薄い照明に照らされた机の上に、十三枚のカードが二組み並べられていた。勝負は『ミラー』と呼ばれるゲームで行われる。子が選んだカードを親が当てるゲームだ。親が勝つ確率は、十三分の一だった。其の為、親が勝てば、子の賭け金の十三倍を支払わなければならない。


 今回は俺が親になる。勝負は十三回戦、行われる。賭け金は、一回戦目は一万円。其の後は倍々で賭け金が増えて、最後の十三回戦目には賭け金は五百十二万円になる。親が勝てば其の十三倍なので、六千六百五十六万円になる。ちなみに子が十三回戦全てに勝利しても、一千二十七万円にしかならない。


 其処で特別ルールで、子が十三勝すれば、ボーナスとして一億円が支払われる。一見、子に有利なゲームに思えたが、俺には絶対嗅覚が在る。そして、子のカードには既に、常人では嗅ぎ分けられない複数の匂いが付けられていた。


 俺にだけ嗅ぎ分けられる特別な匂い。其の匂いの目印が在れば、俺に敗けはない。


 俺の仕事は十二回戦目まで敗けて十三回戦目で勝つ事である。


 そして其れは驚く程に、呆気なく容易に実行できる。対戦相手は悲壮な表情を浮かべている。目に涙を浮かべて、ぶつぶつと何かを呟いていた。ドルフィンの部下が二人掛かりで男を引き摺る様にして、何処かへ連れ出す。男は今夜の勝負に自分の命を賭けていた。


「待ってくれ!! 娘の命を賭ける!! だから、もう一度、俺にチャンスをくれ!!」


 叫ぶ男。救い様のない其の言葉に、ドルフィンが動いた。部下を手で制止させ、男を場に戻らせる。そして、ドルフィンは冷酷な笑みを浮かべて俺を見た。


「香元よ、解っているな?」


 つまりは俺に、男の娘の命を奪えと言う事である。人として躊躇われたが、彼女の泣き顔が脳裏に焼き付いて離れないでいた。


 ——必ず護る。


 そう約束したんだ。俺は、心を捨てた。




 男は先程と同じ様に十二回戦目までは全勝した。既に男の精神状態はおかしくなっているのか、呼吸は荒れ「勝てる。必ず勝てる」と、何度も何度も呟いていた。


 動揺と不安。期待と狂気に塗れた男の匂いに酷く吐き気がする。俺の中で男に対する同情は完全に消えていた。只、幾ら拭おうとしても溢れてくる男の娘に対する罪悪感だけが、胸を掠めていく。だけど、百合の為と必死に目を伏せた。


 そして、十三回戦目。


 男は最後のカードを場に伏せた。俺も直ぐ様、イルカのカードを場に伏せた。此の瞬間、男の敗北は揺らぐ事はなくなった。男の命も、男の娘の命も、俺は奪う事になる。けれど俺は、どうしても百合を護りたかった。男がカードを開示しようと手を伸ばした瞬間だった。


「お父さん!!」


 俺の目の前に飛び込んで来たのは、百合の姿だった。


 ——お父さん。


 確かに彼女は、そう言った。言っている事が、良く理解できないでいる。


 お父さん。其の言葉を、ゆっくりと噛み砕く。


 ——オトウサン。百合のお父さん。俺の目の前の男。俺が息の根を止めた此の男の事だ。男は娘の命を賭けていた。百合の命を賭けていた。


「ドルフィン。此れは一体、どういう事なんだ!?」


 何故、彼女の父親が此処に居る。篠崎義則の負債は全て、俺が肩代わりしていた筈だ。彼は百合の弟の元に居る筈なのに、どうして此処に居るんだ。第一、事前に与えられた男の資料は、篠崎義則とは全く別物だった。つまり俺は、嵌められたのだ。


「其の事について、答える義務はない。香元よ、早くカードを捲るんだ」


 全てを知った上で仕組まれた事だったのだ。俺は今まで、ドルフィンの掌の上を転がされていただけなのだ。


 俺は彼女を護りたかっただけなんだ何も知らなかった。此の男が彼女の父親である事を知らなかったんだ。


 彼女の命を奪ったのは、他でもない俺なのだ。


 百合の視線の先には俺が居た。


 驚嘆の表情を浮かべる百合。必死に目を逸らす俺。


 何かが俺の胸に喰い込んで、掻き毟っていく。


 男は静かにカードを捲る。


 ——捲るな。


 其のカードを捲れば、百合の死は決定してしまう。


 絶対に、嫌だ。


 俺は百合を護る。


 何が在っても、必ず百合を護る。


 其の誓いが俺の胸の中で音もなく、崩れていく。ゆっくりと、壊れていく。時間が、ゆっくりと流れていた。全ての物がビデオのスローモーションの様に、静かに穏やかに流れていく。激しく鳴る心臓の音と、自分自身の叫び声だけが聞こえてくる。


 ——気が付けば、俺は動いていた。

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