《11/意味わからないことしないでください》

 おれは種市の手を取って走り出す。

「え、ちょっと、柊羽君?」

「おれが好きなのは唯なんです! なんです、けど……!」

 瑞希さんからすれば――いや、種市にとっても意味不明であろう、文脈一切なしの叫びから、おれは無理やりエネルギーを吸い出して駆ける。(とんだ自給自足だ)

 唯の笑顔?

 朝に見せた無邪気なはにかむ彼女と、うつろな表情の唯。

 別に守りたいのは無邪気な笑顔だけじゃない。というか、唯だけじゃない。

 全部ひっくるめてすべて、今を守りたい。

 種市が「あのぉ田原唯さんのおかあさぁん」と騒ぐのをかき消すように、

「36℃じゃつまらなくて嫌だぁぁ」と、おれは大きな声で叫び続けた。

 みじめだ。

 こんなおれにふさわしくない『堕落論』は、やはりブックオフ行き確定。

 せめて、新たな堕落の遂行者が生まれますように。

 種市とは全く歩幅が合わない。脚の長さが違いすぎる。

 つんのめりそうになる種市を時々振り返りながら、横断歩道に差し掛かる。

 青信号は点滅中で、一気に渡ろうと踏み出すも躊躇があだとなり、またもや浮き島で足踏み、エンジンの唸りに包まれる羽目になる。

 おれは今日も取り残される。

 今日も、じゃないな。

 おおげさじゃなく、これから一生。

 種市は手を振り払う。

 意味わからないことしないでください?

 おれは強烈な違和感を覚えた。

 お前は、意味が分からないことを積み重ねようとしてるんじゃないのか?

 ……いや。おれが種市の行動にルールを見出したりすること自体がおこがましい。

 違和感すら抱く権利もない。

「平気で人の日常壊そうとしやがって」

「田原唯さんは私にそれだけのことをしたでしょう?」

 種市は変人だけど悪意くらいは持つのだ。

 報復。当然の欲望。

 それも、じわじわちくちくと痛めつけて唯の首を絞めていくような方法ではなく、一撃で葬り去るような。

 行き交う車の中に、瑞希さんの車を発見する。向こうが気づいたかわからない。唯と連絡が取れたのだろうか。

「田原唯さんのお母さん。私、唯さんのお友達です! 頭からスポーツドリンクをかけるのは、友情でしょうか?」

 高らかに歌うように、声を弾ませて車の背中に叫ぶ種市。

 そうだよ、友達って一体なんなんだよ?

「種市」

 考えようによっては、ここは密室だ。おれたちは青信号になるまで「島」から出られない。

 おれは種市の肩に手を置く。

 今、それどころじゃないことはわかっているけど。

 なんだかたまらなく、今の一瞬だけがおれが知りたい答えを種市から聞ける瞬間に思えて仕方なかった。

 車の背に喚き続ける種市が、どこまでも純粋で素直な存在に映ったからかもしれない。

「なんですか」

 あぁ、種市がぎょっとした驚いた顔してるよ、そりゃするか、見たことない間抜けな表情でちょっと幼くてかわいい。

 彼女に意見を訊きたいことがいっぱいある。

 おれが知る人間の中で、貴重なまともさを持つ種市から。

「あぁいう人ってさ、明日世界が滅びるとしてもブランドにこだわるのかね?」

 ちがう。

 そんなことじゃない。

 友達がどうのこうの、というのも本当はもちろん違う。

 話したいことは、本当ははっきりしている。

「堕落」とは何か、ただそれだけ。

 わかってるよ、馬鹿の一つ覚えだ。これがもしかしたら、ラストチャンスかもしれない。

 種市の答えを聞いたら、そのときは『堕落論』と完全に縁を切ろう。

 おれが種市に憧れたのも、瑞希さんから必死に逃げざるを得なくなったのも、唯が種市をいじめたのも。

 元を正せば、『堕落論』におれが憧れてしまったからだ。おれの日々への見えない不安を、消してくれる希望だったはず。

 でも、今は見えないものより見えるものを大切にしなくてはいけない、そんな風に思えてならないのだ。

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