第一部・その4

 馬潟高校の校舎はコの字型で、ミユの教室のある片方の端からもう片方の端まで行くと、ACRコマンドの詰所だというのは、転校前にもらった資料にもあった。

 校舎の両端には、大きめの建物がそれぞれ隣接している。

「あっちは体育館ですよね……こっちは何ですか?」

「プール棟だよ。温水プールになっていて、一年中プールの授業がある。ACR任務の後でシャワーも浴びれるよ」

 驚いたのか感心したのか、ミユはポカンと口を開けて目を丸くしていた。

「プール棟の地下が射撃場。25メートルしかないけど、協会正式認定で、実質うちらの専用レンジになってる」

 そして校舎とプール棟の間。ミユが前にいた学校と同じく、校舎の端にそれはある。

 関係者以外立入禁止。ドアの手前数メートルから線が引かれている。

 前の学校では、空いた教室を使っていたが、ここでは専用の部屋や入口が突き当たりにあった。

 ドア近くのパネルにナオが手を当てる。

「一瞬で掌紋を読み取るのに強い光を当てるから、見ないようにね」

 えっ、と思う間もなくミユの視界の端で強い光が瞬いた。

 反射的に光の方を見てしまう……ナオはもう、パネルから手を離していた。

「見ないようにねって。マークスマンは目が命でしょ」

 ミユがパネルを見つめる。視界の端で何かが動く……ナオが指でちょうちょを作りヒラヒラさせていた。

 それを見ながらパネルに置いた手のひらに熱を感じる。

 掌紋認証は前の学校にもあったが、それより格段に早い。ミユがパネルに目をやると、もう読み取りは終わっていた。

 ちょうちょがヒラヒラと、詰所のドアにはばたいていった。


 本来ANTAMに求められるのは、自身の防衛と避難誘導、避難所の確保であり、不死兵の出現したその場にいるものが、その任にあたる。

 しかしANTAMの資格を持った協会員が、どこにも同じようにいるわけではない。

 人手が足りない時……常にそうだが……不死兵の出現したエリアの外から、不死兵との戦闘を含めた活動を行う者がエントリーする。

 協会からの要請に基づき、不死兵との交戦という危険な任務を請け負うANTAM。それが、ACRコマンドである。


 ACRコマンド控室は教室の半分くらいの広さで、サイズも内装も前の学校とそう変わりはなかった。

 部屋の中央には長机がいくつか。壁沿いにソファや冷蔵庫、私物の置かれた棚、流しとコンロ。それにテレビ。

 ACRコマンドが授業を終えてから、自衛隊の夜間パトロール部隊が行動を開始するまでの間、待機する場所。

 前の学校と同じような間取り、内装。しかし、違うところもある。

 目立った違いは、棚が前の学校よりも丈夫なものになっていて、電子レンジが複数ある。それも、安いものではないようだ。

 冷蔵庫も、ミユの実家にあるものよりも大きかった……買ってきた飲み物を入れるにしては大きすぎる。

「リーダー、連れてきたよ……転校生の六郷さん」

 教壇近くの長机に集まっていた生徒は五人……男子が二人と女子が三人。

 その中の、眼鏡をかけた男子生徒が立ち上がった。

 近くにいるナオよりも背が高い。細身だが、体つきはしっかりしている。

 青のネクタイは三年生。パークバッジのクラス表示は08。

 クラス100を超えているとそのように表示されるとはミユも聞いた事はあったが、見るのは初めてであった。

「ご苦労。……六郷ミユさん、よろしく。俺が馬潟高校ACRコマンド、プラムL小隊の隊長を務めている、新田ケンジロウだ」

 その隣で少し遅れて立ち上がった女子は、少し小柄に見えた。たぶんミユより少し高いくらいの身長だ。

 背の割に体が大きい。太っていると言うほどではないが、制服やタイツは窮屈そうだ。

 青いリボン。三年生。クラス32。

「はじめまして、六郷さん。わたしは久が原サチ。プラムL小隊では擲弾手をしているわ」

 サチは机の上にあるバスケットを手に取ると、ミユたちの方に歩いてきた。

「コロッケ食べる?」

 返事をする間もなくミユの前に差し出されたのは、大人の握り拳くらいの大きさはある巨大なコロッケだった。

「え……いいんですか?こんな大きな……結構高いんじゃないですか」

「いいのよ。明日着任って聞いてたから、歓迎にハンバーグでも作ろうと思ってね。ソースを作った出涸らしのお肉で作ったのよ」

 ハンバーグはわかる。ソースを作る?出涸らしの肉って?それでコロッケ?この量?

 ミユが困惑していると、ナオがミユのコロッケを手に取って、どこからか取り出したナイフで半分に切断した。

「一個でお腹いっぱいになっちゃうよね……さっちゃん半分もらうよ」

 コロッケの断面から立ち上る湯気からは、ソースもかけていないのに甘辛い香りが漂っていた。

「さっちゃんの味付け濃いめだからね。ソースなしでもいけるよ」

 そう言うとナオがコロッケにかぶりつく。揚げたての衣が気持ちのいい音を立て、頬張る口元が嬉しそうに緩んだ。

 つられてミユもコロッケを口に運ぶ。

 さっきから漂っていた香りが噛む前から口の中に広がり、それに衣の香ばしい香りが加わる。

 さくっ。衣の感触は軽やかで、油や湿気でふやけた感じがしない。

 中のじゃがいもは滑らかに仕上げられつつも、あえて形を残した所が歯応えに変化を加え、含まれた肉のうま味が広がっていく。

 自然と喉を通り、胃に落ちていく。名残を惜しむ舌の上を、味をまとった衣が踊り、サクサクと砕け、香ばしい香りを残した。

「気に入って……くれた、みたいね。よかった」

 気がつくとナオもミユの顔を覗き込んでニヤニヤしていた。

「いい顔できるじゃん。ちょっとホッとしたよ」

 どんな顔の事かミユにはわからなかった。不死兵に母親を殺された話しかしていないような気がして、暗い子と思われていたのだろうか。

 まだ席に座っている学生たちがミユを見ていた。男子が一人に、女子が二人。リボンやネクタイの色は緑。一年生。

 女子の一人が男子の脇腹を軽く小突いて、同時に立ち上がる。少し遅れてもう一人の女子が、ゆっくり立ち上がった。

「よろしくお願いします六郷先輩!俺は一年の、雪谷アツシです!」

 続いて隣の女子。

「一年B組の、鵜木ユウキです。私たちも先日研修を終えて、ACRコマンド候補生として着任しました!お噂はうかがっております。よろしくお願いします!」

 もう一人の女子がペコリと頭を下げる。

「一年C組、大鳥居ジュリ。スナイパー志望。以下同文」

 先の二人の元気のいい挨拶に面食らっていたミユは、ほっと胸をなで下ろした。

 その様子を見ながら、ケンジロウはコロッケの最後の一片を口に押し込み飲み込んでから口を開いた。

「午後からこの子たちを含めた、講習の終了したANTAMのオリエンテーションがある。よかったら六郷も参加してほしい」

 ケンジロウは手を拭くとタブレット端末を手に取った。

「食事が終わったら武器庫に来てくれ。使用する銃を決めてもらう……前の銃は返納したんだな」

「学校の銃ですから」

 言いながらミユの右手の親指が少し動いた。

 前の銃。米軍払い下げのM16A2ライフル。命中精度のいい個体にスコープを装着した、マークスマン仕様。

 威力はあまり大きくないが、三点射で頭を撃てば、一分くらいは不死兵を行動不能にできる。軽くて反動も小さい。


 今までの交戦距離と比べてかなり近くで撃っているせいか、スコープの中の不死兵の顔はやけに大きく見えた。

 三点射の反動でもスコープからはみ出さず、少し疲れ気味に周囲を見回した表情のまま、血煙を飛び散らせ、崩れ落ちた。

 スコープの外、視界の端にいる次の不死兵に意識を向ける。銃声を聞いて反射的に身をすくめ、周囲を見回している。

 反動を受けた体がしなり、銃を向けながらそれを戻す。視界の中央、スコープの中。十字線が頭をとらえる。

 指の力を緩めると、引き金がリセットされるカチッという感触が伝わる。

 集めた捕虜を運んでいる不死兵は六人。不死兵の支配地域で、おそらくネストも近い。

 自衛隊の陣地を回り込んで来たのだろう。少し安堵していたようにミユには見えた。

 スコープの中の二人目の不死兵は、驚愕から警戒に、顔色が移り変わりつつあった。

 照準の修正はいらない。ぴったりと眉間に十字線を重ねつつも、周囲の不死兵の顔色が変わっていくのが見える。

 狼狽する顔の視線が偶然合った。スナイパーに狙われている事を知った恐怖が浮かんでいる。

 その顔色が変わる前に。撃っても一分もすれば、また起き上がってくるのだが。

 ほんのわずかなためらいを振り払うと同時に、撃鉄がシアを離れる。

 それから銃弾が不死兵の顔に撃ち込まれるまでが、やけに長く感じた。不死兵の瞳に浮かんだ恐怖は、その間も消えていなかった。


「どうしたの?前の銃が恋しくなった?」

 ナオに言われてハッと我に返る。今ミユを見ているのは不死兵ではなく、心配そうな顔をしたサチであった。

「いいえ……ですが、いい銃でした」

 慌ててコロッケを頬張る。おいしい。しかし、なくならない。

 ナオとサチはミユを見つめてニヤニヤ、ニコニコ。ケンジロウはタブレット端末を手にこちらを待っている。一年生三人の視線が熱い。

 できればとっとと食べ終えて銃を受領したい。コロッケを頬張る。おいしい。しかし、なくならない。

 どうしようかとミユが考えていると、後ろでドアの開く音が聞こえた。

「ちょリーっす。さっちゃん今日のお弁当は?」

 入ってきたのは、ミユより少し背の高いくらいの女子だった。

 リボンは赤。二年生。パークバッジはクラス53。しかし制服を大きく着崩して、スカートはナオと同じくらい短い。髪も茶髪だ。

「……どしたのこの子?」

 部屋の中央でみんなの視線を集めている、おいしそうにコロッケを食べている田舎臭い子を見ながらその女子は言った。

 田舎臭い子がコロッケを飲み込む。緊張してつばを飲み込むようにも見えた。

「……不良みたい」ボソッとつぶやく。

「ハァ!?」

 不良みたいな女子が一歩詰め寄ると、田舎臭い子が一歩下がる。

 もう一歩踏み込もうとした時に、ケンジロウが間に入った。

「だから服装をちゃんとしろと言っているんだ昭和島。服装の乱れは装備の乱れ、装備の乱れは命取りだ」

「わかってねえなぁリーダー。これがあたしの正装だよ。これは着崩してんの。だらしなく着てるんじゃなくて」

 目を離している間に田舎臭い子はうれしそうにコロッケを頬張っている。にらみつけると、また半歩下がった。

「……で、この子は何?」

 ナオが説明する。六郷ミユ。今日来たばかりの転校生。ACRコマンドのマークスマン。栃木での戦績。

「ふーん」田舎娘から目を離さず、サチからコロッケを受け取る。一口かじり、味わって、飲み込む。

 サチとナオがニヤニヤ見つめている。知らぬ間に頬が緩んでいた事に気付くと、少しばつの悪そうな顔をした。

「……あたしは昭和島コノミ。機関銃手」

 少し気恥ずかしいのか、目を合わせずに言った。

 コノミは冷蔵庫から飲み物を取り出すと、近くの椅子にどっかりと腰を下ろしてコロッケにかじりついた。

 ミユは立ったまま気まずそうな顔をしていたが、慌ててコロッケを口に運び、そのたびにおいしそうな顔をする。

 飲み込むと、また気まずそうな顔に戻る。コロッケ。おいしい。飲み込む。気まずい。コロッケ。

「わーったよ。別にヘラヘラしてんじゃねえってわかったから。もうちょっと落ち着いて食えよ」


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