第8話

 木剣を持ったクレスクントが、静かに部屋内を見回す。

 血で濡れた床。

 負傷した男たち。

 対してデアは汗だくではあったが、傷と呼べるような負傷は見当たらない。

 圧倒的な実力差だった。 


「デアさん。僕はいままでたくさんの人を教えて来たけど、君ほどの才能には出会った事がないよ」

「ありがとうございます」

「いや、礼を言うのはこっちだよ。ありがとうデアさん。ここまで着いて来てくれて」


 そう言いながら、クレスクントはポケットからコインを取り出した。

 コインの中央には穴が空いており、ヒモが通されていた。


「出たァ! 催眠ッ!!」


 男の一人が歓喜の声を上げる。

 キョトンとするデアを尻目に、クレスクントはヒモの先を持ってコインを左右に揺らし始めた。


(催眠術? あのコインを見なければ効き目ないのでは……?)

 

 そう思ったデアだったが、直ぐにこの催眠の効果を実感する事になる。

 コインから目を逸らしながら、彼女は隙だらけのクレスクントに攻撃を仕掛けた。

 しかし。


 パァン!


 攻撃は弾かれた。

 それだけでない。


 ブオゥッッ!


 高速のカウンターが放たれ、デアは紙一重で避けた。


(速いっ! いつもよりも!!)


 そこで彼女は気が付いた。

 クレスクントの目の色が違う。

 催眠術は……自分自身へおこなっていたのだ。


 パンパパパパンッ!


 ただでさえ速いクレスクントの剣が、更なる速さでデアに襲いかかる。

 最小の動きでなんとか受けた。

 しかし疲労の蓄積のせいで、今にも剣を落としそうだった。

 

(負けるとかじゃない……このままじゃ私……殺されるっ!)

 

 鋭い斬撃は全て急所を狙っている。

 一発でも当たれば致命傷だろう。

 生死を掛けたギリギリの攻防の中、デアの脳裏にはルードスの顔が浮かんでいた。



−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


【デア視点】


 ルードスはいまごろ、クエストを終えた頃かな?

 ギルドへ報告に向かい、家に帰って私に【通信鏡】で連絡を取ろうとするんだろうな。

 

 ルードス。

 私の大好きなルードス。

 あなたに黙っていた事があるんだ。

 剣術の事じゃない。

 もっと昔の……私とあなたとの話。


 まだ6歳の頃だった。

 私がお母さんと薬草を取りに行った日、魔獣に襲われたことがあった。

 運良く2人とも無事に逃げ切る事が出来たんだけど、今でもあの日の事が忘れられ無い。

 とっても怖かったから……ってだけじゃない。

 私は見ちゃったんだ。

 魔獣に襲われる直前、遠くからこっちに声を掛けようと近づいていたルードスの姿を。

 そして魔獣を見かけるや否や、ただ遠くで固まるだけのルードスの姿も。

 あなたはあの日の事、気づかれて無いと思ってるみたいだけど……私、全部見ちゃってた。


 正直言って、かなり幻滅した。

 いつも威勢のいいこと言ってたし。

 結局は口だけの男だったんだって、子供ながらに理解しちゃった。


 あなたはいつだって危険を避けることに一生懸命だった。

 自分だけじゃない。私や家族、仲間にも常に安全であることを望んでいた。

 それもこれも、本当は臆病な自分を隠したかったからなんでしょ?

 

 解ってる。

 解ってるけど、それでもずっと一緒に居たのは、あなたの優しさが“口だけ”じゃなかったから。

 あなたはいつだって全力で、人の為に尽くしていたから。

 危険な事を前にすると何もできないのがあなたの欠点。

 逆に言えば、危険な事がない限りあなたはずっと優しい人でいられる。

 あなたは何も悪くない。

 悪いのは“危険なこと”の方だ。

 だったら。

 だったら……。

 私があなたを守ればいい。


 クレスクント先生に出会えたのは運命なんだろう。

 私に秘められていた剣術の才能。

 先生に出会わなければ、きっと一生気づかなかった。

 だからこれは、運命なんだ。

 私の“ルードスを守りたい”という秘めたる想いに、運命が応えたんだ。


 

 いま私は、必死に先生の剣を受け流している。

 少しでも当たれば死ぬかもしれない。

 そんな危険な状況なのに……私は懐かしさを感じていた。

 初めて先生に木剣を握らされたあの日。

 あの時に似ているなって。


 まだ素人の私に、先生は容赦が無かった。

 それなのに私は勝ってしまった。

 もちろん手加減してくれたからではある。

 でもあの日から確実に運命は動き出した。

 時間を重ねて私は強くなり、今度は全力の先生と対峙している。

 今だ。

 今なんだ。

 今ここで、動き出した運命を完成させる……!


「クァァッ!!」


 私が怯んだ隙を狙い、先生が全力で木剣を振り下ろす。

 狙い通りだった。


「イヤーーーーーーーー!!」



−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−



 ルードスの【通信鏡】に連絡があったのは、デアと最後に話してから一週間後の事だった。


「っ!? デア!!」


 そろそろ寝ようと思っていたところだった。

 画面に写し出された名前を見て、ルードスは飛び起きた。


(ただの通話じゃなくて、“写し身通話”だ。いつもあんなにイヤがってたのに、なんで……?)


 “写し身通話”とは、お互いの姿を通信鏡に写しながらの通話だ。

 訝しむルードス。

 それでも音信不通だった恋人からの久々の連絡。舞い上がっていた。

 何度か深呼吸をした後、ルードスは通話を受けた。

 すると。


「やあ。君が彼氏くんかな?」


 画面に現れたのは愛しの恋人なんかではなく、見ず知らずの男の姿だった。

 短い銀髪に黒一色の服装。

 穏やかな表情だが、どこか冷たい目。

 どう見ても怪しい人物である。


「誰だオメぇは……!」


 期待を裏切られた怒り。

 そして恋人の身の心配。

 ルードスは恐怖と猜疑心に苛まれながら、精一杯の虚勢を張った。


「これは失礼。僕はクレスクント。君の恋人の、先生ってところかな」

「先生だァ……? 一体“ナニの”だよ!」

「それは彼女の姿を見ればわかるよ。さあデアさん。彼氏くんに新しい自分を見せてあげて」


 画面が動き、横からデアが現れた。

 久しぶりに見た恋人の姿に喜ぶルードス。

 しかし直ぐさま、彼女の異様な服装に激しく動揺した。


「デア……? なんだよ……どうしたんだその格好……」

「ふふふ、似合ってる? ルードス。ぜんぜん連絡出来なくてごめんね」


 恍惚とした笑みを浮かべるデア。

 両手でピースサインをする彼女の身体には、軽装の鎧が装備されていた。


「なんでそんな格好してんだよ……! デア! 一体なにがあったんだよ!?」

「ルードス。私、新しい自分を見つけちゃったの。先生が気付かせてくれたんだ〜」

「そういうこと。彼氏くん、君にはこれから彼女のすることを良く見てて欲しい」


 再び画面が動く。

 すると今度は遠くに魔獣の姿が見えた。

 熊タイプ。全長5メートルはある大型だ。


「おい……おいっ!? 止めろ! 止めてくれっ!!」


 画面の向こうへルードスが必死に訴えかける。

 しかしそんな彼の悲痛な叫びも虚しく、デアは魔獣の元へと駆け出した。

 

 グオぉぉぉおぉぉッ!!!


 人間が近寄って来るのを見て、魔獣は雄叫びを上げた。

 地を揺るがす咆哮。

 画面越しにも関わらず、ルードスの足はすくんでしまった。


 腰元の剣を抜き、デアが魔獣と対峙する。

 先に動いたのは相手の方だった。

 巨大な鉤爪の様な腕を振り上げ、デア目掛けて振り下ろす。


「やめろっ……やめろぉぉぉぉぉぉ!!」


 ブジュルッ。


 冷たく湿った濁音と共に、血を吹き出しながら巨体が揺れる。

 魔獣の攻撃より速く、デアの放った一太刀が魔獣の身体を切り裂いたのだった。


「彼氏くん、しっかり見ててくれたかな? すごいでしょ彼女。もう人間相手じゃ満足できないらしいんだ」


 返り血に顔を朱に染めて微笑むデア。

 ルードスはその姿を直視できず、思わず嘔吐した。

 魔獣とはいえ、生き物の殺生を見せられたのだ。

 平和に暮らして来たルードスにはあまりに刺激が強すぎたのだった。


「こう言う事だから、デアさんの事はもう少しだけこちらに任せて欲しい。全てが終わったら必ず君の元へ返すから、心配しないで良いよ」

 

 ………


 ……


 …

 

 それからしばらく経った後。

 クレスクントの言った通り、デアはルードスの元に帰ってきた。

 国はおろか、大陸全土を覆う巨大な脅威から人々を救った英雄となって。


 しかし英雄となった後も、デア自身は以前となんら変わらなかった。

 一人の女性としてルードスを愛し、彼もまた一人の女性として彼女を愛した。

 二人は今、夫婦となって幸せな結婚生活を過ごしている。




ーENDー

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