金の栞

いぬかい

金の栞

 昔の人はね、死ぬと本になったんだよ、とその古書店主はいった。今じゃもうそんな風習は廃れちゃったけどね。近頃はほら、デジタルばっかりだから、オモムキってもんがねえ。

 観光客と間違えられたのだろうが、無理もない。私の髪は曾祖母ゆずりの金髪なのだ。事情を話して曾祖父の名前を告げると、店主はああはいはいと大きく頷きながら奥の部屋に入り、しばらくして一冊の本を手に戻ってきた。飾り気がなく、あまり上等とはいえない、でも丁寧な作りの装丁だった。店主も入荷してすぐこの本を読んだという。とても良い本だよ、と彼は穏やかな微笑を浮かべた。

 ずっと探していた本がこの北の街でこっそり売られていると聞いて、私は無理をいって仕事を休み、人づてを頼りにこの古書店に辿り着いた。店内は大量の書籍が積まれていたが、きちんと整頓され、雑然とした印象はなかった。何か懐かしいような、でも普段あまり嗅いだことのない匂いが漂っていた。

 私たちの種族は、古来から死ぬと本を残すという風習がある。「人は言葉なり」とかつて私たちの始祖たる神が言われたからだ。私たちは言葉に愛された種族だった。だから私たちは人生の最後に古の掟に従って七日七晩聖廟にこもり、そこで自らの人生を顧みて言葉を綴った。書く内容は自由だった。自叙伝を書くものも、詩歌集を書くものも、はたまた数式だらけの論文のような本を書くものもいた。そして何を書いたとしても皆、死後は魂となってその本に宿ると考えられていた。

 歴史に名を残した人物の本は価値の高い書物として珍重され、国営の博物館や図書館に収蔵された。だがそうではない庶民の本は、その家族が保管するか、諸々の事情によりこうして古書店に流通することとなる。父の代に経験した契約詐欺により、かつて私たちの一族は書物を含む家財の大半を散逸した。それは一族の歴史を失ったということに他ならない。私はその事実に耐えきれず、大学を卒業して以来こうして先祖たちの本を探し集めていた。

 店主から本を受け取り、代金を払った。ほっとした途端に疲れを覚えた。ここから駅まで一時間以上はかかる。

 時計は三時過ぎを指していた。そういえば、と私は書店の一角に喫茶スペースがあったのを思い出した。

「あの、そちらでコーヒーを頂いても宜しいですか」おずおずとそう尋ねると、店主は和やかに応じた。「もちろん、よろこんで」

 私は店の隅のソファに腰掛けた。息をつき、曾祖父の本を開いた。経年劣化で紙は茶色味を帯びていたが、破れも折り目もない綺麗な本だった。

 曾祖父は貧しい農家の生まれだったが、苦学してエンジニアになり、貿易船に乗って他の惑星まで行ったという。のちに彼の妻となる曾祖母はその星で知り合った女性だったそうだ。二人でここに戻った後に起きた大きな戦争や、幾度となく襲った飢饉や災害を耐え忍び、夫婦は苦労して十人の子を育て上げた。その下から二番目の子の子孫がこの私だ。

 一行目を読み始めてすぐ、私は心を持っていかれた。幼い日の寒村での生活、苦労した学生時代の友情と挫折、そして初めての宇宙。私は曾祖父の本に夢中になり、食い入るようにその人生にのめり込んだ。曾祖父の魂は確かにその本の中にあり、まるで文字に魂がインストールされたようだった。読み終えた時にはもう日が傾きかけ、気づかぬうちに運ばれていたコーヒーはすっかり冷めきっていた。

 私は本を置き、お代わりのコーヒーを持ってきた店主にこう尋ねた。

「とても面白かったです。でも、なぜ曾祖母のことがほとんど書かれていないのでしょう」

 店主は冷めたコーヒーカップを盆にのせると、「たぶんそれは」と微かに目を細めた。「あの当時の男性は、今と違って自分の妻や恋人のことをあれこれ語る習慣がなかったからだろうね、恥ずかしがり屋が多かったんだよ」

 でもね、といいながら店主は本の最後のページを開いた。そこには、鳥の羽のような形をした美しい金色の栞が一つ挟まっていた。

 店主は続けた。この星の言語は他の星の人には難しいからね。日常会話はできても書き言葉まで完全にマスターするのは無理なんだ。本になれないなら、せめてご主人の本の栞になりたいと奥さんは願ったんだろう。でも栞は小さくて失くしやすいし、ご主人もそれはちゃんと分かってた。その証拠にほら、ここにこんなことが書いてあるよ。

 そういって店主は曾祖父の本を手に取ると、裏表紙をそっとめくった。そこには手書きのサインとともに、曾祖父らしい几帳面な筆跡で、この星の言葉と、曾祖母の生まれた星の言葉と、当時の銀河系共通語の三つの言葉を使ったこんなメッセージがしたためられていた。

〝拙書を所有せしものは、呉々もこの金の栞と別蔵せぬよう〟

 それは曾祖父の死後百年もの間、代々の所有者たちに受け継がれてきた願いの言葉だった。しばらくの間、私は何もいわずにそのメッセージを見つめていた。そして、ああと深い息を漏らした。

 言葉が人を縛り、言葉が人を動かす。確かに、と私は静かに呟いた。確かに、人とは言葉なのだ。 <了>

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

金の栞 いぬかい @skmt3104n

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ