第16話 朝の職員会議を長引かせた人。


 バッグを肩に下げて、靴箱で靴を履き替える。

 やや薄暗い昇降口を出て、夕日が眩しい校庭の中を歩き始めた。


 もう放課後だ。


 なんだかんだで、今日はあっという間だった気がする。


 もちろん、朝は色々あった。特に通学路でとか、そのせいで職員会議が長引いたりとか、あと、やっぱり一年ぶりに登校する高校は怖かったけど、物置に引きこもっていた時と比べると、時間が経つのがあっという間な気がした。


 なんというか、生きている実感が沸いたというか、やるべきことをできたというか。


 こうやって人は社会の歯車になっていくのだろう。

 それが正しいことかもしれないし、間違っていることかもしれない。


 人は社会の歯車になるために生きているわけではない。

 では……一体何のために生きているのだろうか。


 そんなことも、空に広がる夕日を見れば、なんでもないことのように思えた。


 今日はいい天気だ。

 夕日がしみじみと肌に染み込んでいくかのようだ。


 そんな面持ちで、俺は校庭を歩き、校門を潜った。


「おう、また明日!」


「ど、どうも……」


 校門のところに立っていた先生に、頭を下げて挨拶をする。なんというか、ものすごく下校途中っぽい出来事だ。

 竹刀を持っている体育教師。ジャージを着ている女性の先生だ。俺はそんな先生に見送られて、校門を出た。


「ああ……」


 そうすると、そこはかとなく感じる開放感。

 どうしてだろう……。ただ校門を潜っただけなのに、自由になった気がする。


 あとは、家に帰るだけだ。

 家に帰ったら、まず、詩織に会いにいくつもりだ。詩織が登校するのは来月からで、「もおくん、学校が終わったらうちに来てよ。色々話聞きたい!」と言ってくれていたから、バッグを家に置いたらすぐにいくつもりだ。


「?」


 ……そう思いながら歩いている時だった。


「「きゃぁぁぁあああー!」」


「!」


 ……俺の体は強張った。

 なぜなら、女子高生が走りながら、やってきたからだ。


 思い出すのは……今朝の出来事。

 俺を見て、叫びながら逃げ出して、まるでゴキブリが出た時のような騒ぎになる女子生徒たち。


 あれは、もう、嫌だ……。


 しかし、どうも様子がおかしい。

 近くの道から走ってきたのは同じ高校の生徒のようで、その生徒たちは叫びながら俺の顔を見ると、ささっと俺の後ろに隠れ始めたのだ。


「「あの、先輩! 助けてください!」」


「!」


 朝とは逆だ。

 俺から逃げるのではなく、俺に助けを求める女子生徒二人。

 俺のことを先輩と呼んでくれて、泣きそうな上目遣いで頼ってくれている。


 どうやら彼女たちは、二年生らしい。

 ネクタイの色が青だ。青は二年生の色だ。


 それで、何かが発生しているとのことで、


「あの、先輩! あっちに怪しい人がいたんです!」


「マスクをして、帽子をかぶって、息を荒げて、不審でした……!」


 ……それは本物の不審者じゃないか!?


 とりあえず俺は、焦っている彼女たちを落ち着かせるために、まずは自分が落ち着くことにした。


「……君たちは大丈夫だったかな?」


「「はい!」」


「どこも怪我はしたりとか、変なことはされなかったかな……?」


「それは大丈夫です。目が合った瞬間、急いで逃げてきましたから!」


「でも、変な人と目が合ったせいで、目が少し悪くなってしまったかもしれません……。だから、あの、先輩っ。先輩で、目の保養をしていいですか!?」


「お、俺!?」


「あ、私も! 私も、先輩を見て、目の保養をしたいです!」


 うるうるとした瞳で、俺の顔を見る彼女たち。


「お、俺でよければ……」


「「ありがとうございます」」


 しかし、果たして俺なんかを見て目の保養になるのだろうか……。

 彼女たちは、まじまじと俺のことを見ていた。その頬が赤く染まり、ぽっと色づいていた。


 でも、涙目だ……。瞳が揺れている。

 それはそうだろう。怖い思いをしたようなのだから。

 こういう時……何か気の利いたことを言えればいいけど……なんて言おう。どういえば、いいんだろう……。


 そう思っていると、彼女たちがモジモジしながら、話しかけてくれた。


「あの、先輩。先輩って……今日、噂になってた先輩ですよね?」


「……噂?」


「はい。一年ぶりに高校に復学した、三年の隠川先輩ですよね。この学校に来てなかった一年間、海外留学してたって聞きました」


「か、海外留学……」


 どこから、そんな情報が漏れたのだろう……。


 しかし、隠川というのは俺のことだ。

 一年ぶりに学校に来たというのも合っている。


 ……しかし、海外留学はしていない。この一年間、ずっと物置の中で過ごしていた。

 どうしよう……。噂に尾鰭がついている……。これは、まずいかもしれない……。全然違う……。


「それで、あの……隠川先輩……抱きしめてもらってもいいですか?」


「え、いや……それは」


「お願いします……。怯えが止まるまでの間、少しでいいんです! 先輩っ」


「先輩っ。先輩っ」


 ……先輩。


 俺は今まで誰かに先輩と呼ばれたことはなかった。

 だから、その言葉の響きが無性にくすぐったく感じられた。


 それでも、だ。


「……いけない。もっと自分を大事にしないとダメだと思う」


「「先輩っ、ありがとうございますっ!」」


 断ったのに、彼女たちは満足そうだった。

 赤い頬で、顔には笑みが浮かんでいる。

 そして俺の服をぎゅっと握りながら、照れたように笑っていた。


「それで、先輩、さっき私たちが言ってた不審者なんですけど、私、心当たりがあります!」


「実は私も! きっと、今朝、職員会議を遅らせる原因になった、朝の通学路に現れた不届き者だと思うんです!」


「……え”!」


 ……俺は、焦った。


 なぜなら、それは……朝の職員会議が遅れる原因になった人物というのは、俺のことなのだから……。

 その俺はここにいる。

 だから、彼女たちは、多分、思い違いをしている。


「……もう、こうなったら、やるしかありません。先輩、私たちで対処しましょう」


「大丈夫です。こっちには先輩がついてるんですから」


「あっ、ちょっ、こらっ……」


 俺はそんな彼女たちに手を握られて、夕方の下校道を走り出した。


 久しぶりの学校への登校だったけど……。

 ……最後に、まだ何か起こるみたいだった。


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