第9話 一分でケリをつける

「勝負は一分だ。一分でケリをつけるぞ」


 俺の言葉にエリスが頷くのを確認してから、俺は勢いよく扉を開ける。ワイバーンが反応する前にエリスの妙に色気のある声がこだまする。


冷えよクールダウンっ」


 ワイバーンの皮膚の周り、わずか薄皮一枚分もない領域の温度だけが一気に下がる。黒く覆われた硬い皮膚は、急激な体温の低下に色味が薄くなっていく。


「グ……グルゥ」


 動きが鈍化していくワイバーンの下に、俺は勢いよく潜り込む。


「もらった!」

 俺は右手で剣の柄を握り、一気に引き抜く。キィンっと小気味のよい音とともに現れた剣身をワイバーンの腹に突き立てる。

「……あ」


 なぜ今の今まで忘れていたのか。いや、どこかで一瞬頭をよぎっていた気もする。


 は腹を切り裂くでもなく、ワイバーンのブヨンとした皮膚を押し上げただけだった。


「しまった!」

「お主! なにをしているのだ、愚か者っ!」

 部屋の入口から左手をワイバーンに向けている美女エリスが俺に非難の声を浴びせ掛ける。


「うるせぇ! お前だって忘れてただろうが!」


 どうするどうする――


 俺は、エリスの怒声に応戦しながら周囲を見回す。灯台の最上階。あるのは、太陽石が置かれていたであろう台座、石積みの壁際にある樽。そして台座の周りに倒れている騎士団員たち。沈黙している騎士団員の手に握られている磨かれた長剣。

「あれだ!」

 ワイバーンの下から抜け出て、長剣に手を伸ばす。


「危ない! レクス!!」


 エリスの声に振り返ると、ワイバーンが巨大な口を開き、俺の眼前に迫っていた。


 一分経っていたのか!? くそ、食われる――!!


「うっ!! ……あぁ」


 目をきつく閉じたが、来ると思っていた衝撃も痛みも来なかった。恐る恐る目を開くと、ワイバーンの口を剣で受け止めていたのは、王国騎士ギルベルト=カーニスだった。動きが鈍くなっているとはいえ、体格差は大きく、剣を握るガントレットは震えている。ギルベルトは重みに耐えるように足に力を入れる。


「冒険者よ。今のうちに!」

「助かった!」


 ふうっと短く息を吐いて、目の前にある長剣を握る。それを騎士と低体温によって動きを止められているワイバーンの腹に、振り回すように突き立てる。


 ズンッ……ズズッ。


 切り裂く感覚の後、少しぬるい液体とともに黄色く輝く宝石が床に落ちる。だが、これもワイバーンを絶命させるほどではなく、ギルベルトは短く声を上げる。

「うぐっ、もうこれ以上は……!」


 刹那、美女の声が響き渡る。


「レクス! それを私によこせ!」


 宝石――太陽石を掴み、ワイバーンの体液で滑りそうになりながら部屋の入口にいる美女エリスに向かって投げる。大暴投だったが、エリスが何事かを唱えると太陽石はフワリと彼女の両手に引き寄せられていった。


 エリスの手に収まった太陽石は、主を見つけたようにその輝きを強め、指の間から眩いほどの閃光を放つ。


「これだけ魔力マナが残っていれば十分だな」


 太陽石を胸元に近づけ、エリスは祈るように目を瞑る。魔力がエリスを覆っていくのが分かる。すみれ色の長い髪の先まで、臙脂えんじ色のドレスからロングブーツの先まで、ほのかな光に包まれる。


散れっデスパース


 藍色の瞳が、強く狙いを定めるように飛竜ワイバーンを見据える。エリスの声が幾重にも重なるように灯台の中に反響していく。


 ワイバーンの身体が、グッと縮まったかと思うと次の瞬間、音もなく消え去った。否、衝撃が激しく空気を揺らしたために音が聞こえないように感じただけだった。実際は爆音とともに生じた凄まじい破裂が壁や床を襲い、灯台をも巻き込んだ。


 それはスライムを弾き飛ばしたのと同じ魔法でありながら、まったく桁違いの威力であった。




「ああ、生きてる……俺」


 舞い上がる粉塵ふんじんの中、ようやくそれだけ口にできた俺が目にしたのは――


 上半分を綺麗に消失した『バルクリの貴婦人』。


 瓦礫がれきの中に埋もれている王国騎士団員たち。


 両手を胸元に添えて俺の横に立っているエリスちんちくりん


 険しい顔をした老灯台守と――


 ものすごい形相ぎょうそうで走って来るキーラであった。

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