第4話 気配

「やいやい、小娘!!」


 慈花が旅立ってから三日目、薄暗い森の中での事であった。鬱蒼と生い茂る木々の間からどこからともなく慈花を呼ぶ声が聞こえてくる。なぜ、自分が呼ばれているとわかったのか?こんな薄暗い森の中を歩いている物好きな小娘なんて、慈花くらいしかいないからだ。


 しかし、辺りを見渡しても、その声の主の姿すら見えない。しょうがないので慈花はその声を無視して先に進み始めた。


「待て待て小娘!!」


 立ち去ろうとする慈花を呼び止めようとする声の主。また立ち止まり周りを見渡すが、やはり、その姿は見つからない。


 すっと瞼を閉じる慈花。


 慈花の左斜め前方に、ぼわりと何かの気配を感じる。慈花は腰に下げた袋の中からするりと苦無を取り出すと、すっぽりと掌の中へと隠した。


 そして、その気配へ気づかぬ振りをしながら、気配の前を通り、さらに森の奥へと歩き始めた。気配が慌てて慈花の後を追ってくるのが分かる。


 そして、その気配が慈花を周りこむような形で追い越し、前方へ立ったその瞬間、隠し持っていた苦無を気配に向けて投げた。


「ひゃぁっ!!」


 苦無は、気配の足元と思われる位置に深々と刺さっており、まさか慈花が攻撃を仕掛けて来ると思っていなかったであろう気配が、素っ頓狂な声をあげた。


「突然、何をするか!!この小娘!!」


 気配は動揺しているのか、先程よりも強くその存在を確認する事が出来る。慈花はその気配の方へと歩み寄り、顔があると思われる位置を思いっきり殴りつけた。


「痛ぁい!!」


 さらに、もう一発。


「痛ぁい!!」


 まだ姿を表さない。なかなかしぶとい奴だ、そう思いながら慈花は、今度は続けて拳を数発叩きこんだ。


「痛っ、痛ぁい!!お願い、やめて!!もうやめて!!」


 情けない声と共に、気配のぼんやりとした姿が、くっきりと目に見える様になってきた。そこには、七歳くらいの小さな女の子が、頬を抑え半べそをかきながらぺたりと地面に座っていた。


 その少女は、山伏が着ているような修験装束に、振り分け髪。眉頭が太く短い麻呂眉に大きな瞳。ほんのりと赤い頬をしていた。


「何者か?」


 座り込む少女の前に立ち、見下ろすような格好で尋ねる慈花。それに頬を膨らませそっぽを向く少女。


 ごつんっ!!


 少女の頭頂部へ、慈花の拳骨が鈍い音をして叩き込まれる。


「ひゃぁっ!!痛っ!!」


 完全にぽろぽろと涙を流し泣き始める少女は、完全に慈花に恐怖を感じ始めている。そんな少女の様子を見て、はぁっと大きな溜息を一つついた慈花は、少女の目線の高さまで身を屈めると、じっとその瞳を見つめた。


「どのようなつもりで、主は私に声を掛け、引き留めようとしたのだ?」


 これ以上、少女を怖がらせないように、なるべく優しくゆっくりと話しかける慈花に少女は、涙でくしゃくしゃになった顔を向けて、口を開き始めた。


「ここは、うちらの縄張りや。勝手に入ってきた姉ちゃんが悪いんや」


「縄張り?」


「そや、縄張りや。先祖代々うちら一族が守ってきた大切な場所なんや」


 鼻をすんすん言わせながら話す少女は、もじもじと両手の指先を遊ばせながら話している。


「なるほど。それで気配でお主自身を大きくして、私を驚かせ、立ち去らせ様としたのだな」


「……そや。あかんかったけどな」


 話していくうちにすっかり落ち着いた様子の少女がじっと慈花の方を見つめている。その瞳には敵意はなく、逆に慈花に興味を抱いている様子が伺える。


「私は、別に主らの縄張りを荒らしに来たわけではない。ただ、この森を通らせて貰いたいだけなのだが」


「そう言うて、人間達はうちらを騙してきたんや」


 慈花は本当にこの森を通らせて貰うだけのつもりであり、ここを荒らすつもりも、この土地を先祖代々守っていると言う一族と争うつもりもない。どうやったら私は分かって貰えるのか……思案する慈花。


「うーん……」


 本当に困った様子の慈花を見ていた少女は、慈花から悪意の無いことを感じると、つんつんと慈花をつつき、手を出せと言ってきた。素直に少女へと手を差し出す慈花の掌に、ぽとりと一寸程のきらきらと光り輝く透明な丸いガラス玉の様なものを置いた。


 掌の上のガラス玉の様なじっと見つめる慈花。同じように少女も慈花の掌に乗せた玉を覗きこんでいる。


「ふぅむ……なんや、お姉ちゃんの言う事に嘘はないようやな」


 そう言うと少女は、慈花の掌から玉をとると、親指と人差し指でそれを持ち、太陽の方へと翳した。


「これな、掌に置いた人間の心が分かるんや。もし、うちに疚しい気持ちがあれば、ぱりんと真っ二つになるんや」


 少女は巾着にぽいっと無造作に入れると、慈花へぺこりと頭を下げた。


「お姉ちゃん、疑うたりしてすまんかった」


 深々と頭を下げる少女に、もういいさと言うと、慈花は自分の名前を名乗った。そして、この森を通らせて貰う事を断り、それじゃあと立ち去ろうとした時だった。


「慈花、うちの名前は鴉丸からすまるや。どや、うちらの集落に遊びにこんか。お詫びの印も兼ねて、ご馳走するわ」


 鴉丸はそう言うと、驚く慈花の手をぐいぐいと引っ張り森の奥へと連れて行ってしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

鬼神童子 ちい。 @koyomi-8574

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ