第5話 騎士は激怒した


 騎士団城がいつになく穏やかだ。何かにつけそう感じるたび、第二騎士団が城を出ているからだという結論に至る。そんな自問自答を数日前から繰り返しているのに、未だに自覚がないのは、彼らの空気が城内に濃く滲みついているせいか。

 第二騎士団は総じて個性的で騒がしい連中のつどいだ。入団したての頃はあまりの騒々しさにイグナーツも辟易へきえきしていたが、今となっては彼らのざわめきが欠けていると寂しさを感じる。第一騎士団もそれなりに血の気は多いけれど、やはり奴らがいてこその日常である。


 夕食を終えてから、特にやることもない。いつもは同室の人間とトランプやら娯楽に興じて時間を潰すのだが、生憎とそいつがここを離れているので何をするにも手持ち無沙汰だ。


 自分とは違い、業務を処理しているだろう友人の部屋へ行こうと、イグナーツは腰を上げた。

 それとほとんど同時に、イグナーツ達の部屋の扉がきしみを上げた。


「夜分失礼」


 爽やかに扉を開け放った人物は、総轄長補佐官を任されて早五年になる好青年だった。金茶の髪が首筋でさらさらなびく。前髪は左半分を長めに揃え、そこから黒の眼帯が覗いていた。


 有力貴族、チェスティエ侯爵家出身のフロレンスだ。温厚な茶褐色の右目が柔らかになごむ。


 左目は過去の盗賊討伐でやられたという。敵の陣地に無闇な深入りをして罠を踏んだ前総轄長を庇い、負った創傷。それが契機となり、前総轄長に気に入られて第一騎士団の副団長から補佐官という高い地位に栄転したという。

 前総轄長は気に入った相手をとことん優遇する分かりやすい人だったが、見る目は保障できた。実際、有能と評判だったフロレンスは平騎士時代から同僚の信望を集め、武術の腕だって宮廷の近衛師団をも圧倒させるほど秀でている。人物評価に厳しいイグナーツですら、彼に好意を持つ者の一人だった。


「フロー。仕事は終わったのか?」


 イグナーツはフロレンスのことを『フロー』と呼ぶ。彼が勝手に作った愛称だ。代わりに彼も『イグ』と呼ばせている。


「キリのいいところで切り上げた。お前には総轄長の件について言っとこうと思って。気になってただろ?」


 後半の一言に、イグナーツは背筋を伸ばした。まさに、その話題について話し合いたかったところである。


「で? 話はまとまったのか、総轄長さん」


 意思表示の乏しい彼が珍しくにやつきながら友人の肩に腕を回した。よほど上機嫌なのだ。

 それもそうである。総轄長が定年退職したことにより、王立騎士団一同が認めるフロレンスが後を引き継ぐのだから。彼が総轄長となるなら、これ以上の誇りはない。頭の固い宮廷の役人でさえ、彼には一目置いているのだ。

 しかし、苦笑と共に零れた一言は、彼を呆然とさせるのに充分だった。


「あー、僕じゃない」


 一瞬何が『僕じゃない』のか見失ったイグナーツだったが、自分の前言と照らし合わせる。


「お前が総轄長でない? 補佐官止まりってことか?」

「ん、まあ、そうみたい」

「お前じゃねえなら誰がなるんだよ」


 別に王立騎士団内でなくとも、原則として総轄長が選任した者ならばそれが後任となる。第一騎士団長であるイグナーツや、第二騎士団長にも可能性はある。しかしフロレンスという候補が消え去った今、彼らの線は極めて薄い。ではいったい誰が。

 しかしフロレンスの口から出た人物は、イグナーツの常識を完全に逸脱するものだった。


「大聖堂に住む修道女だって」

「‥‥‥はあぁっ!? 女ぁ!?」


 大聖堂といえば、テネーレ王国の各地に鎮座する修道院と教会の母体であり、信仰の中心地ともいうべき宗教機関だ。大聖堂が収める領地は広大で、膨大な知識を収容し、それでもって磨かれた先進技術と医療が並立している。堂内に設けた施療院で命を取り留めた患者は後を絶たず、彼らの支持が拍車をかけて教会全体の勢力を肥大させているのだ。それこそ宮廷が無視できないほど。


 テネーレだけでなく、大陸のほぼ全域で信仰されている宗教はメサイア教である。万物を創った創造主を『父』と仰ぎ、『子』なる人間たちに教示した行動と戒めを教理として、神への愛と贖罪しょくざいを説く。

 浅いながらも信心のあるイグナーツだが、それとこれとは別だ。ありがたいなんて全然思えない。むしろ大迷惑だ。なぜ修道女を実力重視の騎士団に迎えねばならないのだ。沸々と怒りがつのった。


「年は今年で十九だっけ」

「ガキじゃねえか! ざけんな! 本気で何考えてんだあの人は!」


 暗い金のこめかみをガシガシと乱暴に掻く。

 騎士を志す少年達は七歳になると武芸中心の訓練を開始し、根を上げずに五年間打ち込んだら今度は宮廷に連れていかれ、騎士見習の従騎士として修練を積むかたわら礼儀作法と主人への奉仕を学ぶ。そして六年後、実力が認められれば騎士叙任式を経て、晴れて立派な騎士となるのだ。


 当たり前だが騎士団に入ってくすぐ階級が上がることはあり得ない。だから皆血眼で腕を磨く努力をするのだ。それはイグナーツとて同じ。

 そうまでしても座れない頂点の椅子を、剣と無縁の若い女が奪う。

 納得できるか。


「こちとら命賭けて剣振ってんだ! 祈ってばっかのヒヨコに指図されてたまっか!!」

「イグ、落ち着いて」

「落ち着いて進められる話だったらな!」


 一度頭に血が昇ればなかなか下がらない性格上、イグナーツは声を荒げてフロレンスに食いかかる。


「ヒヨコったって、お前と五つ違いだろ? イグだってまだ二十四じゃないか」

「それでもガキだ! 経験がものを言うんだよ経験が!」


 意味が不明だ。フロレンスにとっては、どちらも似たり寄ったりである。それに感情に歯止めをかけない日頃の言動も油を注いで、イグナーツはより子供っぽく見えるのだが。


「どういうことだ! 吐け、フロー!」

「そんなどこかのお役人みたいに‥‥」


 フロレンスの胸倉を掴み、ふーっと獣のように息巻くイグナーツを宥めつつ、彼は慎重に言葉を選ぶ。


「次期総轄長が十八歳の修道女ってのは本当。嘘ついても仕方ないだろ。僕も反対したんだけどさ」

「だったら‥‥‥!」

「教会ってね、結構権限があるんだ。国や領主の援助で資産もある。そこを狙ったんじゃないか?」


 強大な権力を抱き込むにしても、戦いとは全く縁のない女を抜擢するとは。

 確かに、宮廷にとって教会の莫大な財産は魅力的だろう。金だけではない、国境も関係なく人々に絶対の影響力をもたらす存在感、輝かんばかりの知識、告解と様々な国で活動することで得た情報の数々。抱き込めばかなりの戦力である。


「そんならせめて、啓明協会けいめいきょうかいの誰かにしろよ‥‥!」


 啓明けいめい騎士きし協会――――通称『啓明協会』は教会の庇護の下、成立した騎士修道会だ。メサイア教の教義に忠実で、『質素・清貧・潔白』を掲げる優秀な精鋭組織。ぎりぎり王都の領域に構えていることもあり、彼らと比べてお上品とは言いがたい王立騎士団と確執を深め合っている。近年は国王も騎士道精神溢れる啓明騎士協会に信頼を寄せつつあるとかで、各騎士団の総轄長が頭を悩ませてもいた。


 世俗の騎士団のうちでも王立騎士団は、同じ王都を拠点としているだけあって啓明騎士協会とすこぶる仲が悪い。りの合わなさに刃傷沙汰に及んだ事例まである。しかし、それでも。そうであったとしても。

 腕に覚えのない修道女を迎えるくらいなら、少なからず手練てだれの修道騎士を選ぶ。いくら何でも、女に頼るほど落ちぶれちゃいない。


「いやあ。僕も前に聞かされてさ。ジェロームさんに言ったんだけどね……」


 さすがにフロレンスも前の総轄長に直談判したそうだ。しかし宮廷の人間も受け入れている話なので、フロレンスの抗議は骨折り損だった。総轄長の任命権は原則絶対で、宰相を通して宮廷が承諾すればもはや覆しようがない。イグナーツは歯ぎしりした。

 さらに不快なのは、一番悔しいはずのフロレンスが全く意に介していないことだ。イグナーツの知る限り、彼は諦めのいい人間では断じてなかったのに。


「今度来る修道女はね、教会とか地元の人達に『天使』って呼ばれてるみたいだよ。啓明協会でもその子の信奉者がいるらしい」

「あ?」


 意味が分からないと言いたげに、イグナーツは唸り声を漏らした。


「だからそれだけ愛されてるってこと」


 どうどうと、彼の暗い金色の頭を軽く掻き撫でるフロレンス。イグナーツはすぐ振り払った。


「政治を動かす権限がないなら、寄生して振るえば良い。それに、啓明協会との関係もあって騎士団ここは評判が悪い。一般市民の感覚だと教会の方が距離も近いしね。慕われている修道女様を上に据え置けば、建前を持ち直せるかもしれない」


 そして政治に無知な娘はぎょしやすい。お飾りの人形にしておけば良いのだ。


「教皇もその子を気に入っているそうだよ。そんな修道女をウチに抱き込んだら、何かと便利だろう?」


 それでもイグナーツはやはり不服そうに舌打ちした。


「認めねえ。俺は行くからな!」

「イグ‥‥ッ? 行くってどこに! もう夜だぞ!?」


 けてはいないが、多くの家々が食事を終えて風呂なり就寝なりの準備をする時間帯である。小さな子供はとっくに寝ているかもしれない。そんな時に殴り込みに行くなど、それこそ恥ではないか。


「決まってんだろ!」


 興奮した調子で彼は怒鳴った。


「天使の修道女とやらをブチのめして満身創痍にして入団阻止するんだよ!!」


 騎士道精神では九つの道徳が掲げられている。そのうちのふたつ、『慈愛』『礼節』は貴婦人に捧げるものだと解釈されてきた。要はレディファーストたれ、である。

 ところがもはや彼の頭には、騎士道の心得など微塵も留まってはいなかった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る