第4話 廻り巡る駆け引き

 たった一文。なんと不愛想な。しかも理由は一切述べられておらず、礼儀という礼儀を捨て去った書き方である。


「<あのう……これはいったい?>」


 この手紙はいわゆる、辞令だ。聖職者にもたびたびあることだ。一定の年齢になれば経験しなくなるが、若いうちは数年おきに国を問わず各地の教会を転々とする。ただし、あくまで教会内部の話である。


 手紙に記された『王立騎士団』とは、セラフィナたちが住んでいる王国テネーレの騎士団だ。王室と宮廷が作った武力組織なので政治的な意味合いが強く、宗教と対極にある。その騎士団のトップに君臨するのが『総轄長』と呼ばれる人物なのだ。決して、教会の修道女にすぎないセラフィナが授けられて良い地位ではない。そもそも、王室が教会に介入するということ自体、あってはならない事態である。

 どういった経緯を通って、神の花嫁たる修道女を、血気盛んな男たちの集団に放り込もうとするのか。手短すぎる文面では見当もつかない。そもそもセラフィナは世事せじうとく、政治の何たるやすらほとんど理解していない。たいがいの聖職者はそこまで精通していないものだ。そのような娘が、宮廷を護る近衛師団このえしだんに次ぐ王家直属の騎士団の総轄長になどなり得ない。というか、はいそうですかと素直に渡す気には普通ならない。今時の国家機関はどういう神経をしているのか。


「<カルディナリス?>」


 愛娘の呼びかけにも応じず、シックザール枢機卿は考え込んだ。

 思い当たる節がないわけではない。となると、王立騎士団――――ひいては宮廷が求めているのは彼女というより、その背後についているモノだろう。


「<そんなこと、ワシが知りたいわ>」


 杞憂に終われば良いのだが。

 しかし長い年月を経ても衰えていないゾルタンの眼識は、嫌なことに当たっていた。


*******


 薄暗い部屋。面積の広さが静寂をより強調する。高い天井から垂らされた天蓋てんがいのカーテンは室内の半分以上を占める寝台を囲い、一部を除いて隠すように覆っている。ビロードの生地は壁に取りつけられたランプの灯を返して紅く照り、光の当たらぬところは漆黒の影を落として波打っている。床まで流れる長さは、まるで寝台に忍び寄る人影みたいだ。


 部屋の窓も締め切り、一切の陽光が射さぬよう徹している。寝台に眠る人物を刺激しないため、侍医の判断だ。今、宮廷の侍医はカーテンを開いた隙間に身を乗り出し、せわしなく医療器具を出し入れしている。時折カーテンの向こうより、うめきに似た重々しい息遣いが漏れた。


「陛下の容態は」


 病人の治療に死力を尽くしている侍医の背中に問いかければ、飛び上がられた。


「宰相閣下」


 首だけ回して、侍医はいつの間にか部屋に入っていた宰相の男を振り返る。そして視線を落とし、辛そうに答えた。


「私も手を尽くしてはいるのですが、陛下はほとんど食事に関心を示さぬようになり、体力のほども……」

「分かりきったことを言うでないっ」


 声を潜めて宰相がぴしゃりと一喝すると、年老いた侍医は首をすくめた。慌てて綿の詰まった柔らかな寝台で重々しく横たわる身体を見下ろし、太い息を流す。


「安定しています。ですが悪化の中での安定です。安心できません。意識はたまに明瞭になることもありますが、お言葉につきましてはほとんど聞き取りにくくなっておいでです。これからも治療に専念する所存でおりますが、どう長らえても年内には」

「……そうか」


 宰相はくるりと背を向けた。扉を睨み、腕を組む。


「陛下が身罷みまかられてしまえば、殿下おひとりになる」


 現在の王太子は十歳を迎えたばかり。学力のみなら申し分ないけども、自ら国を治めるには人生経験が乏しく心許ない。母たる王妃は産褥さんじょくの床で永遠に眠り、先代の王太子であった父は病弱が元で後を追うように亡くなった。遺された幼い子をしかるべき時まで育て上げるべく、祖父にあたる国王が休みなく国政を執った。

 その果てが、寝台で力なく息をする老人へ。大変な変わりように宮廷の人々は涙し、深く案じている。


「殿下の即位は問題ない。我々がお支えする。……だが年端のいかない君主を戴けば、あの国がどう動くか」


 宰相の頭の中で厳しい計算がうごめく。最善とは言いがたいけども次善の策に近い対応は、今はひとつしか浮かばない。


「そのためには、最も求心力のある人間を傍に置く必要がある」


 そう。たとえば――――世界で広く信仰されているメサイア教の、聖職者。聖職者と接する際は、王侯貴族も庶民も関係なく最大の敬意を払うのだ。それだけメサイア教の支持は篤い。かの威信は一国の王室の権勢をもしのぐといわれている。

 そのような神に仕える者を王太子と並ばせれば、教会の権威をあたかも君主の威光のように利用することができる。神が国王に加護を与えているという演出だ。しかもメサイア教の最高権力者ともいえる教皇はテネーレで聖務を執っていた。これほど諸国に打撃を与えるものはない。


「そんなことが可能なので?」


 事前に計画を聞かされていた侍医は、不安げに念を押す。

 メサイア教の教会は人々に救いの道をき、分け隔てなくすべての人間が祝福を受けられるよう祈りを捧げている。宮廷に肩入れすることはないし、政治にも介入しない。世俗の権力者とは距離を保っているのだ。いくら国を護るためといえ、そうそう力を貸してくれるとは思えない。


「今回はできると踏んでいる。あの国は教会にとっても脅威だ。教皇猊下げいかは初め難色を示されておられたが、しつこく交渉したおかげで一人寄越してくださることとなった」


 とはいうものの教会の人間は高齢者が多く、引き入れるにしては頼りない。しかも地位ごとに多く存在する聖職者から一人を抜き出したところで、大した影響には至るまい。宰相が欲するのはそうした者ではなかった。もっと、あまねく認知されていて、神の使者としての説得力を備える逸材を。


「教会の『天使』だ」


 考えついた末が、十代のうら若き修道女だった。年齢と性別にかなりの不安が残るものの、通常神父が行う洗礼を神の代理人たる教皇から授かり、ゆえにその覚えめでたく、また市民の支持が篤いということで決断した。


「あれを、王立騎士団の総轄長に据える」


 白くふわついた侍医の眉が跳ねた。


「正気ですかっ? あってはならないことです。争いを嫌う教会を騎士団に入れるなど」

「ちょうどよく空きができた。今までの総轄長が辞める。そちらにも話を通したが、好きなようにしろと言った」

「それは……」

「何かあれば、王立騎士団か辺境騎士団、地方騎士団が一番動きやすい。動きやすい集団の先頭に教会の人間がいると良い顕示けんじになる」


 教会で名だたる『天使』が王立騎士団の頂点に立てば、国民も好感を持つだろう。教皇には『天使』を派遣しても各国の教会や聖職者達を動かしたりしない、全面的な協力は一切しないと釘を刺されたが、どこかで譲歩せざるを得ない時期が来るだろう。


「どちらにせよ、慣れさせる必要がある。今、我々が求めるのは時間だ。時間がほしい」


 そこでいったん話を断ち、寝台に横たわる国王に向き直って姿勢を正す。血走った顔つきで宰相は必死に国王の枯れた手を握った。


「どうか陛下。王太子殿下のため、国のため。もうしばらくご辛抱くださいませ」


 ただひたすら生かされている国王は、耳を傾けることなく呼吸するのみ。


*******


 週末の安息日に行われるミサが終了した後も、シックザール枢機卿は礼拝所に残って過去を振り返っていた。といっても、そう古くはない。


 娘が現れた、あの夜の出来事だ。


 身も凍るような寒さが吹きすさび、雪が降りしきる夜。突然の金切り声に起こされて、彼は礼拝堂へ降りていった。階段と廊下を渡る間、吐く息が真っ白だったのを覚えている。


 やまない叫びに導かれた彼は、礼拝所でまたとない幻想と出逢った。


 薔薇窓とステンドグラスを透かす雪明かりが降り注ぎ、まるで神の恩寵を一身に浴びるかのように天使像の腕で寝かされていた赤ん坊。大きくて鋭い叫びは、あの子の泣き声だったのだ。どうにかして大聖堂に侵入し、捨てられた赤子だろうが、その瞬間から彼には神がもたらした地上の天使としか映っていなかった。


 身を投げ出して神を賛美し、その子を抱えると、驚いたことに泣き声が治まった。今にして思えば温もりを求めていただけだったのだが、あの不安そうでどこか安堵したような表情に、枢機卿の心は鷲掴みにされた。

 当時彼は街の不良少年を一睨みで更生させるほどの鬼爺だったのに、その日から赤ん坊至上主義の親馬鹿へと一変した。誰がどう言おうと神の生んだ奇跡の子と主張し、無理くり教皇にも納得させ、『天使のように愛らしい』という意味で|天使(セラフィナ)と名づけた。教典では、天使は九つの階級に分けられており、その中でも最高位の存在が|熾天使(セラフィム)だとされている。彼女の名はそれから拝借したのだった。


 以来、愛玩動物もびっくりなくらいセラフィナを溺愛している。

 さらわれてはいけないと彼女に一歩も外出させず、毎週末のミサで男が礼拝しに来た時は常に目を光らせ、できる限り彼女から離れるまいとしていた。


 必要以上に甘すぎる環境で生きてきたのに、セラフィナが我儘娘にも能無し娘にも育たなかったのは――――ひとえに大聖堂が抱える膨大な蔵書と、影であれこれ手を尽くしていた聖職者達の奮闘のおかげである。

 短かった黒髪はクセなくまっすぐ伸び、ふにふにした手足もしなやかに成長した。世間の知らなさと不用心さを除けば、優しくて愛嬌がある自慢の娘だ。いつしか街の人々も『天使』と呼ぶようになり、皆彼女を愛した。


 そんな愛しい我が子が、まさか王立騎士団の総轄長に任命されるなんて。どうしたことか。男たちに取って食われるではないか。無視すれば良さそうなものだが、教皇の承認印を通った以上、無下にしがたい。


「主よ。ワシらはどうすれば……」


 彼は天使像を見下ろした。のびのびと翼を広げた彫像は片足を宙に浮かし、組んでいたのだろう腕を解こうとしている。今にも神の御許へ昇っていきそうな天使像に跪き、祈った。そうしたところで何も変わりやしないのに。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る