ACT.4

24 浸食:Erosion

 墜落した“流星”。

 それはマイクロ波発電所の受信タワーの下の建屋を半壊し、突き崩す形で落着し、突き立っていた。

 その歪んだ六角形をした、全長五メートルほどの棺のようなそれは、防壁ICEですべてを拒むように凍り付いている。


 咲耶サクヤは巨大な棺のようなそれのメンテナンス・ハッチのような小窓を開き、その中に手を伸ばして、そして、意識を失っていた。

 辿り着き、接続し、そしておそらくは夢を観ていた。

 咲耶サクヤが、咲耶サクヤとなって体験し、記憶した思い出を追体験していた。


 意識のない咲耶サクヤの背に、まるで冬虫夏草のように【此花咲耶フラワードリフト】が生えて顕れていた。

 それは無数の枝を蔦のように伸ばし、マイクロ波の受信タワーを覆い、周囲の建造物を這って、ゆっくりと周囲の森の奥、山の中へと伸び始めていた。

 浸食している。

 それは徐々に成長していた。


「ようやく、辿り着いてみれば……なんだ、これは……」


 その傍らに肩ほどまでのストレートの深緑色をした髪が顔の左半分を覆い。頭の右半分は剃り上げられて、それを銀色に輝くクロームが覆っている。

 その男は情報屋トランジスタ用に作られた冷却装置付きのモッズコートを着て、地から伸びた影のように立っていた。

 その肩には掌ほどの大きさの、黄金の骨で出来た蜘蛛が張り付いている。


「本体の意識がないのに、デーモンAIが実体化して……これは、周囲のセンサ・ネットを浸食しているのか? それにこの縮退粒子演算器マクスウェル・エンジンも……」


 男は黄金の骨格を持つ氷の蜘蛛デーモンを肩に乗せ、独り言を続けるが、どうやらこちらに気が付いたようだった。


「――そして分からないのは、カドクラの次女がどうしてこんなところまで、自ら直々にお出まししているのか……って事だ」


 男はゆっくりと振り返る。

 その視線の先には門倉カドクラ海里カイリと、右腕を鋭利に切り落とされてグッタリしているマキシを抱えたヴァレリィの姿があった。


鹿賀カガから離れて両手を上げろ」


 傍らに立つヴァレリィは抱えていたマキシを地面に降ろし、奪った電磁加速レールハンドガンを構えた。


咲耶サクヤ……」


 マキシは粒子制御デーモンデバイスを抑制する、首枷のようなものを付けられて、身体を動かすことすら出来ない。

 身体はもちろん、心の奥底ストレージにあるはずの【金鹿竜ハイレイス】にアクセスすることも叶わない。


「そいつはM4シリーズの試作機……だったかな? たしか、こいつの初期型だ。合っているだろう?」

「お前がスリーパーズか?」


 海里カイリに向かって喋り続ける男に、銃を突き付けたままにじり寄ると、不意に蜘蛛の男がヴァレリィの方を向いた。


「そうだけど……僕たちは門倉カドクラ海里カイリと喋っているんだ。お前は少し黙っていろ」


 蜘蛛の男スリーパーズが赤い眼で睨みつけると、ヴァレリィはその場でビクリと震え、失神するかのように意識を失い倒れる。

 マキシの位置からは、その犯人が辛うじて見えた。

 さっき涼風スズカの車上で、朝比奈アサヒナが捕まえた蜘蛛のデーモンだった。

 迷彩カモを纏い、音もなくヴァレリィの身体を昇り、首の粒子制御デーモンデバイスのスロットにダイレクトに接続。

 そうすることで粒子制御デーモンデバイスの強固な防壁ICEをパスし、ダイレクトにハッキングをしていた。


「ほう?」


 ヴァレリィをあっさりと無力化したその男に、海里カイリは小さく感嘆の声をあげるが、余り興味はなさそうだった。

 彼女はマキシの記憶の通りであれば、二十年前からこうだ。

 二十年前のヴァージョン・アップ紛争で心を失っていた。


「おや? 動じないのかい? 腑抜けた企業の重役とはいえ、ヴァージョン・アップ紛争を指揮した女傑の名は伊達じゃないね」

「……よく喋るのは、気を逸らすためか?」


 海里カイリの背後で――例のギィィィンという切断音がして、その背に忍び寄っていた黄金の蜘蛛が真っ二つになって、赤い粒子に散って還った。


「……なんだと?」


 蜘蛛の男スリーパーズの顔が驚愕に歪む。


「まさか……M4の腕を切り落としたのは、そっちの軍人じゃなくて、お前の方か?」

「そうだと言ったら?」

「クク……ハハハハ、面白い。それは面白いよ門倉カドクラ海里カイリ!」


 大げさな身振りで、蜘蛛の男スリーパーズは空を仰ぎ笑う。


「何がおかしい?」

「これが可笑しくないわけがないだろう? お前はカドクラの次女、この国の五本の指に入る人間だぞ。そんな遥か高みに居る人間が……クハハハハ」


 ひとしきり笑った後、その赤い瞳を再び海里カイリに向けて、蜘蛛の男スリーパーズは剃り上げた方の頭を指で小突く。


「それが粒子制御デーモンデバイスを埋め込んで……モルモットの僕と同じ、頭に訳のわからない“デーモンAI”を飼っているというんだ。面白くないわけがないじゃないか」


 その様子を対照的な、詰まらなそうな表情で、海里カイリは見つめていた。


「企業の重役は、機械クロームを埋め込んだりしないと?」


 蜘蛛の男スリーパーズの笑いはゆっくりと、狂気の色を帯び始めていた。


「だってそうだろう? 僕たちが現場で血とオイルに塗れている間も、オフィスで踏ん反り返っている連中がお前たちだ。だってそうだろう? 僕たちに機械クロームを埋め込んでこき使い、挙句の果てには“僕たちの脳みそ”を機械の身体に詰めくさる」


 やはり神経質に右頭部の金属部品を小突く。


「だが、お前は違う……都心七区セントラル・セブンのビルの屋上で踏ん反りかえっている筈のカドクラのお嬢様が、なんだってこんな山奥に“流星”見物しに来ている? こいつは一体何だ?」


 その言葉に応えるかのように、チキチキと音を立てて咲耶サクヤの枝葉が伸び、パキパキと音を立てて雪花が咲いた。


「それは種だよ、スリーパーズ。カドクラを……いや、世界のルールを作り変える種だ」


 海里カイリが笑った。

 内に秘めた狂気の度合いでは、なまじ元より力を持っていただけに、海里カイリの方が昏く深かった。

 最愛の人を二度失った彼女は、その世界の誰もが欲しがるであろうカドクラの次女というその椅子を興味なく蹴倒すに至り、この世界に復讐すると、淡々とそう心に決めていた。

 己などは既に滅し、準備し、計画し、実行するマシーンと化している。

 そう、マキシには記憶されていた。

 マキシも、咲耶サクヤも、その計画の副産物だった。


 あのまま【此花咲耶フラワードリフト】を伸ばし続ければ、生まれかけていた咲耶サクヤという個体パーソナリティは消滅する。

 センサ・ネットに溶けてしまう。


「動け……動いて……」


 マキシの身体は金縛りのように痺れて力が入らない。

 まるで自分の身体ではないようだった。

 元よりマキシに“自分の身体”などはない。それを思い知らされていた。


「種? ……種だって? ちょっとまて、まてよ、まてまて……それじゃあ、なにか? この縮退粒子演算器マクスウェル・エンジンに入っているのは……こいつが今触れているのは……」


 蜘蛛の男スリーパーズが気付いたようだった。


「そうだ。デーモンAIを使っているのなら、知っているだろう? お前たちに分け与えられた一つ目の黄金の骨ヴァーテックスのオリジナル――」


 海里カイリはしかし、それを悲しみと絶望と共に語る。

 彼女の愛したそれは、すでにヒトではなかった。


計測限界値の情報処理IQ保有者アンサラー……その脳標本だ」


 その言葉にも反応してか【此花咲耶フラワードリフト】が、一瞬のたうって、浸食を広め、新たな雪花が咲いた。

 辺り一面は最早【冬寂雪花ウィンターミュート】の咲き乱れる異界と化していた。


計測限界値の情報処理IQ保有者アンサラーの脳標本……記憶痕跡エングラムを、それをこいつは、【此花咲耶フラワードリフト】とか言うのは、さっきからセンサ・ネットに垂れ流しているんだぞ? おい……お前、正気か?」


 蜘蛛の男スリーパーズがその手を前に出す。差し出した手から、一つ目の黄金の骨ヴァーテックスが顕れて、そこから蜘蛛の骨格が生えた。

 形を与えられた蜘蛛は、男の腕を伝い、体を這い廻った。

 一匹だったそれが、ゾロリと増えて、無数の蜘蛛が男の身体這い回り始める。


「この頭の中でクソ喧しいデーモンどもを、ニュートウキョウの人間全員の頭の中に植え付けるつもりか!」


 蜘蛛の男スリーパーズの身体を這い回っていた黄金の蜘蛛デーモンたちが、一斉に海里カイリに飛び掛かった。


「――お前のイカれた頭の中を隅から隅まで犯してやるぞ、門倉カドクラ海里カイリィッ!」


――ギィィィンッ!


 いくつもの切断音が、一つに重なって聞こえる。

 飛び掛かり、そして一瞬に、すべての蜘蛛が断ち切られ、赤い粒子へと還っていった。


「なん――」


 止まっていた海里カイリが歩を進める。

 海里カイリが近づくと、蜘蛛の男スリーパーズが再び黄金の蜘蛛を生み出すが、生み出した掌ごと、微塵に切り刻まれた。

 機械クロームの指がボトボトと、血も流さずに地に落ちた。


「なんなんだ、お前のソレは!」


 正体不明や不意打ちは得意とするところだったが、逆に“正体不明の攻撃”を突き付けられ、蜘蛛の男スリーパーズは激しく動揺していた。


「……悪魔デーモンだよ……君たちや、鹿賀カガくんや、このM4X1と同じことだ。人の行動ルーティンと記憶、そしてシナプス配列――記憶痕跡エングラムを苗床にし、進化することで生まれた“意思をもつ人ならざる存在”。日本国フェザントの故事に習えば“狐憑き”と言ったところだ」

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