時と存在、その属性論的解釈について

人生とはまるでゲームのようだ。

セーブしてリセットもあればセーブして再開もある。

わたしの長い長い人生の話を、できるだけ掻い摘んでかいつまんでしよう。


君たちが興味を持てる範囲で聞いてくれれば幸いだ。


☆☆☆


自分で思ったことはないのだが、子供の頃のわたしは『変わった子供』といえば聞く人の理解を得やすいようだ。


漫画や小説の面白みについては見解を持たない。


それよりも思想や科学と呼ばれる、世界の姿について探求するものを好んだ。文字を覚えるまでは幾何模様きかもようを眺め、文字を覚えると言語の不自由さに困り果て、記号による論理の表現を探求した。


一日中レポート用紙に数式や論理式を書き続けるわたしを心配したのか、両親はわたしにいわゆるゲームを買い与えた。『デモニック・クエスト』というそのゲームは、『悪魔による遠征』なのか、『悪魔的な探求』なのか、タイトルだけで言語の不自由さを思わせ、わたしを辟易へきえきさせた。


しかしながら社会の平均とはおよそ外れたわたしを比較的自由にさせてくれ、高価な専門書を買い与えてくれさえする両親を少しは安心させようといちおうそれを『プレイ』してみた。


それは物語に非決定項を設け、プレイヤーの動作を数値化してその数値からの演算結果が予め設定された閾値いきちを超えるかどうかにより、物語の流れを制御するというプログラムだった。


ふむ。


理解はしたがこれを人の手で行うことになんの意味があるのだろう? わたしはそのことを探求すべく、プレイを続けてみた。


そしてある日気づいた。


物語を進めることで、幾ばくいくばくの思想が語られることがあることに。その中でも時の鍵にまつわるテーゼがわたしの頭に住み着いた。


悠久ゆうきゅうという属性とはなんなのか?


それは時間に対し限りなく存在するということ。


では時間とは?

存在とは?

そしてそれを打ち消すとはどういうことなのか?


わたしは内的にはそのことを考え続け、社会的には両親に言われるままに進学し、研究者になった。時相論理と時空に関する哲学を専門とする。


思えば両親に恵まれたのはわたしの最大の幸運である。彼らはわたしを理解し、わたしの望む人生を、この制約の多い世界の中で実現するよう導いてくれた。


その両親をわたしは裏切ることになる。


正確に言えば、不可抗力ではある。論文執筆のため研究室に泊まり込んでいたわたしは、ふと空腹を覚え、食事のために外に出た。深夜の構内は静まり返り、正門前の食堂などもすでに閉店していたため、わたしは駅に近いコンビニエンスストアで弁当を買うことにした。


そもそもが現実の対応力が少ない自覚はある。駅に向かう広い国道を渡る途中で、ふとあるひらめきを得た。それは、わたしにとって好ましいことだったが、同時にわたしにとって不幸なことでもあった。


気づくとトラックのヘッドランプが見えた。


わたしはその正面にいる。

トラックの速度は推定60km/h。

トラックまでの距離が目測で10m。

到達まで0.6秒。

正面幅が2.5m程度。

その半分を0.6秒で移動するには4.17m/s^2の加速度が必要。

わたしの体重が63kgなので262.7Nの力が必要である。

少し高級な乗用車くらいの出力にあたる。

不可能だな。


衝突した場合、トラックの質量が10t程度とすると運動量は6.0*10^8kgm/s、

反発係数を…わたしは剛体ではないのでこの近似は無意味だな。


そのようなことを最後に考えた。


☆☆☆


次に意識を取り戻したとき、わたしは白い部屋にいた。あの状況を考えると意識を取り戻すということ自体が不可解だが、確かにこれはわたしの意識であると思える。


「気が付かれましたか」


みると、白い衣装、古代ヨーロッパの物に酷似こくじする、を身につけた知らない者がいた。


「あなたは不幸にして事故により命を終えられました」


ふむ。ではわたしは死んでいるが意識があり、この者は死んだものと対話しているということになる。


現実だ。受け入れよう。


「あなたは条件を満たすので異世界に転生することができます」


「異世界?」


「はい、異世界で新たな生を受けることができます」


「ふむ。世界と言う言葉は非常に多義である。この場合の異世界とはどういうものを言うのかね?」


「異世界はあなたが今まで生きてきたところとは違う世界です」


「『ところ』ということはそれは何らかの時空であり、以前いたところとは異なる時空と考えてよいのかな?」


「はい、時空とか違います」


「それはどのような時空なのだろうか?位相も異なるのだろうか?」


「…異なるかも知れません」


「それほど違う空間では物理法則も異なるだろう。それに存在の意味も異なると考えるべきだろう。そこでの生を得るということの意味をもう少し詳しく伺いたい」


「え、えと、そこまでは異ならないです」


「ではどのように異なるのかね?」


「魔法とかあります!」


「魔法。ふむ。魔法という言葉は実際に科学的に定義されたことがない。言ってみればどのようにも解釈できる言葉だ。世界の説明としては不足と思わないかね?」


「えっと、手から火の玉が出て攻撃ーとかできたり」


「火の玉は然るべき燃料と熱源があれば出せる。特にその世界の特徴を語ってはいない」


「燃料とかいらないです! 魔法なので」


「燃料なしに火が出せるとはエネルギーが保存しない世界ということかな? それは存在が無限に増加する可能性を内包することになるが…」


「え、えっと、研究とかされるのお好きですよね?」


「ふむ。それは好ましいと答えておこう。話を戻すが…」


「で、ではそう言う感じの転生先をご用意いたしますので、いってらっしゃいませ!」


☆☆☆


その男は実に胡散うさん臭かった。


まず四六時中ローブを目深まぶかにかぶっている。妙におどおどした態度でつまづきながら話し、そしてどこか死臭がする。


「で、でね、旦那。いや、司祭さま」


だがそのあまりに浮薄ふはくな外見とは裏腹に、意外と知的で博識であった。


「読ませていただきました。司祭さ、さまの論文」


彼が言うのはわたしが最近発表した論文、『時と存在、その属性論的解釈について』のことであるらしい。


ああ、説明が遅れた。申し訳ない。


あの白い部屋の者が言っていた転生とはこの世界への転生のことだったらしい。この世界とは、正確なことはわたしの短くはない一生を費やしても詳細にはわからなかった。ただ、元いた世界とは異なった物理法則を持った、それでも多くの共通性を持った世界であると認識している。


わたしはこの世界でも両親に恵まれ、高い教育と、時間に関する自由を与えられて、こうして研究を続けられる立場にいる。およそ通常の人類の倍ほどの時間を与えられたわたしの研究は、稀有けうな高みにあると自負している。この世界では学問や知識は教会のものであり、わたしは前生でゲームにより社会とのつながりを保ったように、神学によりこの世界とのつながりを保ち、大方の時間を研究に費やすことができている。あの白い部屋のものの説明はとんと要領を得なかったが、その行いには感謝しなければなるまい。


「でですね、司祭さま」


わたしは目の前の者に意識を戻した。


「こ、これなんですけどね」


それは、不思議なものだった。


不思議という曖昧あいまいな言葉を使わざるを得ない。それは視覚による認識を拒絶し、それが何であるかを示さない。


「君はこれが何であるかわかるのかね?」


彼がこれを認識しているとすればそれはどういうことなのだろうか?


「『時の鍵』だとおもうんですよ」


その時、それはわたしには鍵に見えた。


古びた、扉か何かの鍵に。鍵と認識したことが、そのものの姿を鍵と認識させたということか。


わたしは彼をじっと見た。その行為に意味などない。ただ、そうせざるを得なかった。


☆☆☆


情緒に乏しい。


前生の幼い頃からよくそう言われていた。その意味は永らくわからなかったが、通常の2回分の時を生きて最近少しわかってきたと思う。男を見て胡散臭いと感じたのもある種の情緒かもしれない。


わたしは客観的に見て、記憶力がいいほうだ。前生の両親を安心させるためにプレイしたゲームの内容も客観的事実として覚えている。今こうして、その世界と偶然ではありえない一致をもった世界に生きているわたしは、そのゲームの物語に懐かしさを覚え、そこで見知った架空の人物に共感している。


魔王と呼ばれる存在が復活してから5年。この世界での生も終盤にあるわたしは、生を受けつつあるあの物語の登場人物たちに深い共感を覚える。彼らの物語は時に華やかで希望に満ち、時に残酷であり過酷である。


特に彼らが最大の課題を克服するためには時の鍵は必須であり、それがわたしの人生の方向を決定づけ、またそれがわたしに託されたことに、運命という得体の知れないものを感じることを否定できない。


つまりわたしは、自分がデモニック・クエストの世界に転生し、時の鍵を託される位置に近づくのを感じるにつけ、彼らにそれを残したいという、切実な願望を感じている。


わたしの長い長い探求は、その正体に限りなく近づいた。


しかしそれは理解にすぎない。実証には程遠い。時の鍵がどのようなものであり、どのようにして魔王の悠久を消し去るのか、それを理解したとて、それを実行できるわけではない。


わたしは残り少なくなった時間の中で、それを探し求めた。あらゆる可能性を探った。わたしが2度の生涯で追い求めた真実と、生まれつつあるもっとも近しい彼らのために。


幸い、わたしはヤトゥーボ=ニース大聖堂の司祭という、極めて強い権力を行使できる立場にいる。およそ考えられるあらゆる手段を使って時の鍵を求めた。


そのようなある日、その男は現れた。


☆☆☆


「こ、こんな話、司祭さまっ、しかわかってもらえませんよね」


男はわたしをじっと見てそういった。


「これを時の鍵だという根拠は?」


時の鍵というのはわたしが論文の中で用いた名称である。


わたしの理論の根本を簡潔に述べると、存在にとって始まりと終わりとは何かということで、世界に存在するには始まりの作用素が、存在を終わらせるには終わりの作用素が働くということだ。


「あ、あの、教会の司祭さまにこっこんなこというの、ものっすごく、こ、こわいんっですけど」


男はあたりを見回した。


「司祭さまの論文と自分の理解を信じていいます」


目が合う。


「わたし、死霊術師ネクロマンサーでして」


死霊術ネクロマンシー。それは死体に生命を呼び戻す、あるいは吹き込む技術。教会では生命を冒涜ぼうとくするものとして禁忌きんきとされている。わたしは技術は技術だと考える。


「死霊術とは、一度終わった生命を再び始まらせることです」


ふむ。


「だから、存在の一種である生命の始まりの作用素の研究と言えると思います」


ふむ。そのとおりだ。


「始まりの作用素を生み出す研究を重ねるうち、副産物として終わりの作用素が得られる。ありうることだと思います」


ふむ。ありうることだ。


水の電気分解を思い浮かべるがいい。陰極に水素を得ようと思えば、陽極に酸素が現れる。


「ここからは司祭さまでないとわかってもらえない話です」


男は非常に詳細化された理論について語り始めた。それはわたしの理論を生命に対して特化させたものであり、また精緻せいちを極めるものであった。


「ふむ」


ある非常に特殊な状況の中で対として得られた始まりと終わりの作用素。


「ふむふむ」


男が死霊術により検証した始まりの作用素が持つ非常に顕著な特徴。そしてこの世界にも共通する保存則という原理。そこから導かれる終わりの作用素の持つべき作用。


「ふむふむふむふむふむふむふむ」


結論として、それが時の鍵であると考えざるを得なかった。


「すばらしいっ!」


わたしは歓声を上げた。とても、とても長い探求の果に、ようやくその実証を得たかもしれない。


「これはすばらしいことだ」


あるべきこと。しかしその実証を得るのは偶然でしかない。この男はわたしが恋い焦がれた偶然であり得る。


「あ、ありがとうございます」


「しかしながらこれを実証するためには終わらない生命がなくてはならない」


「魔王ですよね?」


「ふむ、きみは魔王によってこれの実証を望むと?」


「そ、それは司祭さまがお望みなことですよね?」


男はあくまで聡明だった。そう、わたしはその機会にさえ恵まれている。


「ふむ、違いない」


「わたしのほ、ほしいものは他にありますんで」


「言ってみなさい。わたしにできるものであれば用意しよう」


わたしにとって、人生にも値する。およそなんであろうが与えるに値する。


「え、えっとですね」


☆☆☆


その夜、わたしは男とともに大聖堂の宝物庫である尖塔を登っていた。老骨に鞭打つとはこういうことを言うんだろうと理解した。


「だ、だいじょうぶですか司祭さま?」


だいじょうぶとは、予測に過ぎない。


「問題ない」


だが、わたしには確信があった。この作業を終えるまで、それまではこの生命が続くであろう確信が。


男が要求したのは意外なものだった。


「聖女パリアンナさまのご遺体を」


聖女パリアンナはとても有名な人物だ。生前、まれに見る美少女と言われ、また行いの清く正しい娘として褒めそやされていた。街を疫病えきびょうが襲ったとき献身的に働き、不運にも亡くなったという。教会は聖女と認定し、その遺骸いがいを聖遺物として封印し保存することにした。


それが欲しいという。


「何のために?」


愚問だ。死霊術師が遺体を欲する理由は一つ。生き返らせるためであろう。男はわたしの目をじっと見た後、どういうわけかその青白い顔面を紅潮させ、


「え、えと、もし、もしですが、本人がよろしければ、その、つ、つ、好きなのです!」


言葉というのは不自由なものだ。往々にして要領を得ない。


しばし問いただしてみると、この男、どうやらパリアンナに恋愛感情を抱いたため、

生き返らせて交際を申し込もうとしているらしい。恋愛感情というのもわたしには理解しがたいものだが、多くのものはそれを持ち、それによって種が維持される仕組みなので特に否定はしない。


聖女の遺骸を盗み出すのは犯罪であるが、わたしの研究の実証の可能性を秘めていることと、あの懐かしい勇者たちに勝利をもたらすことができることとを踏まえると、

2対1で合理的に妥協できる。


わたしは権力の限りを尽くして男を安置室に連れて行った。棺は開かれており、魔法によって時間の経過を止められている。パリアンナの整った横顔が見える。


「では、司祭さま、お約束の品を」


男は、いまは鍵に見えているそれをわたしに手渡した。器用に魔法をかいくぐってパリアンナの遺体を袋に詰めている。


「ふむ。確かに受け取った。後のことは自力でやってもらわねばならんが」


「は、はい。なんとかいたします。それよりも司祭さまだいじょうぶですか?」


「問題ない」


「そうですか…。では司祭さま、ありがとうございました」


「ふむ。こちらこそ。ありがとう」


男がどうやってここから抜け出したかは知らない。もうそれはどうでもいい。


わたしは今男からもらった時の鍵を、パリアンナの棺に投げ入れた。


これはパリアンナの棺。


そう思うと、そこにパリアンナの美しい遺体が現れた。時の鍵は存在の外側にあるもの。本来、見るものの認識に影響を与えない。と同時に認識しようとすればどのようにでも認識できる。おそらく、それを鍵と知らずに鍵と認識することはできまい。


わたしはもと来た階段を下った。そろそろ息が苦しい。わたしの長い長い人生の話もそろそろ終わりに近づいてきた。


この階段を下り、この塔を出れば、それで今はいい。


今は。


☆☆☆


わたしの人生にはもう一章ある。


いつか時の鍵を求める誰かが、わたしの魂を呼び起こし、時の鍵の在り処を尋ねる。


それが誰でいつなのかについては複数の可能性があるが、彼らが時の鍵にたどり着く限り、わたしはもう少しこの長い長い人生を続けることになる。デモニック・クエストを探求し尽くしたわたしは、それを知っている。


そのときにはわたしが追い求めた真実もこの世界、そして前生の世界も、わたしの前にその姿を現すはずである。


その時まで、またしばらく眠りにつこう。

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異世界の片隅で。 奈浪 うるか @nanamiuruka

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