第3話 「匂い」

「ここは電波が飛んでないから、時計がズレたんじゃない?」


「ですよね……。でもあまりにもズレてるからおかしいなって」


 確かに奇妙だ。

 自分のスマホの時計を見ると『十八時一分』と表示されている。手巻き式の腕時計とは一分ズレ。

 スマホの時計は電波を受信することで常に時刻を合わせてる。当然電波が無ければ、どんどん時間がズレていく。スマホ内部の時計自体はそこまで正確じゃないため、手巻き式の腕時計とはわずかにズレる。


 に、してもだ。嶋村さんの時計は。電波を受信していないからといって、通常これほどまでに食い違うことは無いはずだ。


「充電されていなかったとか?」


「ほぼ満タンです」


「めっちゃ古い機種で電波が無いと時計がすぐにおかしくなる」


「高校入学の時に買ったので、そこまで古くないと思います」


 うーむ、一切分からん。いっちょん分からん。

 もしかして俺の時計もズレている? でも、転移してから経過した時間は間違いないはずだ。転移したのが十一時半、現在時刻は六時過ぎ。この六時間半は体感的にも正確なはず……。


「あ」


「どうかしました?」


「嶋村さんさ、この森に来てからどんぐらい経った?」


「うーん、大体三十分ぐらいですね」


 俺と嶋村さんの決定的な違いはこの森にいた時間だ。俺は六時間半、嶋村さんは三十分。ここに何かヒントが有るかもしれない。


「じゃあ、転移する直前の時刻は覚えている?」


 俺は詳しく覚えていないが、転移する前が十一時二十分ぐらいだった。転移後は十一時半頃。転移の前後で時間への変化は無い。


「んー……、この森に来る前と来た後の前後で変わんないと思います。自信は無いですけど。多分、十二時二十分ぐらいかな……」


「じゃあ、急に暗い森に来てびっくりしたでしょ」


「そうなんですよ! 時計上は十二時なのに、周りは森だし、暗くなってるし! 本当に不安で……、十分歩いたぐらいで矢島さんに会ったので本当に助かりました」


「だよなぁ。凄いよ嶋村さんは。よく頑張った」


 俺の言葉を聞いてか、少し安心したからか、嶋村さんは初めて笑った。

 目は細められ、口元は少し口角が上がっていて、それは俺の知っている自然な笑顔だった。

 

 良かった。さっきまで表情が暗かったから、切にそう思った。

 

 こうなると、ますます浩樹君が羨ましい。前世でどんな徳を積んだら、こんな可愛い子に想われるのか……。嶋村さんは一言も好きだとは言っていないが、話し方からしてそう考えて良いだろう。


 まあ、良い。みっともない嫉妬はこのぐらいにして状況を整理しよう。

 まず、転移による時間自体の変化は無い。時計は正確な時刻を表わすことは出来ないが、正確な時間を表わすことは出来ているのだろう。

 現在時刻は信用できずとも、経過時間には嘘は無い。

 とは言っても、どうして時計の時刻ズレが発生したのかは分からず仕舞いだ。これにはもうお手上げだ。


「とりあえず、今日はもう暗いからここで休んで、明日森を脱出しよう。浩樹君も見つかれば良いけどね」


 俺たちが森で飢え死にするのは絶対回避しなければならない。死んだら浩樹君を探すことも叶わないからな。


「そうですね、でも日が昇るまでは結構かかりますね……」


「寝るにも早い時間出しなぁ……。嶋村さんさえ良ければ、眠くなるまで話そうか。相手がおっさんで悪いけど」


「良いですね!」


 嶋村さんはニコニコと屈託のない笑みを浮かべる。

 どうやら俺に対して、不快感や不信感を持っているわけではなさそうだ。俺的に、そこが一番の懸念点だったので心底安心する。

 同級生からむさ苦しいと言われるならまだしも、現役JKからキモいなんて言われたら即死だ。精神的にも社会的にも。







 目が覚めると、大量の葉が視界を覆っていた。葉の隙間からは太陽の陽がチカチカと照らしている。

 どうやらいつの間にか寝てしまっていたらしい。体を起こすと服は背中側が土で汚れていた。土の上で仰向けに寝るとは、我ながらワイルドだ。リュックを枕にしていたため、頭は無事だった。


 昨日の夜は大変だった……。最初は嶋村さんと普通に話していたが、恋バナになった瞬間の嶋村さんの食いつきが恐ろしかった。

 恋人出来たこと無いって言ってんのに、「絶対いる!」と引き下がらず、俺の数々の恋愛失敗談を聞かせるハメになった。最後はなんか下手に慰められたし。なんなん? やっぱJK怖いよ。


 ところで、周りを見渡しても嶋村さんが見当たらない。

 JKに出会ったのは全て俺の妄想かもとも想ったが、スマホが置いてあったのでそうじゃないらしい。大方トイレにでも行ったのだろう。

 こんな森にトイレが有るわけ無いので、野ションになってしまうが。俺も昨日初めて野ションを経験したが、あの開放感はなかなかヤバい。癖になりそうだ。


 冗談はさておき、今日の方針を立てよう。

 まずは森を脱出すること。出来れば浩樹君も見つけたい。

 次は、自分たちの居る場所を把握すること。正直ここが異世界なのかどうかも良く分からない。現住民がいれば、その人から話を聞いておきたい。

 最後に衣食住の確保。かなり節約すれば、食料は今日でギリギリといったところだ。だが水は絶対に足りない。水源を見つけるか、人から分けて貰うかして飲み水を確保しなければならない。


「おはようございます」


 どこからか戻って来た嶋村さんがそう声を掛けてくれる。見た感じクマはなさそうだし、顔色も悪くない。


「おはよう、調子はどう?」


「ちょっとまだ気持ち悪さはありますけど。なんかまだ甘い匂いしてて」


「まだするんだ? その匂い」


 昨日嶋村さんが話した、この森の匂い。俺には無臭でも、嶋村さんには甘い匂いに感じるらしい。


「でも、大丈夫です。森を抜ければ、この変な匂いも消える気がします」


「そっか、じゃあ早速だけど出発しよう。靴はそのまま履いててね。俺は裸足で大丈夫だから」


「すみません、ありがとうございます……」


 裸足で土を踏むという体験も初めてかもしれない。

 昨日まではこの森に、虫、動物が生息していないことを不気味に思っていたが、今となっては都合が良い。寝るときも周囲への警戒が必要無かったぐらいだ。


 昨日は気付けなかったが、今気付いたことが一つある。

 この森は巨樹がほぼ等間隔に並んでいる。根があまりにも巨大なため、足下ばかりに気を取られて見落としていたが、幹に注目するとよく分かる。


 森じゃなくて林……? しかし、木に人の手が加えられてた様子は無い。人工的に植えられた後、そのまま放置されたのだろうか。


 考えすぎは良くない。

 足下に注意をしていないと、つまづいて転ぶ可能性もある。現役女子高生の前ですっころぶのはご免だ。


「あ、ここ……」


 嶋村さんはそんなことを呟いて、急に立ち止まった。


「どうかした?」


「いや、何となくなんですけど……」


「うん」


「ここらへん匂いが薄いなーって思って」


 匂いというのは、例の甘い匂いのことか。

 俺は感じられず、嶋村さんだけが感じられる匂い。その匂いが薄いということは、匂いを発している特定の匂い成分が、他の場所に比べて薄いということだ。


 何かあるのかもしれない。


「ここまで歩いた途中、他に匂いの薄い場所とかあった?」


「やー、初めてだと思います」


「他に匂いの薄いところとか分かる?」


 俺の言葉を聞くと、嶋村さんは「んー」と声を漏らしたながら、顔をあっちこっちにせわしなく動かしていた。やがてその動作が止まったと思ったら、鼻から大きく息を吸い込み始める。

 目を瞑って顔を上げている様子は、どことなく幻想的だった。精霊や妖精なんてモノいるならば、きっと彼女の周りを飛び回っているだろう。


 その動作はたっぷり一分ほどかけて行われた。

 嶋村さんはパチパチと瞬きをさせると、こちらに向き直ってこう言葉を発した。



「えっと、見えたって?」


 先程まで嗅覚を用いていた彼女は、どういうわけか視覚で何かを捉えたらしい。音が見えるなんて言っていた友人が居たが、それと似たようなものなのだろうか。


「匂いの薄い道です。こっちの方に伸びてます」


 そうして指し示した方向は、俺たちの歩いている方向から九十度左だった。

 どうするか……。

 俺はここまで一直線で歩いていたが、方向を変えるか、否か。六時間以上歩いたにも関わらず、俺にはこの森を脱出出来ていない。考えたくは無いが、視覚や方向感覚が何らかの異常を起こして、同じところをグルグルと回っている可能性もある。


 よし……!


「その方向に進もう。嶋村さんは道が分かるんだよね?」


「はい」


 淡々とした答えだった。躊躇ちゅうちょおごりも感じさせない。

 ただ見えている、そういう様子。

 一足す一は二です、と至極当たり前の事を言っている、そういう風にも捉えられる。


 それからの嶋村さんは別人が乗り移っているようだった。

 昨日見せた戸惑いや驚きの表情とは全く違っていて、簡単だと言わんばかりに道なき道を進んでいく。


 この子には一体何が見えているんだ……。


 初めて散歩に連れて行かれた子犬のように、ただ後ろについて歩く。

 方向感覚はぐちゃぐちゃで、どこに向かっているのか分からない。

 迷宮ダンジョンを歩いているときは、こんな気持ちなのだろうか。


 俺は何を話せば良いのか分からず、また見たことの無い顔をしている嶋村さんに話しかけるのも躊躇われ、無言になる。

 俺は話題を探すことも止め、また一人して思索にふけっていた。


 そうして歩いて三十分ほど経った頃だろうか。視界に強烈な光が差し込み、反射的に目を閉じた。

 ゆっくりと目を開けて上を見上げると、視界を覆っていた枝や葉の代わりに、これでもかと澄み切っている空と見ているだけで目が潰れそうな太陽が出迎える。

 無性に懐かしい感覚だった。

 森はいつの間にか抜けていて、陰鬱としていた大樹は青々とした草原に置き換わっている。


 「無事に抜けられましたねっ!」


 さっきまでの様子とは打って変わって、嶋村さんはニカッと笑いかけてくる。

 

「うん。嶋村さんのお陰だね」


 そうか……。あの森を抜けられたんだ。


 俺だけでは駄目だった。抜け出せなかった。何となくだがそう思う。

 匂いの件と言い、嶋村さんは何か特別な力を持っている。そして、その力を使いこなして森を抜け出した。俺を助けてくれた。


 じゃあ、俺は何なんだろう?

 ここは昨日居たところからそう離れていない。おそらく、一時間もかからずにたどり着けるだろう。

 俺は確かに嶋村さんに食料と水、靴を提供した。でも、それだけだ。

 きっと嶋村さんは一人でも森を抜け出せた。俺は何も約に立てていない。妄想の域を出ない考察に似た何かをしていただけだ。


「矢島さん! 何かあっちに建物が見えますよ! 教会みたいなっ!」


 嶋村さんはひたすらにテンションが高く、建物に指をさしてはしゃいでいた。

 

 全く、叶わない。

 爛々らんらんと輝いている目と、鈴を転がしたような声は、鬱々うつうつとした俺の思考をいとも容易く吹き飛ばす。

 これじゃあ、どっちが助けられてるんだか。昨日、あれほど俺に感謝の言葉を伝えてくれた嶋村さん。俺はその感謝に報いなければならない。


「よしっ! まずは街を目指して、現住民の方が居ればその人から話を聞こう!」


「聞き込み調査ってやつですね⁉」


「そうだ! さあ行こう!」


「了解です、矢島さん!」


 無理やりテンションを上げた俺に、嶋村さんはビシッと敬礼をして応えてくれる。


 むさ苦しい男子大学生と華奢な女子高生の奇妙な二人組は、街へと歩き出した。


 

 


 






 




 

 

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