彼女は過去を語る

ハイブランド

 折原玲子は語る――運命の出会いであったと。


 折原玲子が家事代行サービスに登録したのは半年前だった。玲子はその頃、仕事もなく、貯金を切り崩しながら生活していた。


 きっかけは、秋の味覚大スペシャルと題して、旬の食材で何品作れるかという家事代行サービスを取り上げたテレビ番組。それを見て、自分にもできるのではないかと思ったという。


 まず紹介されていた家事代行サービスに登録した玲子であったが、数日間なんの反応もないことに唇を尖らせた。少しプロフィールを書き直してみて、写真も撮り直した。そして、唯一の資格である『保育士』を記載してみたところ、翌日ようやく一つ依頼が来た。


『美容院に行っている間、子どもの面倒を見て欲しい』という依頼であった。


昨年 九月十八日 金曜日 十二時五十分――


 依頼当日、玲子は、面接の時に受け取ったマニュアルにある通り、カジュアルでありながら清潔感のある服装で出かけた。もちろんメイクは必要最低限。化粧下地と日焼け止めの効果のあるCCクリームを塗って、軽くアイラインを引いた程度だ。これは、あまりにも『業者』丸出しという雰囲気で行くと嫌がる依頼人もいるからだ。保護者――いわゆるママ友同士であったり、近所への体面を気にする依頼人も多いということなのだろう。


 秋らしいベージュのゆるっとしたセーターに白いパンツ、脱ぎ着しやすいカーキのパンプスという姿で玲子は、最寄りの駅から依頼人宅まで歩いた。パンフレットには前日に下見をして欲しいとあったが、スマートフォンの地図アプリケーションで十分であった。


同日 十三時五十分――


 五分前を目指していたが、予定よりさらに五分ほど早く到着してしまった。閑静な住宅街でひと際目立つ白い塀に囲まれた家を玲子は眺めた。二階建てのモダンな建物に視線は向けていたが、それを見つめる玲子に表情はなかった。玲子は深呼吸してから、カメラ付きのインターホンに向けて笑顔を作った。


「折原さん?」

 インターホン越しではなく、いきなりドアが開いたことに玲子は笑顔を崩しかけたが、なんとか持ちこたえた。ラスティックオークの重厚な作りのドアから、顔だけ出しているのは玲子より若干年上に見える女性だった。

 女性は玲子が答える前に右手で、こいこい、と玲子を手招いた。口を開くなと言わんばかりに。玲子は極力笑顔を維持しながら、招かれるままに手入れされた玄関アプローチを通って、屋内へと入って行った。


 玄関に立ち、ドアが閉まると、カチッと自動で施錠された。


 玲子は玄関ドアを一瞬見た後に、室内との境目のない玄関で立ち尽くした。自分の家より高い吹き抜けに、玲子は息を小さく長く吐き出した。


「折原さん、来てくれてありがとう」

 玲子を招き入れた女性は、すでに美容院帰りのように完璧にセットされている、ゆるく巻かれたアッシュブラウンのボブヘアを揺らしながら耳にゴールドの大ぶりなイヤリングを着けている。ホワイトレジンパールがあしらわれているそのイヤリングを見て、玲子は無意識に耳にかけていた髪を下ろして、耳たぶに触れた。


「さっそく出かけてくるんで、子どもよろしく」

 女性は玄関脇にある白いドアを開けて、中に入って行く。そこはウォークインシューズクロークになっており、壁一面に男性用の靴と女性用の靴、小さい子ども用の靴とペダルのない自転車とヘルメットなどが収納されていた。女性はデニムパンツと白いTシャツに、シルクとコットンのツイードのジャケットを腕を通さずに羽織っている。黒とベージュとジャケットに合わせる底の赤いハイヒールを無造作に手に取り、履いてから軽くシュークロークの中の鏡に姿を映した。たすき掛けしたミニサイズの黒いレザーのハンドバッグには、ハイブランドのロゴが大きく刻印されている。

 一通りのファッションチェックを終えて満足したのか、女性は鏡越しに言った。

愛翔まなとっていうの。うちの子ね。二歳」

「マナトくんですね」

「そう、お菓子とか適当にあげちゃっていいんで。冷蔵庫も勝手に漁って」


 漁る、という言葉に玲子の表情が一瞬曇る。


「二時間くらいで戻るから。なにかあったら電話して」

 早口にそれだけまくし立てて、依頼人の女性はさっさと出かけてしまった。すれ違う時に、女性からは甘い香水の香りが漂い、玲子は一瞬息を止めた。ドアが閉まった後にも残る香りの中で、玲子は静かに手をヒラヒラと振ってみせた。空気をかき混ぜるように。そうしていると、家の前で女性と誰かが会話しているのが聞こえた。少し遅れて、車がドドド、と発進した音がして、静かになった。


 それが、折原玲子と飯島優梨愛いいじま ゆりあとの出会いだった。

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