《エピローグ/横断歩道を知らない獣(前)》

 あれから2週間後。夏休みが明け、すぐのホームルーム。

「文化祭の実行委員、立候補するものいるかぁ?」

 担任の比嘉が、わざとらしくクラス中を見回すふりをする。

 本当はおれと唯だけを見ているのはわかっていた。比嘉だけじゃない、他のクラスメイトも同じだ。

「はいっ!」

 待ってましたと言わんばかりに弾む声をあげ、挙手をする唯。

 そこかしこから柔らかい笑いが起きる。

 温かい空気。よく思っていないであろう人間も気を遣い、せめてもと口角をあげてくれていた。

 夏休み前と同じ光景。一見すると、そう見える。

 ひとつ違うところがあるとしたら、種市の含み笑いが聞こえないことだ。

 朝一番、比嘉からクラスに通達された。

 種市は交通事故に遭ったため、数週間は欠席すると。

「ほら、駅前にでかい病院あるだろぉ。あそこに入院しているんだと、見舞いにでも行ってやってくれなぁ。先生も行くからなぁ」

 相変わらずあんたは狂っててまともだよ。

 このクラスを19秒でも見ていれば、種市の見舞いに行くやつなんかいるはずないのはわかる。それをはっきりと知りながら、比嘉は教師として鈍感を装って言うのだ。

 見舞いか。

 おれはあの後、種市には会っていない。

 互いに連絡先も知らないし、そもそも種市の電話番号を知っている人間がクラスにいるとは思えない。

 いや、知っていたところで、おれは話をしようとは思わなかっただろう。

 会いに行くこと自体はできる。

 でも、それをしようとは思わない。

 彼女が車の波に飛び込んだこと――おれに替わって「堕落」を試み、おれにとってのが見つかった。

 おれは、。観念的だけど、確かな事実だ。

 それだけで、もうふたりの繋がりは完結したのだ。

 唯は事故について怪訝には思っただろうが、細かいところはどうだっていいはず。願ったり叶ったりだろう。なにせ、種市が教室にいないのだ。

「荻野ぉ?」

 比嘉がおれに声をかける。クラス中の視線がおれに集まっているのを感じた。

 周囲の期待通り手をあげさえすればいいのに、もったいぶっていると思われているのだ。

「柊羽ってば! またボーっとしてる」

 唯は呆れながらも、以前と同じようにくすぐったそうな笑顔をこちらに向けた。

「柊羽、唯と喧嘩してんの? クラス全体を痴話喧嘩に巻き込むのやめてくれない?」

 長谷川がいたずらっぽく笑う。彼女は今日も頬にかかった髪を眼鏡のつるに、押し込んでいる。狂ったように。

 何もかもが、今までと同じように見えた。

 ……でも、この光景はかりそめにすぎないのだ。

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