魔法使いたち

 宿の外、強風に煽られた大きな雨粒が地面を叩く。空一面を覆った暗雲の中を稲妻が走り、轟音が空気を震えわせていた。そんな嵐の音と共に町を満たすのは、多くの人が行き交う足音と、警吏の怒鳴り声だった。ランプの灯りを頼りに、誰もが北を目指している。

 その流れに逆らうように、リック、マキナ、エレナの三人は説明された通りに、南を目指して走っていった。

 刻一刻と強さを増す雨風に比例して、胸の内に積もる不安と焦り。それらをかき消すように、リックは顔を濡らす雨水を拭った。あとに続くマキナたちも、宿を出てからは一度も口を開いてはいないが、緊張しているからではないだろう。

 しばらくして、並んでいた建物が少なくなり、視界が開けてきた。その先にいくつかのランプの灯りが一塊になって、大勢の人影を浮かび上がらせている。一人の男性が三人に気付き、怒鳴り声を上げた。

「何をしているんだ!こっちは危ないぞ!」

 彼らが立っている場所から少し先に、堤防が見える。激しい雨音に混じって、轟々と濁流の流れる音が響いていた。息を切らしながら、リックは彼らの元までたどり着いた。

「僕たちは魔法使いです! ここは僕らに任せて、皆さんは先に避難をしてください!」

 男性の周囲にいた警吏の人々を含め、魔法使いという言葉と三人の姿を比べ、いやいや、と首を横に振る。

「君たち、まだ子供じゃないか⁉ ここもいつ崩れるか分からないし、君たちこそ大人しく避難を―」

「はいはい、ちょっとそこ退いて! 危ないよー」

 その言葉を遮って、マキナが男たちの間に割って入った。周囲が止める間もなく堤防の前に出ると、彼女は片膝を折って、右拳で地面を軽く突くような姿勢になる。そして、よいしょ、という緊張感の無い掛け声と共に、微かに黄色の光が地面に走った。

 次の瞬間、リックをはじめ、警吏の男たちは誰もが言葉を失った。地響きと共に地面が隆起し、町と堤防の間に土の壁が出来上がっていったのだ。時間にして十秒程で、ぐるりと町の南側を囲うような長い壁が出来上がった。高さも3メートルほどあり、ひとまずは濁流が越えてくることもなさそうだ。マキナは立ち上がると、満足そうに壁を見上げた。

「とりあえず、これで内側の堤防が決壊しても、避難の時間稼ぎにはなるでしょ。あたしたちは濁流の方をどうにかするから、パニックで余計な怪我人が出ないように、誘導よろしく!」

 そう言ってマキナが歩き出すと、彼女が通れるように壁に穴が開いた。エレナも何事もなかったようにその後に続き、まだ呆然としているリックに、置いてくわよ、とぶっきらぼうに告げて、さっさと行ってしまった。リックは警吏の男たちに、お願いします、と勢いよく頭を下げ、慌てて二人の後を追った。

「え、何者…?」

 誰ともなくつぶやいた警吏たちの目の前で、壁の穴は塞がっていった。

 一方で、壁の中に入った三人は、少し離れたところに設けられた階段を登っていた。ここから、堤防の上に通じているようだ。

 興奮した様子で、リックがマキナの背に向かって言った。

「マキナさん、すごいですね。あんなに大きな壁を、一瞬で作っちゃうなんて!」

 素性は知れないが、魔法の腕に関しては、十分に信頼出来る人物のようだ。彼女はちらりとリックに視線を移し、自慢するでもなくあっさりと、まあね、と答えた。しかし、すぐに神妙な面持ちで、とはいえ、本当の問題はここからよ、と前方に視線を向けた。

 堤防の頂上にたどり着くと、三人の目の前に、黒々とした濁流が現れた。リックがランプの灯りで足元を照らすと、水かさはほとんど堤防と同じ高さまで達している。川上で根こそぎ濁流に攫われた大木が、何本か流されているのも見える。

「助けてくれー!」

 突然、暗闇の中から叫び声が聞こえた。川の方から聞こえてきたようだったが、ランプの明かりでは近くしか見えない。マキナが隣に並んだエレナに言った。

「暗くて見えないわね。エレナ、!」

 エレナが右腕を頭上に掲げた。すると、彼女の腕が赤く光り出し、掌から小さな火柱が燃え上がる。火柱は生き物のように揺らめき、拳大ほどの火球に形を変えた。

 火の魔法だ、とリックは目を見張った。火球は彼女の手を離れ、勢いよく上空へと放たれた。すぐに弾けた火球が眩い閃光となって、周囲を照らし出す。その一瞬、三人から東に離れた所に、濁流で両端が崩れ落ちた石橋が見えた。その残った部分で、二人の人影が必死に手を振っている。橋を渡っている途中で崩落が起こり、逃げ遅れたのだろう。

「マキナ、あそこ」

 人影に気が付いたエレナが言うが早いか、リックはそちらに向かって走り出した。マキナが、ちょっと、と制止しようとしたが、その声を振り切って、彼は助走をつけると、思い切り石橋に向かって跳び上がったのだ。しかし、橋まではかなりの距離があり、彼の身体は投げ出された小石の様に、真っ逆さまに濁流に落ちていく。マキナもエレナも、思わず息を呑んだ。

「吹き上がれ!」

 リックの叫び声が聞こえ、彼の体が見えない何かに押し出されるように、宙へと舞い上がった。マキナは、彼の身体を包み込むように渦巻く風に気が付いた。降りしきる雨粒も弾き、彼の周囲に上昇気流を巻き起こしているようだ。

「なるほど、風の魔法ね」

 リックは石橋の上に降り立ち、大丈夫ですか、と人影に駆け寄った。人影は老夫婦のようで、老人が隣に立つ老婆の肩を抱いていた。二人とも雨に打たれ続けたせいで、小刻みに体を震わせている。二人とも、文字通り飛んで来たリックに驚いていたが、声を上げる元気も無いようだ。とりあえず、リックは自分の外套を脱いで、包み込むように二人に掛けた。すぐに向こう岸まで運びますから、僕に掴まって、と端的に言い、彼は両手で老人たちの肩を抱きかかえた。

 リックの体が微かに緑色に光り、再び周囲を気流が包み込むと、今度は老人たちの体も宙に浮き上がる。彼は老人たちを怖がらせないように、ゆっくりと、二人が待つ堤防の上に飛んでいった。マキナが老人たちを受け取り、興奮気味にリックに声を掛ける。

「空を飛べるなんて、すごいじゃない! 私が見てきた風の魔法は、せいぜい物を浮かすか、風を起こすくらいだったけど! 流石ね!」

 先ほどまでの品定めするような態度が一変したマキナに、どう反応すればいいのか分からず、リックは、それほどでも、と言葉を濁した。エレナの方も、やるじゃない、とでも言いたげに、感心した表情を浮かべている。リックは少しむず痒さを覚えたが、すぐに老人たちの体調の方が心配になった。二人とも、震えは止まっていない。

「それより、この人たちをどうにかしないと! だいぶ雨に打たれていたようで、身体がすごく冷たいんです!」

 マキナはあくまでも冷静で、エレナ早く、と言って彼女を手招きする。エレナはいちいち指示されることが癪なのか、分かってるわよ、などと文句を言っていた。彼女は老人と老婆、それぞれの手を握りしめ、火の魔法を使う。今度は彼女から、オレンジ色の光が握った手を伝って、老夫婦も包み込んでいく。二人の震えは徐々に治まり、暖かい、と安堵の声が漏れた。

 エレナの魔法に、今度はリックが感心する番だった。彼女は火の魔法で起こした熱だけを、二人に伝えているようだ。繊細そうな作業だが、そつなくこなしている姿に技量の高さが伺える。思わずまじまじと見てしまったリックの視線を察し、エレナは、馬鹿みたいに物を燃やすだけが火の魔法じゃない、と、吐き捨てるように言った。その後で、ため息交じりに言葉を続ける。

「それより、状況は何も変わってないんだけど、どうするつもり?」

 彼女の言うとおり、依然、雨脚は衰えず、濁流も勢いを増すばかりだ。しかし、もちろんリックにも策が無い訳ではない。

「とりあえず、この雨をどうにかしよう。マキナさん、エレナ、二人を連れて、少し離れていてください」

 マキナもエレナも顔を見合わせ、どうにかするって、と怪訝な表情でリックを見た。リックは岸辺の方に進み出ると、両手を広げて深呼吸をした。目を閉じて意識を集中すると、彼の全身が、若草のような淡い緑の光に輝きだす。それと同時に、何が起こるのかと見守っていたマキナたちの周囲で、吹き荒れていた風の向きが徐々に変わり始めた。

「…あの子、風を吸い寄せてる?」

 マキナがそう呟いた。彼女の言う通り、風はリックに向かって流れていた。その異様さに、マキナとエレナは老夫婦を連れて、彼の背中から十分な距離を取った。その間も風はリックの方に流れ、やがて両手の掌の上で収束し、緑色の光を放つ気流の球になった。

「みんな、吹き飛ばされないようにしてください! いきます!」

 リックは振り返って四人が離れているのを確認すると、両手を勢いよく頭上に振り上げた。その瞬間、彼を中心に突風が吹き荒れ、気流の球が空に向かって放たれる。

 マキナたちは吹き飛ばされないように、咄嗟に身を屈めた。突風はすぐに止んだが、見上げた頭上の光景に、マキナもエレナも息を呑んだ。

 二つの球体は途中で絡み合う様に螺旋の軌道を描き、暗雲の中に突っ込んでいった。圧縮された風は雨雲の中で弾け、轟音を伴って鈍色の空をかき分けていく。瞬く間に、ササナ一帯を覆っていた雨雲は散り散りになって消え去り、優しい月の光が周囲を照らし出した。風に舞う雨粒が月光を反射し、まるで夜空の星々が降りてきたようだ。呆然とする四人を振り返り、リックがほっと安堵のため息を吐いた。

「な、何とかなりました。あとは、堤防の補強をすれば―」

 不意にリックの身体がふらつき、地面に倒れそうになった。マキナが慌てて駆け寄り、膝を突く彼の身体を支えたが、呼吸は乱れ、脂汗が噴き出ている。

「緊張が解けたのもあるんだろうけど、天候を変えるとか無茶するからよ。でも、よくやったわ。あとは任せて」

 マキナは半ば呆れているようだったが、労わるようにそう言って、リックに微笑んで見せた。リックも弱々しくはあったが、なんとかぎこちない笑みを返し、マキナの肩を借りて立ち上がろうとした。その時だった。

「—っ危ない!」

 リックが突然、マキナを突き飛ばした。次の瞬間、地響きと共に、二人がいた場所に亀裂が走る。堤防が濁流に耐え切れず、崩れ出したのだ。魔法による疲労で動けないリックの体は、真っ黒な濁流の中に飲み込まれ、全身が刺すような水の冷たさに包まれる。腕を伸ばそうとするが力が入らず、彼の身体は木の葉のように激流に流されていった。

 息苦しさと痛みの中で、リックの意識が途切れる。

 

 次にリックが目を覚ました時、ぼやけた彼の視界には白い天井が映っていた。温かな日の光が部屋を満たし、そよ風がカーテンを揺らしている。まるで夢の中のようだったが、起き上がろうとした拍子に脇腹に強い痛みを感じ、その瞬間、脳裏に先ほどまでの出来事が蘇った。降りしきる暴風雨、マキナとエレナ、そして、自分を飲み込んだ濁流。

 急な眩暈に襲われ、彼は再び横になった。とりあえず、生きていることに安堵して、大きく息を吐き出す。その時、ドアが開いてムーギーが顔を出した。リックが顔を向けると驚きと安堵が入り混じった表情を浮かべ、気が付きましたか、と声を上げる。その手の中には、あの短剣が握られていた。ベッドに駆け寄る彼に、リックが矢継ぎ早に尋ねる。

「その短剣、どうして? いや、それより町は大丈夫ですか? みんなは—」

 そこまで言って、リックは苦しそうに息を詰まらせた。ムーギーが慌てて彼の体に手を添え、ゆっくりとベッドに横たえさせた。

「無理しないでください! 濁流に流されて怪我をしているのですから。…まず、河は氾濫せずに済みました。雨が止んだのと、魔法で堤防を補強してくれたおかげです。住民も、避難の際に少し怪我人が出た程度で、皆さん無事です」

 彼の言葉に安心し、リックは思わず、よかった、と笑みを浮かべた。しかし、ムーギーの方は、渋い表情になる。

「…マキナさんとエレナさん、でしたか。無茶な魔法で体を酷使したのに、マキナさんを庇って、濁流に呑み込まれたと聞きました。その時になぜか、この短剣が濁流の中でも光ってくれたおかげで、あなたを見つけることが出来たそうです。これも、風の魔力の導きでしょうか?」

 そう言って、彼は短剣をリックに手渡した。その後で、リッキンドル様、居住まいを正し、少し語気を強める。

「今回はお二人が助けてくれたからよかったものの、一歩間違えていれば、どうなっていたことか! 咄嗟のこととはいえ、考え無しに動くのはおやめになってください」

 ムーギーの諫言と、手にした短剣の重みをずっしりと感じ、リックは素直に、はい、と頭を下げた。しかし、次の瞬間、彼は何かを思い出したように、そうだ、と声を上げると、興奮した様子でムーギーに尋ねた。

「あの二人は今どこに? 彼女たちの魔法、本当にすごかったんですよ! お礼もしたいし、師匠以外の魔法使いに会うのは初めてだから、もっと話を聞きたいな! 一瞬で土の壁を出したのもすごかったし、火の魔法で熱だけをコントロールするのも―」

 反省はしたようだが、すぐに切り替えて話し出したリックの態度に、ムーギーは、無鉄砲さと魔法の話になると人が変わるのはおじい様譲りですな、と呆れてため息を吐く。苦笑を浮かべ、リックの言葉を遮るように声を張った。

「いいから、落ち着きなさい! せめて今日一日は、安静にしてもらいます! それに、お二人は今朝早くに出て行かれました! 東の都、トートに用があるそうです」

 元軍人の気迫に、思わずリックは、分かりました、と口を閉じた。肩を落としてはいるが、反省しているのではなく、魔法の話が聞けないことが残念なのだろう。すると、思い出したようにムーギーが、これを預かっていました、とポケットから二つ折りになった紙切れを差し出した。書いてあったのは、簡潔な文章だけだ。

『心優しい魔法使いさんへ。魔力の導きがあれば、いずれまた会いましょう』

 リックが手紙から窓の外に目を向けると、澄み渡った青空が広がっている。結局、あの二人は何だったんだろう、とリックは二人の旅人に想いを馳せた。



 雲一つない青空と、降り注ぐ日差し。真っ直ぐに伸びた一本の道を、二つの影が並んで歩いていく。正午も過ぎ、王都と四方の都市を結ぶ国路は行商人や旅人で溢れていた。その雑踏の中、フードを深々と被った二人を、すれ違う人々が気にする様子はない。

 それでも片方の影―エレナは声を潜め、隣を歩くマキナに、どういうつもりだったの、と尋ねた。眉間に皺を寄せた仏頂面に、マキナは悪びれた様子も無く肩をすくめる。

「彼に協力したことなら、ほんの気まぐれ、人助けだって言ったじゃない。予定よりは少し早いんだし、計画に支障は出ないでしょ?」

 しかし、彼女の不満はそこにある訳ではなかったようで、今度は小さいながらも怒気を孕んだ声で噛みついてきた。

「それはそうだし、人助けにも文句はないけど、目立つような行動は避けるべきだったってこと! それに石の力まで使って、敵になるかもしれない相手を助けるなんて!」

 怒るエレナとは対照的に、マキナは何かを考えているような表情で、首に掛けたネックレスをいじり出した。先端に付いている小さな黄色い宝石が、陽の光に煌めく。

「…そうね。あの子の才能なら、確実に敵になるでしょうね」

「だったら何で―」

 他人事のような態度に、エレナは更に食って掛かろうとした。しかし、彼女は言葉を続ける前に、自分を睨みつけたマキナの鋭い視線に思わず口をつぐむ。

「あの子が連れの方に呼ばれていた名前、フォーデンスよ。忘れたの?」

 マキナの問いかけに、怪訝な表情を見せたエレナだったが、すぐに何かを思い出したように、それって、とつぶやく。視線を戻し、マキナが頷いた。

「ええ、水の長、ラルゴ・フォーデンスの息子でしょうね。それに、水の長の義父は、先代の風の長だったはず。事情は知らないけれど、彼は祖父に魔法を教わったんでしょ」

 エレナはすっかり落ち着いて、神妙な顔になった。天候を変える、などという無茶苦茶な魔法も、長であった祖父仕込みという事なら、納得出来なくはない。

「正直、人助けは口実。彼自身と、彼を利用できるかどうかに興味が湧いたっていうのが本音よ。結果、少しは手のうちも知れたし、良かったでしょ?」

 マキナの瞳がきゅっと細くなり、口元には不敵な笑みが浮かぶ。しばらくの沈黙の後、一応は腑に落ちたのか、エレナは、分かった、とため息を吐いた。しかし、すぐに怒った口調に戻り、マキナを指さして言い放った。

「でも、目立つ行動は避けること! これはカイの命令よ!」

 マキナが、はーい、と返事を返し、二つの背中は、陽炎のうちに消えていった。

  

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る