四十二日目

 東京に来て四十二日目。俺の日常はつつがなく過ぎていった。


 大学での受業が始まって、しばらく経った。

 俺は一人での生活にすっかり慣れきっていた。


 大学内に友達はいない。いや、ゼロってわけじゃない。知り合いが一人増えた。大学内でできた初めての知り合い、もとい友達だ。けど、現状、俺に友達はいないと形容しても全く問題がないくらいにそのつながりは薄く脆い。二、三日に一回くらいの頻度で会話をするのだが、そのチャンスを一回でも逃してしまったら他人同士に逆戻りしてしまうのではないかと思うほど俺たちの間には壁がある。俺は親を安心させるためにも大学でできたその貴重なつながりを「友人関係」と呼びたいのだが、大体、向こうは俺を友達としてカウントしているかどうかも怪しい。こんなことで見栄を張るくらいなら、始めから友達はいないと言った方がいいような気さえする。


 SNSをやっている人は「春から○○大」のようなハッシュタグをつけて仲間集めに奔走したりするのだろうが、俺はそう言ったことを一切やってこなかった。クラスの飲み会とやらにも誘われて、あれってフィクションの中だけのイベントじゃなかったのかと胸を躍らせ、高校の頃のバイト代の貯金を握りしめて参加してみたが、俺は大人数でワイワイやるのが苦痛なタイプの人間であるということが判明しただけだった。


 でも大学は例えぼっちでも真面目にやれば何も言われないし、浮いたりすることもない。中学高校とクラスでぼっちを貫きつづけてきたから、いまさら学校内で孤独を感じることはない。むしろぼっちだからこそ気楽な面もあるくらいだ。俺はぼっち大学生の才能があったのかもしれない。このことに気づけたのは、これから四年間は続くであろう一人暮らしをするにあたっての大きな収穫だった。


 それと、俺にも読書以外の趣味が出来た。自炊だ。


 一人暮らし開始から五日目くらいの頃に、俺は自炊を始めた。まずはゆで卵から始めて、少しずつ難しいものに挑戦していった。今までの貯金が結構あったから調味料も色々と買うことが出来て、料理が積み本をすべて消化してしまった俺の新たな趣味になるのにそう時間はかからなかった。

 初めて挑戦した本格的な料理はカレーだった。市販のカレールーを使えば簡単に作ることが出来るが、すべてイチから作るとなるとものすごく大変だった。でも、高校の頃の部活仲間に料理が好きな奴がいて、そいつの言っていたことを思い出しながら作ってみたら本当に上手くできたから、当時は聞き流していたそいつの専門知識のレベルの高さに元部活仲間の俺としてはただ驚くほかなかった。そんな成功体験から始まり、今はパスタのソースを手作りするレベルにまで上達した。


 でも、料理に金をかけすぎたせいで、思ったよりも貯金の減りが早くなってしまった。節約しなければ。それとも、いい機会だしそろそろバイトでも始めようか。できれば前のバイト先と似たようなところがいいかな。高校の頃のバイト仲間にいろいろ聞いてみようか。



 俺はスマホをいじりながらベッドに寝転がる。前みたいに寂しくて泣きそうになることはもうない。人間、生きていく環境にはちゃんと適応するようにできているんだろうか。


 個人的に、俺がいろいろと平気になったのは、生活の軸が定まったからではないかと考えている。東京に来たばかりの頃は慣れない環境で、大学も始まっていなかったし、何をしていいかもわからなかった。だから不安になっていた。今は大学も始まり、料理という新たな趣味も出来て、俺の生活はそれらを軸に回っている状態だ。その軸を崩さないように足りないものを補おうという考えが生まれ、じゃあバイトでも始めるか、という思考に繋がる……のかもしれない。


 スマホの検索エンジンからバイト探しのサイトを開こうとすると、チャットアプリに通知の表示が現れた。


 母さんからだ。


 「久しぶり

  大学どう?友達出来た?

  父さんも心配してるから、たまには電話でもしてあげなさいね」


 そういえば、いつも母さん経由だったから、父さんには直接連絡してなかったっけ。


 父さんはチャットのアプリをスマホに入れていないから、アプリの通話機能を使って電話をかけることができない。だから、父さんと話すためにはスマホに最初から内蔵されている電話の機能を使うことになる。だからかな。


 こう改まって連絡するとなると、実の親だってのに、ちょっと緊張するな。


 父さんが言っていたけど、親戚内で大学生になったのは俺が初めてらしい。だから父さんは俺が東京に出ることも許してくれたし、A判定を取って余裕で受かるはずだった第一志望校に落ちて第二志望の大学に通うことになった時も嫌な顔一つせずに受け入れてくれた。あれは嬉しかった。それとも、俺が初めての大学生だからとかそういうのは関係なくて、世の親はみんなああなのか。そうじゃないとしたら、俺は相当恵まれているのだろう。


 意を決して、俺は父さんの番号をタップした。電話のコール音が鳴る。


 二回、三回。


 五回目で父さんは電話を取った。


 「もしもし。父さん、久しぶり。俺だけど────」


 何を話そうか。


 大学で初めてできた、友達と呼んでいいかどうかも怪しい友達の話。趣味の料理の話。バイトを始めようかという話。近所を散歩した時の話。高校の頃の仲間と会った時の話。初めて渋谷に行った時の話。


 いろいろあるけど、まあ。


 元気にやってることが伝われば、それでいいかな。

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俺の引っ越しについて 日下部巧務 @kusakabearchitect

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