死闘

 旭日が大地を赤く染め上げ、徐々に王都の街並みが輝き出す。王宮の三本の尖塔、白亜の宮殿、そして大通り。いつもと変わらない景色の中で、大勢の人々の声だけが聞こえない、静寂の朝。リック達五人は身支度を済ませ、ムーギーの家の前に出た。先に出ていたエビナンスが、朝日に目を細めながら言った。

「お前さん達は、真っ直ぐ王宮に向かえ。件の地方都市の装置は、こっちに任せろ」

 リックは頷きつつも、師匠も無理はしないでくださいね、と心配そうに言った。昨晩の話し合いで、ルーインが各地の地方都市に仕掛けた魔力の吸収装置については、エビナンスとムーギーたちが巡回して破壊することとなったのだ。元風の長とはいえ、老齢の彼を気遣ったリックの発言だったのだが―。

「ひよっこが、年寄り扱いするな!」

 エビナンスはそう怒鳴り返し、全身に風の魔力を通わせた。その瞬間、彼の身体が浮き上がり、自由自在に宙を舞う。無駄の無い気流のコントロールは、彼の魔法の腕が全く衰えていないことを示していた。リックの隣にいたエドガーが、思わず呟く。

「…流石は、シローリア大戦の英雄だな。リックが怖がるのも無理ない」

 リックは苦笑を漏らし、エビナンスを見上げ、決意を込めて声を張り上げた。

「師匠、お気をつけて! 必ず、みんなを助けます!」

 エビナンスは満足そうに頷くと、南に向かって、勢いよく飛び去って行った。その直後、今度は馬にまたがったムーギーとモーイが厩舎の方から現れた。二人とも、国軍の制服を着て、腰には剣まで携えている。

「え、モーイさんも行くんですか⁉ それに、その恰好…」

 普段とかけ離れた彼女の姿に、リックが驚いて声を上げた。ムーギーが馬上から声を潜めてリックに耳打ちする。

「言っていませんでしたが、彼女、元軍人で私の上官だったんです。一応は止めたんですが、聞く耳持たずで。それに、おっかなくて喧嘩なんか出来ませんし…」

 会話は聞こえていないはずなのに、二人に向かってにっこりと微笑むモーイ。リックの方は、衝撃の事実にぎこちない笑顔を返す。

「それでは、皆様方もご武運を!」

 ムーギーが別れを告げ、二人は馬を駆り、東の門を目指していった。遠くなる背中を見送り、リックたちも王宮に向かおうとした。その時、玄関から出てきたマキナが、待って、と声を掛ける。

「私も行くわ。エレナは風の結界が護ってくれるし、戦力は多い方がいいでしょ?」

 突然の彼女の申し出に、五人とも困惑した表情を浮かべた。訝しんだ表情のエドガーが、食ってかかる。

「僕はまだ、あなたを信頼していない。レジスタンスであることに変わりはないし、僕らを裏切らないって保証もないですから。正直言って、反対です」

 鋭い視線をマキナに向けるエドガー。リックは昨晩の彼女との会話を思い出し、弁護しようとしたが、彼女が片手を上げてそれを制した。

「エドだっけ? 君の言う通り、言葉だけでただ信じて、なんて無理な話だとは思う。でも私にも、つけなきゃいけないケジメと、守りたい家族がいる。仮に少しでも疑わしく思ったら、君の魔法で私を殺してくれて構わない。…だから、お願い」

 真っ直ぐにエドガーを見据えてそう言うと、マキナは深々と頭を下げた。覚悟を決めた彼女の姿に、エドガーは思わず口をつぐんでしまった。すかさず、リックは、連れて行こう、と彼女を擁護する。

「彼女の魔法の実力は僕が保証するし、戦力は多い方がいいのは事実だろ? それと、僕は彼女を信じたい」

 リックに続いて、リリアが、私も、と彼の言葉に賛同する。

「私も、マキナさんに協力してほしい。魔法もすごいし、それに、いい人だから!」

 リリアの言葉はマキナも意外だったのか、驚いて顔を上げた。エドガーはまだ納得していないようだったが、オストロとシエラに視線で問いかけると、二人とも首を縦に振った。仕方ない、とエドガーはため息交じりに声を漏らす。

「でも、僕が信じたのは僕の仲間たちの判断です。それは、勘違いしないでください」

 ぶっきらぼうにそう言って、そっぽを向くエドガー。マキナはただ、ありがとう、と再び頭を下げた。話がまとまったところで、リックは深く息を吸い、王宮を見据える。

「さあ、ルーインの所へ急ごう!」

 六人は東の大通りから、真っ直ぐに王宮を目指した。魔法を使えば気付かれる可能性があるので、走って移動する。途中、通りには倒れ込む人々の姿が見え、リックの隣を走るリリアの表情が曇った。

「エビナンス様は死んでいる訳じゃないって言ってたけど、やっぱり、心配だね」

 リックもその言葉に頷いた。エビナンスの考えでは、ルーインは、装置を使って大勢の人に魔法をかけ、徐々に魔力を吸い上げているという。その供給を断ちつつ、ルーイン本人とも戦い、スロウトと四人の長を救い出すことが、作戦の第一段階だ。

 逸る気持ちと裏腹に、駆け抜けるリック達の足音だけが、時が止まった大通りにこだました。

 しばらくして、一行は王宮にかかる橋の前にたどり着いた。ここまで、ルーインが何かを仕掛けてくることはなかった。一気に橋を渡り、正門から王宮内に進む。

「―止まって!」

 門を過ぎたところで、突然マキナが声を上げた。彼らは足を止め、周囲を警戒する。彼女は膝を折って、右手を地面につけた。

「中庭の方、たくさんの人の気配がする。魔法で操られてる兵士たちだと思うけど、百はくだらないわよ」

 オストロがきょろきょろと辺りを見回し、どこにもいないけど、と言うと、マキナは訝しんだ表情で肩をすくめた。

「土の魔法で探れば分かるでしょ? 半径200メートルくらいならあたしでも分かるから、ずっと警戒してたの。報告だと、君も土の魔法使いって聞いてたんだけど…」

 リック達の視線がオストロに向けられると、彼は気まずそうに目を逸らす。

「いや、俺、造形魔法の方が得意だし…。気配感知とか、細かいのは苦手だし…」

「マキナさん、さっきはすみませんでした。正直、心強いです」

 エドガーが即座にそう言って、先ほどまでのマキナへの疑いの気持ちをあっさりと撤回した。マキナも勝ち誇ったように、ニッコリと笑みを浮かべる。

「で、どうする? 避けることも出来るけど、その分、時間は掛かるわ」

 リックは少し考えたが、時間が惜しいとすぐに覚悟を決めて前を向いた。

「時間が惜しいですし、ここは正面突破に懸けましょう。僕とエドの風の魔法で、道を開きます!」

 エドガーが頷き、二人を先頭に、彼らは再び走り出した。階段を駆け上がり、前庭に出た瞬間、前方にゆらゆらと揺れ動く、無数の人影が現れた。武器を手に、リック達を待ち構える軍隊の姿だ。リックとエドガーがそれぞれ両腕に風の魔力を貯め、勢いよく腕を振る。風の魔法で突風が巻き起こり、一瞬で兵士たちを左右に吹き飛ばした。彼らは速度を緩めることなく、兵士たちを薙ぎ払って進んだが、数が予想以上に多く、次々に湧き出てくる。

「埒が明かない! あなたたち、先に行って!」

 マキナが身を翻し、両手に魔力を込めて、思い切り地面を叩いた。次の瞬間、中庭の地面が隆起し、無数の腕が伸びて兵士たちを絡め取った。

「マキナさん!」

 振り返ったリックに、止まらないで、とマキナが叫んだ。

「動かないように拘束だけしたら、すぐに追いつくから!」

 彼女はすぐにまた土の腕を作り、別の集団を絡め取っていく。リックは彼女の言葉通り前に向き直り、宮殿の門を風の魔法でこじ開ける。

「恐らく、奴がいるのは玉座の間だ! 正面から入れば、左側の通路に階段が—」

 宮殿内に入った彼らの足は、目の前の光景に、徐々に勢いを失くして止まったしまった。彼らの記憶では、宮殿の正面は広いエントランスに続き、左右に階段があったはずだ。しかし、彼らが飛び込んだ先には幅広い階段が伸び、上にある巨大な空間へと繋がっている。宮殿の内部が、完全に作り変えられていたのだ。

「—ようやく来たか、待ちくたびれたぞ」

 突然、空間全体にルーインの声が響き渡った。五人は背中を合わせ、すかさず身構える。すると、まるでその様子を見ているかのように、今度は笑い声が響く。

「そう構えずとも、大丈夫だ。階段を上がって、玉座の間まで来い」

 リック達は顔を見合わせたが、その言葉に従って、長い階段を登り始めた。張り詰めた空気に、五人は終始緊張した面持ちだ。しかし、ルーインの言った通り階段を登り切ると、彼らはなんなく玉座の間にたどり着けた。一番奥には、金の装飾が施された玉座に座るルーインと、椅子に縛り付けられた四人の長、そして、スロウトの姿があった。彼らの少し前では銀の球体がゆっくりと回転しながら浮いており、五人とも苦しそうに表情を歪めている。あの球体が、魔力を吸い取っているのだ。

「ルーイン!」

 その光景に、リックが怒鳴り声を上げた。ルーインは杖を手に、ゆっくりと椅子から立ち上がる。

「ようこそ、我が宮殿へ! 以前よりすっきりしていていいだろう? 侵入してきたネズミを返り討ちにするのも、この方が効率的だ」

 大仰に両手を広げ、満足そうにルーインが言った。今度はエドガーが、何が我が宮殿だ、と拳を握りしめる。

「王家とこの国を裏切って、虐げられてきた人々を利用していた卑怯者! 私利私欲のためだけに魔法を極めるなんて、恥を知れ! お前は、自らが育て上げた僕らに倒される、愚か者だ!」

 彼の言葉には、この国を守る使命を持った者としての嫌悪、そして師として信じた人間に裏切られた怒りが込められていた。しかし、その感情を逆撫でするように、ルーインは、エドガー君、と嘆かわしそうに首を横に振った。

「師に対してそのような口の利き方をするとは、残念でなりません。君たちには、再教育が必要なようだ」

 ルーインはわざと優しい声色で語り掛け、あざける様な笑みを浮かべた。彼が杖をかざすと、玉座の間の両側にある扉が開き、兵士たちがなだれ込んできた。階段の下の方にも、どこからともなく多くの兵士が現れ、リックたちに向かってくる。

「さて、兵士共に殺されるか、私の魔法で死ぬか。どちらか、好きな方を選びなさい」

 尚も挑発するルーイン。リックは短剣を抜き、風の魔力を纏わせる。他の四人も、全身に魔力を込め、臨戦態勢に入った。

「どっちもお断りだ。お前を倒して、みんなを助ける!」

 リックが剣を構え、迷うことなくルーインに向かって飛び出した。風の魔力を短剣だけでなく両足に込めると、正しく疾風の如く、迫りくる兵士が追いつくよりも早く、その間を駆け抜けていく。

「オストロと僕で兵士を抑える! その間に、シエラとリリーは陛下と長たちを!」

 エドガーの指示で、四人は二手に分かれた。リリアが水流で道を開き、シエラが彼女を抱え、火の魔力で強化した脚力で駆け出した。一方で、エドガーは風の魔力を纏い、目にもとまらぬ体裁きで、手当たり次第に兵士を投げ飛ばしていった。オストロが土の魔法を使い、投げ出された兵士たちを、マキナのように土の腕で拘束していく。

 息の合った四人の連携にも、ルーインは余裕の表情だ。彼は杖の先端を黒い刃に変化させ、風の魔法を操って、自らリックの方に飛び込んできた。玉座の間の中央で、二人の刃がぶつかり合う。

「個人指導をご希望かな? 早速だが、隙だらけだぞ?」

 ルーインがリックの短剣を弾き飛ばし、がら空きになった腹に蹴りを入れる。

 瞬時に風の魔法で防いだが、ルーインも風の魔法で身体を強化していたため、リックは大きく後方に吹き飛ばされた。息をつかせる間もなく、彼の足元が隆起し、石の槍が飛び出す。それもリックは紙一重で躱したが、今度は続けざまに火炎弾が飛んできた。しかし、リックが短剣を振るうと、火炎弾は触れた瞬間に意図も容易く消え去った。忌々しそうに、ルーインがつぶやく。

「魔法を切り裂く、初代風の長の短剣か。…ならば、数で押すまでだ」

 ルーインの背後に、無数の火の玉が浮かび上がり、一斉に放たれた。しかし、リックは動きを止め、短剣の刀身により一層魔力を込めると、横一文字に振り抜いた。瞬間、突風が吹き荒れ、全ての火炎弾を吹き飛ばす。

「無駄だ! いくらお前が無尽蔵の魔力を持っていても、この剣は一振りで、全ての魔法を切り裂く」

 剣の切っ先をルーインに向け、リックが鋭い眼差しを向けた。ルーインからは先ほどまでの余裕は消え、代わりに憤怒の表情でリックを睨み返す。

「調子に乗るなよ!」

 ルーインが左手を頭上に掲げた。直後、ゴロゴロと空気を揺らす轟音が鳴り響く。雷の魔法が来る。そうリックが思った時、天井を突き破り、稲妻が床を直撃した。彼から数メートルと離れていない床が、真っ黒に焦げている。身動きを取る暇もなかったという事実に、リックの頬を冷や汗が伝った。ルーインは、外したか、と舌打ちをしたが、再び余裕を取り戻して、残忍そうな笑みを浮かべる。

「命拾いしたな、小僧。雷の魔法の精度を上げるには、私でもまだまだ鍛錬が必要だ。しかし、お前なら練習台にちょうどいい。邪魔者を殺し、鍛錬にもなるからな」

 ルーインが右手に持った剣に紫電が走り、左手の先ではバチバチと電光が爆ぜる。

「まだまだ、楽しませてくれよ、リッキンドル・フォーデンス。あっさりと終わってしまっては、味気ないというものだ」



 リックがルーインと対峙している間に、シエラとリリアは、無事にスロウトたちの元までたどり着いた。みな意識が混濁しているのか、ぐったりとして目を閉じている。シエラがスロウトの装置を壊そうと、拳に炎を纏って銀の球体を殴りつけた。しかし、球体に触れた瞬間に電撃が走り、炎の拳は弾き返される。短い悲鳴を上げ、彼女はその場にうずくまった。

「シエラ!」

 駆け寄ったリリアが彼女の腕を見ると、魔法の炎は消え、感電によるひどい火傷を負っていた。激痛に脂汗を滲ませ、シエラが歯を食いしばる。リリアは治癒魔法を使い、すぐに彼女の腕を治療した。水の魔力の青い光に包まれ、ほんの数秒で彼女の腕は元通りになっていく。

 腕が治ると、シエラはリリアに短く礼を言い、再び拳に炎を纏わせた。額に汗を滲ませながら、無理矢理な笑みを浮かべる。

「これが雷の魔力か。正直、しんどいわね。壊すまでに、私の腕がくっついていればいいけど」

 球体を睨みつけ、再び拳を構えようとしたシエラをリリアが、待って、と呼び止め、その背中に両手を押し付けた。何をしたいのか分からず、振り返るシエラ。

「シエラの腕が傷つく前に、私の治癒魔法で治し続ける! 痛みなんて感じさせないから、思いっきりやって!」

 そう言って、リリアは意識を集中するために固く目を閉じた。シエラの身体に、水の魔力が流れ込む。背中から右腕を包み、本来は相容れるはずのない水と火の魔力が、一つになる。しかし、シエラが感じたのはリリアの魔力だけではない。背中を支えてくれる仲間の存在が、彼女の心を奮い立たせた。

「任せなさい! 頼んだわよ、リリー!」

 シエラが不敵な笑みを浮かべ、背中越しのリリアに言った。彼女はもう一度、炎の拳を構え、雄たけびと共に振り抜く。銀の球体と拳がぶつかり合うと、激しく火花が散った。しかし、今度は打撃が弾かれることはなく、滑らかな表面にひびが入った。これなら壊せる、そう確信したシエラは、より一層の炎を拳に込めて再び打ち抜いた。二撃目の拳でひびが全体に回り、球体は粉々に砕け散る。リリアの言葉通り、痛みは全く感じなかった。

「シエラ! このまま、他の四つも!」

 リリアに促され、シエラは次々に球体を壊していった。青と赤の光が踊り、砕け散った球体の破片が煌めく。数を追うごとにシエラの額にも汗が滲み、体全体にずっしりと疲労感がのしかかって来た。一発の拳に、相当な魔力を込めなければいけない。それでも、鳴り止まない激しい戦闘の音と、背中越しに感じるリリアの想いが、彼女の拳を前へと突き出させる。弱音を吐いている暇はない。一刻も早く、自身の役目を全うしなくては—。

「これで、最後!」

 そして、とうとう五つ目の球体が砕け散り、捕らわれていた全員が解放された。スロウトも長たちも、魔力を吸い尽くされてひどく憔悴しているが、まだ生きている。

「やったよ、リリー! 治療は任せるから、私もリックたちの方に―」

 シエラが喜びの声を上げ、後ろを振り返った。しかし、そこにリリアの姿は無い。

「—リリー!」

 彼女の足元で、真っ白に血の気が引いたリリアが、ぐったりと横たわっていた。

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