承前

 郭乃へと続く街道を、二人の男が馬に乗って下っていた。

 どちらも黒地に銀の刺繍が施された揃いの制服を身に着けているが、一方は釦を外してだらしなく着崩し、もう一方は詰襟まで締めてきっちり着込んでいる。各々の性格が一目見ただけで分かる様相であった。

 その片方、何処か遊惰な雰囲気を醸す二十代半ばと言った頃の男が、大欠伸をしながら何とはなしに言った。


「都と街を往復するだけの仕事も今回でいい加減仕舞いだろうよ。今日は酒盛りでもするか、珀鷺はくろ?」


 名を呼ばれた気真面目そうな青年は、男の言葉に一瞥を寄越してから静かに口を開く。


「俺は酒は好まない。飲むならお前だけで楽しんでくれ」

「はは、相変わらずつれねぇ奴だなぁ」


 自分よりも五つは年下の青年に、男は揶揄うような笑みを向けた。


「こないだようやく成人したんだろ。酒が飲めなきゃ一端いっぱしの男になれねぇぞ」

「その押し付けがましい持論、隊長に報告しても?」

「やめとけ。只でさえ奴には酒を控えるよう言われてんだ」


 ひらひらと手を振って肩を竦める男へと、珀鷺と言う名の青年は顰めた目つきを差し向ける。

 元は皇都の衛府に遣える衛兵だった彼等は、ほんの数か月前に郭乃へと異動の命を受けた隊士だった。以降は街道の警備を主な任務として請け負っていたが、全くとして異変の起きない日々に辟易とした気持ちを抱いているのも事実であろう。

 だが、その胸中を露骨に表す男と、律儀に任務を全うする青年。二人の性格の違いが如実に表れていた。


「……つか、本当にこれで任務がひと段落するなら手放しで喜ぶんだけどな」

「どうだろうな」


 溜息を零す男へ、青年は平淡な声を返す。


「北方領土の情勢が落ち着いてきたとは言え、その余波がいつまで此方に響くかは分からない。最悪、もうひと月くらいは長い目で見る必要があるかもな」

「まじかよぉ……毎日毎日馬に乗って街道を行ったり来たりしてばっかで、そろそろ頭ん中狂っちまいそうなんだよぉ……」

「なら何でこの任務に志願したんだ」

「そりゃ街の警備よか、こっちの方が楽そうだったからに決まってんだろ。期待を裏切られた気分だわ」

「それほど自分勝手な期待も無いと思うがな」

「連日何も起こらねぇんだし、ちょっとくれぇサボっても平気だよな。よし、確か近くにデカい湖があったし、俺そこで釣りしてくるわ。後は前に任す」

「ふざけるな」


 うんざりしたように青年は吐き捨てる。

 彼は衛兵隊の中で最も新人だが、真摯に仕事へ臨むその姿勢から既に幾度も功績を上げている優秀な人間だ。対する男は、衛兵としての実力は相応にあるものの、真面目に仕事をする姿を見ることは滅多にない。

 初対面の折、仕事中であるにも関わらず酒蔵へと誘われたのは記憶に新しい。当時と全く同じ呆れた視線を差し向ければ、その先で男が今にも馬首を切り返そうとしていたので、彼の肩を軽く拳でどついて留めた。


「何だよ。お前魚好きだろ。デカいの釣れたら今晩の食事が豪勢になるぞ?」

「また店に食材持ち込む気だったのか」

「いいだろ。女将さんが喜ぶんだよ。ついでにタダにしてくれるし……って、お?」


 男の言葉が途切れた。彼の視線を追って青年も進行方向へ意識を戻す。

 今までは左右に草原が広がるだけの街道を進んでいたが、前方には巨大な森が佇んでおり、郭乃への逕路はその森林地帯の中へと続いている。

 ちょうどその森の入り口付近に二台の馬車が縦列を成し、そう間隔を開けずして進んでいるのが見えた。


「珍しいな。都からの商人か? こっちの街道を使う奴はなかなかいねぇのに」


 男が片眉を吊り上げながら言う。

 彼等が駐在している郭乃と皇都とを結ぶ街道は、実のところ二つある。

 一方が街と都を殆ど一直線に繋ぐ、いわゆる双方に於ける直通の街道であり、もう一方が周辺の村や町の者が主に皇都へ向かう上で用いる街道だ。二人が警備を担っているのは後者であり、けれどこちらは途中に大きな森林部を通過しなければならない為、皇都から郭乃を目指す目的ではあまり利用されない。

 だからこそ彼等も暇と言って過言ではない状態を謳歌(?)していたのだが。


「……にしたっておかしいな。前の馬車は小綺麗な見た目してんのに、後ろのは何か襤褸っちくて―――」


 刹那。

 彼の傍らを一陣の風が吹き抜けた。

 男の呟きに反応した青年が、半ば反射的に馬を駆り、街道を駆け出したからだ。


「おい珀鷺⁉」


 突然の行動に目を瞠り、だが直後に男も事態の内情を悟ったのか、手綱を操って馬を走らせる。

 衛兵でありながら騎手としても優れている彼等は、瞬く間に馬の脚を最高速度まで引き上げた。二頭分ほどの距離を空けて随走しながら、男は前方の青年に声を飛ばす。


「追い剥ぎ連中か」

「あぁ。恐らく前の馬車を狙っている」


 と、その時。

 古惚けた布張馬車の荷台から、二名の男が馬の足音に気付いてか幌を捲って顔を覗かせた。

 見るからに荒くれ者と分かる風貌の彼等は、青年たちの接近を見止めると驚愕し、だがすぐ後に馬車の中から刀剣類を待ちだして荷台から飛び降りた。

 此方が二名と分かっているからこその行動だろう。馬車から現れた野党は五名。みな一様に北の領地で使われるような蛮刀を提げていた。


「……どうするよ。俺も手伝おうか?」

「必要ない」

「だろうな。殺すなよ」


 短い言葉の応酬の後、彼は唐突に宙へ身を踊り出した。

 青年の手から離れた手綱を男が瞬時に掴み取り、疾駆中の馬を慣れた手捌きで制動させる。

 危なげなく地面に着地した青年と、威圧するように蛮刀を構える男達との距離は目算で七間ほど。何やら汚らしい言葉を叫びながらにじり寄って来る彼等に青年は無感情な双眸を向け、腰に提げた軍刀を静かに抜き放った。


「最初に忠告しておく。このまま大人しく引き下がるのなら、こちらも危害は加えない」


 それは、おおよそ意味を持たぬ警告であった。

 案の定と言うべきか、野党達は青年の言葉には聞く耳を持たず、威嚇の声を荒げながら迫ってきた。

 一つ息を吐く。そこに感情は無い。

 ただ目の間に在る外敵を無機質に討つことだけを考えて刀を振るうだけだ。

 琥珀色に煌めく瞳が鋭利な影を帯びる。

 たった一人の青年が五人もの男連中を無力化するのに、そう時間は掛からなかった。



 腰の鞘へ軍刀を納めた直後、軽快な蹄鉄の音が聞こえた。


「……あーあ、みんな骨折れてら。可哀そうに」


 青年の馬をも引き連れてゆっくりと追いついてきた男は、地面に蹲る男達を見下ろしてそんなことを言った。

 手綱を青年へ放りながらわざとらしく肩を竦める。


「ま、どうせこいつら北夷の民だろ? 皇都を根城にしてるっつー近迦の傍流だったか。ちょいとばかし痛め付けたところで、感謝こそすれ非難されるようなことはねぇわな」


 男の言葉に、青年は野党達が持っていた蛮刀を興味なさげに見つめた。


「何処のどいつだろうと関係ないだろ。何の罪もない民を襲おうとしたんだ。罰を受けるには十分な理由だ」

「相変わらず敵には容赦ねぇな、お前」


 乾いた笑いを浮かべる友人を差し置いて、青年は再び馬に騎乗し、野党に襲われかけていた馬車へと近付く。

 馬を曳いていた御者は戦闘の最中に荷台へ隠れていたらしく、接近してきた青年を見るやいなや、安堵の表情を浮かべて降りてきた。


「ありがとうございます、衛兵の御方。もう少しで連中に襲われていたところでした」

「何も危害は加えられていないか?」

「はい。お陰様で、お客様も積み荷も無事でございます」

「……乗合馬車だったか」


 一見すれば商人が荷の運搬に使うような馬車だが、中に人がいたのだろう。

 尚のこと、大事に至る前に異変に気付けて良かったと息を吐いた青年の視線の先で―――荷台の幌が恐る恐ると言った風に捲られ、荷台に乗っていたという客が姿を現した。


「―――、」


 束の間、青年は瞠目した。

 顔を覗かせたのが、見目麗しい少女だったから。

 その身に上質そうな着物を纏い、背に流れる黒髪は豊かな艶を蓄えて美しく輝いているようだった。

 見惚れた訳ではない。それでも、彼女も持つ何処か不思議な雰囲気が、青年の瞳をほんの少しだけくぎ付けにした。


「……あの、助けて下さりありがとうございました」


 そう言って少女は淑やかな仕草で腰を折った。

 絹の如き長髪が、彼女の動きにつられてさらりと揺れる。これほど美しい黒髪は見たことがないなと、青年はこんな時であるにも関わらず益体無い感想を抱いた。

 ふと、我に返る。

 姿勢を直した少女が、不思議そうな顔を浮かべて青年を見上げていた。


「あ、あぁ。構わないでくれ。何事も無くて良かった」


 ―――それが。


 小幸と珀鷺の交わした、初めての言葉であった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

神は孤独に情を乞う。けれどその結末は 明神之人 @Yukito_Myojinn

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ