胸に花束を

嗚呼やってしまった。


お店に"臨時休業"の貼り紙をしながら、僕は大きくため息をついた。


あの後、僕の勢いに驚いて大きな目をさらに大きくした彼女は、今度はその目を優しく細めながら「じゃあ、これ!チケットです!お世話になっているのでご招待します!」と、チケットを1枚渡してくれた。

川本さんには「自分、舞台とか好きやったんやな!」と言われ、苦笑するしかなかった。もちろん、舞台そのものにも興味はあった。だけど、本当にそんな純粋な気持ちだけで僕はあんなに大声で行くと宣言したのだろうか。


…なんだか気付いてはいけない気がした。考えるのをやめ、喫茶店の扉に鍵をかけて、慣れない革靴で歩き始めた。


舞台だなんてものに不慣れな僕は、行くと決まったその日からインターネットを駆使して色々調べた。

調べた結果、矛盾している様々な情報が溢れかえっていて、余計わからなくなった。


「着いた」


僕は今、当たり障りのないキレイめな服装に身を包み、小さな劇場の前に立っている。胸には花束を抱えて。

受付を済ませ、少し身軽になった。贈り物を預けるのは、しっかり予習してきた。


今日は川本夫妻はいない。おふたりは土曜日の夜公演を観に行くらしい。僕が観るのは金曜日の夜公演。休日よりはお店に影響が無いだろうと、彼女が配慮してくれた。

まだ緊張していた僕は、後ろから2列目の一番端に座った。





…盛大な拍手で、僕は夢を抜け出した。

初めての舞台は、想像していた以上に惹かれるものがあった。気付けば僕も舞踏会の参加者になっていて、ひたすら前のめりでその世界に入り込んでいた。


茗花さんはやっぱりすごい。あんなに素敵な世界を創り上げているんだから。

余韻にどっぷりと浸りながら、やっぱり慣れない革靴で外へ歩き始めた。


「高野さん!」


「っ茗花さん!どうしてここに?」


「みんな、終わったら裏でわちゃわちゃしたり、皆さんに挨拶しに出たり。意外と自由なんですよ!だから来ちゃいました!」


「今日はありがとうございました!」と言った衣装姿の彼女は、僕が受付に預けた花束を胸に抱えていた。


「このお花も。とっても嬉しかった」


思わず息を呑んだ。そっと視線を花束に向け微笑む茗花さんは、儚く美しい。まるで本物のプリンセスのようだった。


僕はこの瞬間、数時間前気付かないふりをした感情に、気付いてしまった。

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