第41話、ねこは生をまっとうするその瞬間を覚えられないと言うけれど



そのまま、ウェルノさんに連れられ、ついていた卓に戻って。

それまで灯りのなかった舞台が、煌びやかに灯されて。

アイラさんが現れたのはまもなくのことだった。


酔いどれの雑踏に紛れて、本日の特別な出し物についての説明がなされている。

だが、その時点では取り立てて特別なことではなく、いつものことなのか、あまり舞台に注目がいっている感じではない。


しかしそれも、大仰な楽器を手にした……どこに出しても儚げな美少女で通る、君の出現により風向きが変わった。


雑踏が、一つ一つ消えて、一人一人が舞台に注目するようになって。

時期良く、君が頭を下げたまではよかったのだが。

何かに戸惑い、うろたえるように、演奏を始めようとしない君。



「みゃ」

「おしゃさん……?」


おれっちは、その時の君の緊張感が尋常でないことを感じ取って。

一声鳴いてウェルノさんの腕の中から脱し、クリム君の呼びかけにも答えずに駆け出す。


そして、そのまま素早く舞台の裏に回ると、突然のおれっちの登場にびっくりしているアイラさんを脇目に舞台に上がりこんだ。

そのことで視線が集まるのにも構わず、君の肩口に飛び上がり、四肢を投げ出すようにして落ち着いて。



「みゃん」

「……おしゃ」


任せろ、とばかりに一声鳴くと。

それを理解したのか、緊張もあってか泣きそうになっている君が名を呼ぶ。


任せられたのは。

君たち魔人の一族の伝統的試練における、口上だ。


魔人族の血を引くものが、魔精霊や人間、その他の種族に受け入れてもらえるように。

この試練には、そんな意味があり、その中でも口上は大きな意味を持つ。


君も、妹ちゃんもその親も。

更にその親も、代々続けてきたもの。


その顛末を語るのが、演奏前の口上。

これを知っているのは、ここではきっと、君を除けばおれっちだけのはずで。


ようは、口下手な君に対するお節介である。

妹ちゃんくらい口が達者なら別だが、これから語ることは、下手すると取り返しのつかない勘違いを受ける可能性がある。


まぁ、いずれは君自身がやらなくちゃいけないことなのだろうけど。

この伝統的試練に、参加したかったと言うのが、おれっちがでしゃばった一番の理由かもしれない。



『初めまして……わたくし、ティカと申します。今宵、運命の星の下居合わせし皆様方の、貴重な一時をお借りしたいと思い、舞台に上がらせていただきました。早速一曲、と言いたいところなのですが、その前にこの楽器にまつわる物語を、お耳に入れさせていただくこと、ご容赦ください』


まるで腹話術師のごとく、おれっちはは敢えて大きく口を開けてみせ、ぱくぱくする。

君自身も、突然発した君を真似たつもりの高い声に戸惑ってはいたが。

元より矮小な子猫の発する声なので、言うほど違和感はなかったのだろう。


子猫が突然喋りだしたことも、出し物の一つと判断されたらしい。

大きくその場がざわついたが、それは想定の範囲内のものだった。


まぁ、ウェルノさんがベリィちゃんたち知り合いの視線は、ちょっぴり気にはなったが。

今は考えないことにして、言葉を続ける。



『わたくしが今手に持つものは、ただの楽器ではありません。……遥かな昔、【魔人】と呼ばれる種の脅威に晒されていた時代、その【魔人】が持っていた覆滅の魔法を秘めしマジックアイテムと同じものなのです』


語る内容が内容なだけに、主に年経たものたちを中心にどよめきが起こる。

だがそれはあくまで余興の一環であり、現実味はない。

それが余興で済まされること……嘘ではないことに本当の意味で気付いていたものは、少なからずいただろうが。


『ですが、このマジックアイテムの持ち主である【魔人】の少年は、【魔人】からすれば一風変わった考えの持ち主でした。聴くものの命と引き替えに、世にも美しい音を奏でる、覆滅の魔法器。いつもいつも思っていました。こんな素晴らしい音を奏でるものが、人を傷つける道具にしかならないだなんて、おかしいと。本当は聴くものを感動させ、幸せにできるものなのに……と』


人や魔精霊と交じった、今の君たちのような魔人族ではなく。

かつての純血に近い魔人族という種族が、人間や魔精霊を滅ぼすことが生きる理由であったという認識は、根強く残っている。


その認識がこの世界でも正しいかどうかは定かではないが、おれっちはそれを、そうしなければ生きられない種族だったのだろうと考えていた。


だとすると、確かにその少年は変わり者だったのだろう。

誰かを傷つけるくらいなら、死すら厭わない。

そんな考えができるものなど、人間にだって……。



(いや……いるか)


いないだろうと否定しようとして、思い直すようには僅かに苦笑する。



『そんな少年には、夢がありました。『ルフローズの日』と呼ばれる夜通し行われる歌と踊りのパーティーに、自らの相棒であるマジックアイテムを持って参加することです。世界で一番大きな【火(カムラル)】の教会で開かれるそれは、当然のように【魔人】に参加する権利などありませんでした。けれど、少年は諦めません。音楽は傷つける道具じゃない。安らぎと幸せを与えるものなんだって、自らをもって証明したかったからです。魔人族と人間族との架け橋として……』


おれっちは、そこまで言い切ると、余韻を持たすようにして一呼吸置く。

さぁ、あと一仕事だ。



『果たして少年はその夢を叶えることができたのか。……その答えは。少年が残したこのマジックアイテムだけが知っています。今、その答えを示してみることにしましょう。証人は……ここにいるみなさんです』


演奏の前の口上は、それで締め。

すぐさま、君は演奏の準備を始めて。

それに引き込まれるように、観衆たちも息をするのも忘れたかのように静寂を遵守する。


語ったのは、ここではない異国の話。

どうやら、そう思っていたのは語るおれっちだけだったらしい。

このジムキーンと呼ばれる世界にも、魔人族のような種族がいて、覆滅の魔法器のようなものがあったのかもしれない。


そしてそれは、おれっちたちのように、過去の遺物ではなく。

記憶に新しいものだったのだろう。


静寂が、時が経つほどにどこか不穏な、緊張感へと変わり。

戸惑いの空気が広がるのを幻視する。

仕掛けは上々、といったところだろう。


おれっちは、尻尾で肩口を軽く触れるようにして、準備を終えた君に出番を促す。



「……っ」


だが、案の定と言うか予想の範疇と言うか。

それでも尚、緊張感とか不安感とか、いろいろなものでかちこちに固まって動けないでいる君がそこにいた。


それに流されるように、その場になんとも言えぬ沈黙が下りる。

おそらく、君の動きを止めている一番のものは、恐怖感だろう。

おれっちの語りを聞いて、それが増大してしまったのだ。

果たして自分は、同じ試練を受けてきた先達たちのように、上手くできるのかと。

実際、それで人を傷つけてしまった自分に……と。



(傷つけた……?)


ふいに浮かんできたもの。

その記憶に違和感。


一体誰を?

曖昧であやふやで隠されているようで、記憶の整合性を取ろうとすると、ずきりと頭が痛む。


おれっちの小さな頭には大きすぎるそれ。

思わず声が出かけたが、おれっちはそれを、歯を食いしばってこらえた。


そして、その痛みから逃れるように、そんな自分のことなど気にしてる場合じゃなかろうと、転がるように君に肩から落ちた。


うまく力が入らず背中からだったが、そこは猫の面目躍如。

すれすれのところで、くるりと一回転すると、ちょうど君の前に立つ形で、舞台の縁へと降り立つ。

全身にまで広がってきた痛みを無視し、おれっちはぴんと背筋を伸ばし舞台の向こうを睥睨する。


未だ戸惑いの広がるその場。

おれっちは気高き三毛猫族オカリーの気品さを精一杯ばら撒きつつ、ゆらゆらと尻尾を揺らした。


それは、始めようの合図。

君は、おれっちを決して傷つけないと、自信を持って背中で語る。

そんなおれっちの揺ぎ無い態度に、君は生まれた時から持つその相棒を、奏でることで応えた。




独特で深い最初の一音。

発せられ、その場に響いた瞬間、あからさまに反応した人物が、知り合いを含めて幾人か。


そこには明確な危機感、敵意が含まれている。

故におれっちは確信した。

覆滅の魔法器の存在が、確かにこの世界でも認知されていることを。


おそらく、放たれ大惨事になる前に止めようという算段なのだろう。

そんな観客の反応は、しかし始まる前から折込み済みではあった。

そう考えるものたちの鼻を明かすことこそが、この試練の醍醐味なのだから。


おれっちは、一つ笑みをこぼして。

全身の毛を逆立て、君を守るように【光(セザール)】の魔力を放つ。

それはどちらかと言うと、その場の淡い橙の灯に塗されて、きらきら光り舞台の演出効果を高める意味合いの方が強かっただろう。


その光景に息をのむ人、ぼうっとする人、目を奪われる人、引き込まれる人。

様々な反応をするのを見てとって。



君は、この世に二つとない演奏を開始した。



……それは、君の生の証。


確かにここに存在している、そんな自己主張。

生きている音色は、おれっちの心を引っ張り、掴んで放さない。


高く甘く、なめらかで。

豊満で妖艶で、まるで君そのものを顕している。


心が、魂が震える。

その一音一音が耳朶を通過する度に、様々な感情を与えてくれる。


郷愁、歓喜、悲哀、感動。

わくわくどきどきする一方で、不意に油断すると泣きたくなる。



おれっちは、確かに憶えていた。

その音色を、同じ感動を味わったことを。

その身に受け、ふるえたことを。


なのに、体験した、ということ以外のことが、何故か思い出せない。

いつ、どこで、誰が、誰と、何のために。

当たり前に分かるはずのことを、記憶の引き出しから取り出そうとすると、硬く何かに阻まれる。


ひげすら通らないそれは、ぶつかる度に、全身の痛みとして返ってきて。




(そう言えば、全く思い出せないな……)


それは、今更になって気付かされたこと。

自分自身の、ここまで歩んだ道。

振り返ってみても、君との記憶以外、何故か真っ白で。


それは、おれっちにとって、きっと君の次に大事なことのはずなのに。

君の音色が、あまりに心地良かったから。

まるで、君の腕の中……最期の地に抱かれているみたいだったから。

一番は君だったから。



まぁ、いいか。なんて思って。

その心地に身を委ね溺れるようにして、おれっちは意識を手放していて……。



             (第42話につづく)






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