27.影響を受けている作家
あーどうしよう書き切れる気がしません(苦笑)。そんなのいっぱいいるに決まってるじゃないですか。まあでもこれは書こうとすることに意味があると腹を括ってとりあえず進めていこうと思います。
まずは山本弘先生。
カクヨムでも作品を挙げられているSF作家です。
出会いはTRPGですね。当時人気のあったソードワールドRPGというシステムの普及を兼ねて、ソードワールドの世界を舞台にした短編集が何冊も発売されていました。ほとんど全部読んでいると思いますが、山本先生の作品群はその中でも頭二つぐらい抜けていたように記憶しています。
何が凄いのか。
僕の第一印象であり、今でも凄いと思っているのは「嘘をつくのが上手い」ということです。これだけ書くと何だか悪い人のように見えますが、そういうことじゃないんです。
基本的に小説とは(ノンフィクションを含め)フィクションであり、要するに面白い嘘を書いたものだと僕は理解しています。
じゃあどうやったら面白い嘘をつけるのか。
僕は山本先生の著書を読みながら「できるだけ嘘をつかない」ことが、上手な嘘をつくためのコツなのだと気が付きました。なんだか禅問答のようになってきましたが、これは本当のことです。
たとえば小説の中で「Aさんは超能力でスプーンを曲げられる」という嘘をつくとします。これを成立させるためにはAさんの幼少期を書かなければなりません。わかりやすく、Aさんは少年時代にユリゲラーのスプーン曲げを見て感銘を受け、自分でもやってみたらスプーンが曲がった、ということにしましょう。まずはユリゲラーについて調べます。彼が何者で、日本ではいつ頃ブームになったのか。そこから逆算してAさんの現在の年齢が決まります。ブームが一九七五年だとして、仮にAさんが当時十才だとすると現在五八才。少し未来を書くとして舞台を二〇三〇年に設定するなら六七才となります。
ここから少し創作します。
彼は少年時代には確かに超能力でスプーンを曲げることが出来ていました。ですが一四才を過ぎ思春期に入るとその能力が急速に失われます。彼はそれを補うためにトリックを使ってバレたりしてクラスでいじめられるなどします。その後は普通に大学進学して就職、そして超能力のことなんてすっかり忘れてしまった六四才ぐらいに脳梗塞で倒れます。一命を取り留めますが左半身に麻痺が残ります。ただ、それによって失われていた超能力が復活します。
と、ここまで設定を作って、今度は脳科学について調べていくことになるわけです。あとは超能力ブームについてももう少し深掘りしないと回想シーンが薄っぺらくなってしまいますね。
とまあこんな感じで「Aさんは超能力でスプーンを曲げられる」というたったひとつの嘘を成立させるためには、少なくともユリゲラー、脳科学、超能力ブームの三つについて正しい知識を得る必要があるわけです。
このあたりの正しい知識の出し入れが山本先生は抜群に上手いんですよ。長編の巻末に載せられた膨大な量の参考資料が先生の仕事ぶりを如実に表しています。そして、女騎士専用のプレート・メイルを自身で丸々創作された『ジェライラの鎧』は今でも僕の教科書です。
続いて、阿刀田高先生。
少し古い世代の作家ですが、短編の名手と呼ばれ、そのウイットの効いた話術でテレビにもよく出ていたそうです。残念ながら実際に見たことはありませんが。
件の古本屋の話でもっぱら購入していたのがこの阿刀田先生の短編集でした。出版されているもののほぼすべてを読んでいると思います。
阿刀田先生からは小説の組み立てを学びました。
小説の構造は短編のほうがシンプルでわかりやすいです。王道なのはどんでん返し。小説の最後で話をきゅっとひねって読者を驚かせる。これは僕の嗜好にも合っていて大好きでした。
でも毎回そんな良いアイデアで小説を書けるわけではありません。ちょっと弱いアイデアでも一本書き上げなきゃいけないときもある。そういうときこそ作家の腕の見せ所です。
弱いアイデアを生かすために、舞台を特殊にしてみたり、ちょっと変わった登場人物にしてみたり、別のアイデアを足して合わせ技一本みたいに仕上げてみたり。
これは勉強になりました。阿刀田先生からは小説を書く上での良い物差しを頂いたなあと勝手に思っています。
模倣していた頃はダブルハイフンで挟んで印象づける手法(――あれ? 前にも聞いた覚えがあるな――、みたいなやつです)もパクって使わせてもらっていましたが、今は封印してしまったのでその話は割愛します。
先生の短編集はどれも好きですが、初期の頃のほうがアイデアの質は良いですね。『世にも奇妙な物語』に出てくるようなテイストの短編を沢山書かれていて、実際に原作になったりもしています。
そして井上夢人先生。
ミステリ作家ですがSF仕立てのものも多数あり、その天衣無縫の発想力はもう素晴らしいとしか言い様がありません。非常に寡作な作家なのですが、出される長編がどれも名作で誰も真似できない仕上がりでめちゃくちゃに面白いんですよ。
自身の作家としての半生を書いた『おかしな二人 ―岡嶋二人盛衰記―』で、僕はアイデアの転がし方を学びました。
実際に『竜斬の理』で「二つの大国が巨大な竜を一匹ずつ所持して冷戦状態だが、片方の竜が重篤な病に罹る」というアイデアと「病気の竜を手術する」というアイデアが重なり合った時は、ああもうこれは井上先生のおかげだと思いました。なにせアイデアの転がしに十五年かかりましたからね。『クラインの壺』と一緒だなと勝手に嬉しく思っています。
そして文体ですよ。
抜群のアイデアを生かす文体。
それは「平易であること」です。
わかりやすく、読みやすく、癖がなくてアイデアの邪魔をしない。
何て言えばいいんですかね。例えば、他で味わえないぐらいに抜群に美味いステーキを出せるなら、皿もナイフもフォークも普通でいいんですよ。変に凝ったものや余計な演出は必要ありません。そんなものはステーキの美味しさを阻害するだけです。
ただ、これをやるのはとても難しいんです。
いざ書く側に回ってしまうと、何となく小難しく書いたほうが良い文章のような気がしてくるんですよね。これは素人がよく陥る罠で、本当は読む人にわかりやすく書き上げることのほうが技術がいるんです。
井上先生はいつもわかりやすく読みやすい。
これがもう本当に凄い。
変にかっこつけた描写や遠回しな表現や調べた知識を披露して悦に浸るようなことがまったくない。その平易な文体が、抜群のアイデアをより鮮やかに浮かび上がらせる訳なんですよ。
残念ながらこの文体に関してはまったく学べずで、未だに下手クソな文章を書き散らかしています。いくら先生が良くても憧れがあっても、こればっかりはどうしようもありませんね。
もう一人、文体で影響を受けた作家がいます。
藤沢周先生です。
エッジの効いたソリッドな文体は本当にもう凄まじくて真似をしようとすら思えないほどに研ぎ澄まされています。
『ブエノスアイレス午前零時』や『死亡遊戯』を読んだ当時、文体に関しては僕は井上信者でした。つまり「文体なんてなくていい、分かりやすく読みやすいことが最高だ」と考えていたわけです。
そこに藤沢周ですよ。
衝撃です。
がつーん、と頭をぶん殴られましたね。
『ブエノスアイレス午前零時』で主人公のカザマが温泉の湯で卵を茹でるただそれだけのシーン。『死亡遊戯』の目まぐるしい場面転換から醸される独特の匂い。そこにフィルムで撮った映画のような臨場感と空気感を生み出しているのは間違いなく藤沢先生の文体だったんです。
あ、文体って大事なんや。
ただただそう思いました。
この切れのある文体はエロチックな場面とも相性が良く、カクヨムでは規定に抵触するので載せられませんが『性交のメソッド』という中編の官能小説を書いたときにかなり参考にさせて頂きました。
もちろん文体という意味では足下にも及びませんでしたが、映画的で少し不親切な場面転換を駆使しながら何とか一作書き上げたとき「あ、俺、小説書けるかも」という小さな自信を得ることが出来ました。
人間を書く、それも闇の部分を書くときは今でも先生の文体をイメージします。全然届かないにせよ、イメージすることは大事だと思うので。ジョー・ストラマーも月に手を伸ばせって言ってましたし。
影響を受けた作家は他にも沢山いるのですが、大きくはこの四名ですね。著書は今でも本棚の一番いいところに置いてあります。
そして最後に一人、作家ではないのですが影響を受けた人がいます。
明石家さんまです。
言わずと知れたお笑い大怪獣。六五才になった今でもテレビの世界の最前線で活躍されています。
僕が影響を受けたのは、とあるテレビ番組でさんまさんの言った一言です。恐らく十年以上前でしょうね。小料理屋のセットでゲストを呼んで一緒にご飯を食べるというシチュエーションの番組で、その日のゲストは千原ジュニアでした。
当時のジュニアさんはバイク事故から復帰したところでそんなに仕事のない中、コント師から司会者への転身を考えている様子でした。
「(司会者になるために)僕、これからどうしたらいいですかね?」
ジュニアさんの質問に、さんまさんはこう答えました。
「(松本人志や島田紳助のような)お前らみたいなタイプは得意のシンカーで空振り取ろうとするやろ? そうやのうて、高めの直球でファウル打たしてカウントを整えるんや、そしたら……あー、いらんこというてしもた(カウンターに突っ伏する)」
これです。
この一言で僕は長編を書けるようになりました。
いやあ金言です。もうほんとピッカピカの。
ただこれに関しては感覚的なものなので、多くは語りません。強いて言えば当時の千原兄弟は五分や十分といった短い尺で密度の濃いコントを見せるコンビでした。さんまさんの指摘は、五分のコントと二時間番組の司会とでは投げるべき球が違うぞと。そしてアイデアありきで短編小説を書く僕もシンカーを投げたがるタイプだったというわけです。
この「高めの直球でファウルを打たせる」感覚は、カクヨムで三作の長編を書く上で僕をとても助けてくれました。
以上です。
長らくのご清聴ありがとうございました。
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