笑いの規則を知ろうとしてギャグ漫画で分析をした②

笑いの分析をするにあたってコロコロコミックを読んでいる今日この頃、様々な感情が湧き上がってくる。

「これは面白いな」「これは面白くないな」

「なぜ面白いのだろうか?」「なぜ面白くないのだろうか?」


ここで注意点がある。コロコロコミックの読者想定は小学生ということだ。大人と子供とでは笑いの感性は異なる。


そして、僕が今回採用している資料は20年前のものだ。もし笑いに流行があるのであれば、大人であるか子供であるか、そして現在か過去かで笑えるかどうかが変わってくる。


しかし、こうとも思える。


「大人になった今でも笑える表現があれば、それは万人にウケる笑いなのではないか?」


今回は気になった表現を紹介していこうと思う。




■裏切り


裏切りとは、漫画の読者、漫才の視聴者、鑑賞者(以降、まとめて鑑賞者とよぶ)に次の展開を予測させる前フリをしておき、それを裏切る手法だ。


これは笑いの基本と言ってよいだろう。お笑い芸人も使っているのではないだろうか。




・ヒーローが新武器を手にし、巨大化して怪獣と戦おうとするも新武器は小さいまま(『コロコロコミック』268号)


ヒーローものを知っていることが前提となるが、巨大化するヒーローは普通、持ち物まで巨大化するが、ここではその期待を裏切り、武器は小さいままである。


他にも「巨大化するときに服が破ける」といった展開もギャグマンガでは王道である。




・森で迷わないようにキャンディーを落としていくが、それを知らない味方に食べられそうになる(『コロコロコミック』270号)


森で帰り道が分かるようにパンくずを落としていく手法は童話『ヘンゼルとグレーテル』でおなじみだ。


キャンディーを食べてしまうと帰り道が分からなくなってしまうが、それをあえて行って笑いにしている。




しかし、ウケない裏切りも存在する。


・主人公が6枚の10円玉を鑑定してもらうと1000万円だった。脇役がそれを見て驚く。鑑定師曰く、それは世界6大10円玉コレクションだった(『コロコロコミック』270号)


鑑定してもらう前に、脇役が道端で10円玉を1個拾い、主人公がその10円玉を1000円で交換している。このことから、主人公はこれらが高値で売れることを理解した上での行動とみなしてよい。


また、この展開以前に10円玉コレクションという存在は示唆されておらず、後に登場することもない一発ネタである。


このギャグが引っかかるポイントは恐らく、今までに提示していなかった新しい設定で鑑賞者を笑わそうとしている点だ。


「そういうものがある設定なのか」「落ちてた10円にそんなに価値があるのか」「落ちているお金を拾うのはネコババではないのか」などと考えてしまう人にはウケないだろう。


視点を変え、「60円かと思ったら1000万円でした」という裏切りではなく、6個揃うと1000万円もの価値がある10円玉の1個を手放してしまった脇役の滑稽さに焦点を当てることもできる。主人公に比べて脇役を不幸にすることで笑いをとろう、ということかもしれない。


他人の不幸で快感を得る感情を「シャーデンフロイデ」といい、登場人物を不幸にさらすことで笑いをとる手法もあるにはあるのだが、僕はあまり好きではない。




・バカなキャラがネコの散歩というミッションで、ライオンのことをネコだと勘違いしてライオンを檻から出す(『コロコロコミック』271号)


「ネコを出すと思ったらライオンでした」という裏切りである。バカなキャラだから間違えても不自然ではない。


しかし、理由付けがイマイチのように思う。誰でもネコとライオンの区別はつくからだ。


昔はTVで誰でも知っているような問題に対して、おバカタレントの珍回答で笑うという手法が流行っていたが、今は無知の人を見て笑う人は多いのだろうか?


これは話の導入部分なのでこの出来事が必要なのはわかるが、ウケを狙っている場合はキャラの無知さを武器にするのは厳しいのではないか?




キャラの無知さで笑えるかどうかの比較材料があったので比較したいと思う。


「お中元」と書かれている箱を


A(無知):「ばくだん」と読み、中に爆弾が入っている。おがついているので「おばくだん」

B(勘違い):「なかもと」と読み、中元さんに届ける。丁寧に「お」を付けている


どちらも『コロコロコミック』269号の同じ作品に存在したギャグだが、個人的にはBの方が面白い。


中元に爆弾の要素はないが、「なかもと」と読もうと思えば読めるからだ。


しかし、大人と子供では反応が違う。


子供の頃の僕は、お中元の意味が分からず、「なかもとじゃないの?」と思っていたものだ。


そういう子供にとってはBのボケは通じないので、Aの方がよいのかもしれない。(かといってAで笑った記憶はないが)




■連想


「Aから、Aとは違うBを連想させる」というような手法である。A,Bを鑑賞者がよく知っていることが前提である。




・髪の毛が伸びたキャラが「毎日水をあげたら伸びちゃって」と言い「朝顔か!」と言われる(『コロコロコミック』269号)


実際には髪の毛に水をあげても伸びることはないが、伸びる→朝顔→水をあげる、という連想からボケている。




・育てる粘土という商品があり、こねた人と同じ姿になる。「経験を積むと成長して進化する」という説明書に対し「どっかできいたことあんなー」(『コロコロコミック』272号)


モンスター系のゲームのあるあるである。


育てる、ということから進化を連想させ、さらに別の作品が連想される。


連想系のボケをする場合は、先に「○○かー!」とツッコませることを考えてからボケた方がよいかもしれない。




一方、ウケない連想は以下の通りだ


・バカなキャラが資格と聞いて丸を描き、それを見た別のキャラが「それは三角だ」とツッコむ。(『コロコロコミック』270号)


「資格→四角→丸」という連想に時間がかかる。また、四角ではなく丸を描く理由をキャラの無知さに頼っている。


別の漫画だが、刺客と聞いて顔が四角くなり「しかく?」と聞き返す、というギャグがあったが、こちらの方がシンプルで面白い。


このことから、連想はできるだけシンプルな方が面白い、ということが言える。




・天使の輪がCDにもなる(『コロコロコミック』272号)


輪とCDは形が似ているので、意外性がなく、笑いにつながらない。


形が似すぎていても笑いにならないという仮説が生まれる。


チョコだと思ったらカレールーだった、というギャグもよく見るが、同じ理由で笑いがとりにくいと思う。


おそらく、髪の毛と朝顔のように全く関係ない二つのものを結び付ける何かがあれば笑いになると思う。




■不条理


理由なく異変が起こる。鑑賞者との相性がよければ笑いがとれるが、受け入れてもらえないリスクもある。


・巨大化して地面から登場(『コロコロコミック』268号)

・集まった虫が合体してクマになる(『コロコロコミック』269号)

・セミが羽化しているのを見て、自分も羽化する(『コロコロコミック』269号)


ルールが通じないので、受け入れてもらうためのハードルが高そうである。




今回の報告は以上。


子供向けの漫画を扱ったが、大人が楽しむとなると理由付けが必要なのでは、という仮説が生まれた。


というのも、大人になると前頭葉が発達するので、子供の時よりも理性が働くようになる。そのため、「ネコとライオン間違えなくない?」「なんで虫がクマになるの?」などと気になってしまうと笑いに昇華できなくなってしまう。


かといって現実に寄りすぎてしまうと笑いが生まれないので、理由を付ける部分と裏切る部分を気にならない程度に分ける必要があるのではないだろうか?

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人間AIの観察日記 あーく @arcsin1203

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