レトルト

 四月三日 日曜日 十四時五分――


 玲子との十分ほどの通話が終えて安賀多は何事もなかったかのように、大田原と牧瀬に話しかけた。

「食後のコーヒーはいかがかな?」

「お前……」

 大田原は地を這うような声を出している。

「まだしてんのか」

「ひどいな。ちゃんと仕事としてやってるよ」

「まさか、火曜日に真琴ちゃんとあそこにいたのは、空き巣事件の調査だったのか? お前、女子高生になに手伝わせてんだ」

 大田原の声は、低く落ち着いているが、怒りは沸点に達しそうな様子だ。


「あれ、九ちゃん。大田原さんに言ってなかったの?」

 真琴が横にいる安賀多に言うと、牧瀬が食いつくように、身を乗り出してきた。

「え、安賀多さん。探偵やってるんですか?」

「やってますよー。こないだなんか、飯島さん家のアポロちゃんを見つけたんだから。それに、空き巣事件だってお巡りさんの邪魔が入らなければ――」

 自慢げに言う真琴に、大田原が「真琴ちゃん」と割って入った。

「おじさんはね、真琴ちゃん。リサさんに恩があるんだ。たくさん助けられてきた。そのリサさんの大切なお孫さんになにかあったら、おじさん、リサさんに顔向けできないよ」

「でも、私が好きで手伝ってるんだよ?」

「分かってる。分かってるけど、君は未成年だからね。それを許している安賀多がすべて悪い」


 ダンッ!!!


 カウンターを叩く真琴に、その場の視線が集まる。カウンターが激しく揺れた拍子に、ナプキン立てや小さなメニューがバタバタと倒れて、床に落ちた。安賀多が、それらを拾おうとしたら、頭上から真琴の声が聞こえた。

「また……」

 下から覗き込んだ真琴の表情は、泣く一歩寸前のような、なにかを堪えているようなものであった。

「また大人はそうやって、大人だけで話を終えようとする」

「真琴」

 安賀多がナプキン立てを手に立ち上がり、真琴を諫めようとするが、真琴は髪を左右に振り乱すだけだった。


「私の話を聞いてくれたのは、リサと九ちゃんだけ」

 足元のリュックを拾い上げてから、真琴は扉へ向かった。

「大人なんか大っ嫌い」


 カランコロン――と鈴の音だけが虚しく響き、真琴は外の光の中へ出て行った。


「……あーあ」

 重苦しい沈黙に耐えられないのか、牧瀬が口を開く。

「嫌われちまいましたね、先輩」

「胃が痛い……娘にも昨日同じようなこと言われた」

「すまんな、大田原。お前は悪くないんだが」

 安賀多が崩れたカウンターの小物を元の場所に戻しながら言う。

「リサとの約束なんだ」

「……」

「『真琴がなにかお手伝いができたら、一日一つご褒美をあげて。おやつは絶対に三時に一緒に食べてあげて。真琴の話をちゃんと聞いてあげて』」

 安賀多は壁に掛けられた若かりし頃の元オーナーの写真を見て、そう昔ではない過去を思い起こすようにゆっくりと言葉を発する。

「『そうしたら、あの子は人間らしく生きられるから』」

「……」

 薄暗いペンダントライトの下、安賀多の目は優しさに溢れていた。

「真琴は、『幽霊』だったんだよ、ずっと」


 小田原と牧瀬が、安賀多の言葉に反応する前に、小田原のポケットが振動する。

「すまん」

 短く言って、小田原が電話を取る。

「はい、小田原――ええ。はい」

 小田原の声のトーンを聞いて、牧瀬がスーツを着直す。

「ご馳走様でした。美味しかったです」

 電話の邪魔にならないように小声で牧瀬が安賀多に言うと、安賀多は笑顔を作った。

「いつも通り、レトルトだけどね」

「いや、でもマジで美味しいっす。これ」

「ありがとう」


 大田原は電話を切って、後輩に言う。

「おい、牧瀬」

「はい」

 先輩の真剣な声音に、牧瀬は背筋を伸ばして、カウンター席を降りる。

「空き巣事件だ」

「了解です」


「行ってらっしゃい」

 安賀多が見送ると、大田原はカウンターの前で動きを止めた。

「どうした」

「お前たち、誰ん家のなにを見つけたって言ってた?」

「うん?」

「さっき、真琴ちゃんが言ってただろ、アポロがどうのって」

「ああ。飯島さん家のアポロだろ?」

「飯島って、空き巣事件多発地域の――三丁目の飯島さんか?」

「おい、まさか」

「その飯島さんの家に空き巣が入ったらしい」


 壁に掛けられたリサが、ドイツ土産でもらったというゼンマイ式の古時計は、静かにチクタクと時を刻み――十四時三十五分を示していた。

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