第7話 光明を見る

 ギュルァッ――


 風を切るような音とともに、クラーケンを包んでいた暴風域から突然なにかが飛び出し俺たちを襲った。


「――っ!!」

「く、ぁ……っ」


 ドゴン、という重く鈍い音とともにマリアと俺が船室入口に叩きつけられる。マリアはあまりの衝撃に咳込み、気がつけばエリスは、俺たちを薙ぎ払ったに絡めとられている。にゅるっとした触腕が、等身が高いままのエリスをギュッと締め付け、宙に掲げる。


 術者であるマリアが倒れたことで風は止んでいた。激しい『疾風』をもってしてもクラーケンの巨大な身体を細切れにすることはできなかったようだ。


「エ、リス」


 俺は船室の扉に背を預けながら触腕の中に捕らわれた魔法使いの名前を呼ぶ。だが、きつく締め上げられているエリスからは返事がない。


「くっそ……」


 どうすればいい。マリアはしばらく立てない。ギルベルトたち騎士や船員も大半が海に投げられたか、甲板の上に沈んでいる。


 ギシッ――ギギッ。


 もう一本の触腕に巻き付かれた船体が悲鳴を上げている。これ以上悩んでいる時間はなさそうだ。


「借りるぞ」


 俺は隣で身体を曲げて船の床に座り込むマリアの剣帯から剣を抜き取る。よく磨かれた剣身はキラリと光りながら、再会の挨拶をしてくれているようだ。


 依然として両手首が縛られたままの状態でクラーケンを倒せるか。


 誰も縄をほどけそうにないのだから仕方ない。俺は、両手で剣を握りながら触腕を二本とも使っている巨大烏賊の顔面に向かって駆けた。


 甲板から少し覗いたどぅるんとした瞳。その二つの瞳の間に――光明こうみょうを見た。


「うぉぉおぉりゃあぁあ!!!」


 ズグッ――ズズズ……。


 眉間に突き立てた剣は、面白いほどに滑らかに中へと入って行く。


 致命傷とはならなかったが、マリアが『疾風』で負わせた無数の切り傷の中にあった眉間の傷。それは剣を受け入れるには十分過ぎる切れ込みであった。


「……っ!!!」


 クラーケンは船体に巻き付けていた触腕を外し、俺目掛けて振り下ろす。


 ズダンッ!!! ミシッ。


「おいおい。まだやる気じゃねぇかよ……」


 剣を眉間の最奥まで差し込まれて尚、暴れまわるクラーケン。決定的な一撃を喰らわせない限り、船を破壊されるのが先か、俺が潰されるのが先か。どちらにせよ、未来がない。


「うぉっ!?」


 ズダダンッ!!! 


「あっぶね!!!」


 なかなか簡単に潰されてくれない俺に苛立ったのだろう、クラーケンはもう一本の触腕を加えて、二本で俺を叩き潰そうと船の甲板を乱打する。


 ズダダダダダダダダッ――


 ベキベキベキベキベキャ――


 そして同時に無視できないダメージを喰らい続ける船。


「おいおいおいおい……こいつは本気で――」

「レクス!」

「――エリス!?」


 そうだった。触腕を二本とも俺に集中させているということは、エリスが解放されているということだ。海水やらなんやらでドロドロになったガウンが肌に張り付いている状態は、少し気の毒な見た目だが、偉そうに立っているエリスがいる。美女の姿をしているということは、今まさに魔法を使っているということだろうか。いや、それよりも――


「エリス! お前、まだ魔力は残ってるか!?」

「僅かだが――」


 エリスは右手に力を込めるように小さな拳を作る。


「あるぞ」

「よし、俺はさっきアイツの眉間に剣をぶっ刺した! に雷を打ってくれ!」

「うまく避けるのだぞ、レクスよ」

「あ、ちょっと待って。離れるまで待――」


電撃よっエレクトロキュート


 藍色の瞳が不気味な光を湛え、その握られた拳に宿ったエリスの魔力が、開かれると同時に空から光が奪われる。昼間なのに薄暗くなった海上に、天を穿つ雷光が一閃、クラーケンに向かって描かれる。

 まるで古き神々の怒りを思わせる雷鳴を轟かせ、剣まで届く美しい光の筋。


 ピシャーーーーーンッ――


「…………」


 言葉を発することができないまま俺は、ただただ呆然とその様子を見ていた。


 焦げて美味そうな香りを放つクラーケン。俺に振り下ろされようとしていた触腕は、力なく甲板に落ちていく。感電して海に浮かぶ無数の魚や船員たち。悲しげな音を立てながら真っ二つに割れていく船。その船から逃げ惑う人々。そして、魔力の限りを出し尽くして俺の腕の中で眠る幼女。


 そうか。エリスが美女の姿のままだったのは、すでに限界を迎えていた船の形を保つためだったんだな。


 俺は烏賊のように焦げてボロボロになった縄を投げ捨てながら、沈みゆく船の上で水平線の向こう側を眺めていた。岸まで果たして泳げるのだろうかと考えながら。


「そうだ。烏賊をいかだにしよう。イカだけに――」


 食糧にもなりそうだし、悪い考えでもない気がしてきた。だが、俺の提案は誰にも届かなかった。

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