菊花繚乱のサラブレッド

はなぶさ利洋

第1話

オイラは馬だ。サラブレッドって呼ばれる種類の馬だ。


名前はフェニックス。


永遠の命を約束された伝説の鳥・不死鳥、それがオイラの名前。


でもオイラは鳥じゃなくって、馬なんだ。


オイラは母ちゃんの顔を知らない。なぜなら、母ちゃんはオイラを産むとすぐに遠いところに旅立ってしまったからだ。


せめて一回くらいオイラといっしょにかけっこしてほしかったのに。せっかちさんなんだね。


それでもひとりぼっちにならずに済んだのは、オイラを育ててくれてるいろんな人たちがいたお陰なんだ。


小さい頃、体が弱くて病気がちだったオイラにつきっきりで看病をしてくれたお医者さん。


好き嫌いが激しかったオイラでもちゃんと美味しく食べられるように工夫してご飯を用意してくれた厩務員さん。


競走馬として必要な強さ、勝ち方、例えどんなに不利な状況に追い込まれても絶対に諦めない心構えを叩き込んでくれた調教師の先生。


虚弱だった幼い頃のオイラに「フジミ」という幼名をプレゼントしてくれ、何かある度に自慢の息子呼ばわりしながら首をポンポンと叩いて褒めてくれたオーナーと牧場主さん。


それから、忘れちゃいけないのがもう一人。


オイラの一番の友達で、かけがえのない相棒のピエトロ。ふらんすって言う遠い所からやってきたらしく、オーナーや牧場主さんたちと比べてみても顔の作りが濃くて背たけもスラリと高いときた。


ちなみにそいつの仕事は騎手で、オイラのようなサラブレッド達の背中に跨ってゴール板めがけ共に駆け抜けるってな具合だ。


騎手は、「きしゅ」とも言うし「ジョッキー」とも言う。ピエトロは誰かに自分の仕事について聞かれるとすごく流暢に"ジョケ"と語る。


今でこそ友達だの相棒だのと一定以上信頼を置けているものの、出会った当初はまあ気に食わなかったもんだ。


ピエトロはある日突然オーナーに連れられる形でオイラと先生の元にやって来た。




「コニチワ! ヨロシークオネガシマスゥ」




第一声はこうだった。真っ先に抱いた印象は、「なんか変なヤツがやってきた」である。


挨拶もそこそこに済ますと、先生の右手を両手でガッチリ掴むや上下に何度も何度も揺さぶりながらよく分からない言葉を使って捲し立ててきた。


困り果てた先生は堪らず連れ立って来たオーナーに助けを求める。


すると、オーナーは大きく笑いあげてそれが先生に対するピエトロなりの賞賛の仕方であるのだと話す。


「まあまあ先生! そう固くならずに、彼は母国にいた頃から先生が担当なさった馬たちの活躍をネットで見てそれに憧れてたと言っているのです」


そう言われてオーナーとピエトロを交互に見ながら顔を引き攣らせる先生。


オイラはとりあえずこのガイジンの兄ちゃんにむけて一発かましてやるつもりで、キツく睨みつけてやった。


視線に気づいたピエトロだったが、予想に反して臆することなく瞬時に顔をくしゃくしゃにして口を開いた。




「トレビアン!」

「な、何だいったい」




唐突な言動に、思わず先生もびっくりした様子だった。そんな先生を前にして、ピエトロは向き直るとまたもやオイラにはよく分からない言葉を飛ばしてくる。


よく見ると、先程の挨拶時と比べ鼻の穴を大きく膨らませながら息も荒げていて全体的に溌剌とした様子だった。


しばらくするとオーナーさんが二人の間に割って入り、なぜか本人に成り代わってピエトロの言わんとするところを先生に向け教授し始める。


どうやらオイラの目が大層気に入ったそうだ。


予想外の好感触ぶりにまんまと拍子抜けさせられてしまう。


只者ではない、そう思った。


おおよそ初めての出会いはこんな感じだった。そのすぐ後、オーナーの口からピエトロが「ふらんす」という何やら遠い所からやって来た騎手だと明かされることとなる。


かくして、オイラとピエトロという人馬一体を目指した果てしない二人三脚の道のりが始まる。


だが、その道とは実に茨の道もいい所だった。


何よりオイラにとって、ピエトロは大の苦手だったからだ。


オイラは半端な騎手には断じて背中を預けないと決めている。


なぜなら生まれてきてから今までずっと支えてくれた色んな人たち、そして先立った母ちゃんに対して不甲斐ない活躍は見せられないからだ。


実際、それまで何人もの騎手が目の前に現れては、皆してオイラの実力に恐れ慄いて次々と去っていった。ちょっと睨みつけたり、急に嗎いたり、背中に乗っかった状態のまま軽く暴れたりしてみたらそのザマである。


根性がないったらありゃしない。


なんでそんな事をするんだって?


ただのええかっこしいミソッカスには興味がないからである。この世界はとかく人と馬との相性がモノを言う。日々、人が馬を試してるのと同じように、馬もまた人を試しているのだ。


なあ、ピエトロ?


オーナーぐらいにしか伝わらない言葉でうまく煙にまいたつもりだろうが、オイラは騙されないぞ。


少しでも怪しいと判断したら問答無用で厩舎から叩き出してやる。


まして強い馬にさえ乗れれば俺だって名ジョッキーだ、みたいな勘違いをするようなら一も二もなくお前の故郷「ふらんす」まで蹴って送り返してやるからな?


後でわかったことだが、オーナーは昔「ふらんす」に留学したことがあってその頃に出会ったのがピエトロの親父なのだそうだ。そしてその親父もまた"ジョケ"だったらしく、オーナーと親父は長年の親友としての付き合いがあるらしい。


それが巡り巡って、オイラとピエトロとの出会いに繋がったんだそうな。通りでオーナーだけがピエトロとまともに会話が出来てると思ったよ。


そんな事情も知らないオイラは一頭やるせない中、調教に日々駆り出されるのだった。

その間もオイラはあの手この手を駆使してどうにかピエトロに根を上げさせるのに尽力した。


……しかし、結論から言うとこれらの作戦は全て失敗に終わってしまう。


出会い頭の"目ん玉ギラギラ睨みつけ作戦"が不発だったため、挽回をと次の段階である"オドロキもものき・嗎き作戦"に進めることとした。


作戦内容はシンプル。ピエトロと目があった時、追い切り後に首を叩かれた時、調教後にニンジンを差し出された時などとにかく相手の予想だにしないタイミングでここぞとばかりに嗎いてみせるのだ。


そうしてればいずれオイラのそんな行動に恐れ慄くようになって段々距離を取るようになって、そして……。


まさに欠点のない完璧な作戦であった。


ただ一つ予想外だったのはピエトロがそんなオイラの行いに顔色ひとつ変えることがなく至って平然としていたことだ。


一番最初のころはさすがに「ワオ!」と驚いた素振りを見せた。だがそれ以降は怯むことはなく全て流されて、それどころかオイラのうなじを叩いては「オウオウ、ゲンキ」だのと抜かす始末。全くもって面白くもなんともない。


これではイカンと、前倒し気味に更に次の段階・"あばれ一着、ロードオブロデオ作戦"をついに発動させるに至った。


作戦の中身は、先生にバレない程度で一日中ただひたすら暴れまくるそれだけだ。


ゲート練習中に急に立ち上がる、真っ直ぐ走行せず内に寄れたり外に寄れたりを繰り返す、急加速してコーナーの外ラチいっぱいまで駆け込むと見せかけて華麗なステップでヘアピンカーブをかける。


このやり方によって、オイラの背に跨る連中は十中八九落馬する。そして、一度落ちた経験のある騎手は金輪際オイラに近付こうとすらしなくなるのだ。


フフフ……我ながら恐ろしい計画である。


しかし、そんなオイラの完璧かつ超悪魔的な発想をもってしてもついにピエトロの根を上げさせるには至らなかった。


奴が跨った状態で立ち上がっても天性のバランス感覚と見事な体重移動でビクともせず、内や外に大きく寄れて走ってみても高笑いを上げ、苦しむどころかむしろそんな状況を楽しもうとしててかえって気味が悪くなった。


その日の練習が終わる頃、度重なる心労と余計な体力を使いまくったことでオイラはもうヘトヘト。


なぜか着いてきたピエトロと厩舎に戻ると、なんとソイツはオイラめがけニンジンを差し出してきやがったのだ。


湧き上がる食欲を意地とプライドで抑えせめてもの抵抗をと手首に噛みつこうとして首を伸ばす。


だが手元にたどり着くよりも早く、ピエトロがオイラの口目掛けニンジンを召し上げさせてきたのだ。


慣れした親しんだニンジンの優しい甘さが口いっぱいに広がる。それと同時に不安やわだかまりといったものがいっぺんに蕩けていくのを感じた。


そうして色々噛み締めてるとピエトロがオイラの首元に手を回してきて、「ベーべ、ベーべ」と優しく撫でてくる。


その言葉の意を解さずとも、口振りと全体の雰囲気でピエトロが散々やられたことに関して、何一つ堪えていないというのが伝わってくる。


これがトドメとなり、以後オイラは反抗するのをやめた。


あくる日、大人しくピエトロに手綱を握らせてるのを見かけた先生の助手のヤツが口をポカンと開けさせたまま立ち尽くしていた。


なんかムカついたんで、その日の調教終わりにピエトロが帰ってから盛大に厩舎で大暴れしてやった。




「うわっ! ふ、フジミ?! お、お前全然大人しくなってねえじゃねえか!」




人間風情が調子こいてるからそんな目にあうのである。苦しむだけ苦しめ。


そんな具合で、良くも悪くも調教は順調に進みオイラにとっては3回目の夏が訪れる。


これといって病気も大きな怪我をすることもなく、万全の仕上がりでオイラは新馬戦に出た。


初陣の結果はというとーーーー。




《残り200メートル! ゼッケン6番フェニックス、独走だッ! 2番手以下を大きく引き離してもはや一人旅状態! ちぎるちぎる! 6番フェニックス、これは大楽勝ゴールインッ!》




圧勝の中の1着。向正面までは縦長の配置のおおよそ真ん中で好走を続け、次の34コーナー中間にて鞍上に促されるがままスパートを仕掛ける。ハナを奪って第4コーナーを通過し直線に差し掛かればあとはあっという間。


後続たちの必死になって追い上げようとする足音も、さらにその上に跨る各騎手の息遣いもすべて置き去りにし、オイラは勝利を手にした。


最先頭で待ち受けていた光景は渦巻く様な歓声と、昼下がりの日光を受けて光輝く芝の水面。


そして、新馬戦を勝ち切った事で気分が上々な様子である鞍上のピエトロは何度もオイラの首をポンポンと叩いてくれた。




「ブラボー! オウ……ブラボー!」




ヘン! どんなもんだい!


それから後続たちが続々とゴール板を通過していってその都度、馬あるいは鞍上たちの名前が着順とともにアナウンスにて読み上げられる。


徐々に歩速を緩めていき、そろそろ一息つこうかとも考えていた時だった。


突如として、斜め後ろの方角にいる観戦しに来た人間たちのどよめく大音声が発せられる。


一瞬何が起こったか訳もわからず辺りをきょろきょろ見遣った。


そしてその解は会場内のアナウンスによって明らかにされた。




《な、なんと掲示板上に「レコード」の赤い文字ッ! 1着6番フェニックス、メイクデビューを圧勝ォ! そして、さらにレースレコードを1秒以上縮めるという同世代中最高のスタートを切りましたァ!!》




途端に観客たちの声援は幾つにも折り重なる様な喝采へと打って変わる。


ハナマエの何処を見回しても、オイラの方を向き拍手を送り続けていた。未だかつて経験したことのない事態を前に、呆然と立ち尽くすしかない様子のオイラ。


対照的にピエトロは新馬戦ながらもレコードで先着した事実にすっかり気分を良くしはしゃいでいた。


「メルシィー・ボクゥ!  ……ハハハッ、メルシィ!」


鞭を持った右手で声援に応えるように何度も手を振りつつ、左手でオイラの頭頂部をグリグリと撫でてくる。


完全に調子乗っちゃってるよ、コイツ。


まあ、そんな具合にオイラの新馬戦は大変華やいだ結果の中で無事に幕引きとなった。

それからというものオイラは順調に勝ち星を重ねていったのである。


デビューから立て続けにオープン戦に重賞(G3)戦。ふと気がつくとデビューしてから早4ヶ月ちょっとで、すでに無敗のまま3連勝してしまっていた。


特別なことはこれといってない。ただ、勝ち上がる度、レースに挑む度、ターフから臨む景色が様変わりしていってるように思えた。


少しずつではあるが段々と、視線が、応援が、期待が、歓声がオイラに対して盛り上がりを見せ始めてきた。


オイラが勝てば、オイラが走れば、オイラが現れれば、たったそれだけで皆が揃いも揃ってチヤホヤともてはやす。


だけれど、普段からオイラの身の回りの世話をしてくれる人たちはいつも通りに接してくれた。


ただ、厩舎の外から「無敗」だとか「三冠が…」だとかいう声が時々聞こえてくるようになったこと以外は普通である。


何となく、皆挙ってチヤホヤしたいんだろうなぁという気持ちは伝わってきた。


それだけオイラの強さに希望を見出しているってことだから、できるだけそれに応えられるようにしたいと間近に控えた大きなレースを前にふと考える。もっとも負けるだなんて考えは最初から持ち合わせちゃいないけど。


そうして無敗のまま迎えた師走。暮れの阪神にて繰り広げられる若駒たちの戦いの舞台、朝日杯へとオイラは出走する事になった。


出てくる連中は、オイラの様にここまでコツコツと勝ちを上げてきた歴戦の猛者達ばかり。


パドックの段階で今まで戦ってきた奴らとは明らかに面構えが違って見えた。


馬達だけでなく、騎手や厩務員、調教師、スターターや観客たちも皆して顔がひどく強張っているのである。


しかしそれも無理はない。


重賞レースは数多くあれど、その中でも最高級に位置するG1は数自体が限られている。


勝てば堂々一流ホースの仲間入りを果たせるのだから否が応でも真剣にならざるを得ない。


その後の競走馬生に箔がつくのはもちろん、賞金だってこれまでのとは段違いだ。


まあ、オイラからすれば誰よりも先にコースを駆け抜けて1着が獲れれば他に言うことはないが、それでもG1の賞金はとても魅力的だった。なぜなら、今日までオイラを育てて支えてきてくれた皆に対して恩返しができる最大のチャンスだからだ。


オーナーや牧場主、お医者さん、調教師の先生に厩務員の皆、それと鞍上のピエトロ……あとついでに先生の助手なんかも。


色んな人たちの想い、願いを鞍上ともども一身に背負って今日もオイラは誘導員に連れられてゲートの中へ。


各馬もそれぞれゲートの中へと収まり、準備は整った。


一瞬の静寂が訪れた後、ゲートが開いたと同時に勢いよくスタートを切る。


今日は内枠だったため、いつもより中段からやや前目に進路を取った。


この判断に対し鞍上はーーーー"持ったまま"。

沈黙は肯定、それこそがオイラとピエトロのレース中に交わすコミュニケーションの前提である。


オイラとパートナーを組んでからピエトロは割と早い段階で、オイラがレース毎に自分で走るペースを調整できると言う事に気付いた。


だからレースではゲートが開いてからの立ち上がりは全てオイラ自身に委ねられている。


仮に失敗した時は鞍上できっちり促し、好位につけていない時は手綱を引くなどしてフォローに徹する。


オイラの得意な戦法は差し・追い込みだから、普通だったら前に着きすぎてる感が否めないが今回はなかなか高速決着になりそうなので現状これが最適解だ。一度リズムを掴んだなら無駄に足す事も引くこともしない、それがオイラとピエトロの競馬である。


さて、他の馬達はどうなっているかな?


スタートを切って最初のうちは団子状態で残り距離・1000メートルを切ってから皆がそれぞれ動き始めた。


俯瞰で見て隊列は縦長の展開。先頭を陣取る2頭は変わらずリードを続け、約三四馬身離れて後続が3頭つけている。そこから一馬身後ろくらいに先程来内ラチ沿いで様子を伺うオイラ。


さらにその後方には残りの各馬たちがほとんど一塊になってチャンスを虎視眈々とうかがっていた。


第3コーナー手前、後方から一頭栗毛の馬が外に持ち出してスルスルと先団目掛け加速する。そしてそのまま3、4コーナー中間で早くも先頭集団に取り付く。


それに煽られる形でオイラの前を走ってた三頭も、負けじと追いかけていく。


控えていた後方勢も徐々に上がる構えを見せ、最後のカーブ第4コーナーに差し掛かった。


先団の鞍上たちが一斉にムチを入れてスパートをかけ始める。


ついに、運命の最終直線。オイラは前後の馬群に挟み込まれるという妙な形からカーブを切った。


最後の直線を前にし、ここでついに鞍上から「行け」の指示が手綱を通して伝えられた。


ピエトロに手綱を引かれるとすぐにオイラは加速を始め、早速前の逃げ・先行集団に並んだ。


はたと見ると、皆一様に口を割っている有様である。どうやらあの栗毛が飛び出た事でペースが乱れ、既に足を使ってしまったようだ。


張本人である栗毛も向正面からのロングスパートがかなり応えたようで大きく口を割って外目に寄れかかる始末。


じゃあな、と目線で告げてからオイラはとっととその集団を置き去りにかかる。




《さあ、残り200を切ってまず最初に六頭の馬が一斉に仁川の坂に差し掛かる! 各馬たちスタミナはどうか……おっと、最内から黒鹿毛の馬体が集団から抜け出た! スルスルと! 経済コースを突き抜けて、1番 フェニックスがここで先頭に立ったァ!》




群れを越えた先に広がるのは、オイラだけの直線。オイラだけのターフが眼前に広がり、さらに観客たちの様々な色で満ちた歓声がハナマエから響き渡った。




「行けーーーー! フェニックスゥウウウウウウ!」

「そのままッ! そのままッ!! そ〜の〜ま〜ま〜!!」

「おい、ベテラン共ォ! このまんまじゃフランスからきた若造にやられちまァ! 力の限り引けーー! 根性見せてみろオオオオ!」




ゴールまで、残り100メートル。


すると後方でじっくり貯金を溜め込んできた追い込み勢達が大外からここぞとばかりに差し迫る。


パワーと根性を武器に物凄いペースで仁川の坂を駆け上がるのを耳で感じとった。


もう間も無くオイラまで並ぶ所まで来ている。


ああ、わかってるさ。だが、そんな事は関係ない。


ーーーー勝つのはオイラだ。


坂を登り切って残りわずかな平坦な直線。ピエトロが肩に一発、二発とムチを入れ込む。

同時にピエトロの口からも気合いが飛んできた。




「Heeey! Heeey! Heeey!」




さあ、振り切るとしますか。




《先頭1番 フェニックス鞍上のムチ入れに応えて、さらに加速! 二番手争いはどうやら接戦になりそうだッ! しかし、抜けたッ! 1番 フェニックス坂をものともせず圧勝ゴールインッ!!》




ゴール板を駆け抜けた直後。歓声がより一層大きく広がって、会場全体を包み込む。


誰よりも速く先着した者にのみぞ許される、1着の特権。


何度味わっても、やっぱり最高だ。


オイラはこのために、この瞬間のためにこの世に生を受けたんだ。




「イイィィィィハァァァァァァァァ!!!!」




すると感傷に浸ってるオイラの余韻をつんざく様にして、ピエトロが喜びのあまり聞いたことのないような雄叫びをあげていた。


そして、昂ったテンションそのままにオイラのうなじを荒々しくバシバシ音を立てながら叩いてくる。流石にキツいって、いや、別にいいんだけどさ? いいんだけどさ、もうちょっと手心こめてたたいてくんねぇかな?




《1番 フェニックス、無敗のまま4連勝達成と同時にG1初制覇! 見事、この朝日杯フューチュリティステークスで2歳世代の王者となりました!》




アナウンスがそう告げると同時に、万雷の拍手が巻き起こる。


今までよりずっと多くの羨望が突き刺さるのを、肌で実感した。


ねえ、母ちゃん。


オイラやったよ。とうとう母ちゃんとおんなじG1ホースってのに、初めてなれたんだ。


母ちゃんが自分の命と引き換えに産んだ子供が、今、ひとつの栄冠を掴み取ったんだよ。


きっとお空の上から、見守ってくれてたよね?


オイラ、これからももっと走り続けるから。走って走って、走りまくって、次も絶対勝つから。


だから……。


☆☆☆☆☆☆


かくして、オイラの2歳シーズンは有終の美を飾る形で幕を下ろした。


来年からはいよいよ3歳シーズンに突入だ!


これから先もっともっとG1にでる機会があるだろうから、そのためにもたっくさん先生と練習を積んでいっぱいご飯食べられるようになって、ピエトロの言葉がわかるようになるまでしっかりお話しなくちゃ。


そんな風にその頃オイラは、将来の展望にワクワクさせていた。


そう、思っていた。


……年明けに訴えた右脚の違和感をお医者さんに診てもらうまでは。


☆☆☆☆☆☆


年明けからしばらく経って、4月も下旬に差し掛かった頃。


競馬界は、3歳サラブレッドたちが鎬を削って戦い合うクラシック戦線が幕を開けていた。


牝馬クラシックの第一戦・桜花賞から始まりさらに牡馬クラシックの第一戦・皐月賞と立て続けに開催されることとなる。


まさに、お祭り騒ぎと言ったところで今頃厩舎ではどの3歳が勝った負けたかで一喜一憂するのに熱を上げていることだろう。


そんなオイラも昨年度の2歳王者さらには最優秀2歳牡馬として、皐月の栄冠を戴きに中山の檜舞台ーーーーではなくかつて生まれ育った牧場に帰ってきていた。


なぜかって? ソイツは、オイラの右前足に備え付けられたギプスがよーく知っている。


なんとビックリ、骨折しちまっていたのだ。


ハイ、それもキレーに縦に裂けるようにパックリと。


年明け早々、駆けつけてくれたお医者さんの口から飛び出たのは思ってもみない言葉だった。




「残念ながら皐月賞は無理でしょう。それと日本ダービーも」




オブラートにも何にも包まれていない、この一言でオイラの3歳春は未挑戦のまま終了した。


春うららかな陽気に包まれたこの頃、骨折したせいで何もすることがないためひがな一日中食っちゃ寝のだらけた生活を送っていた。


いや、練習しなくていいってのは気楽で良いんだけどさ。やっぱ腐っても自分はサラブレッドだからさ、身体が走る事を求めて止まないんだよね。


それに一見ストレスフリーに思えるこの生活も決して楽しいことばっかりとは言えない。


なぜなら、昼寝をすると高確率で自分がレースで走ってる夢を見て毎回第四コーナーを曲がり切って直線を向いたタイミングで起きるというなかなか目覚めの悪い体験を強いられる。


しかも起きた頃には既に夕暮れというおまけ付き。


生まれ育った牧場から眺める太陽の動きは、何だかオイラの馬生の軌跡をむざむざと見せつけられているようで何とも言えない気持ちになる。


しかし、考えてみたらオイラってここまで走る事に生涯を捧げてきたんだなあ。


案外母ちゃんも現役時代はおんなじクチだったりして。


それからと言うもの、オイラは食っちゃ寝とリハビリを交互に行う実に有意義な日々を送った。


その間、将来の牧場を背負って立つだろう同牧場出身の後輩たちにオイラの勇姿を語ってみせたり。


時々訪れてくるオイラのファンという名の子分たちと触れ合ったり。


しょっちゅう来るピエトロからにんじんを手づから食べさせてもらったり。


夜更けには、デキ上がった牧場主さんが一升瓶を片手に現れては毎回オイラを「フジミ、フジミ」と呼んではオイオイと涙ちょちょ切れながらもオイラが生まれたばっかりの頃の事を語りかけられたり。


……うん。少なくとも退屈はしなかったかな。


そんなみんなのエールの甲斐もあってか、梅雨ごろにはもうギプスは取れて普通に牧場を駆け回れるほどだった。


するとそんなギプスからの解放感を絶賛噛み締めている所に、調教師の先生が何の前触れもなく現れてはまるで攫いに来たかのごとく手際よく馬運車へと乗せられて直ちに牧場を後にさせられた。


馬運車に連行される最中、牧場主さんがこれまたオイオイ泣きながらオイラのことを見送りに来てたのがすごく印象に残っている。


……なんだか、コレってまるでオイラが悪いことをしでかして捕まったみたいな絵面じゃないか?


暗がりの馬運車の中、ガタガタと音を立てて揺られながらもふと疑問を抱く。


まあ、今となっては些細なことだ。確実に言える事はまた明日から地獄のような練習と調教の日々がやってくるってことである。


せめて今晩くらいは何もかもを忘れて眠りにつこうではないか。


そう思いながら、オイラはゆっくりと瞼を閉じにかかるのだった。


☆☆☆☆☆☆




《最後の直線、馬群の僅かな隙をつき3番 フェニックスが先頭に立とうとしている! 3番 フェニックス、抜け出す! 抜け出した所で今ゴールインッ!》




日本の夏。調教の夏。


そんな訳で、リハビリと反復練習漬けの日々を乗り越えて2歳時よりはひと回り大きくなって帰ってきたはずの俺ことフェニックス。


今日は復帰戦も兼ねて菊花賞のトライアル戦、神戸新聞杯に馳せ参じた次第である。




《3番 フェニックスと鞍上ピエトロ=パルメジャーニ騎手、去年の2歳王者コンビ今ここに復活ゥウウウウ!》




神戸新聞杯を見事勝ち抜き、菊花賞の優先出走権をモノにした俺はやはりそれまでの間ひたすら練習に明け暮れる日々を過ごす。


ギリギリまで栗東のトレーニングセンターで調整を行い、先生はもちろんのこと俺自身やピエトロが互いに納得行くまでやり抜いた。


いよいよ菊花賞までもう後数日までに差し迫った頃。


俺はまたもや先生にかっ攫われるようにして、訳も分からず馬運車へと乗せられてしまう。


大方他の馬よりも早めに菊花賞の大舞台となる京都競馬場でスタンバっておくためだろうと高を括る俺。


馬運車で一晩かけて揺られること暫く。


朝方に目的地に無事辿り着き、颯爽と馬運車から飛び降りると俺は愕然とした。


なんとそこは競馬場でなく、俺がこの夏の入りまで療養していた俺の生家でもある牧場だった。


「フジミ〜。待っちょったぞ〜!」


牧場主の親父さんが温かくお出迎えに来てくれたのは正直少し嬉しかった。


しかしレースまでもう日がないというのにこんな事してていいのだろうか?


疑問が湧いた俺の心を知ってか知らずか、先生が呼びかけてきてこう諭してくる。




「フジミ、思う存分家族に甘えてこいよ」




そうして先生は馬運車に戻り俺を残して、牧場を後にした。


ほんの僅かな間ではあったが、牧場での憩いは俺を元気にさせお陰で身も心も安らぐことができた。


とうとう菊花賞まで翌日に迫った日の昼下がり。


俺と牧場主の親父さんは、すでに牧場にて馬運車ごとつけている先生達を待たせながら、最後に牧場のある場所へと顔を出していた。


そこは、俺の母ちゃんの墓前である。


親父さんが線香に火をつけそっと置くと懐から数珠を取り出して、ぶつぶつと念仏を唱え始めた。


墓石の前で漠然と立ち尽くす俺はとりあえず目をつぶって母ちゃんのことを想う。


母ちゃん。いよいよ明日だ。


先のクラシック二戦は残念だったが、次の菊花賞には必ず出る。


俺は勝ってみせる。勝って、人間共に俺の母ちゃんの血筋はこんなにも強いんだぞって所を見せつけてやるんだ。


だから……だから、母ちゃん。俺の勇姿をどうか見守っててください。


帰ったら、今にきっと大きく咲き誇った菊の大輪を母ちゃんの元へ手向けてみせるから。


母親の墓前で決意を新たに表明する俺。


祈りを済ませた親父さんがより一層穏やかになった顔つきで、じゃ行くかと告げたので俺はその言葉に従い墓を後にした。


皐月賞は、最もはやい馬が勝つという。


日本ダービーは、最も運のある馬が勝つという。


そして、菊花賞はーーーー最も強い馬が勝つ。


これまで中山・東京で鎬を削りあった連中もいれば、俺みたく叩き上げでこの戦いに参戦する資格を手に入れたやつもいるし、運良く抽選で掴み取った者もいる。


しかし、そんな事はもうどうでもいい。


勝つのもそう。最も強いのもそう、あくまでこの俺ーーーーフェニックスだ。


ゲートが開いたと同時に京都競馬場における菊花賞の火蓋が今切って落とされた。




《牡馬クラシックG1最終戦・菊花賞ゲートが開いて今、スタートしました!》




立ち上がりは……悪くはない。




《各馬一斉に綺麗なスタートを切りました! まず、先頭につけたのは今年の皐月賞馬・4番 ラファイエット。続いてそのすぐ後ろには14番 バルミツバが追走。そこからさらに一馬身離して7番 クロスファイアはここ。中段グループはほとんど固まっています。内から1番 コリオリ、外目つけているのは13番 カミノオボシメシ、間を通って12番 ビギン。さらにそのすぐ後ろ、一頭外、外に持ち出し今か今かと好機を伺う17番 モリノクマサン、その内に控える今年のダービー馬15番 ジャストドゥイット、さらに最内には去年の2歳王者 11番 フェニックスがここで控えています! 後方は……》




早くも縦長に開いた展開の大体中間くらいに俺は位置していた。今年に入ってから9ヶ月というブランクもなんのその、至って自分のペースで第3・第4コーナーを曲がり最初のホームストレッチへ差し掛かる。


スタンド及びハナマエからは拍手が巻き起こる。


今回の一着の祝福の喝采を受けるのは俺だ。


必ずやモノにするという野心を脚に乗せ直線を通過していく。




《さあ、全頭最初の1000メートルを通過した時点でのタイムは1分1秒! 依然として縦長の展開のまま次の第1コーナーへと突入していきます》




先頭からシンガリまではざっと20馬身くらい。さらに第2コーナーを曲がって向正面まで行くと先頭を突き進む二頭が早めのスパートを仕掛けてここで大きく後続を引き離しだす。


しかし俺を含めそのすぐ後ろにつけた集団は動じない。それとは関係なく後方の追い込み勢の一部がインコースから淀の坂を前にして俺たちのいる中段グループまで進出する。

京都競馬場名物・第3コーナーの『淀の坂』は、高低差が4.3メートルもあって上り下りの計2つが待ち構えている。


スタミナもそうだがこれだけの高低差があると油断すれば確実に曲がり通った際の遠心力の餌食になって内から大外まで追いやられてしまう。


また淀の坂は、昔からゆっくり登ってゆっくり降りるが基本とされている。


つまり普通はどれだけ先行しようが確実にここでスピードが落ちてしまう。


そこがつけ目となるのだ。


2度の坂の向こうの34コーナー中間くらいを過ぎた頃には差はもう完全に縮まっていた。


もう先頭はこれ以上脚は残せていないだろう。


完全に勢いが止まっているように見えた。さあ、そろそろ最終コーナーだ。


泣いても笑っても、勝つのは18頭中たったの一頭。


勝つのは俺だ。


鞍上のリードに従い俺もこの辺でスパートをかける。




《さあ、2度目の第4コーナーを過ぎ各馬一斉に最後の直線に踏み切る! 先頭4番 ラファイエットと14番 バルミツバはちょっと苦しくなった!? 7番 クロスファイア、1番 コリオリ、13番 カミノオボシメシ、さらに間を通っての12番 ビギンはここで先頭に踊り出ようとーーーーいや、最内だ! 最内の11番 フェニックスが勢いよく前に抜け出してきたァ! このまま先頭に立とうとするが大外から早め早めの追い込みをかけた8番 コンバットサンボが僅かにリードして残り200メートル! さらに間からは15番 ジャストドゥイットも2頭に並ぼうとしている! ダービー馬の意地を見せるか!? まさに大混戦だッ!》




さあ、最後のスパートだ!


唸れ俺の末脚と肺活量!


どうした、ピエトロ。そんな甘いムチ捌きじゃマッサージにもなりゃしねえ。


手綱ももっと強く引かねえか!


勝利の女神に振り向いてもらいたかったら、文字通り全てを賭けろ!


絶対に負けるものかァーーーーッ!




《11番 フェニックス先頭! 2馬身3馬身とリードをとってパルメジャーニのムチが飛ぶ! 二番手に8番コンバットサンボ。15番 ジャストドゥイットは三着は確保できそうだが……しかし、抜けた11番 フェニックスそのままゴールインッ! 2歳王者の復権ッ! まさに不死鳥の如き大復活を遂げました! 半年以上のブランクも、6番人気も、淀の2度にわたる坂も全く問題にしません! 逆境にいても快活な、まさしく黄金の大輪が花開きました!》




「……メルシー、フェニックス。……Je t’aime de tout mon coeur心から君を愛してるよ.」




精も魂も使い果たした感じのピエトロ。力なく俺のたてがみを撫でているのがわかった。

言葉の意味はわからなくても、動作だけでしっかりと伝わってくる。


礼には及ばねえさ。途中までクラシック戦線を落伍しちまってたこんな俺なんぞに乗ってくれたんだから。それだけで充分だ。




ーーーー母ちゃん、見ててくれたか?


俺、みんなの見てる前で最も強い馬になれたよ。この鳴り止まぬ歓声と喝采も、このむんむん来る熱気も、さらに菊花賞の栄光も全て俺のものになったんだ。


アンタが身を粉にして産んだ愚息が、勝ってみせたんだぜ。


俺はこれからも走り続けるよ。


母ちゃん、アンタが俺の母親でいてくれて本当にありがとう。

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菊花繚乱のサラブレッド はなぶさ利洋 @hanabusa0202

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