憶いで


 ――それは、少女が神の巫としての素質を見出されて、間もない頃の事であった。


 或る日の夕暮れ刻。

 町の外れにある小さな広場に、二人の少年少女がいた。

 足元に長い影を伸ばす彼らは、木造の椅子に座り、仲睦まじく身を寄せ合いながら、誰にも聞かれないように小声でひそひそと言葉を交わしていた。


「……え、神様ってほんとにいるの? 絵本の話じゃなくて?」

「だから何回もそう言ってるでしょ? お母様がほんとにいるって言ってたんだから、間違いないの!」


 疑うような視線を向ける少年。そんな彼に少女はピンと人差し指を立てて言った。


「この国は、神様のかご? っていうのに守られてるみたいなの。で、その神様って言うのは、自分を呼んだ人のお願いをなんでもひとつ叶えてくれるみたいなのよ!」

「えー、うっそだぁ。昔話じゃそう聞いたことがあるけど、ほんとに叶えてくれるわけないと思うなぁ。だってもしそうなら奇跡だよ?」

「だから奇跡なの! このハワグは他の国から奇跡の国って呼ばれてるらしくて、それも全部神様が本当にいるからだってお母様が言ってたわ。神様が私たちハワグの民を守ってくださってるから、私たちは平和に生きてられてるんだって」

「ふぅん……」


 少女の言葉に、少年は全てを真に受けてはいないような表情を浮かべる。そして何を考えてかおもむろに唇を尖らせたかと思えば、薄闇が侵食しつつある橙の空を見上げてのんびりとした声で続けた。


「でも、そっかぁ……なんでも願い事を聞いてくれるってことは、おいしい食べ物たっくさん食べれたり、欲しいものがなんでも手に入ったりするってことだよね? うわぁ、そう考えたら、僕もいっかいでいいから会ってみたいなぁ」

「何よそれ。せっかく神様がお願い事を聞いて下さるのよ? もっとゆーいぎなことに使いなさいよ」

「えー、でもぉ」


 少女がやれやれと言った風に肩を竦めると、少年は不服そうに頬を膨らませる。そんな彼の素直な反応に、少女は思わず吹き出してしまった。

 だが、その可憐な貌は徐々に影を帯びていき、少女はそっと俯いてしまった。

「だけどね」という小さな呟きが少年に届く。


「神様は私たちに優しくて、呼んだらちゃんと来てくれるらしいんだけど……そのときに私たち人間の方からね、ひとつ何かを差し出さなきゃいけないらしいの」

「えっ、どういうこと?」

「お父様はそれを、神様に捧げる供物……神供って言ってた」


 聞き慣れない言葉に眉をしかめる少年は、俯いてしまってよく顔の見えない少女に問いかける。


「ねぇ、その供物ってなんなの?」

「……大人になる前の清らかな娘、だそうよ」

「え、」


 告げられたその台詞に、少年が硬まる。

 対して少女は優雅な動作で立ち上がると、数歩、少年から距離を取った。


「清き心と身体を持つ乙女を供物として捧げると、神はこの常世に姿を現し、私たち人間の声を聞き届ける。そう伝わっているの」

「そ、そうなんだ……。でもそれじゃあ、その供物になった女の子ってどうなるの?」

「それは誰にも分らない。皇国の歴史に於いて、実際に神を顕現させた無法者なんて、御伽噺に伝わる皇帝様くらいだもの」


 僅かに変わりつつある少女の口調。

 普段の彼女とは纏う雰囲気が変化している事実に、けれど少年は気付かない。

 冷淡な物腰と言葉遣いへと変貌しつつある彼女は、淡々と言葉を紡ぐ。


「それにね、神へ捧げられた少女がどんな結末を迎えるのか、そのことについて記された文献はどこにも残っていないそうなの。だからこの国の誰も神供の最期を知らない。まるで何処かの誰かが、わざと皆に知られないようにしてるみたいにね」

「………、」

「もし最期を知れたら、供物になる女の子も少しは安心出来ると思わない? 人間としてあっさり死んじゃうのかもしれないし、もしかしたら神様に好かれて自分も彼岸世の住民になっちゃうのかもしれないわね。神様になれるのなら、神供の少女も自分から喜んで神様のところへ行っちゃうと思うんだけどなぁ」

「あ、あの、小幸ちゃ―――」

「でもまぁ、本当にその瞬間が来たら、泣いて喚きたいくらいなんだろうけど」


 何かを楽しむように、仄かな笑みを浮かべる少女。

 夕の陽は徐々に沈みつつあり、代わりに燦然と輝く月夜が空を支配し始める。それに呼応するかのように、少女の黒髪は一層の艶を増してゆく。


「………ね、靖央」


 少女が少年の名を呼ぶ。

 その瞬間、彼女の貌は年相応のそれへと戻る。

 名を呼ばれた少年がハッと彼女の方へ向くと、その先では一人の少女が、美しくも儚げな笑みを湛え、悠然と佇んでいた。

 垣間見えた美しさに少年が何を言うより早く、鈴の音の声が響く。



「――もしも私がその運命に立たされた時は、あなたも一緒に、死んでくれる?」



 そうして垣間見えた少女の瞳は、薄暮の色を写してか、異様なほど紅く染まっているように思えた。

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