白昼夢

「………っえ、あ、ど、どうぞ!」


昨日の夜も磨いたお風呂を磨き直して、蛇口をひねる。昔から使っている、少し古いタイプの、決して綺麗とは言えないお風呂。最近調子が悪くてリフォームしようと思っていたところだ。こんなことになるのなら、もっと早く替えておけば良かった。

引っ張り出してきた頂き物の入浴剤をポチョンッと落とすと、浴室全体が優しい香りでいっぱいになった。


…必死に冷静ぶっているけれど、この状況は明らかにおかしい。


「えーっと。洗濯機、嫌じゃなかったら使ってください!洋服濡れてるので、ジャージ、置いていきますね。ちゃんと洗ってあるので!嫌じゃなかったら!それと、タオルはここで、ドライヤーがここ。あとは…なんか適当に使ってください、なんでも。あ、嫌じゃなければ!」


「すみません、気を遣わせてしまって。全部お借りしますね。嫌じゃないので」


「嫌じゃなければ」を強調しすぎた僕に、彼女は優しく微笑んだ。


それにしても、何があったんだろう。ただ雨に濡れただけとは思えない。

今にも消えてしまいそうな儚い笑顔は、悲しさを含んでいた。





「お風呂、ありがとうございました!」


当たり前だが、彼女は僕のジャージを着て現れた。彼女の濡れた服は、今頃洗濯機の中だろう。

ちなみに下着は、僕がお風呂の準備をしている間にコンビニで買ってきてもらった。びしょ濡れの状態でまた外に出すなんて酷すぎるとも思ったが、さすがに僕が買うわけにもいかないので致し方ない。


とにかく温まってほしくて、しっかりゆっくりお風呂に入るように伝えた。もちろん、「嫌じゃなければ」だが。

気を遣わないように、「僕はお店の仕事があるので、本当に気にしないでください」と念押ししたが、予想通りお客さんは1人も来なかった。ピカピカな店内をさらにピカピカにしながら、彼女にかける言葉を考え続けていた。


「あ、おかえりなさい、何か飲みますか」


…散々考えた結果がこれなんて。

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