卒塔婆の塔のブンヤ 11

       






 パトカーがまた通り過ぎて行った。ゆるゆるとした速度で。


 夜のにおいがする、と小説などで良く目にする表現があるけどさ。

 ヨルノニオイってどういうモノなんだろうか。

 珍しく今日は自宅に帰ろうと足をそっち方面へ運んでいる。会社の辺りよりも栄えているのでメシはその辺で探した方が選択肢が多い。

 自宅までは割と短距離ではあるものの、街の表情はコロコロ変化していく。夕餉ゆうげの香りがただよう住宅街、酔っ払いが時刻も早くからデカい声で騒ぐ飲み屋街、そして卒塔婆そとばの森の根元にむらがる繁華街。

 俺にとっての夜のにおいってのはいつでも決まったモノではなかった。


「それこそが " 夜の匂い " ってヤツなのかね…」


 人はそれを幸せと呼んだりするのだろうか。

 ほこり硝煙しょうえんと生臭い鉄のニオイに包まれふるえながらせめて太陽が昇るのを待ったあの日よりははるかにマシな日々。俺の愛すべき日常よ。

 

「…なんてな」


 頭の中で誰にも聞こえる事の無い妄言に恥ずかしくなり、灰皿が設置された喫煙スペースを見つけちょっと気分転換がてら一服しようと立ち寄る。


「ん?」


 そこから見える比較的薄暗い路地に、またしてもパトカー。こちらは明かりを消して待機している様だ。

 時間的にネズミ捕り速度超過取締りでも無いだろうし、一時停止無視や運転中の携帯電話の保持ドライバーを取り締まる為…という感じでも無さそうだ。

 張り込みか?


「いや…なんか違うな…」


 考えすぎで無意識に呟いてしまった。

 フゥーー…と、空気の塊を薄く延ばして吐き出す音に、俺はその喫煙所に先客がいた事にようやく気付いた。パリッとしたスーツに身を包んだ初老しょろうの男性。マサがもう少し老けたらこんな感じだろうか。

 不意を突かれちょっと驚いたがそれを気取られない様に自然に振る舞おうと煙草を取り出す。


「…ありゃ?」


 ジッポライターの火がかない。八重ちゃんの所で吸った時は点いたのに。まさかのオイル切れか?

 そういや最後に注油ちゅうゆしたのいつだったか。


「…良かったら使います?」


 悪戦苦闘する俺を見て、くだんの先客が100円ライターを差し出してたずねて来た。


「あ、こりゃどうも、助かります」


 片手を立ててへへっと礼をし、そのライターを受け取り煙草に着火。そして用が済んだので返そうと手を伸ばすと…


「良かったら差し上げますよそれ。実は私もうひとつ持ってまして」


 柔らかな物腰で、胸の辺りを人差し指でトンと指し示すと男性は穏やかな口調で言った。


「ではお言葉に甘えて有難く」


 軽く頭を下げるとそのライターをケツポケットにじ込む。


には必需品ひつじゅひんですからね」

「確かに」


 フフッ、ヘヘッと同時に笑みを零す。おかしいな、同じ笑顔なのにどうしてこうも汚さが格段に違うんだろう。


「では、お先に失礼」


 男性がスッと歩き出す。


「あ、ハイ。ライターありがとうございます」

「いえいえ。帰り道


 片手を上げてそう言い残すと、彼は振り返る事無く喧騒けんそうの中へと消えていった。

 ギシギシと音がしそうな程に強張こわばったひじと手首を動かしやっと口元へ煙草を持ってくると、ひと呼吸で吸える限り紫煙を肺に送り込む。

 ……

 ……

 ……


「ぶはぁ!」


 ちょっと吸い込み過ぎたか。激しくむせた。

 そのお陰か全身の筋肉の緊張が解けた気がした。


「…今の奴…!」


 ワンテンポ遅れて全身に鳥肌が立ち、冷たい汗が流れる。

 さっきの " 夜の匂い " という表現じゃないけど、" すきが無いとか殺気が "…みたいなアレも表現としてよく使いまわされてんじゃん? でもあれって主観の人物が武道とかの達人だから…みたいな設定があっての物だと思うんだよな。

 俺みたいなちょっとだけレアな過去があるだけのただの中年にはあり得ない感覚だと思っていた。

 でも、

 自分がそう感じる、じゃない。相手がじ込んでくるモノだったのだ。

 どう見ても普通の人なのに、どう見ても普通じゃなかった。完璧すぎて機械の様な───


「まさか…!?」


 昼間捕まえたあの機械顔の男ブラックマンを思い出す。が。

 いや、アレとはなんか違うな。うまく言葉に出来ないけど、土台から違うと言うか。

 指で挟んでいた煙草を口だけでくわえると、両手を開いて指先の神経をほぐす様にブルブル振り回す。ニコチンで毛細血管が細くなり血行が悪くなってる指の末端に無理矢理温かい血液が溜まっていく。


「どうなってんだよ今日は全く…」


 煙草を咥えたままの口で器用に独りごちるとついでに一気に煙草の残りを吸い込み、紫煙を吐き出しながらえ置かれた灰皿に短くなった煙草を落とす。

 残り火が水でジュっと鎮火ちんかする静かな音が響いた。

 とにかく、平穏無事な人生を送りたい俺にとっては二度とお目に掛かりたくない人物だった。貰ったライターをもう一度取り出し、街灯を背に透かして観察してみる。ガスはたっぷり入っている。買ったばかりなのだろうか。


「…どう見てもただの100円ライターだよな…」


 さっき実際に使ったばかりだがもう一度火を点けてみた。…うむ、まごう事無きただのライターだ。こちらに関しては考え過ぎか?

 特に害はなさそうなので再び尻ポケットに差し込む。ジッポに注油するまでは必要になるだろうし。

 二本目を吸おうかと思ったがなんかそんな気分じゃなくなったので喫煙スペースを後にした。

 緊張が解けリラックスしたのか、今日何度目か忘れ去られていた腹がありえない音を響かせた。横を通り過ぎようとしていた酔っ払いの親父がビクッとして何事かとキョロキョロ必死に見まわしていた。


「次鳴ったら死ぬかも…」


 もしくは爆発するかもしれない。腹の虫が。

 その時携帯電話が鳴った。腹の虫じゃなかった。よかった、まだ生きていられた!


「八重ちゃんだ。珍しい」


 着信相手の名前を見て思わず呟く。携帯電話の電話番号こそ登録はしてあるものの本人があまり機械を好まない為、着信がある事など稀だった。

 通話ボタンを押してスピーカーを耳に当てる。ついでに鼻をつまむ。


「もしもしこちら中央警察」

『丁度良かった、浅倉零児アサクラレイジって男を幼女誘惑の罪で逮捕しとくれ』

「異議あり! 俺は無実だ!!」


 反射的に叫んでしまった。近くの人々が一斉にこちらを見た。やべぇ。


「ちょ、何言ってんだよ」

『自分が先に仕掛けたんじゃないか』


 確かに。あざやかなカウンターだった。


「それより電話なんて珍しいじゃん。何かあったのか?」


 周囲の目が自分に対して興味を失った事を確認し、声のトーンを元に戻す。


『そうそう、聞いとくれよ! アンタが帰った後しばらくしてから、アタシの王子様が来たんだよ!!』


 とうとう頭が逝かイカれたのかと思った。それを素直に口に出す寸前に何とか理解が追い付いた。








 (次話へ続く)







         

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