ 「ポセイデントだ・・・!」



シヲ達の体が輝く。ポセイデントが大きなシャボン玉のようなものを生み出す。シヲたちがこの世界に訪れた時に包まれていたものと同じようなシャボン玉である。そのため自然とその中に入るべきだと思えた。



シヲ 「お兄さん!僕たち帰んなきゃ!」


青年 「あぁ、そうか。そりゃよかったな!」


シヲ 「僕、お兄さんに何もお礼してない!」


青年 「いいや、一番欲しいものをもらったよ。それに、水の楽器治してくれてありがとうな。お前のおかげでまだまだ捨てたもんじゃないって思えた。」


シヲ 「うん…!お兄さん本当にありがとう‼頑張ってね!」


シャボン玉が浮き、二人は空へ浮き上がる。その傍ら、ポセイデントが嬉しそうに飛んでいる。その温かい目には二人への感謝の念が浮かんでいた。



「頑張れ、か。お前こそ頑張れよ、シヲ。」



青年の曲の旋律を歌うように、様々な水生生物が上っていく。

そして、教会裏の沼まで上がってくるとシャボン玉が割れる。シャボンが触れた部分の黒は浄化されていった。



シヲ 「戻ってきたの…。」



二人が当たりを見渡すと水生生物が明るく照らしていた。全てを包むように月が出ている夜だった。



シヲ 「夜だ!早く帰らないと。」



二人は走って家に走った。見えてきた家の玄関が明るい。そこには扉を開けてシヲのお母さんが待っていた。



シヲのお母さん 「もう、二人ともこんな暗くなるまでどこに行っていたの!夜が来たら帰りなさいって言ったでしょ?」


シヲ 「ママ、ママぁ‼」



シヲは緊張の糸がほどけ涙が止まらない。飛びつくようにシヲのお母さんに抱きつく。



シヲのお母さん 「あら、どうしたの?」


シヲ 「ママ、ママ、ママぁ…。」



シヲのお母さんは突然泣き出した息子を不思議に思いながらも、優しく頭をなでる。その傍らに立ち尽くすアイラは、どこか羽詰まった顔をしている。それに気づいたシヲのお母さんは、シヲを抱いているもう片腕を広げ、アイラに向ける。アイラは一瞬戸惑ったが恐る恐る腕に収まり、やがてぽろぽろと泣き出し、年相応にシヲと共に号泣した。



シヲのお母さん 「もう、本当に心配したのよ。無事に帰ってきてくれてよかった。おかえりなさい。大変だったのね。もう大丈夫。」



全ての感情を吐き出すようにそのまま泣き続ける二人。


安心したのか、そのまま寝てしまったあどけない二人を愛しそうに抱きしめるシヲのお母さん。そんな”家族”の光景を月は穏やかに照らしていた。







シヲのお父さん 「建国祭は例年通り、この予定で行い、水の楽器の国家も例年通りの時間で弾くつもりです。ただ、例年と違うのは、教会の方の水の楽器は先代の高齢化と後継の未熟さゆえ、楽器は治りはしましたが、今回は見送らせていただきたいと思います。」


ラッシュ王子 「そうか。今年も例年通り、か。」


シヲのお父さん 「はい。殿下?」



ドタバタとこの場に似つかわしくない足音が聞こえる。ノック無しに扉が勢いよく開いた。そこにはシヲとアイラがいた。その勢いままに手を繋いで駆けて来る。



シヲ 「ラッシュ!聞いてよ!汚染を解決する方法を見つけたんだ!!」


アイラ 「シヲ、部屋に入るときはノックをした方がいい。」


シヲ 「あ!忘れてた!!」



シヲが開いたドアを今更ノックする。



シヲ 「…って、父さん?」


シヲのお父さん 「シヲ…、なぜここにいる?」



シヲのお父さんは眉間にしわを寄せ息子を見る。



ラッシュ王子 「そうか!そなたがシヲのお父上なのだな。ということは、シヲは水の楽器の一族なのか!」


シヲ 「そうだよ。」


シヲのお父さん 「シヲ、どういうことだ。」


ラッシュ王子 「シヲとアイラは私のお友達だ。この間一緒に遊んでくれてな。」


シヲのお父さん 「殿下と遊んだ…?」



シヲのお父さんはシヲを鋭い目で睨みつける。その視線にシヲが竦むと、アイラが庇ってシヲのお父さんを睨に返した。



ラッシュ 「それで、シヲ。汚染を解決する方法とは?」


シヲ 「そうだ。聞いてよ、水の楽器はポセイデントの力を強くする役割だったんだ!ポセイデントを鎮めるためじゃない。ポセイデントは楽しいことが大好きな神様だから、みんなが楽しめば楽しむ程、力が強くなるんだ。反対に同じ曲をずっと弾いてみんなが飽きてきちゃうとポセイデントの力が弱くなる。このまま国歌を弾き続けてみんなが退屈しちゃうとポセイデントは力を保てなくなって、いなくなっちゃうんだ。」


ラッシュ王子 「なるほど、つまり毎年新しい曲を弾き、みんなを楽しませることができれば…。」


シヲ 「うん、ポセイデントは強い力のまま、汚染は防げるよ。」


ラッシュ王子 「なるほどな。」


シヲのお父さん 「殿下、そんなのは子供の戯言です。そんなのに付き合ってリスクを背負うのは危険すぎます。」


ラッシュ王子 「リスクだと?」


シヲのお父さん 「はい。新しい曲が確実に皆を楽しませられるとは限りません。その理屈があっていたとしても、新しい曲が皆を退屈させればかえって力が弱まり、国が滅びかねません。」


ラッシュ王子 「ふむ…。やはり、そなたはこの国を大切に思ってくれてるのだな?」


シヲのお父さん 「…。」


ラッシュ王子 「この国が大切だから、危ない目には合わせたくないのだろう。少しでもその危険があるのなら、止める選択肢をとるのだろう。前々からそなたのその堅実な働きぶりには感心していた。是非、直接私の下で力を貸して欲しい、とな。…しかし、現状維持では問題は何も解決しない。私は友を信じる。信じられる仲間を見つけた私を信じる。」


シヲ 「ラッシュ…!」


ラッシュ王子 「あぁ。水の楽器で新しい曲を弾こう。」



シヲとアイラは顔を見合わせた。お互いの顔には喜色が浮かび、シヲは今にも飛び跳ねて喜びそうだ。



ラッシュ王子 「と、すると、問題はその曲だな…。今すぐ作れるものでもないし、人を手配するのも大変だ。やはり、来年以降に見送らねば…。」


シヲ 「その仕事、僕にやらせて!」


ラッシュ王子 「シヲが?」


シヲ 「僕ならできる!僕は水の楽器の一族だ。水の楽器のことはよくわかる。みんなを楽しませられる新しい曲、絶対建国祭の最終日には間に合わせるから…!」


シヲのお父さん 「子供が口を挟んでいい問題じゃないんだぞ。」


アイラ 「シヲなら、できると思う。」


ラッシュ王子 「…シヲに任せよう。」


シヲのお父さん 「王子⁉」


ラッシュ王子 「そなたの大事な息子だろう?後継を育てるには大きな仕事を任せるのも大切なことだ。」


アイラ 「よかったね、シヲ。」


シヲ 「うん…‼︎」


ラッシュ王子 「なら、急いだ方がよかろう。時間がないのだからな。」


シヲ 「うん!行こうアイラ!」



二人は待ちきれないとばかりに部屋から走り出て行く。



ラッシュ王子 「立派な息子じゃないか。そなたは心配しすぎなのだよ。」


シヲのお父さん 「それはまだお若い殿下のお言葉じゃありません。」


ラッシュ王子 「はは、そうか?」



シヲのお父さんは諦めたように苦笑を浮かべる。その瞳には成長した息子に対する寂しさと温かさを孕んでいた。






二人は笑顔で家まで駆けてゆく。その道中、建国祭の露店でアイラはシヲが買ってくれたお守りの露店を見つけた。その大切な記憶に一瞬足を止めるがすぐに駆け出した。



シヲ 「じゃあ、僕曲を書かなくちゃ!」


アイラ 「頑張れ。」



シヲは家を通過し、秘密基地へ走った。家の前に残ったアイラは鞄から本を取り出し、裏の世界での出来事を綴ったページを見て、ゆっくりと閉じる。そのまま中に足を踏み入れた。



アイラ 「シヲのママ。」



家事中のシヲのお母さんは、アイラに初めて名前を呼ばれたことに一瞬固まるが、すぐに満面の笑みを湛え嬉しそうにアイラを迎える。



シヲのお母さん 「なあに、アイラちゃん。」


アイラ 「お願いがあるの。」







そこか二人はお互いのやりたいことのために奔走した。シヲの楽譜が一ページ増え、アイラの本が一ページ増え、カレンダーが一枚めくれ

、日々はせわしなく過ぎていった。

そうして二人はお互いの時間を過ごし、ついに建国記念日がやってきたのである。







建国祭当日。


シヲの家の前にはシヲのお父さん、お母さん、おじいちゃん、ナオ、リオ、シヲがお見送りに立っていた。



シヲのお母さん 「本当に家の前でいいの?船着き場まで一緒に行かなくて大丈夫?」



アイラはしっかりと頷く。その目は出会った頃とは比べ物にならないほど色を湛えていた。



アイラ 「シヲの演奏が間に合わなくなっちゃう。シヲ、曲は?」


シヲ 「ばっちし!僕たちの最高の曲だよ。絶対アイラまで届けるから楽しみにしてて。」



アイラは微笑みながら頷いた。



アイラ 「…シヲ、これ。」



アイラは鞄からお守りを取り出した。そのお守りはこの国のお守りをベースにアイラがオリジナルで作ったものだ。よく見ると、アイラも似たようなものをすでにアイラの旅バッグに着けている。それは二つで一つの作品になるアイラが作った世界でたった一つの物だということを示していた。



シヲ 「これって…。」


アイラ 「シヲのママに教わって作ったの。」


シヲのお母さん 「ママが教えたのは基礎だけよ。デザインから全部アイラちゃんが頑張ったの。」


シヲ 「すごい…!うまいじゃん‼」


アイラ 「これでまた会うとき、シヲを見つけられる。」


シヲ 「うん…!大切にするね!」


シヲのおじいちゃん 「次はどこに行くんじゃ。」


アイラ 「私はやっぱり、私のこと、私の種族のことが知りたい。だから、故郷に帰ろうかと。どこにあるかわかんないけど。だから、故郷を探す旅になります。」


シヲのお母さん 「アイラちゃんならきっと見つけられるわ。」


シヲのおじいちゃん 「寂しくなったらいつでもここに帰ってきなさい。」



シヲのお母さんは極まりが悪そうに立つシヲのお父さんを小突く。シヲのお父さんは咳払いして言葉を掛ける。



シヲのお父さん 「三人も子供がいるんだ。四人になってもそう変わらん。」


シヲのお母さん 「あら、パパったら。」



アイラは微笑む。船の到着を知らせる汽笛が鳴り響く。



アイラ 「…ナオ、リオ。今度会ったらたくさん話そうね。」


ナオ 「うん!俺、ねーちゃんの話もっと聞きたい!」


リオ 「きゃっきゃっ。」


アイラ 「シヲのおじいちゃん、面白い話を聞かせてくれてありがとう。」


シヲのおじいちゃん 「ふぉ、ふぉ、千夜一夜とまではいかなかったがのう!」


アイラ 「シヲのママ、いろんなことたくさん教えてくれてありがとう。ご飯おいしかった。」


シヲのお母さん 「本当に、いつでも帰ってきてくれていいのよ。」


アイラ 「シヲのパパ。」



シヲのお父さんはパパという言葉に目を見開いた。



アイラ 「シヲともう喧嘩しないでね。」


シヲのお父さん 「…あぁ、また来た時に確認してくれ。」


アイラ 「シヲを傷つけたら許さない。」


シヲのお父さん 「…。」



シヲのお父さんは苦笑を浮かべるしかないが、二人の空気感は随分と穏やかなものだ。



アイラ 「シヲ。」


シヲ 「うん。」


アイラ 「私のことがわかったら絶対この国に帰ってくるから。それまでの曲全部聞きたい。」


シヲ 「うん…!それで、また僕たちの曲をたくさん作ろう!」



二人、お守りをかざしあう。



シヲのおじいちゃん 「シヲ、そろそろ教会に行かねば。」


シヲのお母さん 「アイラちゃんももう行ったほうがいいわ。」


シヲ 「アイラ、またね。」



アイラは微笑みを浮かべ力強く頷いた。


二人はお互いの道へ歩み始めた。





シヲは椅子に座り深呼吸をする。水の楽器に触れ、自ら作り上げた新曲を奏で始めた。その音律は飛空艇へと向かい街を歩いているアイラの耳にも届く。


アイラは少し立ち止まり教会の方へ振り向くと、微笑んでまた歩き始める。鞄にはお守りの片割れ。そうして、シヲの曲をバックに、アイラは行きとは反対方向の船の手続きをして乗り込んだ。徐々に国から遠ざかる景色を船から眺め、シヲの曲に耳を傾けるのだった。






終わり

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

水の都の作曲家 なわ @kokesyan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ