第12話

 中学3年生ともなるとね、先生も友達も受験の事しか口にしなくなるよ。

 進路指導のたびにあたしは黙った。なんせぐれてる真っ最中だし、働くことばかり考えている訳だし。

 高校なんて、どうでもいいよ。働きてーよ、働いてアパート借りて、あの家を出てーんだよ。

 誰にもわかんねーだろうが、どうしても、どうしても、そうしなくちゃいけない事情ってーのがあんだよ。あたしには!


 父さんも母さんも「あの日」を忘れたかのように過ごしている。それは二人のすました顔を見れば分かる。唯一、姉ちゃんだけは心に引っかかっている様子だ。それもなんとも表現しがたい顔を見れば分かった。

 あたしの抱える深い孤独や実の父親に性的暴行を受ける恐れがある事など、誰にも分らない。母さんや姉ちゃんにさえ、分からないんだろう。仮にそうなったって、自分がやられている訳じゃないから何もしてくれないのは目に見えている。

 特に母さんなんて、前に父さんに足を触られるのが嫌だと言った時に

「大きくなったなあと思って触っているのよ」

なんて検討違いの事を平気で言っていたし。裸を見られた時もろくに聞いてくれなかったし。もしそうなってもろくに聞いてくれないだろう。

「あんたが悪いんじゃない」

とでも言いかねない。

 どうしても避けたい事態、どうしても避けたい人が家族であり、家庭だなんて…。


 母さんは確信にみなぎった口調で言った。

「高校は行ってね。高校は。中卒では絶対に就職も結婚も出来ないから。絶対に!」

 そうかねえ。中卒で働いている人も結婚している人もいっぱいいるじゃん、って思ったよ。

 自分が全日制の高校へ行っても、中退するのがオチだろうという予感もあった。

「定時制なら行ってもいい」

と言ったら、

「あんた定時制なんて、夜の10時ごろ始まるのよ。終わったら夜中よ、電車なんて動いてないのに、どうやって帰って来る気?」

 そうかねえ?だったら定時制に通っている生徒や先生は、どうやって帰っているの?

「それに定時制は、例え卒業しても、法律的に、国家的に、高卒とみなされないのよ」

 そうかねえ?だったら定時制高校の存在自体、意味がないじゃん。母さんの言う事、本当かねえ?

 無知なあたしは、ひたすら頭の上に疑問符をいっぱい乗せていたよ。


 あたしは大人になってから知ったが、高校に限らず、夜間の学校というのは、夕方の5時または6時から始まり、授業時間はせいぜい3時間だった。

 つまり、遅くとも夜の9時には終わるから、電車にはじゅうぶん間に合う。

 また、法律的にも国家的にも卒業資格はしっかり与えられる。母さんが何故そう思い込んだのか、そっちの方が今なお謎だ。


「高校なんて行きたくねーよ」

 15歳のあたしは言った。早く自由になりたかった。どうせユウレイなら、中卒でも構わないだろうし。

 母さんは苛立ち、こう言った。

「あんた、高校には行かないなら、もうそれでいい。で、あんた家にいなさい」

 誰がこんな家にいたがるかよ。分かってねーなー。ぼんくらババア。


「どうしても、どうしても高校へ行って」

 母さんが言い続ける。

 あんたねー、昨日と今日と言う事が全然違うじゃん。

「昨日は行かなくて良いって言ったじゃん。家にいろって言ったじゃん」

と、苦手な反論をしたが

「体裁悪いから、高校は行って」

と、たった1日で意見が変わるし。

 そして勝手に苛立ち

「体裁が悪いのお。あんたのやっている事、物凄く体裁が悪いのお!」

とわめく。

 お、初めて「行為を咎めた」ね。あはははははは。

「何であたしを生んだの?周りに二人目は?って聞かれるからだよね?つまり体裁整えてあげてんじゃん」

と言ったら

「全然体裁整っていない!」

だと。

「あんたさえ生まれて来なきゃ、あんたさえ生まれて来なきゃ、バラ色だったのよ!とにかく高校は行ってったら行って!!!」

とわめき、リビングに行っちまった。

 もーおーお。明日になったらどうなるんだよ、大学行けとか言いだすの?大学なんて考えらんねーよ。大学なら、今姉ちゃんが受験勉強してんだろ!


「高校くらい行った方が良いよ」

 担任の中川先生も熱心に言う。

「沖本、お前あんな良いお父さんとお母さんがいて、何でそんななんだよ」

 分かってねーな。このおばさん。実情知らねえからって。

「うちの親のどこが良い親ですか?」

って聞いたらこんな答えが返ってきた。

「だってお前のお父さんJELだろう?おとなしいし。お母さんお花の先生だろう?きちんと挨拶するし、綺麗だし、立派じゃないか。お前の事で心を痛めているよ。早く立ち直って安心させてやったらどうなんだよ」

 …中川先生もみんなと同じ、その人の職業しか見ない人だった。

 もう言ってもしょうがねーや。あたしの口は、貝みたいに閉じたままだったよ。


「沖本、お前どうする気だよ」

 中川先生の頭の上にも疑問符がいっぱい並んでいる。ぐれるあたしに手を焼き、どう接していいか分かんねえんだろうなあ。

 あたしゃひたすらほっといて欲しかった。親も教師も、あたしにかまい過ぎなんだよ。そっぽ向いて逃げたら追いかけてくるし。おいおい、仕事があんだろ、あたしにだけかまけてどうすんだよ。どこまでついてくるんだよ。もーおーお。あっちいけよバーカ。

 全校集会で校長が

「中川先生は今、沖本の指導中です」

とかマイク通して言うし。

 生徒から凄いブーイングが起こる。

「固有名詞、出すんじゃねえよ!」

「みんなの前でいうなよ!」

 あれれ、生徒諸君、あたしの味方をしてくれるのかい?

 あたしゃ良い友達たくさん持ったさ。あはははははは。


「お前ら、どういうつもりだよ」

 不良生徒を一室に集め、生活指導の大友先生が説教をたれる。

 どうもこうもあるかいな。みんな聞いちゃいないよ。ぐれるのは楽しいぜ。心の中で歌を歌いながら、大友の言う事なんぞ聞き流す。

 さあ、この後どこへ繰り出すか?

 あたしたちの頭の中は遊ぶ事しかなかった。


「このままじゃ破滅の人生よ!」

 母さんが血相変えてのたまう。

「あんた、ここ行きなさい、どうしても行って!」

と塾のパンフレットを差し出す。

「もう入塾の手続きしたから!」

 まるで望みを叶えたような、達成感にみなぎった顔で言う。勝手に手続きすんなよ、もーおーお。誰がそんな事頼んだんだよ!

「行ってったら行って!」

 ヒステリックにわめく母さん。

「もう前期の分、払ったし」

だと。誰がカネ払ってくれと言ったの?誰が通いたいと言ったの?

 …仕方なく行ってやった塾は、やる気満々の生徒もいたが、明らかに親に無理やり来させられてる子もいた。

 この中でいちばんやる気ないのはあたしだろううなー。あははははは。

 授業は超面白くないよ。ぜんっぜん、分かんないし、付いていけん!宿題もたんまり。

「あんた、宿題は?宿題!!」

 母さんがわめく。やる気ねえっつーの!

 宿題やらずに塾に行ったら、先生が名指しで怒り狂うし。

「沖本!お前どういうつもりだ!宿題やって来ないのお前だけだ!」

 大勢の前で怒られて、居たたまれねーよ。学校も、家も、塾まで。

「沖本!沖本!前へ来い!沖本!!!」

 血圧上がるよ、おっさん。誰が行くかよ!前も後ろも高校も、どこも行きたかねーよ!恥かかされて、もう行かなくなった。登校拒否ならぬ、登塾拒否。

 母さんがまた切れてる。

「入塾金も前期分も払ったのに!いくら払ったと思ってんのよ!!またあんたのせいでお金が無駄になった!勿体ない!勿体ないったら勿体ない!!!あんたなんて居なくなればいい!居なくなれ!居なくなれ!死んでよ!本当に死ねばいい!!お金返して!!!」

 だったらあたしにこの塾行きたいかどうか確認してから手続きしてくれよ。何の断りもなく、ある日突然無理に行かされる方がどんな迷惑するか考えろっつーの!


「塾が駄目なら家庭教師よ!」

 母さんがどこかの大学生を連れてきた。

 そのお兄さんがあたしとオトモダチになろうとして言う。

「マリちゃん、好きなアイドルは?」

 初対面のくせしてマリちゃん呼ばわりすんなよ。アイドルなんかどうでもいいよ。高校受験もどうでもいいよ。夢なんかないよ。あたしゃどうしようもないんだよ。だから死ぬしかないんだよ。死なせてくれよ。黙っていたらこう言う。

「マリちゃん、何してる時がいちばん楽しい?」

 だからマリちゃん呼ばわりするなってーの!楽しい時なんてねーよ。毎日どこでも怒られていじめられてつらいばっかりだよ。

「マリちゃん、どうしたい?」

 その質問にだけ即答した。

「死にたい」

 …お兄さんが絶句する。そのまま憐れむ目であたしを見続ける。

「もう来ないで」

それだけ言って自分の部屋に退散した。

 お兄さんは二度と来なかった。

 母さんがまたわめき散らす。

「ただ来てもらうだけでもお金かかるのに!」

 金の心配ばっかり、娘の心配はしないんだねえ。してるっていうけど、あたしの心配っていうより、体裁を心配してんだろ!

「死ねばいい!あんたなんて本当に死ねばいい!!心臓発作でも起こせばいい!」

 はいはい、そうですか!


 母さんがどこかの宗教団体から得体の知れない誰だかを連れてきた。

 うちのリビングで、そのおばさんが涙ぐみながら懸命に言う。

「マリちゃん、絶対にあなたに立ち直って欲しい。あなたは本当は物凄く良い子なんだから。マリちゃん、もう悪い事しないで欲しい。マリちゃん、マリちゃん」

 勝手に来て、勝手にマリちゃん呼ばわりして、勝手に泣いてりゃ世話ねーよ。後ろで母さんが、ウン!ウン!と頷き続けている。

 アホ!自分の手に負えないからって誰か連れてくりゃいいってもんじゃないよ!自分が言っても聞かないからって誰かに説得やら説教やらさせても効果なんかねーよ!そんな事であたしゃ変わらねーっつーの!!死んだものと思っているならいいじゃねーか!死んだものと思っているなら!!!

 そのおばさん帰ってから母さんが言う。

「御高名な方なのよ。あんたみたいな非行少女の為に来てくれたんだから!」

 何が御高名だよ、どうせいくらか払ったんだろ!バーカ!!!あたしが不良になったらあたしを殺して自分も死ぬんだろ!早く殺せよ!テメエのその手で殺して刑務所入れよ!ドアホドアホドアホ!ぼんくらどあほ!

 それにあたしゃ非行少女じゃなくて、不幸少女だよ!ほんまもんのドアホ!


 高校なんて行きたくないよ。どうせ死ぬんだから。本当に、死ぬんだから。ノートの端っこにこう書いた。「自殺志願」

 ああ神様、早くあたしを殺してくれ。この苦痛から逃がしてくれ。

 確かにこのままでいいなんて思っていない。だけどどうすればいいか、分からないんだよ。あたしは欠けているんだ。このままではいけないんだ。愛される資格も何かする資格もないんだ。自信もない、自己肯定感もない、何もない。

 誰かに支えて欲しいけど、誰に何言ったってどうせ嘘つき呼ばわりされるだけだし、突き放されるだけだし、自分が何の為に生まれたか、生きているのか、それすら分からないんだよ。生きてる限り死ね死ね言われるし、だから死にたいんだ、生きる意味も価値もないから。毎日苦しいだけだから。生きていたって全然楽しくないし、夢もないし、どうしようもないんだよ。だから死にたいんだ。

 神様、どうか聞いてくれ。死にたい、死にたい。本当に、死にたい。


 家に帰った途端、母さんが怒鳴る。

「あんた!男から電話あったわよ!うちの電話番号教えないでよ!!」

 ああ、もう言わないでくれ。また死にたくなる。


 出かけようとしたら、また母さんが言う。

「この前、近所の人たちがあんたの出かける様子、じいっと見てたわよ」

 だから何だい?存在するなってーのか?悔しいからこっちも言ってやった。

「あんたも、あんたの旦那も最低だね」

 母さんが即答ってか、即激高する。

「今度あんたの旦那って言ったら殺すよ!」

 おーおー、殺せよ!その前にあたしの男友達をオトコ呼ばわりすんなよ!脅すなよ!

 学校では教師に内申書書かないとか脅されるし、家では親に殺すと脅されるし、どうせいっちゅうーねん!


 学校の近くにある喫茶店「パラダイス」は、あたしたち不良生徒たちの溜まり場だった。みんな制服のまま集まり、平気でたばこをブカブカ吸ったり、酒を飲んでいた。

 ある時、その店のオーナーのおばさんが、べらべらくっちゃべっているあたしたちに、そっと近づいてきた。ちょうど目があったあたしにおばさんが言う。

「制服でたばこ吸わないで」

そしてすぐ退散する。何で返されるか分からないから、怖かったんだろう。「勇気を振り絞って」言ってくれたんだろう。悪かったなって思って、まず自分がたばこを消し、みんなにも言った。

「制服でたばこ吸わないでってさ」

 みんなも意外と素直にたばこを消した。おばさんがほっとした顔をする。

 私服ならいいのかい?みんな老けてっからね。制服さえ着てなきゃ中学生には見えないんだろう。ん?制服を着ていても高校生に見られたりするんだけどね。あははははははは。

 それにしても何であたしにそう言ったんだろう。他の子よりは言いやすかったのかな?まだまともそうに見えたって事なのかい?


 家に帰ったらダイニングテーブルで、父さんと母さん、そして中川先生と校長先生が向き合っていた。

 おーおー、校長先生お出ましかよ。母さんが大泣きしている。

「マリには本当に困っているんです。私たちもどうしてこうなったか分からないんです」

 父さんは黙っている。人前では、借りてきた猫みたいにおとなしくなる父さん。母さんは、必要以上に嗚咽しながら言う。

「私たち、ちゃんと育てました。現に、長女はまともです。長女もマリも同じように育てました」

 おーおー、嘘つき。姉ちゃんに死んだものと思っているなんて言ってるの聞いたことねーぞ。

 母さんが胸を押さえながら言う。

「マリがどうしてあんな風になったか、どうしてもどうしても分からないんです。本当に胸を痛めているんです」

 さあ、母さん。主役になって嬉しいかい?ヒロイン気取りでバッカじゃねーの?

 …中川先生と校長先生は帰る前に、家の中をぐるっと見回していった。母さんが手掛けたきれいな造花が、所狭しと飾ってある。こんなきれいな花に囲まれて、どうしてグレるのか分からないって顔をしていた。

「お父さん、お母さん、マリさんを一緒に立ち直らせましょう」

と言い残して帰っていく校長先生と中川先生。

 玄関まで見送る父さんと母さん。

 ドアが閉まり、足音が遠ざかる。

 振り返りざまに母さんは言ったよ。

「まったく、家まで来るなんて」

 すっかり醒めた顔だった。

「娘がそんな風だと、母親に原因があると思われるのよ」

 さっさとリビングに行き、お茶を下げてる母さん。

 …この人ってすげえな。一瞬で切り替えるんだもん。ジギルとハイドみてえ。呆れるやら、恐ろしいやら、なんやらだったよ。


 高校は「行かなきゃいけない」ものらしい。

 あたしたち、不良生徒たちも受験の準備をし始めた。

 ただ、単願ってやつ。この学校しか受けないから、落とさないでくれってーの。その高校側もさぞかし迷惑だろうよ。こんな不良を受け入れなきゃいけねんだからさ。


 その女子高の先生は、不良生徒の面接には慣れているのか、何だか知らないけど

「校則は守れますか?」

と、そればっかり何回も言う。

 横で父さんがウンウンと頷いている。ハイと返事しろと言わんばかり。オマエに聞いている訳じゃねえだろう。仕方なく、ハイと答える。

「本当に守れますか?」

 何回も聞く。仕方なく、本当に仕方なく、ハイと言う。

 …面接は終わった。


 学科試験を受けてびっくり!これ、小学生の問題じゃないの?ってくらい簡単なの。あたしでさえスラスラと解けちまったぜ。


 合格発表の日。

 同じく単願でその高校を受けた加山さんと伊藤さんと、結果を見に行く。

 あったよ、あった。合格者の所に「沖本真理」と確かに書いてあった。

 一応、嬉しかったね。単願だから落ちる訳ないんだけどさ。ああ、こんな学校に3年も行きたかねえな。ってか、3年ももつのかね。早々に中退するんじゃねえかって予感が走った。

 加山さんと伊藤さんは無邪気に喜んでいる。

 伊藤さんは喜んで

「この学校でいちばんになる!」

と言っている。なれるかもしれんわな。この偏差値ならさ。この子って幸せだなと羨ましかったさ。

 加山さんは、首がつながったような、ほっとした顔をしてた。あたしが昔、いぼ、いぼっていじめたのに、

「マリ、よろしくね」

って言ってくれたし。

 …ああ、良い子だなって思ったよ。あたし、こんな良い子をいじめちゃったんだって、その時初めて心が痛んだ。


 高校の制服やら鞄、靴を買う。身体測定をする。

 ああ、高校に行くって大変なんだな。


 大騒ぎして受験した姉ちゃんは大学に受かった。

 国立大だって。すげーな。

 自慢の長女と、不徳の次女、母さんあんたも大変だねえ。金ばかりかかって。

 あははははははははは。


 しかもその頃、我が家はやっと母さん念願のマイホームを購入したのだった。

 場所は千葉の成田。それまで暮らしていた東京の社宅からはちと遠かった。あたしを不良仲間から引き離したかった、ってーのもあったんだろうねえ。

 偶然だったが、あたしが通う予定の高校には歩いても行ける距離だった。加山さんと伊藤さんは通学大変だろうけど。父さんとしても、成田空港に通うのに便利だしって事で決めたらしかった。

 父さんと母さんは、色々な意味で家を買った事を喜んでいたよ。母さんは引っ越しをすれば、あたしがワル仲間と縁が切れるし、ずっと近所で変な目で見られていてつらかったから、新しい環境でリセット出来ると思ったらしい。

 だが、引っ越しが近づくにつれ、あたしにこう言うようになったよ。

「あんた、成田に行ってもそうするつもりなんでしょう!」

「そう」って、「どう」だよ。バーカ。こっちのセリフだよ。あんたこそ成田に行っても、どこに行っても、あたしをののしり続けるつもりなんだろ!

 父さんはこう言ったよ。

「お前のせいで引っ越しするんだ」

 おーおー、何でも人のせいにするね。事故に遭った時も、詐欺に遭った時も、あたしのせいだとキンキンわめいていたし。だったらまた引っ越ししなきゃだね!


 姉ちゃんはあたしと一切口を利かなくなっていた。あたしをいないものとして、完璧無視していた。

 友達と電話で話しながら

「え?あたし妹なんていないよ」

って平気で言い張っていたし。

 高いのは偏差値だけかい?国立大生さんよ!


 高校入学が決まったら、もう中学なんて用はない。誰が行くかよ、バーカ。

 卒業式?行く気しねえよ。何しに行くんだよ!「登式拒否」したる!卒業リンチ?センコー殴ってどうすんだよ、知らねえよ!もう、何もかも知らねーよ!


  あたしはお琴もやめた。ばっくれてやめた。

 お琴の先生が心配して家まで来てくれたけど、もうやる気はなかった。


 一児の母になった脇田さんの奥さんが、心配そうに見ているのに気付いていたけど、無視した。あの可愛かったマリちゃんがねえ、って顔してたよ。

  脇田さんだけじゃない。近所の大人はみんな、びっくりしてあたしを見ていた。同じ子?ってくらいあたしが容貌も放つオーラも変わっちまったからね。

 何もかも、引っ越しまでの辛抱だ。

 ご近所さん、あんたらも辛抱しなよ!あはははははは!


 引っ越しは大変だったよ。それまで暮らしていた社宅の体積よりデカいんじゃないかって量の荷物が出てくるし。家の中は段ボールだらけ。山のような荷物をくぐったり、またいだりして移動してたさ。

「いらないものはどんどん処分してね」

だってさ。

 母さん、いちばん処分したいのはあたしだろ!あははははは。


 でね、その荷造りをしている時に見つけちまったんだけどさ。以前あたしが万引きした化粧品が、どっちゃり取ってあったよ。やっぱり捨てるなんて嘘だったんだ。ケチな母さん!さすがに派手な洋服は捨てたらしいが、化粧品は何かに使えると思ったんだろうねえ。ウケるぜ!ドケチババア!!

  引っ越し当日、父さんはトイレの掃除ブラシまで持って行こうとして母さんに捨てろと怒鳴られているし。こっちもウケるぜ!ドケチジジイ!


 新しい家は、駅から歩いて15分くらい(母さんは10分と言い張っていたが)。

 日当たりの良い一軒家だったよ。小さい庭もあってさ。

 1階にキッチンと広めのリビングと和室、バストイレ。2階には、太陽に向かって並ぶかのように3室あってさ。

 南西向きの角部屋、いちばんいい洋室は、姉ちゃんに振り当てられた。窓際にベッドを置き、姉ちゃんはご満悦だったよ。壁紙が淡い色でね。窓もふたつあったし。大学に受かったご褒美かいな。

 東南向きの角部屋、和室は父さんと母さんの寝室だった。砂壁だったが、そこも窓がふたつあって風通しが良かった。

 そしていちばん悪い部屋、というのはどうかと思うが、真ん中の洋室があたしの部屋としてあてがわれた。壁紙が濃い色でね。窓はひとつだった。

「あんた、たばこ吸うからこの部屋よ」

だってさ。じゃあたばこ吸うのを良しとした、認めたって事じゃないの? それに窓がひとつだから、風通しわりーだろ!

 まあ一応嬉しかったよ。初めての「オンリーマイルーム」だからね。もう父さんや母さんが着替えだ、何だと入って来ない訳だし。ただ部屋に入った瞬間、ここをあたしは何年も使わないんじゃないかって予感がした。


 引っ越しってーのは荷造りも大変だが、ほどくのも大変だった。どこに何が入っているか、わかんねーっつーの!4人ともカリカリしちまって、引っ越しそばどころじゃなかったよ。

 何とか家の中が片付き、父さんは会社へ、母さんは造花教室へ、姉ちゃんは大学へ、あたしは高校へ、それぞれ行く…筈だった。

 だがあたしだけ、それが出来なかった。


  高校の入学式、胃がよじれるほど緊張していた。あたしゃ小学校に入った時も、中学に入った時も、緊張していたけどその比じゃなかった。

 はっきり言って、行きたくなかったよ。自分の場所って感じがしなかったから。

 そんな自分をごまかすように、あたしは化粧して自分で染めた髪に花を飾って制服をアレンジして登校した。

 周りがあたしに「悪い意味で」注目しているのが分かったが、どうしようもなかった。

 校長先生に呼ばれ

「君はこの学校で何を学びたいのかな?」

と聞かれた。

 …答えはなかった。

 そう、あたしにとってその高校は「親に無理やり行かされた場所」だったから。


 2日目、やはり行きたくなかった。

 だからわざと歩きにくいように、という心理が働き、制服にヒールを履いて登校した。

 上級生の女に怒鳴られたが、知らん顔を決め込んだ。女子校特有の嫌な匂いを感じた。

 …その夜、退学届けを書いてカバンに入れた。


  3日目、あたしの姿を見た途端、同じ1年生の女どもが走って逃げた。

 つらかった。


 そして

 たまんなく

 さびしかった。


  2階の窓から上級生が言うのが聞こえた。

「わあ、凄いのが来た」

  教室に入っても、自分の机についても、そこが自分の場所と思えずいたたまれなかった。


  教室の外に、上級生の女どもが大勢集まって来ていた。明らかに「あたしに制裁を加える為に集まって来ている」のは殺気だった目を見れば分かる。ざっと見て20人はいた。


「理科室へ移動しなさい」

 先生がほざく。みんなが移動する。

 挨拶代わりに喧嘩したろか、そんな気がした。

 だが加山さんが囁いた。

「マリ、行こう、行った方が良い」

 あたしを守ろうとしてくれているのだと分かった。 

 かつて自分をいじめたあたしをかばってくれる加山さん。加山さんを悲しませたくなかった。だから理科室へ移動した。加山さんがほっとした顔をする。

 上級生たちは凄い目で睨みながらも、引き下がって行った。


  下校時間、担任に「退学届け」を叩きつけた。

「そう簡単に行かないよ」

という声を背中で聞いた。決意は変わらない。

「沖本さん、明日も待ってるね」

と言ってくれたが、そんな日は二度と来ないという確信があった。


 翌朝、どうしても、どうしても、学校へ行きたくなかった。行ったら上級生にリンチされるのは目に見えていた。怖かった。だから行く訳にいかず登校拒否を極めるしかなかった。

 母さんがわめく。

「早く行きなさいよう!」

  父さんが殴る。

「行けったら行け!」

  わめかれても、殴られても、上級生に集団リンチされるよりは、なんぼかましだった。だから、絶対に、絶対に、行かなかった。 


  加山さんや伊藤さんが心配して電話をくれたが出なかった。


  高校には、マチコもいない。

 別の高校を単願で受けたマチコはどうしているんだろう。この世で唯一、あたしの話を真摯に聞いてくれたマチコ。あたしを信じてくれたマチコ。あたしを受け止めてくれたマチコ。あたしを励ましてくれたマチコ。

 マチコ…マチコ…マチコ…。

 マチコに会いたかった。


 あたしは

 学校から

  逃げた。

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