最終幕 悪魔の囁きとNの喜劇(8)

「まず、どうして暗号が示す場所が『鴨川デルタ』だったのかを説明しよう」

 俺はそう言って、ポケットからスマホを取り出し、画面を七条君に見せた。


「N↔?」


「そして、件名は『この場所で待ってます』。ということは、少なくとも暗号が示すのは具体的な地名や建物名ということは推測できる。ただし、だったんだ」

 説明をしながら、俺はスマホで検索をした。検索ワードは「N」。そして、ウィキペディアのページを開く。そこにはこのように書かれていた。



『・北(north)。磁極のN極もnorthによる。対義語は南を表すS。

 ・no,not)。Y。』


「そう、俺は磁石をトリックに使用した『丑の刻参り』事件に捉われすぎていた。だから、『N↔S』だなんて単純に考えてしまった。『京都のSouth(南)にS(七条君)が居る』ってな。君もそれを想定していたから、『N電』なんてもっともらしい名前の電車が置いてある梅小路公園に、花ちゃんや白雪さんをあらかじめ待機させておいたんだろう。俺にヒントを渡せるように……」

 その言葉に七条君が首を捻る。

「何だ? 何か変なことを言ってたか?」

「いや、確かに花には先輩への伝言を頼みましたけどね。白雪さんでしたっけ? 彼女には何も頼んでませんよ。公園に来てたんですか?」

 マジか……。推理の初っ端から間違えるとは思わなかった。いや、待てよ。この先の推理が正しいとすれば、別におかしなことではない。

「七条君、少し考えれば分かる事だよ。どうせ、この一件にはんだろう? それについては後で話すとして、和気白雪は八神会長の予備校時代からの知り合いだ。だったら、話は簡単。彼女の方から『Nにヒントを出すように』と頼まれたんだろう。君とは別口でね。そこまで、俺が謎を解けるかどうかが心配だったんだろうか……」

「信頼されてないですね。流石はN先輩!」

五月蠅うるさいな!」

 いつものような掛け合いをして、笑い合う。久しぶりだ。本当は体感時間では一日くらいしか離れていない筈なのに、まるで十年ぶりに相棒と話しているような感じがする。

 おっと、いけない。俺は推理を続けた。

「で、このウィキペディアに書いてあることから、『N↔Y』という式も成立するわけだ。『NO()↔YES()』という様にね。白雪さんのヒントが役に立ったよ。そして、京都の地図を見ると『Y』の形をしている分かりやすい場所があるじゃないか! Yの字の上半分側の斜め線、左側が賀茂川、右側が高野川、下半分側の直線は二つの川が合流し『鴨川』という一つの川を表している。そう、この場所、鴨川デルタさ。ここまでで間違っている箇所はあるかい?」

 僕の最初の推理は彼を満足させたようだ。パチパチと軽く拍手する。

「流石ですね。についての推理は見事、大当たりです。現に僕は此処でずっと待っていましたからね。意外と今日は寒かったですね。夏なのに」

 その言葉に、ふと気になって聞いてみる。

「お前、何時からここで待ってたんだ?」

「此処に着いた時には午後4時くらいでした。二時間程、待ちましたね。風邪引いたら責任取ってくださいよ」

「俺にそんな責任はない」

「ラーメンかコーヒー、どっちか奢ってくださいよ」

「嫌だよ! それに君は料亭の御曹司だろ。こっちが奢ってもらいたいくらいだ!」

「あー酷い。先輩、それパワハラですよ」

「お前の方が逆パワハラだよ! こんなに歩かせやがって。もう一歩も動けないよ」

 こんなやり取りが数分続く。本当に懐かしく、同時に幸せな時間でもあった。この雑談がいつまでも続けば良いと思った。の謎解きをしてしまえば、俺達の関係や今までの思い出が全て消えてしまうだろう。何か大切な物が壊れてしまう予感がした。

 七条君がその時間を打ち破る。

「さて、雑談はこのくらいにして……。N先輩、肝心の謎解きはしてもらえるんでしょうね? 僕が、を」

「あぁ、勿論。信じ難いことではあったけどね」

 そうだ。この先に踏み込んでしまっては、もう後戻りは出来ない。いっそのこと、逃げ出してしまおうかとも考えた。

 そこで、俺は七条君の瞳を見た。そうだ。彼は逃げずにこの場で俺と向かい合っている。本当は彼も、いつものような推理小説研究会の日常を壊すのは怖いだろう。この先に踏み込むことで何かが壊れてしまう事を恐れているのは彼も同じなんだ。彼の目は真摯に俺の姿を捉えていた。ここで探偵が逃げ出す訳にはいかないのだ。

 観念して俺は口を開く。俺が決して認めたくなかった真実を。




「恐らく、N。そして、何らかの目的で、今までに起きた四つの事件はだ。つまり、全ての黒幕は君達二人。そうだろう?」



 この言葉に俺の後輩はどこか悲しげな表情を浮かべ、静かに頷いた。

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