新しい風

 晴れ渡る青空の下、丘の上にある大樹の葉を風が揺らしていた。木漏れ日が、地面に様々な模様を作っては、形を変えていく。大樹が立つ丘から遥か彼方には、王都の三つの尖塔が、日の光を受けて輝いていた。しかし、その隣に並ぶ王宮はボロボロで、修復工事をする職人たちで溢れかえっている。

 王国全土を標的としたあの事件から、早くも二か月が過ぎた。幸いにも、国民に掛けられた魔法はルーインの死とともに解け、クーデターの傷跡はあるが、王都も徐々に日常を取り戻しつつある。とはいえ、復興が終わっても、全てのことが今まで通りになる、という訳にはいかない。

「—失礼します! 只今戻りました!」

 リック、エドガー、シエラの三人は、元気な挨拶と共に、木製の扉を開けた。

 復興作業が続くガルディア宮殿内、空き部屋を利用した国王の執務室。最初に彼らの目に飛び込んできたのは、机に積み上げられた書類の山。そして、それに向き合うスロウトと、リザの姿だった。

「おお、三人とも! 各地の視察、ご苦労。北部、西部、東部の状況はどうだった?」

 スロウトが顔を上げ、笑みを浮かべる。三人は彼の前に一列に並ぶと、顔を見合わせて苦笑を浮かべた。代表して、リックが口を開く。

「その、どこも似たような状況と言いますか…。いきなり民主化、王族・貴族制の廃止と言われても、現場は混乱しっぱなしという感じでした」

 リックの言葉に、スロウトは、それはそうか、と開き直ったようにあっけらかんと笑い声を上げた。しかし、一方でリザは、笑い事ではありません、と彼を窘め、大仰にため息を吐く。

「それにしても、そんな重大なことを相談も無しに、建国式典の場で発表するつもりだったとか、まったく、信じられない! 突拍子無いにも程がある!」

「そ、相談なら一部の者にはしていたさ、ラルゴとか…。ただ、王宮内にも、地方の貴族連中にも不穏分子がいることは分かっていたし、大っぴらには動けなかったんだ。それなら、先に国民に宣言だけしてしまえば、こっちのものだと思って―」

 慌てて弁明するスロウトを、それが突拍子無いというのです、とリザが一蹴する。

「それと、実の息子の前で言うのは憚られますが、あの男に相談したところで、自分で抱え込んで終わりなんだから、意味ないです! 昔から頑固というか不器用というか…」

 ぶつくさと文句を垂れるリザに、狼狽えた様子のスロウト。リックたち三人は、苦笑を浮かべるしかない。

 事件を経て、人手が足りなくなった王宮内部では、リックたち訓練生も仕事に駆り出されることとなった。そのお陰といっては何だが、地位の上下に関係なく一緒にいる時間が増え、親しくなる一方で、今までとは全く違う印象を長たちに抱くようになる。

 特にスロウトは、国王ということもあって、リックたちにとって最も印象が変わった人物だった。彼は元来明るく、親しみやすい人柄で、威厳ある姿はあくまでも国王としての執務をこなし、大勢の人前に出る時のものだったようだ。

 民主化が成功すれば、彼も一旦はその重責が降り、特別な王族から、ただの国民の一人となる。そういう意味でも、彼は本来の自分を少しずつ出し、来るべき新しい人生に備えているように、リックの目には映った。

 それと、この一件で十五年間の心のつかえが、ほんの少しでも取れたからだろうとも。歴代の王族が眠る墓所には、新しくカイルの母―レナの墓が建てられた。彼は今までの想いを届けるように、毎日墓所に足を運んでいるという。


「—で、でも! 暮らしが良くなるのならって、民主化を待ち望んでいる声は、実際に多かったですよ! それに、生活に困っている人たちへの支援にも、たくさんの人達が賛同してくれていました!」

 空気を変えようと、シエラが努めて明るい声を出し、リック達もすかさず頷いて、同意を示した。

 スロウトが建国式典で訴えようとしていたのは、八〇〇年続いた王制・貴族制の廃止、及び議会の民主化だった。演説はまんまとルーインに利用されてしまったが、騒動が落ち着いたところで、彼は改めてそのことを宣言したのだ。当然、国内は大混乱。事態の収拾をつけるために、民主化に賛成する大臣・議員が各地を奔走するはめになった。それでも人手が足りず、魔法使いの部隊ソル・セルの者まで視察という形で、各地方へ派遣されることになったのである。今回も、リックたちは地方都市を訪れる視察団に同行し、実際に民衆の声を聞く手伝いをしていた。そして、シエラが言ったことは本当で、横暴な貴族に支配されていた地方ほど、その声は強かった。それに加えて、貧困層への仕事の斡旋や、食料の配給といった支援策などの展開に踏み出したことも、国民が民主化政策を支援する大きな要因となっているようだ。長らく放置されてきた各地の貧民街も、今後は国の手で整備され、居住区画として管理されるという。

 スロウトはシエラの報告に、そうか、と安心したように呟いた。しかし、その後で瞳を伏せる。

「…本当は、もっと早く手を打つべきだったんだがな。そうしていれば、レナが死ぬことも、レジスタンスが罪を犯すことも無かったはずだ。結局、風の長の言う通り、一人で抱え込まずに、初めからみんなで力を合わせていれば良かったのかもしれないな。…一人ひとりの考えや境遇の違いも、分かり合い、分かち合い、共に歩んでいく。平等な社会とはきっと、そんな風に、誰も置き去りしない社会なのだろう」

 そう言って、スロウトが少しだけ、寂しそうな笑みを浮かべた。

 カイたちレジスタンスが望んだ誰もが平等な社会は、きっと、スロウト自身が一番望んでいた理想でもあったのだろう。彼も身分の差を理由に愛する者と結ばれず、それどころか息子を利用され、今回のような悲劇が起こった。もちろん悪いのはルーインだが、腐敗が目立っていた王制にも原因はあった。スロウトは、レナを愛した時から、そんな社会を変えていこうと考えていたのだ。

 ちなみに、蜂起に参加していたレジスタンスのメンバーは逮捕されたが、裁判は民主化後に、新たに制定される公平な法律によって行うことに決まった。ただ、主犯格である三人については、少し事情が異なる。

「…カイ達の行方は、まだ分からないんですか?」

 リックの問いに、リザが頷いた。

「あの時、君が放った風の魔法と共に、カイルとマキナの姿も消えた。結局、今になっても遺体は見つからず、加えてエレナという少女も行方知れず。気を失ってからは、王都内の民家で眠っていたという話だったが、彼女がもしあの場にいたのなら、我々の目が眩んでいる隙に、二人を救出したのかもしれない。…捜索は、引き続き行われる予定だ。あの傷ではどのみち無事ではないだろうと思うが、油断は出来ない」

 彼女の最後の言葉に、自然と、スロウトとリックは視線を合わせた。

 仮に、主犯格である三人が生きていたのなら、重罪は免れないだろう。どんな理由があれ、犯した罪は消えない。王都でのレジスタンスの活動で、傷ついた人々もたくさんいるのだから。

 しかしそれでも、彼らには生きていてほしいと、リックは思う。どのような処罰を受けるかは別として、生きて会えたのなら今度こそ、共に歩む道を見つけたい。暴力を用いるのではなく、一緒に力を合わせて、この国をより良くするために。

 そしてそれは、スロウトも同じようだ。視線を合わせたリックは、そう感じた。

「ええ、きっと彼らは生きています! あんな所で終わる人たちじゃありません!」

「ああ、そうだな! だから一刻も早く、この国をより良い国にしなくては!」

 力強くそう言った二人に、リザたちは一瞬不思議そうな表情をした。しかし、一刻も早く良い国に、という考えには賛成のようだ。三人とも、すぐに力強く頷いた。

 問題は困難で、すぐには解決しないものばかりだが、歩みを止める訳にはいかない。少しずつでも、平等で、誰もが笑える国にしていく。晴れやかな彼らの表情には、そんな決意が溢れていた。



「—重いものはこっちに任せろ! 装飾品は丁寧に扱えよ! 民主化の暁には、議事堂になるんだからな!」

 照りつける陽射しの中、リースが声を張り上げていた。その横では、いつもの甲冑姿のランバルトが、大きな丸太を一人で担ぎ上げている。二人の他にも、筋骨隆々とした男たちが、せっせと王宮の修復工事に汗を流していた。

 執務室を後にしたリック、エドガー、シエラは、何か手伝えることはないかと、復興作業の現場に足を運んでいた。リックたちに気付いたリースが挨拶代わりに片手を上げる。三人も一礼して駆け寄り、お疲れ様です、と声を掛けた。

「土の長、それに火の長も。僕らにも、何か手伝えることは―」

「あー! 三人とも、帰ってきたんすね! いいなぁ~! 俺も視察行きたかった~!」

 声がした方を振り向くと、汗だくになったオストロが、三人の姿を見て走ってくるところだった。彼は王都に残り、リース率いる土の部隊と共に、クーデターで壊れた市街と王宮の復旧作業に駆り出されていたのである。

「ぎゃあぎゃあうるせえ! 最後の最後でルーインに拘束を壊されて、強度が足りてねえんだ! これはお前の修行も兼ねてるってこと、忘れんな!」

 オストロが来るなり、リースが怒鳴り声を上げて、彼の頭を思い切り叩いた。オストロは殴られた部分を抑え、師匠ひどい、とリースに非難の目を向ける。

「僕らだって、観光で行った訳じゃないんだぞ。…そう言えば、リリーはこっちには来てないのかい?」

 エドガーが呆れながら言った後で、きょろきょろと辺りを見回す。

「ああ、今日はこっちじゃなくて、水の長と一緒に、市街地の診療所のはずっす」

「そうか。それなら、こっちは僕とリックで手伝うから、シエラがリリーの所に―」

 そう提案したエドガーの腹部に、シエラが鋭い肘を叩き込んだ。一瞬の出来事に彼は息を詰まらせ、声も出せずにその場に蹲る。

「あー、あたし、今日はなんだか身体動かしたい気分だなー! 悪いけどリック、リリーの手伝いお願い出来る? 水の長もいるんだし、親子で話もしたいでしょ? ね?」

 にこやかな笑顔、もとい、シエラの圧力に恐怖を覚え、リックは訳も分からず、無意識に頷いていた。その横では腹部を抑えるエドガーを慰めるように、オストロがそっと彼の肩に手を置く。なんで僕ばっかり、とか、学習しないっすね、など、二人の会話が聞こえてきたが、マキナの視線を恐れ、リックはそそくさと作業現場を後にした。



 みんなと別れ、リックは一人、旧スラム街となった街を歩いていく。その横を、小さな子供たちが笑い声を上げながら通り過ぎていった。悲壮感と重苦しい絶望に満ちていた場所に、今は人々の明るい声と活気が垣間見える。リックの頬に、自然と笑みが浮かんだ。足取りも、心なしか軽くなる。しばらく通りを進んでいくと、人だかりが見えてきた。集まっているのは、貧しい身なりをした人ばかりだ。彼らは五つほどの列に分かれ、何かの順番を待っているようだ。リックは列を避け、先頭の方に進んでいった。

「リック! 帰って来たんだね!」

 列の先で椅子に座り、怪我人に治癒魔法をかけていたリリアが、彼に気付いて声を上げる。その横で、同じように治癒魔法を使っていたラルゴも、ぎこちない笑みを浮かべた。

「お疲れ様、リリー! …父さんも、ただいま」

 その時、タイミングよく、水の部隊の隊員がラルゴに交代を告げに来た。彼は礼を言って、リックの元に歩いてくると、視察ご苦労だったな、と声を掛けた。

「さっき、陛下にも報告に行ってきました。こっちの方で、手伝えることがないかなって思ったんだけど、どうかな?」

 リックがそう言うと、ラルゴはリリアの方を一瞥し、微かに笑みを浮かべた。

「申し訳ないが、こちらにはすでに優秀な人材がいるからな。人手は足りている」

 彼の言葉に、リックも、一生懸命に治療をする彼女の姿を見つめる。治療が終わると、患者は彼女に何度も頭を下げていた。リリアは、大したことじゃないですよ、といつもの如く恐縮している。しかし心なしか、その表情は満足気だ。

 誰が見ても、彼女は立派な水の魔法使いで、こんな風になれたことがなんだか無性に嬉しくなって、リックはいつの間にか微笑んでいた。その時、リリアが顔を上げ、リック達の方を見た。少し恥ずかしそうに、しかし今度ははっきりと、誇らしげな笑みを返す。その笑顔を見た瞬間、リックは、何故か胸の奥がドキッとした。

「―リック」

 ラルゴに声を掛けられ、我に返る。彼は気恥ずかしそうに、頬を掻きながら言った。

「…時間があるのなら、少し、私に付き合ってくれるか?」

 二人は診療所を離れ、東に向かった。こうやって父と肩を並べて歩くことに、リックは不思議に感覚を覚えた。もちろん嬉しくはあるのだが、元々寡黙なラルゴとどう話せばいいのか、正直分からない。もちろん、エビナンスから聞いた話で長年の誤解はすでに解けているし、リック自身も、ラルゴのことが嫌ではないはずなのだが。

 お互いに口を閉ざしたまま歩いていると、やがて小さな墓地に辿り着いた。リックは、初めて訪れる場所だった。

「…お前が帰ってきたら、二人で行こうと思っていたんだ」

 ラルゴは、迷うことなく墓地を歩いていく。リックが後に続くと、白い石で出来た墓標の前で、彼は足を止めた。墓標の文字を読んだリックが、あっ、と声を上げる。

『リンデル・フォーデンス』

「これ、お母さんの…」

 ラルゴは穏やかな表情で墓標を見つめ、頷いた。

「リンデルに…、お母さんに伝えたかったんだ。君が、命を懸けて残しくれた私たちの息子が、こんなに立派になったこと。そして君の期待通り、使命をやり遂げたことを」

 彼はそこでふっと息を吐き出し、リックの方に向き直った。表情から、珍しく緊張していることが分かる。

「…リック、お前は、私たちの自慢の息子だ。今まで辛い想いをさせて、すまなかった。それでも、こんな私を父と呼んでくれて、ありがとう。お前が無事で、本当に良かった」

 父の言葉に、リックの頬に自然と涙が伝った。自慢の息子―そう、父に認めてもらいたくて、生まれてきてくれて良かったと言って欲しくて、魔法使いになった。それは幼い自分が、ずっと待ち望んでいた言葉だった。今は、父がずっと自分を大切に想ってくれていたことを、彼は知っている。それでも、言葉として言ってもらうことで、リックは改めて、そのことを実感出来た。だから、涙はすぐに拭い、胸を張る。両親だけでなく、たくさんの人の想いを託され、その期待に応えられた自分自身を誇るように。

「僕も、二人の息子で良かったって思うよ。二人とも、ずっと僕を見守ってくれて、ありがとう」

 無意識のうちに、彼は腰に差した短剣に手を添えた。その時、二人を包み込むように、柔らかな一陣の風が吹いた。

『―リック』

 頬を撫でるような優しい風に、彼は、自分の名を呼ぶ母の声が聞こえた気がした。



 任務に戻るラルゴと別れ、リックは再び東の大通りを歩いていた。結局、手持無沙汰になってしまったので復興作業に戻ろうと、彼は王宮を目指すことにしたのだ。

 その時、再び彼を呼ぶ声がした。今度は、風のささやきではなく、はっきりと。

「リックー! おーい!」

 突然、エドガーの声が通りの向こうから聞こえ、リックは振り向いた。道の反対側にオストロ、エドガー、シエラ、そしてリリアが並び、彼に手を振っている。

「どこ行ってたんすか⁉ 探したんすよー!」

「さっきムーギーさんが来て、モーイさんのご飯を御馳走してくれるってー! みんな丁度、仕事が終わったところなのー!」

 オストロとマキナが、嬉しそうに叫ぶ。最後にリリアも、大きな声でリックを呼んだ。

「リックも、一緒に行こう!」

 自分を呼ぶ仲間たちの声に、リックは笑顔を浮かべた。

「行くー!」

 彼は大声で返事をして、みんなの元に走り出す。


 新しい季節を運ぶ爽やかな風が、真っ直ぐな道を進む五人の背中を追い越して、どこまでも、どこまでも、晴れ渡った空へ吹き抜けていった。

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ソル・セル ~若き魔法使いと生命の魔法~ @akiduki00

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