<空 6> 元商家子女の告解 6

「・・・聖都を脱出後、直ぐにでもお伝えすべきだったのですが」

 姉夫婦と旅する庶民の娘という設定に喜んだルリルー様に、そろそろ本当の夫婦になるのよ、などと調子に乗ったバカがいて——つい喜んでしまった私も大バカだが——言いそびれていた。


 ジルベール様と合流したのが一昨日で、護衛として優秀、夜も一緒にいられるこの方がいるのなら、私をそばに置きたくないとクビにしたとて安全に問題はない。


 限界、だった。


 ただ自分が楽になりたいだけの懺悔に付き合わせるのは申し訳なかったが、ルリルー様ご本人とジルベール様、エルンスト・コラーグの三人にひとつ部屋に集まってもらい、歪な車座になる。

 私が幼いルリルー様を傷付けた者で、贖罪のために仕えていた身勝手な者であるとの告解を受けたルリルー様は、真剣な顔の眉根を徐々に寄せて、あるいはその優しさから簡単に赦されるなどと愚かにも期待していたのであろう私の浅ましい内心を打ち砕く。

 蒼白になる頭は回らず、これまでのことを取り留めもなく話す。


 ルリルー様は、最後にもう一度深く頭を下げた私を一瞥したあと、軽いため息をついてジルベール様を振り返る。


「ロディさん」

「ハイ、ルリ」


 ノート五冊と鉛筆五本。いつの間に準備していたのか、受け取ったルリルー様は丁寧に一冊ずつ床に開くと立ち上がる。


「自動筆記」


 複合魔法の極意である単属性魔法の消去を会得するために魔法制御の鍛錬を積んだルリルー様は、それまでに開発したオリジナル魔法についてもより高い技術を発揮するようになった。

 魔力の紐に吊られた鉛筆が、それぞれのノートに文字を記し始める。さらさらすらすら流れる筆記音に、時折り混じるジルベール様の感嘆、紙と紙がぺラり擦れ、鉛筆のガリりという躓きが合わさり、張り詰めた魔力の糸がぴいンと弾かれる。まるで一曲の音楽を奏でるようで、腕を手を指先を色々な大きさで形で速度で振るうルリルー様は確かに指揮者そのものだった。


「あの・・・」

 ふと我に返り、真剣そのものの顔で鉛筆を操るルリルー様と、その様を恍惚とした顔で眺めるジルベール様に声を掛ける。ふたりは同時にじろり睨み付け、そっと動き出したエコーは片手で顔を覆い隠しながら、ちょっと見張りに出てくる、とぽそり残して部屋から去った。

 仕方なしに書き綴られていく文字を逆側から読み始めて、私が夢中で話したことの殆どが罪の告白から逸れていたことに気づく。

 おふたりの目はいよいよ爛々として画なども混じり始め、描く速度は増す。ルリルー様の額から頬を伝う汗が時折り珠として傍らのジルベール様に当たれば、その溜息の艶は濃度を上げ、耳にするルリルー様の筆は一層高らかに鳴る。


 ふたりは結ばれ、そこに生まれた新しい結びつきは、例え両側から引こうともより強くなり、縒り合わされたその綱自体が鋼の強度を持って、例え表面的に傷つけられようとも芯まで断ち切ることはできない。

 目の前で広がる魔法による筆記は、ふたりによるある種の共同作業であり、長らくこの方の幸せを求めていた私としては素晴らしく感動したいところであるが、描かれる場面がいよいよ濡れ場に差し掛かり、恐らくそこまで話したとは到底思えない画が現れるに至って、ついに羞恥に涙が零れた。嗚咽も出た。床に伏した。


「もう、もう、無理ですっ申し訳・・・ひっくうわぁああん」

 

 三十路前で泣きじゃくるハメになるなんて、考えたこともなかった。





「初めから罰など受ける必要なかったんですよ」

 泣こうが喚こうがルリルー様の繰り糸は止まらなかった。集中が切れると同時に膝から崩れ、ジルベール様に抱き止められた。

 満足、とふたりの顔には書いてあり、それ以上に床に置いたノートは文字と画で埋め尽くされていた。いったい幾度捲ったのか、力が入って筆圧が高くなったページは微妙にうねり、ノートは厚くなっている。

 お疲れとルリルー様の頬にキスをしたジルベール様が拾う。腫れぼったい目と赤い鼻、化粧の落ちたぼろぼろの顔でその様を見ていた私に、ルリルー様はいった。


「あの頃の私はパンパンに膨らんだ風船で、いつ誰が破裂させるか、破裂させてしまうことを家族みなが恐れていた。きっかけは何でもよかった。

 だからみんな、姉兄から父母に至るまで、哀しく辛い日々の始まりではあったけれど、心の裡では安堵していた。あの子がああなるキッカケに自分がならずに済んだ、と」

「そんなこと・・・」

「意外と、みんな狡いんですよ。賢しい。でなければ、ガラ社長が生きて私の側にいるワケ、ありません。私の実家をなんだと?

聖王国の盾にして剣、騎士団統括セグレア伯爵、そして、ヴィクトワール・セグレアが甘い顔をするのなら、相応の理由がある。決まっています」

「では、私は赦されると?このままお仕えしても良いのだと」

「でも何もなく赦されるのも話が旨すぎるというか、こう、覚悟が肩透かしじゃあないですかー」

「いえ、先ほど十二分に恥をかきましたが」

「そこで!」


 素直で可愛らしいルリルー様がこんな悪い顔をするようになったとは、きっと悪い男に誑かされたに違いない。あのファンレターを読んだ時の衝撃が蘇り、眩暈がする。


「社長の半生をいただきます。ありがとうございます。新作バッチリです」

「ご夫婦になられるそうで、男性目線の話もぜひ伺いたく、後日取材しますね。あ、そうそう。おふたりは我がロンバルディ家の家臣ですから、婚姻に際しては当主である俺の許可が必要です。悪しからずご了承を」


 やっぱり悪い男に捕まっていた。

 しかし項垂れて覆った顔からは笑みが溢れて、それはたぶん隠しきれていない。


「改めて。社長、エコー姐さん、おめでとうございますっ」

「ガラさん、隊長、おめでとうございます!」





 宿の外の物陰から、整わない顔に苦慮しながらぶらつくエルンスト・コラーグに声が掛かる。聖都から付いてきたジルベール・ロンバルディ男爵の護衛兼御者で、現在の部下のひとりだ。


「隊長・・・顔、ニヤケすぎでしょ。イイ加減にしてくださいよ。主人夫妻は仕方ないとしても、一応同僚ですからね?俺ら独り身の身にもなってくださいよ」

「すまん。無理だ」


 応えたコラーグは緩みの抑えられない顔を再び覆うと、呟いた。


 アンタ、どれだけアタシが好きなのよ。止まらなくなるわよ?

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