レジスタンス

 ルーインが告げた事実に、リックは今度こそ思考が止まってしまった。虚ろに地面を見つめる瞳には、何の感情も見て取れない。静まり返った室内で、ランプの火が燃えるじりじりという微かな音だけが、時間が流れていることを証明していた。

 リックの反応が無いことに業を煮やしたのか、ルーインの言葉を引き継ぐように、カイは唐突に、自身の生い立ちを話し始めた。

「ゴンドーとの戦争が終わって、すぐの事さ。外交政策の為に訪れたとある国で、先代のフレイル王は僕の母、レナと出会った。母は平民だったようだし、詳しい経緯は知らないけれど、早くに王妃を病で亡くしていたフレイルは、母を次の妃にと、この国に連れてきたんだ―」

 しかし、身分の違いを理由に周囲の者に大反対され、二人の想いが果たされることは無かった。王室の恥と言わんばかりに、このことを口外することも禁じられ、レナは王都北部の屋敷で、ひっそりと暮らすこととなる。フレイルはレナを不憫に思い、その後も忙しい公務の合間を縫って、足繁く屋敷に通った。そして数年後、カイが生まれる。父親が誰なのかも、なぜ家から一歩も出られないのかも、幼いカイは知る由もなかったが、母と共に過ごせるだけで、彼は充分に幸せだった。

 穏やかな日々は、彼が五歳になるまで続いた。しかし、十五年前、事態は急変する。

 フレイル王が重い病を患い、病床に伏したのだ。死期を悟った彼は、周囲の反対を押し切って、レナとカイを自分の元に呼ぶように遣いを出した。死の間際、愛する者に一目でも会いたかったのか、あるいは祖国に帰るように言うつもりだったのか、今となっては分からない。

 しかし、別の可能性を考えた人物が一人いた。現ガルディア国王、スロウトだ。フレイルは、カイの存在を周囲に隠していたため、彼からすれば、腹違いの弟の存在は寝耳に水だったろう。彼は、それまで約束されていた自身の権力が奪われるのを恐れ、王宮に向かう二人を部下に襲撃させた。

「—今でも覚えているよ。雨で濡れた冷たい地面に横たわる、真っ赤に染まった母の横顔を。僕自身も切りつけられて、痛くて、怖くて、訳も分からなかった。虫の息も同然だった僕に、奴の部下は、お前たちの存在自体が罪だ、って言ったんだ」

 壮絶な過去を語るカイからはいつもの笑みは消え、瞳の奥には冷たい光と、あの日の激情が宿る。

「恐怖、憎しみ、怒り―。今まで感じたことが無いほどの激しい感情で、僕の頭は真っ白になった。僕が雷の魔力に目覚めたのはその時で、正気に戻った時には、目の前に消し炭になった奴らが転がっていたよ。まあ、その時すぐに先生が来てくれなければ、僕もあの場で死んでいただろうけどね」

 そう言って、カイは自嘲気味な笑みを浮かべた。ルーインが深く息を吐く。

「強い魔力を感じ、現場に駆け付けた私は、すぐに事情を察しました。レナ様には一度だけ、王宮でお会いしたことがあり、お顔は覚えていましたから。それに、スロウト王が父君に早く王位を譲るように迫り、しばしば衝突していたこともありましたので、これは自身の王位に危機感を感じた彼の仕業ではないか、とね」

 ルーインは瀕死のカイを助け、スラム街に匿った。スロウトは誰かがカイを助けたことは分かっていたが、事件の発覚を恐れて行方を追うことはしなかった。フレイル王の死後も、王位を叔父のセレスが引き継いだことで、派手な動きは出来なかったようだ。そして一命を取り留めたカイは、自身が何者でなぜこのようなことが起きたのかを、ルーインの口から知ることとなった訳だ。ルーイン自身は大戦以降、腐敗し、荒んでいくこの国の未来を憂いていた。そんな時、伝説の雷の魔力を持つカイに出会い、この国を真に導くべきは彼だと考えたのだ。ルーインはカイに魔法を始め、剣術、体術、学問、あらゆることを教えた。彼を、この国に真の平和と平等をもたらす、理想の王へと育てるために。その間に、セレスも兄と同じく病に倒れ、いよいよスロウトが王位を継ぐこととなる。それからは、時の流れとともに、王国の腐敗は益々ひどくなっていくのだった。

「―そして五年前、私は王と水の長から、計画への参加を促されたのです。王は魔法の更なる研究の為と言えば、私が協力すると思ったのでしょう。ですが、私は多くの犠牲を払ってまで、そんなものを求めようとは思わなかった!」

 出会ったから初めて、リックはルーインが声を荒げたのを聞いた。思わず視線を向けると、彼は苦悶の表情を浮かべ、項垂れている。

「私は、手塩にかけた生徒が、戦場で無残に散っていく様を何度も見てきた。その度に、身を切られるような痛みを味わってきたのです。そのうえ、何の罪もない国民の命を犠牲にするなど、どうしてそのようなことが出来ましょうか⁉」

 ルーインは悲痛な叫び声を上げ、杖を持つ手は小刻みに震えていた。リックが再び視線を逸らすと、カイが壁に貼られた地図の前に歩いていくのが目に入った。彼の指が、ゆっくりと地図の上を這う。

「マキナとエレナは、小さい時にスラムで知り合って、一緒に先生の元で魔法を学んだ。そっちのゴルトは元軍人だ。不正を働いていた上官に濡れ衣を着せられ、処刑されそうになっていた所を、僕らが助けたんだ。この5年間で国中を回り、現王政に不満を抱く者や、不当な扱いを受けている人々を救ってきた。リリアも、その一人だよ。彼女の父親が、異国の人間なのは知っているだろ?」

 カイがリックを一瞥する。彼の指先は地図の上を這い、リリアの故郷である軍港・レクタシアを指し示した。

「港町とはいえ、ここにはよそ者を嫌う人間も少なからずいる。彼女の家族が開いていた診療所も、そんな差別や偏見に遭い、それでも人々のために尽くしていた。でも十年前、幼い彼女と母を残して突然、父親が失踪。さらに不幸は続き、母親は病に侵され、今は寝たきりだ。周囲の人間は、都合のいい時だけ彼女たちを頼り、手を差し伸べるようなこともしない。そればかりか、いなくなった父親は他国のスパイだったんじゃないか、なんて噂をするほどだ。彼女は、その理不尽を正すため、僕らの仲間に加わった」

 寮では語られなかったリリアの過去に、リックは愕然とした。父のように誰かを助けられる人になりたいと、あの時、彼女はどんな気持ちで言っていたのだろう。

 カイの口調は、次第に熱を帯びていく。

「スロウトが王であり続ける限り、この国の悲劇は終わらない。僕たちが、終わらせなければならないんだ。虐げられ、理不尽を強いられてきた僕らには、この国を変える権利、いや、使命がある!」

 強固な信念と決意。こんな話を聞けば、リックもそう思ってしまう。しかし―。

「—それでも、やっぱり暴力は間違っている。それじゃあ、結局誰かを傷付けて、また同じことを繰り返すだけじゃないか! もっと別の道が—」

 別の道などありはしない、とカイが怒鳴り声を上げ、拳で壁を殴りつけた。

「なぜ、分からないんだ⁉ そうやって現実の問題から逃げ続けてきた結果が、腐敗しきったこの国だろ! 誰かが剣を取り、スロウト王政を打倒する以外に、奴の計画の阻止も、腐り切ったこの国を正すことも、絶対に出来はしない!」

 今まで見せたことが無い程の険しい表情で、カイはリックを睨みつける。その気迫に、リックは思わず息を呑んだ。マキナが、落ち着いて、とカイを窘める。彼女は前に進み出て、しゃがみこんでリックに視線を合わせた。今までの軽薄な感じはなく、その瞳は真剣そのものだ。

「私たちの目的は、カイが言った通りよ。君にも一緒に戦って欲しいから、ありのままを話すわ。レジスタンスは、私たちも含めて五十名ほど。実はシローリアの軍人にも協力を得ているけど、戦力的にはもちろん不十分よ。長をはじめとした魔法使いの部隊ソル・セルと渡り合うのは、不可能に近いわ。でも―」

 マキナが胸元から、あの小さな宝石の付いたネックレスを取り出した。

「この石は魔力を蓄積、収束させることで通常の魔法の何倍もの力を出せる、先生の研究成果。私とエレナ、ゴルトはこれで魔力を底上げしているの。ただ、これでもまだ長の力には及ばない。才能ある魔法使いが使えば、話は別だけどね」

 彼女はそう言って、ポケットから別のネックレスを取り出し、リックの目の前に差し出した。その先には、風の魔力と同じ、緑色に光る宝石。

「私たちに協力して。この力で、あなたが父親を止めるのよ。誰かを助ける、そのためにあなたは魔法使いになったんでしょう?」

 マキナの言葉が、まるで喉元に突き付けられた鋭い切っ先のように、リックに決断を迫った。宝石が放つ鮮やかな緑が、彼の瞳に映る。

「それは……」

 そう呟いたきり、リックはその先を口にすることが出来ず、彼女の言葉から逃れるように視線を落とした。マキナはため息を吐いて立ち上がり、リックの後ろに回り込む。

「カイ、彼の拘束、解いて良いわよね?」

 マキナがそう言った時、すでに彼女はリックを縛っていた縄に手を掛けていた。もう解いてるじゃないか、と苦笑を漏らしたカイは、いつも通りの穏かな口調に戻っていた。

「まあ、抵抗しても逃げられはしないし、構わないよ。それに、彼にも考える時間は必要だろうから。…そろそろ、場所を移そうか」

 拘束を解かれたリックは、ゴルトとエレナに付き添われて部屋の外に出た。そこで初めて、彼はここが大きなほら穴の中だと知った。太陽の代わりに、たくさんの松明が周囲を照らし、小さな家がいくつも並んでいる。

 洞窟の中に村がある、と思わず呟いたリックの声に、ゴルトが頷く。

「ああ。正確には王都北部、スラム街の地下だ。マキナの土の魔法でこしらえた、俺たちのアジトさ。天下の魔法使いの部隊ソル・セルでも、まさか自分たちの足元に敵が住んでるとは、思わなかったろ?」

 皮肉交じりにそう言って、ゴルトはニッと口の端を釣り上げた。リックはその問いに答えることなく、別の質問を投げかけた。

「…あなたも、元軍人なんですよね? どうして、こんなことを—」

 その時、彼らの行く道の先に小さな子どもたちが現れた。年齢は、みんな五、六歳くらいだろうか。ゴルトを見るなり、嬉しそうな表情で駆け寄ってくる。

「ゴルトおじさん、エレナお姉ちゃん! 帰ってたんだ!」

 先頭にいた男の子が、歓声と共にゴルトの足に抱き着いた。エレナの方にも、後からきた子どもたちがわらわらと集まる。彼女は普段の仏頂面が嘘のように、穏やかな笑みを浮かべている。

「マシュー! 元気にしてたか?」

 ゴルトがそう言うと、マシューと呼ばれた男の子は、うん、と元気に頷いた。そして、リックに気付くと、この人は誰、と小首を傾げる。ゴルトは、俺達の知り合いだ、と言って、マシューの頭を優しく撫でた。マシューが、気恥ずかしそうにその手を逃れる。リックはここに子どもがいることに戸惑いつつも、ぎこちない笑みを浮かべて、初めまして、とマシューに話しかけた。マシューは元気に、はじめまして、と挨拶を返してくれた。

「初めて見る人、今日は多いね! さっきも、銀色の髪のお姉ちゃんがいたよ!」

 銀色の髪と聞いて、リックはすぐにリリアのことだと分かった。彼女も、やはりこのアジトにいるようだ。ゴルトは、もうすぐ大事な作戦があるからな、と言って、ふっと表情を和らげる。

「お前らも、母ちゃんたちが心配しないように、早く家に帰れよ」

 マシュー達は元気に返事を返し、それぞれの家の方に走っていった。その後ろ姿を見送りながら、ゴルトが再び口を開いた。

「あいつらは、みんなスラムで生まれた。親に捨てられたり、死別して身寄りが無い者、貧しくて飢え死にしそうだった家族さ。そいつらを拾って、レジスタンスに協力してもらっている」

 ゴルトは目を細め、優しいような、悲しいような、不思議な表情をしていた。

「俺がどうしてこんなことをしているのか、だったか? きっかけは、危うく処刑されそうになっていた所をカイに救われた恩義だが、今の理由はあいつらさ」

 そこから少し歩き、リックが連れて来られたのは、独房のような場所だった。正方形の土壁の小屋で、鉄製の扉と、格子窓が一つ。部屋の中には机とベッドのみ。

「あとで食事を運ばせる。ああ、逃げようと思っても無駄だぞ。これもマキナの魔法だから、壊した瞬間すぐバレる。一晩、じっくりと考えるんだな」

 ランプを机の上に置き、ゴルトはそう念を押して、扉に鍵を掛けた。二人の足音が遠ざかるのを聞き届け、リックはどっかりとベッドの上に腰を下ろす。一晩じっくり考えろ、とは言われても、頭の中はまだぐちゃぐちゃだった。

 そして無情にも、建国式典までの時間は刻々と迫りつつある。

  

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