第6話誇り高き少女3



時間はもうすぐ夜の12時になろうとしていた。


ここは私立特光大学園高等部の体育館。

先月の台風で老朽化していた天井の一部が破損し、今は修理中のため関係者以外の立ち入りは禁止されている。


深夜だというのに人の気配がする。


次の隙間、風で天井の修理用のシートがはためき、月の光が僅かに館内に差しこみ、体育館の中央に立つ人間の姿がおぼろげに映し出される。


島村サエコだ。


サエコは剣道の胴着姿で、手には竹刀ではなく、布で覆われた細長い筒のようなもの持っている。


どうやら誰かを待っているようだ。


彼女は暗闇の中、微動だにせず、全身から異様な殺気をみなぎらせている。

その姿はまるで果し合い前の剣士のようだ。


しばらくして、入り口の鉄製のドアがゆっくりと開き、ドアを開けた時の鉄の軋む音が体育館内に大きく響き渡る。


誰かが入ってきた。


その人物は体育館を支配する夜の闇と同じ漆黒の制服を身にまとい、輝くような黄金色の髪をなびかせながら、ゆっくりと歩いてくる。


「待たせたか?」


魔界武装親衛隊少尉アゼル・フォン・シュタイナーだ。


「いえ、私もつい今しがた来たばかりです」


アゼルの声を聞いた瞬間、サエコの身体が一瞬強張ったように見えた。


「それが、あなたの本当の姿なのね」


「そうだ。これが私の真の姿だ」


サエコに向かって歩きながら、そう答えるアゼル。

サエコは手に持っていた布を解き、中から日本刀を取り出す。


「やはり、キサマは退魔師の末裔であったか」


「ええ、この刀はお母さんの実家の神社に奉納されていた由緒正しき家宝」


サエコの正面から3メートルほど手前で足を止めるアゼル。


「お母さんが結婚する時に我が家に送られました」


ゆっくり鞘から刀を抜くサエコ。


「この刀の名は『鬼斬り丸』。ご先祖様から受け継がれたあらゆる魔を断つ剣です」


正面のアゼルに全神経を集中させ、サエコは刀を中腰で構える。


「アゼルさん、あなたは一体何者なの?」


「……」


「昨日ツトムの家から帰った後、結局一睡もできなかった。それでも朝練は休めないから、今朝いつもの時間に登校したら、クラスの皆の様子が変じゃない」


「……」


「クラスメートの誰と話しても、あなたとツトムが親戚だっていう。昨日の朝のホームルームで初めて会ったはずなのに」


「……」


「最初、私、自分の頭がどうにかなっちゃったのかと思った。でも何度考え直しても、やっぱりおかしいのは皆の方よ。私には確信があった、自分の記憶が正しいって。そして皆に邪悪な力が働いていて、その邪悪な力の源があなたであることも」


冷ややかな面持ちで、口元には僅かながらの笑みを浮かべるアゼル。


「ほう、その理由は?」


「理由は」

 

サエコは懐から青白く光る首飾りの石を取り出し、それを高く掲げる。


「これです。この石は邪悪な気を察知すると、こんなふうに青白く光るの。私が生まれた時、祖父がお守りとして私にくれたものよ。でも、こんなに強く光を発するのは初めて。もう一度尋ねるわ、アゼルさん、あなたは何者なの?」


一瞬間を置いて、アゼルはゆっくりと口を開いた。

 

「私は魔界武装親衛隊少尉アゼル・フォン・シュタイナー。私はこの世界の人間ではない。キサマの考えてるとうり魔界からきた者だ」


予想してたとはいえ、アゼルの突拍子のない言葉にサエコは一瞬当惑の表情を浮かべたものの、すぐにアゼルの言葉が嘘や冗談ではないと察した。


「魔界からきた者……魔界武装親衛隊って軍隊みたいなものなの?」


真剣な面持ちで、そう尋ねるサエコ。


「そうだ、栄えある魔界皇帝陛下に仕える偉大な軍隊だ!」


「その魔界の軍隊の……アゼル・フォン・シュタイナーがツトムに何の用?」


刀の柄を握る手に力が入る。


「それはキサマには関係ないことだ。夕べも云ったはずだ」


大声で怒鳴るサエコ。


「ふざけないで!まさかツトムの魂とかが目的なの?」


アゼルは腕を組み、少々呆れた様子で、


「バカなことをいうな。魔族が魂をほしがるなんて、貴様ら人間どもが作りだした戯言だ」


だが、サエコは納得できず、しつこく問いただす。


「じゃあ、目的は何なの?!」


「くどい!キサマに云う必要はない!」


両者の緊張は、もう耐えられないところまできている。


「しかたないですね。それじゃあ、力ずくでも話してもらいます!」


意を決して、刀を上段に構えるサエコ。


「ふん、面白い。人間風情がこの私と一戦交える気か」


アゼルもまた、覚悟を決めたかのように、ホルスターから愛用の大型拳銃、モーゼルミリタリーを取り出し、サエコに向けて構える。


「安心しろ殺しはせん。ただ通常の魔術はキサマには効かないので、もっと強力な術を施すまでだ。しかし、その前に邪魔なその首飾りと刀を取上げんとな」

 

銃口をサエコの肩に向けるアゼル。


「少しばかり痛い思いをするが。まあ、傷は跡形もなく消しといてやるから心配するな」

 

引き金を引くアゼル。

凄まじい銃声が、夜の体育館に響き渡る。

だが、銃口の先のサエコは立ったままで、身体に傷一つない。


「バ、バカな」


弾は全て床に叩き落されている。


「これで終りですか?じゃあ、今度はこっちの番ですね」


アゼルに向かって猛ダッシュするサエコ。

再びモーゼルを発砲するアゼル。

サエコは飛んで来る弾を避け、アゼルの懐に飛込み、彼女の首すじに刃を当てる。


「く!」


意外な展開に、思わず声を漏らすアゼル。


「見た目は鉄で作られた拳銃や弾丸でも、実体は魔力で創り出された邪悪なもの。この鬼斬り丸は邪悪な存在の動きに自然に反応してくれるの。私はただこの刀の動きに身体を合わせればいいだけ」


「……そうか、少しばかりキサマのことを甘くみていたようだ」


一瞬のスキをつき、サエコの刃先から逃れるように後ろにジャンプするアゼル。


「今度は手加減なしだ。本気でいかせてもらう」


アゼルの瞳に獰猛な捕食者の光が宿る。


もはや、この体育館から生きて出られるのは、二人のうち、ただ一人!




なんてこと、あっていいわけねーだろ!!




「ちょっと待ったー!」


俺は隠れていた体育用具室から飛び出した。


「ツトム!」


「水谷ツトム、何でキサマがここに?」


予期せぬ人間の登場に二人は一斉に俺の方を見る。


「おまえらのことが気になって、あの後、教室に戻るふりして、隠れて立ち聞きしてたんだよ」


建物の影に隠れたところで、俺は窓から校舎に入り、二人の会話の聞こえる廊下まで戻って、そこで立ち聞きしてたんだけど……まさかホントに決闘するとはな。

まったく、盗み聞きしといて正解だったよ。


「いくら夜の体育館だからって、こんなところでドンパチやっていいわけないだろーが」


今時決闘なんて、こいつらの頭の中はアナログすぎるよ。

ここは一つ、思慮分別のある大人の俺が少し説教してやらんとな。

なんて、考えてたら。


「ツトム」


「ん?」


「あんた、女の子の話を盗み聞きしてたの?………信じられない!サイテー!女の子の敵!」


と、急に普通の女子高生みたいなこといいやがるんですよ!サエコのヤツ!

 

何いってんだよ、おまえ!

そんなこといってる場合じゃないだろ!

ついさっきまで、日本刀振り回して、殺し合いしてたくせに!


ところが、アゼルのヤツも、


「おい、水谷ツトム、この女の敵め!いっぺん死ぬか?」


と、まるでサエコの小学校時代からの親友みたいなフォロー入れてきやがって!

くそー、このままじゃ、まるで俺が悪者みたいじゃないか。

とにかく話を戻さないと。


「そうじゃねーだろ!話を逸らすな!」


「じゃあ、ツトム、あんたが説明してくれるの?」


「……それは」


チラッとアゼルの方に目をやると、アイツの目は「断固拒否しろ!」と俺に訴えていた。


「やっぱり、あの女から直接聞かなきゃならないみたいね」


「ふん、やれるものならやってみろ。出でよ!」


アゼルが使い魔の召還のポーズをとる。


マズイ!


とっさに俺はアゼルの腕を掴んで召還を止める。


「落ち着け!サエコ相手にマジになるな。素人相手に使い魔の戦車とか出すなよ!」


拳銃の次に戦車なんて、もうちょっと決闘のTPOをわきまえろ。


ところが、意外なことにアゼルは、


「心配するな、普通の人間相手にヤークト・パンサーなど使わない。パンサーの88ミリ砲で撃ったら、あの女、跡形も残らんからな。そんな非道なことするわけないだろう」


なんて仰るわけです。


何だコイツ、思ってたよりは常識があるんだな。

 

「良かった、じゃあ、もうこんな物騒なことは」


「私の第二の使い魔、ヴィルベルヴィントのオットーの20ミリ四連装対空機関砲で、軽くお仕置きするだけだ」


と、俺の希望的観測を粉々にするくらいの非常識っぷりを披露してくれました。


「全然軽くねーだろーが!サエコがミンチになるわ!」


ヴィルベルヴィントっていうのは、四号戦車の車体に対空用の20ミリ機関砲を四つも搭載した「下手な鉄砲数撃ちゃ当たる」方式の非常に凶悪な代物である。


20ミリ機関砲弾がかすっただけで、人間の胴体なんて軽く真っ二つになっちまう。

 

少しでもコイツの常識に期待した俺がバカでした。




「ええい、放せ!このバカものが!」


アゼルともみ合い、必死に召還を阻止する俺に、


「何いちゃついてるのよ!離れなさい!この変態色欲魔!」


と、信じられないような冤罪で俺を罵倒しやがって、サエコのヤツ。


「アホか!その腐れ目ん玉、かっほじってよくみろ!」


だが、サエコに一瞬注意を向けたスキにアゼルは俺を振りほどき使い魔を召還してしまう。


「出でよ!我が下僕、ヴィルベルヴィント!」


屋上の時と同じように目の前に閃光が走り、次の瞬間、俺たちの目の前にヴィルベルヴィントが現れる。


「我が第二の使い魔の力、その身体で味わうがいい!」


ヴィルベルヴィントは四つの機関砲の銃口をサエコに向ける。


「邪悪な存在でこの鬼斬り丸に切れないものはないわ!あなたの使い魔、ナマスにしてあげる」


いくら虚勢を張っても、サエコのヤツがびびってるのは明らかだ。

それなのに、コイツは再び刀を構えなし、圧倒的に力の差がある相手に戦いを挑もうとしている。


「ほざくな!撃てー!」


火を吹く20ミリ機関砲。

サエコの立っていた後ろの壁に穴が開き、壁が土壁のように崩れ落ちる。


「サエコー!」


思わずを乗り出して叫ぶ俺。

だが、サエコの立っていたところにアイツの姿はない。


「どこを狙ってるんですか?あなたご自慢の使い魔は!」


サエコは目にも止まらぬ速さで、弾幕をかわし、アゼルに肉薄する。


「これで終わりです!」


大きくジャンプし、アゼルに切りかかるサエコ。


「ふん、甘いな!二度も同じ手は食わぬ!」


サエコの太刀をかわすアゼル。


「そんな!」


空を切った刀を構え直した瞬間、正面からヴィルベルヴィントが突っ込んでくる。

アゼルのヤツ、最初からこれを狙ってたのか。


バランスを崩し、床に倒れるサエコ。


「きゃー!」


くそ、このままじゃ、サエコが!


「ちくしょー、どーにでもなれ!」


俺はサエコの前に飛び出し、両手を広げ、ヴィルベルヴィントを突進を身体で阻止する。


「!」


「ツトム!」


ヴィルベルヴィントの車体が俺の目と鼻の先で止まる。


「そこをどけ!勝負の邪魔だ!」


俺に向かって叫ぶアゼル。

悪いが、ここは引くワケにはいかないんだよ。


「いいかげんにしろ!もう勝負はついているだろうが」


俺がそう云うと、サエコは床にしゃがみ込んだまま、


「私、まだ戦えるわ!」


と、ミエミエの強がりを言いやがった。


「ふざけるな。腰ぬかしてる奴が何いってんだ!」


「そ、そんなこと……」


「黙れ!これ以上コイツとやり合ったら怪我ぐらいじゃすまないんだぞ!」


そうだ、これ以上やりあったら、ホントに死人が出ちまう。


「……」


俺の言葉に黙って、うな垂れるサエコ。

良かった……ようやく冷静さを取り戻したか。


ところが、アゼルのヤツ、


「だが、この女をこのままにしておくわけにはいかない。私の秘密を知った以上、口封じの術はかけておかないとな」


なんて、余計なこといいやがって!


「いやよ!誰がそんなことさせるもんですか!」


バカが!せっかく収まりかけてたのに。

ホント、世話のかかるお嬢さん達だよ。


「しかたない。やはり力ずくで」


俺はサエコに近づこうとしたアゼルの腕を掴み、


「いいかげんにしろ!二人とも少しは頭を冷やせ」


と、大声で怒鳴った。


くそー、仕方ない。


この場を収めるには、もうあの方法に賭けるしかないか!


「いいから二人とも俺の話を聞け!平和的にこの問題を解決するいい方法がある」


俺の言葉に二人は目を丸くして、


「なんだと?」


「それって?」


と、ほぼ同時に質問してきた。


俺は自分自身を落ち着かせるため軽く深呼吸してから、こう云った。


「古来より日本に伝わる、大岡裁きと並ぶ、日本独自の諸問題解決のための秘策……それは」


真剣な眼差しで、俺の話に耳を傾けるアゼルとサエコ。



「それは……カレー対決だー!!」




「なんで私の家の台所で勝負しなきゃならないのよ!」


結局あれから俺は二人をなんとか説得して、あの場を収め、今はサエコの家の台所にいる。


「しかたがないだろ!じゃあ、俺んちの台所を使うか?」


サエコの両親が二人とも不在で助かった。


サエコのおじさんが経営してるレストラン「パール・ハーバー」は今は臨時休業中。

おじさんは年に何回か、「昔の知り合いの頼まれ事」とかで、一週間ぐらい休み、海外に出かけることがある。

で、おばさんは今は高校時代の友達と温泉に二泊三日の旅行中だそうだ。


「冗談じゃないわ!あそこに入るくらいなら、気密服着ずに、バイオハザードの汚染地区で野外キャンプしたほうがマシよ!」


「大げさな、たががゴキブリが一匹出たくらいで」


以前、サエコのヤツ、頼みもしないのに掃除に押しかけてきて、アレと遭遇しちまったのだが、女ってヤツはホント、ゴキが苦手だよな。


「きゃー!その名前を口にするな!七代先まで呪ってやるからね!」


「おい、バカ話はその辺にして、さっさと本題に入らんか!」


俺とサエコの三文芝居に我慢できなくなったのか、アゼルが横槍を入れてきた。


さっさと話を進めたほうがよさそうだ。


「それじゃあ、さっきも言ったけど、アゼル、サエコ、これからお前ら二人にここでカレーを作ってもらう。で、俺が食って美味いと思った方を勝者とし、負けた方は勝った相手のいうことを無条件で受けいること。それがこの料理対決のルールだ。分かったな?」


俺は二人にルールを簡潔に説明した。


「ルールは分かったけど、どうして決闘の方法がカレー作りなのよ?」


ふ、甘いなサエコ、オマエがそう質問してくるのは想定内だよ。


「バカ野郎ー!いいか、今やカレーは日本人にとってなくてはならい、まさに国民食といっても過言ではないものだ。そして食こそがその国のシンボル、魂なんだ!魂と魂の激突こそ、己が全てを賭けるに値する決闘方法に相応しいものはない!サエコ、お前にはそれが分からんのかー!」


と、俺はサエコに反論の機会を与えないくらいの迫力で自論を押し通した。


俺の迫力に負けて


「分かった、分かったから」


と、サエコは不承不承受け入れてた。


「分かればそれでいい。それじゃあ、両者用意はいいか?」


台所の机の上には、カレーの具材と調理器具が二人分用意されている。


「私が勝ったら、アゼルさん、貴方には魔界に帰ってもらうからね」


「ふん、ほざいてろ。その代わり私が勝ったら、大人しく私の云うことをきいてもらうからな」


着替える時間がなかったので、二人とも胴着と軍服の上にエプロンを付けていて、傍から見るとかなり異様な光景だ。

でも、まあ、結構二人ともカワイイといえなくもないか。


「ええ、いいわよ。でも、絶対そんなことにならないから」


「ほぉ、大した自信だな。後でほえづらかいても知らんぞ」


二人とも、既に十分ヒートアップしている。


俺は、こほん、と咳払いをしてから軽く右手を上げて、


「それじゃあ、両者位置についてー、よーい、スタート!」


と、高らかに戦闘開始の合図を宣言した。




「おい、水谷ツトム。何で料理勝負などと言い出したんだ?」


料理対決が始まる20分ほど前、俺とアゼルは足りない食材と調理器具を俺の家の台所まで取りに来ていた。

実際夜中の1時に開いてる店といえば、この辺じゃコンビにくらいだが、さすがに生野菜なんかは置いてないからな。


「完璧超人のアイツにとって、料理が唯一のアキレス腱だからさ」


俺は冷蔵庫にあるはずのニンジンと玉ねぎを探しながら、そう答えた。


「とにかくアイツの負けん気は生半可じゃない。中途半端な戦いじゃ駄目なんだ。サエコを完膚なきまでに叩きのめさないと、また同じことを繰り返すことになる」


アゼルはお袋が俺の自炊ために買っておいた「今日の料理超ビギナーズ」の「誰でも名シェフ、家で本格カレーの簡単奥義」のページを読みながら、話を続けた。


「で、料理対決というわけか」


「ああ、アイツの料理の駄目さ加減は半端じゃねー。俺は身をもって体験してるからな」


そう、かつて俺はアイツのカレーを食って、二週間ほど再起不能になったことがあるのだ。


「ところで、アゼル、オマエは大丈夫なんだろうな。料理の方は」


「バカにするな!私の料理の腕はプロ級だ」


アゼルは本を閉じると、むきになって言い返してきた。


「へー、意外だな。なんかそういうのとは無縁な感じだけど」


「ふん、まあ、自慢ではないが三ツ星レストランでも十分通用するといってもいいだろう」


と、アゼルのヤツ、やたら自信たっぷりにそう答えた。


「まあ、いいけど」


あのサエコより、料理が下手な人類は多分存在しないだろうし。




で、料理対決開始から5分が経ったわけだが。


「料理はサエコのアキレス腱っていったのは俺だけど、まさかこれほどとは」


酷い!


酷すぎる!


料理開始から、5分でサエコの周りは既に夢の島状態。

食材というよりは、もはやどう見ても生ごみの山だ。

一体どうすれば、僅かな時間でここまでの惨状を作り出せるんだ!

俺が呆然と眺めていたら、


「痛っ!」


あ~あ、やっぱりやったか。

サエコのヤツ、包丁で指を切っちまった。

意外と手先は器用なくせに、料理だけは駄目なんだよな。ホント謎だよ。


「おい、大丈夫か?」


俺は救急箱の中から絆創膏を取り出し、サエコの指に巻いてやった。


「平気よ、このくらい何でも、痛っ!」


まったく、言ってる傍からこれだよ。


この辺が潮時か。


「もういいだろ、ギブアップしろよ。これ以上こんなことで怪我したってつまらないぞ」


まあ、誰だって自分の記憶をいじられるのは気持ちのいいことじゃないよな。


「いやよ!私、絶対に諦めない。ブラジルのおじ様とおば様に頼まれたんだから、ツトムのこと」


「オマエがアゼルのこと口外しないって約束してくれれば、別に魔術なんてかけなくったっていいしさ」


そう、別に魔術なんかかけなくても、コイツは一度約束したことは絶対破らない。

とにかく、気持ちに整理をつけさせるための勝負のつもりだったのだが、


「そういうことじゃないの!」


サエコのヤツ、俺のドクターストップを聞き入れない。


「ああ~もう、頑固なヤツだな。自分でも分かってるんだろ。料理じゃ勝てないってこと」


「そんなの最後までやってみなければ分からないでしょ!絶対に、絶対に諦めないんだから!ツトムをあんな化け物みたいな女の手に渡さない。ツトムは私が守る!」


「……サエコ」


「覚えてる?子供のころ、私よく男の子たちにいじめられたよね。背が高かったから「電信柱女」とかいわれてさ。そんな時、ツトム、いつも私のこと庇ってくれた。弱いのに喧嘩までしちゃってさ……でもあの時は嬉しかった。本当に嬉しかった」


コイツ、そんな昔のこといつまでも覚えてやがって。

ったく、情けないよな。いつも俺の方がボコボコにされちゃってさ。


「だからあの時に思ったの。私も強くなろうって。強くなって、いつかツトムがピンチのとき、私が助けるんだって。そう心の中で誓ったの」


守ってやったつもりの女の子に、逆にこんなふうに思われてたなんて情けない話だ。


「今がその時なのよ。だから私、絶対にどんなことがあっても諦めないわ!」


オマエの気持ちは分かったよ。

もう止めやしない。


「分かった。最後までやってみろ。オマエの渾身のカレー楽しみにしてるからな」


まあ、本音を言えばかなり不安は残るのだけど。


「うん!まかせなさい!」


サエコは絆創膏だらけの手で包丁を握り締め、嬉しそうにそう言った。


「やれやれ、ホント、今時珍しい熱血馬鹿だよな」


そういえば、アゼルの方はどうなってるのかな?

チラっと、アゼルの方に目をやると、俺たちの会話なんか耳に入ってないかのように、黙々とカレー作りに勤しんでいた。


どうやらアイツなりに気を使ってるようだ。




で、いよいよ期待と恐怖に彩られた試食会が始まることとなった。


「じゃあ、最初にアゼルのカレーを食べるとしようか」


決してサエコのカレーを食ったら、味覚が完全に破壊されて、味見などできなくなるからではないからな。

あくまで異世界から来たチャレンジャーに敬意を表してだ。


ごくり!


カレーの食欲を誘う、あの香ばしい匂いに生唾が自然と湧き出る。

見た目も悪くない。

野菜や肉も形が崩れておらず、それでいて十分に煮込んであるのよく分かる。

俺はスプーンでカレーをすくい、口へと運んだ。


「ん!これは!」


カレー特有の舌を刺すような辛味の後、ほんのりとした甘みと酸味が口の中に広がった。


「おい、アゼル、オマエ隠し味にリンゴと蜂蜜を使ったな?」


俺の言葉を肯定するかのように、口元に笑みを浮かべるアゼル。

日本人を子供のころからカレー好きにしてしまう、某メーカーの魔法のレシピを生まれて初めて作ったカレーで再現するとは。


アゼル・フォン・シュタイナー、侮りがたし!




さて、いよいよサエコのカレーの番だが。


「これ、ホントに食わなきゃ駄目か?」


俺の目の前にある謎の物体Xは、もはやカレーと呼べる代物ではなく、敢えて例えるなら、某怪獣映画シリーズの中でも一番人気のない、ヘドロから生まれた〇〇〇とでもいうべき物だった。


「見かけは悪いけど味は折り紙つきなんだからね!」


その自信どこから沸いてくるんだよ。


「オマエ絶対味見してねーだろ!」


しかし、さっき言った言葉を取り消すわけにはいかないよな。


「じ、じゃあ、食うぞ、食うからな!」


俺は意を決してスプーンを握り締める。


「と、止めるなら、今のうちだぞ!後で後悔しても遅いからな!」


「いいから、さっさと食べなさいよ!」


業を煮やし、怒鳴るサエコ。

俺は目をつむり、一気にカレーを口に放り込む。


「!」


だ、駄目だ。

俺、一瞬意識が遠のいちまった。

とてもじゃないが、これ全部食ったら命に関わる。


もう、いいよな。

俺十分頑張ったじゃん。

もうリタイアしたって恥じゃないよ。


俺は自分にそう言い聞かせスプーンを置こうとした。

だが、その時サエコと目が合っちまった。


「サエコ、オマエ……」


決して人前では涙なんかみせないアイツの目に、確かに光るものが見えた。


「くそー!もうどうにでもなれ!」


俺は皿を掴むと、そのままカレーを口の中に放り込んだ。

そして、サエコのカレーを残さず自分の胃の中に送り込んだ。


「うっむえー!ごんにゃうみゃいぐあれー、ぐっだごとね~よ!(美味い!こんな美味いカレー食ったことねーよ!訳・戸〇奈〇子)」


もはや言語能力まで破壊された俺は、


「ごぬぉしゃうぶ、ひぎわけ~!(この勝負、引き分けー!訳・戸〇奈〇子)」


と、最後の力を振り絞り絶叫した後、その場で意識を失った。




数時間後、俺は自分のベッドで目を覚ました。


「よかったー!心配したんだからね!」


サエコが俺に抱きついてくる。

泣きはらしたのか目が真っ赤だ。

ったく、オマエの料理に殺されかけたんだぜ。


ベッドサイドの時計を見ると、もう朝の7時すぎだ。


そういえば、アゼルのヤツはどこいったんだ?


「だから言っただろ。この男はそんなに簡単に死ぬはずがないと」


嫌味を言いながら、アゼルは部屋に入ってきた。

慌てて俺から離れるサエコ。

どうやらまたもや気をつかって席を外していたようだ。


「心配いらんが、一応回復の魔術をかけておいてやったからな」


そうか、今回は二週間も寝込まなくて済みそうだ。


そういえば、あれから勝負はどうなったんだろう?


ちょうど二人が揃ったので、俺は話を切り出した。


「それより、お前らは夕べのことだけど」


俺の話を遮り、サエコが、


「ツトム、あの後、アゼルさんから全て聞いたわ」


と、思いもかけないことを口にした。


「え、全て聞いたって?!」


動揺する俺を横目に、


「ああ、全てこの女に話してやった」


と、アゼルはクールに言い切った。


「じゃあ、俺とコイツのことは」


「ええ、最初聞かされた時はショックだったけど」


と、鎮痛な面持ちで答えるサエコ。

そうか、知っちまったか。

アゼルが俺の娘だってことを。


「……サエコ、俺は」


どういえばいいのか、俺が考えあぐねていると、


「でも、まさか……ツトムが世界を滅ぼす魔王になるなんてね」


え、今なんて言った?


「それを阻止するために、アゼルさんが未来の魔界から派遣されたんでしょ」


ちょっと待て、こいつ何いってやがるんだ?


俺はアゼルを問い詰めた。


「おい、アゼル!」


「うむ、さっきも説明したが、3年後、宇宙の彼方から巨大な力を秘めた、え~と、その、なんだ、そうそう、邪神アンゴロモンスがこの地球にやってきて、この人間界だけでなく、私の住む魔界も破滅の危機にさらされる。そしてそのアンゴロモンスの憑代となるのが、この男、水谷ツトムなのだ」


アゼルのヤツ~!


そりゃ、サエコとの勝負をうやむやにし、尚且つ、一番の問題を解決する方法を探すのに苦労したのは分かるけど……。


「アンゴロモンスは心の弱い者を好む。すなわち人類で最もスケベで、意思薄弱で、どうしようもない怠惰なこの男にとり憑くのだが、私の任務はそれまでにこの男の心身ともに鍛え直し、アンゴロモンスの憑代になるのを防ぐことにある」


いくらなんでも、その設定はないだろう!


「大丈夫よ、ツトム、まだ3年もあるんだから。アゼルさん、さっきも言ったけど、私にも協力させてちょうだい。私もツトムの腐って、歪んだ性格がいつかとんでもないことを引き起こすんじゃないかって心配してたの。ああ、それからもちろん、アゼルさんの正体と任務は私たちだけの秘密ということも承知してるわ」


サエコのヤツ、言いたい放題言いやがって!


「ちょっと待て!オマエらな~」


ついに我慢できず、俺は二人の話に割って入る。


「ああ、いいだろう。是非とも協力してくれ。島村サエコ、正義を愛し、強く真っ直ぐな心の持ち主であるキサマのような誇り高き女が協力してくれれば、こんなに心強いことはない」


だが、俺を無視して、二人は勝手に盛り上がり続ける。


「こちらこそ、よろしく。二人でツトムと世界を守りましょ!」


「ああ、我々二人が協力すればきっと大丈夫だ!」


ガッチリと握手する二人。

何が協力して世界を守りましょうだ!

お前らがタッグを組んだら、それこそ悪夢としかいいようがない。

昭和の日本プロレス界を震撼させた黒い呪術師とインドの狂虎なみのタッグチームだよ!


「おい!二人とも」


ところが話はさらにトンデモない方向へと突き進んで行く。


「じゃあ、まず手始めにツトムが多量に隠匿している不健全なお宝の処分から始めましょうか」


「うむ、その提案には賛成だ。健全な精神は健全な肉体に宿るのが基本中の基本だからな」


おい、なんで、そうなるんだよ!

俺のお宝のせいで世界が滅ぶわけないだろーが!


「二人とも俺の話を聞けー!」


俺の必死の訴えも、二人の耳には届かない。


「えーと、まず、あそこと、あそこと、あそこに隠してある……」


ついに俺は、男の最終奥義、「恥も外聞もない泣きつき」戦術にうって出た!


「お願いだから、お嬢様方、俺の話を聞いて下さいよ~!」


無力感を味わうとはこういうことをいうのだろうか。

二人は完全に俺の存在を無視して、大粛清計画をちゃくちゃくと進行させ続けた。


「島村サエコ、この間言ってた×××なギャルゲーとかいうものを、まっさきに処分すべきじゃないのか?」


「ええ、そうね。そうしましょう。じゃあ、アゼルさんには……」


それだけは、それだけは、どうか平にご勘弁を!


「いや~~~!や~め~て~!!」




その日、明るい爽やかな朝日が降り注ぐ住宅街に、一人の少年の絶望に満ちた悲痛な叫びがいつまでも木霊したそうだ。


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