第2話「ふれあい」

 マーボー豆腐を勢いよくかき込んでいた彼女は、1年上の2年生だった。学部も別で、入部以降の3週間で一度も部室で見かけることはなかった。食事の豪快さとは裏腹に見た目はスラっとしていた。長い黒髪で前髪は眉毛が隠れるほど下ろしており、よく見ると大きくハッキリとした目をしている。美形というよりはファニーフェースな印象を受けた。食べ終わった彼女は周りに目を向けていたが、誰も見てないことに気付き、気恥ずかしそうに口元をティッシュで拭っている。変な人だなぁと思った。まさか新入部員に向けたパフォーマンスだったんだろうか。食べまーす、といった宣言もなく唐突にやるなんて無茶だと思う。私だけは見ましたよとアピールしてみたかったが、座席が遠かったので断念した。彼女は何事もなかったかのように、一つ隣のテーブルにいると思しき2年生と話していた。

 そこから2時間ほど経って宴もたけなわな中、部長が締めのあいさつと二次会の案内をしてお開きとなった。私はもちろん二次会への参加は断り帰路に就く。長々といても他の部員と距離を縮められそうになかったし、何より初めて尽くしで疲れた。電車に揺られながら今日の出来事を振り返る。いろいろと印象に残ることはあったが、やはりマーボー豆腐大皿一気食いが鮮烈だった。それ以降、彼女が先輩らしく各テーブルを巡りながら各部員と普通に接していたからこそ、余計におかしく感じていた。今度部室で会う機会があったらその件に触れてみようか、とわずかな悪戯心が芽生えてくる。ただ今は車体の揺れの心地よさに身をゆだねて、何も考えずに眠ることにした。

 彼女と遭遇したのはそこから3日後の昼だった。購買で簡単な昼飯を買い、部室に向かうと数人が室内にいた。その中に彼女の姿も確認できた。ちょうど私の関心がある話題を別の部員と繰り広げていたので、おずおずと会話に混ざっていく。写真部といえど話すことは知人友人のエピソードや大学生あるある、そして今ハマっていることが中心だった。誰も写真の話はしていない辺り、気楽なサークルだと思った。私は新入生の視点から大学での発見なんかをポツポツ語り、そこから彼女やほかの部員が話を拡げていった。思いのほか話が盛り上がり、気づけば昼飯も間食できず3講目の時間が迫ってしまっていた。楽しい。とりとめのない話に没頭するなんて久々な気もした。受験期は一人の時間が長く、学校や予備校でも受験の話題ばかりだったからかな。これをきっかけにして部室を訪れるモチベーションがさらに上がり、平日の午後は毎日のように来ていた。

 足しげく通うと面子の変化と法則に気付く。週3回夕方あたりにソファー目当てで仮眠をとりに来る茶髪の3年生がいたり、木曜と金曜の昼休憩時にだけ何故か来る恰幅の良いラグビー部と兼部している2年生がいたりと、気まぐれのようで規則性がある面白さを知った。彼女は基本的に火曜と金曜の昼と夕方辺りにやってくる。どうやらその曜日に講義を1から5まで詰め込んでいるからだそうで、週末を除いた全曜日にまんべんなく講義を組んでる私とは対照的だった。私には朝から夕方過ぎまで講義に臨む根気はなかったからこその時間割だったが、彼女にとっては一気にこなす方が根気がいらないらしい。どうやら月曜から金曜まで毎朝起きて、1講目か2講目の準備をする方がキツく、週2回だけ頑張って起きてクタクタになるまで大学に拘束された方が楽というのが彼女の主張だった。それに対して、私は疲れを一気に溜め込む方が色々不利になるんじゃないかと反論したが、納得する素振りは見せなかった。

 そんな他愛もない話を、彼女を始めとする諸先輩方や同学年とよくしていた。楽しい時間はあっという間に過ぎ、季節は夏真っ盛りの7月に突入する。8月頭に試験が控えており、部室で勉強会のように集まる人が増えてきた。私は余裕があったので、部室の隅でテレビゲームを小さな音でやっていた。とはいえ勉強する部員同士も頻繁に会話を繰り広げており、こんな配慮する必要もないのだが。勉強をせずともその会話に混ざっても良かったけど、何せ私とは違う学部の面子がサークル内の大半を占めている為、話題が全然合わない。その居心地の悪さからゲームに逃避していたのかもしれない。

 すると、近くに彼女がやってきた。彼女も暇なようで、私のやってるゲームを見に来たようだった。一人用のゲームだったので一緒に遊ぶこともできず、黙々とプレイしている様をジっと観察されているようで落ち着かなくなった。彼女も画面を見るばかりで全然話を振ってこないので、思考をフル回転させて何とか糸口を探った。そうだ、今の今まで忘れていたが、新入生歓迎の飲み会で大皿を平らげたあの話、ここで振ってみようか。そう思い付き、さっそく私の当時の目撃談をありのまま伝えてみる。彼女はわかりやすく顔を赤らめ、照れ笑いをした。その姿を見てなぜかドキっとした。リアクションはあの飲み会の時と変わらないはずなのに。心拍数が跳ね上がったのは一体なぜだろう。さらに落ち着かなくなった私は、複数で遊べるゲームソフトの存在を思い出し、慌ててそれに切り替えようとソフトを保管してあるお菓子の空き缶に手を伸ばした。誤魔化すように別の話題を彼女にしながらも手元がおぼつかない。ケースからカセットを取り出した時、誤ってそのカセットを落としてしまった。すぐさま拾おうとしたのは私も彼女も一緒だった。私の手の甲に彼女の指先が一瞬だけ触った。彼女の指の冷たさに驚く。それとは裏腹に、私の体温が芯から上がっていくのを感じる。心臓の音がハッキリと聞こえた気がした。

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