第42話 告白
盤を挟んで対峙するのは、
不思議なもので、長年染み付いた指先の感覚は、どうやら死後も衰えることはなかった。
そっと、慈しむように駒を手に取る仕草に、思わずアマテラスは見惚れてしまう。
「そういえばよ、アマテラス。覚えてるか?」
先手、五6歩――
パチン、と、心地好い。
しかし、余計な感情を断ち切るような、鋭利な刃物を思わせる駒音が室内に響く。
この時間が続けばいいのにと、アマテラスは駒を打つ。
「はいはい、なんでしょうかダーリン。あら、ゴキゲン中飛車ですか。まったくゴキゲンですね」
後手、三4歩――
――五6歩か。
たいしてアマテラスは、ニートのゴキゲン中飛車に対して
「特別手当てのこと……忘れてねぇよな?
ふん。アマテラスは居飛車党か」
どうしてこのような状況になったのかというと、ふとした会話の中で、将棋が話題に上がったことが原因だった。
「この中で将棋やったことある人」
アマテラスの掛け声に手を挙げたのは、アマテラス本人と、ジャンヌダルク、そしてニートだった。
「卑弥呼は日本人なのに将棋を知らないんですか?」
「日本人だからってなんでも知ってると思わないでくださいね。私が好んでやるのはチンチロリンかオイチョカブですから」
「……まあ、卑弥呼は置いとくとして、ルールを知っている私達で一局どうですか?」
一番棋力が低いジャンヌダルクは卑弥呼の相手になってもらい、ニートとアマテラスは対局することになった。
アマテラスは天界の中でも受け師として有名だったし、たまには自分がマウントを取りたいという思いからの持ち込み企画なわけだったのだが、ニートは駒を並べているときにふと思い付いた。
伝えるなら、今しかないかと――
先手、五5歩――
「あ、特別手当てですか。すっかり忘れてましたわ。ふむふむ……角道を止めてきましたね。まあ定石ですが」
正直、本気を出せば、アマテラス程度なら鎧袖一触にすることも可能であった。
だから、確実に勝てると見込んで俺は提案を切り出す。
後手、六2銀――
「流石にあっちは経験者らしい立ち上がりね。ちょ、卑弥呼、なんで歩が飛車の動きしてんのよ! 反則も大概にしてくれない?」
「うるさいですねジャンヌ。いいですか?
ルールなんてものは所詮強者が決めるものなんですよ。弱者は文句言わずに従っていればいいのです」
「私に連戦連敗してる弱者が何を言ってるのよ。いいから素直に負けなさい」
「あ、それならうちの期待の新人である歩と、そちらの故障者リストに入っている角を
「はぁ? ちょ、勝手に持ってかないでよ! うわーん!」
「あのご褒美、一応俺なりに考えたんだよ。何をしてもらおうかなって」
先手、七7角――
「ダーリンとの約束ですからね。太陽神の名において、なんでも叶えて差し上げますよ」
後手、三3角――
「あのーさっきから特別手当てがどうのこうの話してますが、なんな話ですか?」
「卑弥呼! しれっと自陣で龍と馬に成ってんじゃないわよ!」
隣を覗くと、盤面は
「うるさいですね。この何者にも成れない干物女が。精々シュールストレミングにでも成ってなさいな。で、一体なんの話なんですか? なにか嫌な予感がするんですけど」
「誰がギネス級の臭さよ! 二階級特進どころじゃないわよ!」
「ああ、それはですね、過去のあなたを助けるときにダーリンと約束したんですよ。卑弥呼を見事に助け出すことが出来たら、その時はご褒美をあげるとね。あら、お互い穴熊ってしまいましたわ」
後手、三2金――
「ちょ、アマテラス様!? この男とそんな条件を約束したら、どんな無理難題を言われるかわかったもんじゃありませんよ!
それこそ法律に反するようなことも……」
「おいおい卑弥呼様よ。俺だって分別くらい心得てるつもりだぞ。相穴熊かぁ……」
先手、六8角――
「分別を心得てる者は特殊性癖に走らないと思いますよ。良識というものを可燃ごみに分別してしまったような男が、なにを言いやがりますか」
「だーかーらー! どうして駒が好き勝手にワープするのよ! 最初からやり直しなさいよ! ああ! 私の守りの要の金がぁぁぁ」
ジャンナダルクは涙目で既に崩壊している盤面で足掻いていた。
ルール無視のナニか違うゲームになっているので無視しよう。
「実はよ、前々から卑弥呼様にも伝えようと思っていたんだが、なかなか伝えることが出来なくてな。それにいざ伝えたとしても断られそうな内容なんだ。だから、よっと。これに勝ったらアマテラスの立場を使ってお願いを聞いて貰おうと思ってるんだ」
先手、五9飛――
俺は卑怯だ。もう勝ちまでは見えているのに、こうして約束を取り付けようとしている。
卑弥呼は卑弥呼で混乱の極みであった。
(え……?まさか、このタイミングで、畏れ多くもこの卑弥呼様に濁った獣欲をぶつけようとでも?そ、そんな……そんな破廉恥なこと許してなるものですか!)
「……ふーん。ダーリンが卑弥呼にねぇ。なんだかとっても気になるところですが、少し気が変わりました。この一局は絶対に負けるわけにはいきません」
後手、八6歩――
それからの展開は、アマテラスが先に持ち時間を使い果たす形になった。
少しずつ形勢はニートへ傾き、必死に食らいつこうとアマテラスが意地をみせる。
暫くはギリギリの局面を凌いでいたのだが、それはあくまでニートの気紛れによるものであった。
それは、心の揺らぎがそうさせたのか。
先に持ち時間を使い果たしたアマテラスは一分将棋を強いられ、とうとう悪手を放つ――
その後は一方的に攻めいられ、アマテラスの悔しそうな声で勝負は決した。
「くっ……天界一将棋杯で入賞を果たしたこのアマテラス様が負けるとは……経験者とは聞いてましたが、ダーリンってただの有段者ではありませんね?」
「惜しかったな。あの一手がなければ逆転の目もあったんだがな。まあまあの棋力だと思うぞ」
悔しそうに俯くアマテラスと俺を見比べるように、ジャンナダルクが噛みつく。
「いやいや、端から見てたけどなんでこんな強いのよ! 相穴熊ってダラダラ長引くもんなんじゃないの?」
すると、盤面を自分の好きなように並び替えていた卑弥呼が、思い出したように話し出した。
「そういえば、生前は『奨励会』って組織に所属していたとかファイルに書いてありましたね」
「「奨励会!? それ本当ですか!!」」
「ん? ああ、だがいつも肝心なところで黒星つけてな。そのうち年齢制限でアウトだよ。で、勝ったからには言うことを聞いてもらえるんだよな?」
妙なプレッシャーを放ちながらアマテラスに顔を寄せる。
「え、あの、言っておきますけど、本当に法律とか道徳に反するような願いはダメですからね」
「じゃあ――」
その続きを聞いて、卑弥呼の時間は止まった。
「俺を転生させてくれ」
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